カノープス通信 
2002年6月号−2

目次
・季節の便り
・今月の面白探し
・再録エッセイ『怪獣さん、ごめんなさい』
・近況報告[いつか誰かの役にたつ本?』
・読書録
(今月は『預言の子ラノッホ』、『イミューン』他です)



季節の便り

 このところ、子供たちが、毎日、そこらで野生の桑の実を摘んできます。
 自分たちは摘みながら食べて、中でも一番大きい、一番良く熟したのを一掴み、必ず私に上納してくれるのです。いらないって言ってるのに……(だって、子供が泥だらけの手に握ってきて、たいていちょっと潰れかけてるんだもん^_^;)
 園芸種ではなく野生の桑なので、実は、小さいです。子供の指先くらい。
 でも、よく熟したものは、かすかにさくらんぼのような風味があります。
 子供たちは指先と口の周りを紫にして、毎日食べまくっています。

 庭では、キイチゴがまっさかり。オレンジ色の、カジイチゴという種類です。
 この、庭のキイチゴ、実は、東京の、それも、世田谷は豪徳寺の、小田急線だか玉電(世田谷線)だかの線路沿いの土手が出身地です。
 私は、子供の頃(小学校四年生まで)、豪徳寺に住んでいたのですが、当時、今以上にお転婆だったらしい母が、線路脇の土手に不法侵入(?)して一株掘ってきて猫の額ほどの庭に植えたものが親株なのです。
 その後、実家が、同じ世田谷区内の別の町に引っ越した時にも、そのキイチゴは新居の庭に移植され、それをさらに、就職で千葉に引っ越した私が株分けしてきて庭に植えました。

 それから、十三年。たった一本の頼りないシュートだったキイチゴは、目論み通り、庭はずれの擁壁の上の数平方分の傾斜地(実は、途中までしかうちの敷地じゃないんだけど)一面に地下茎で生え広がり、わさわさと生い茂って、春には清楚な白い花を咲かせ、初夏には、山に生えてる種類とは一味違う甘い実をたくさん付け、子供たちが毎日斜面を上っていって、蟻んこや小鳥と競争で、つまんでは食べています。
 今年は当たり年らしく、特にたくさん実をつけて、うちの子だけでは食べきれず、近所の子たちも引き連れてきては、みんなで、採っては食べ、採っては食べ……。

 うちは共働きなので、子供たちは、ほとんど一年中、暗くなるまで山におっ放してあります。
 もう、放牧状態です。
 山に放牧しておくと、勝手に草を食べて太ったり……は、しませんが(^_^;)、春先にはツクシやノビルやフキノトウなどの野草を採ってきて夕食のおかずを増やし、スイカズラやホトケノザの蜜を吸い、初夏にはキイチゴや桑の実をたらふく食べ、秋にはムカゴを採ってきます。
 日曜日に私が仕事の日など、お弁当を作っておいていってやると、勝手に山の『秘密基地』に持っていって食べているようです。

 私が、生まれ育った東京から千葉に引っ越したのは、別に、子供の生育環境のために田舎がいいと思ったからとか、そういうわけじゃなく、就職だの結婚だのに際しての、その時々の事情の積み重ねでたまたまそうなったというだけのことなのですが、こんな時は、田舎で子供を育てられて良かったなあと、つくづく思います。都会では、子供をこんな風に外に放しておけないですものね。

 そういえば、我が家のキイチゴの親株である豪徳寺の線路脇のキイチゴは、その後、どうなったのかな。今でも生えているのでしょうか。もう無くなってしまったのでしょうか?



今月の面白探し

なんだかちょっと久々に、勘違い会話集です!

私(洗濯物を干しながら):「ねえ、そこの小物干し、取って」
夫:「えっ? カモノハシ?」
私:「この洗濯物、このままここに置いといて」
夫:「えっ? 『温泉タコ物』?」

夫:「今日は死ぬほど食べちゃおう!」
私:「えっ、汁粉を食べる? お汁粉なんて作ってないよ」

息子:「今日、テレビで『ロックマンエグゼ』、やるよね?」
私:「えっ? 『ねこまんじゅう』?」 

夫(ゲームでミスをした息子に):「康平、油断は禁物だぞ!」
息子:「ユダンは金髪?」 

夫:「市民会館に多目的ホール作るんだって」
私:「えっ? 玉突きホール?」(ビリヤード場でも作るのかと思ってびっくりしました) 



近況報告『いつか誰かの役にたつ本?』

 先日、最寄の市立図書館分館で、かなり特殊な本を借りました。
 農山漁村文化協会発行の『農文協特産シリーズ・めん羊 ─有利な飼育法─』……(^_^;) 

 事の起こりは、相互リンク先夢の湊の感想掲示板での、ゆめのみなとさんとの会話です。
 ゆめのさんの新しい連載『妖魔の島』(←面白いですよ!)のヒロインが羊飼いで、うちのアルファードと同業者であるという話から牧羊についての話になり、その中で、『そういえば私は、羊飼いがヒーローの小説を書いていながら、牧羊業について無知すぎるじゃないか』と気付いたのです。
 で、地元の図書館で借りてきた本が、下の読書録で取り上げている『羊の博物誌』と、上記の本。

 『羊の博物誌』は、私、新聞の書評で見た覚えがあって、ネットで検索して調べて、所蔵していた本館から取り寄せてもらったのですが、『めん羊』のほうは、最初から、その本が、最寄の分館にあることを知っていました。
 なんで知っていたかと言うと、実は、その本、私が選定した本なのです。
 冬木は元図書館司書なのですが、今住んでいる市の市立図書館は冬木が『図書館準備室』時代から勤めていたところで、最寄のH分館が開館する時にも、何人かの司書で分担して蔵書の選定をやったのです。
 そして、その時の私の担当分野の一つが、たまたま『6分類』──農業を含む産業関係の分野でした。

 市立図書館では、市内にいくつかの分館を作るに当たって、その地域に即した特徴ある蔵書を、という重点収集方針を立てており、このH分館は、市内でも特に農業の盛んな旧農村地区であることから、農業関係の本が重点の一つとされていました。
 一般にはあまりそういうイメージはないと思いますが、千葉は意外と酪農が盛んで、日本の酪農の発祥の地であり、北海道に告ぐ日本第二の酪農王国と言われています。そして、このあたりは市内でも特に酪農が盛んな地区で、『牛屋さん』がいっぱいあり、山羊を飼っているところもあります。
 そんなわけで、地域に即した農業書となれば、当然、酪農関係の本も入れるべきでしょう。
 で、この辺の主な家畜である牛以外の家畜についても、主だったものについては、とりあえず、最低一冊づつくらいは取り揃えておいてみたほうがいいでしょう。例えば、豚、鶏、山羊、羊……。
 だって、今は牛しか飼ってなくても、将来、進取の気性に跳んだ意欲的なお百姓さんが、たまたま、『よし、これからは羊も飼ってみよう!』と思い立って、図書館に資料を探しに来ないとは言い切れないじゃないですか! そして、その時、図書館に、その分野の本が一冊も無かったら……。そんな図書館は市民の需要に応えられないじゃないですか!
 小さな分館のことだから、とりあえず、一冊だけあればいいんです。最低一冊あれば、あとは、『この分野の本、もっとありませんか?』と、リクエストしてもらえる。一冊も無ければ、『どうぜ図書館では、そんなマイナー分野の本は置いてくれないのだろう』と、最初から諦められてしまい、潜在的な需要を掘り起こせないのです。

 ……と、そんなわけで、 農業についても牧畜についても何の知識もない私が農山漁村文化協会の出版物目録から現物を見ないで選んだ本……それが、この本だったのでした。

 その後、私は図書館を退職し、そのまま、この町に住み着きました。そして、たまたま、この分館のそばに引っ越してきました。そして、たまたま小説を書きはじめ、たまたまめん羊飼育について知りたくなり……、そういえば、あの分館には、私が選んだあの本が、今でもあったっけなあ、と。

 が、この本、図書館開館以来、十年以上、一度も借りられていないことが判明……(・・;)
 貸し出しの時、コンピュータの貸し出し画面に、その本のこれまでの利用回数が表示されるのですが、ゼロでした……(^_^;)
 いや、実は、たぶんそうじゃないかとは思ってたんですけど、やっぱり……(^_^;)

 まあ、この本を選んだ当時も、実は、『こんな本、まず利用されないだろう』とは思ってたんです。
 だいたい、既にその道のプロである地元のお百姓さんが、今さら図書館に農業関係の入門書を借りに来るとは思えません。いえ、それ以前に、地元の農家のおじいさん(いわゆる『3ちゃん農業』の兼業農家が多いのです)は、そもそも図書館になんか来ないんじゃないかと……。

 でも、それは、あくまで『現実』であって、『理想』は、違うのです。『このへんの農家のおじいさんなんて、どうせ図書館になんか来ないよ』というのは現実だけど、現実は、理想に向けて変えていくべきものでした。
  『分館の蔵書は地域の特性に合わせて』というのが分館システムの理念で、『農村の図書館には農業の本があるべきだ』と言うのが建前であり、『地元の農家のおじいさんも気楽に図書館に立ち寄り、普段は娯楽のための時代小説を借りていくけど、たまに最新の農業技術の参考書が見たいと思えば、ちゃんとそれがある、あるいは、無くても取り寄せてもらえる』──それが、私たちの理想だったわけです。
 そのためには、まず、図書館に、農家の人にとって魅力的な蔵書があることが先決。そして、それから、農家のお年寄りなどにも図書館に来てもらえるようなPR活動などをする、というのが筋なのです。

 だから、あの本は、ある意味、図書館員の理想のため──『理想の図書館』という見果てぬ夢のために存在する本だったのでした。

 その本を、よりによって自分が、しかも、小説の資料として初めて借りることになろうとは……。何たる奇遇でしょうか(^^)
 どんな本でも、いつかは何かの役にたつ……のかな?
 まあ、今は利用されなくても、いつか誰かの役にたつかもしれない本を置いておくって、書店には出来ない、図書館ならではの役割のひとつですから、とりあえず、あの本は、その存在意義を果たしたのですね。ああ、よかった。貸し出し累計ゼロには、さすがに、ちょっと責任感じたもんで(^_^;)
 いくら、『いつか必要になるかもしれない本を置いておくのも図書館の使命のひとつ』と言っても、小さな分館の棚の面積は限られていますから、あまり長年利用されない本は、普通なら、本館の閉架書庫に引き上げられていてもいいところなのですが、この本の場合、たぶん、『類書がない・代替書がない』ということで、長年、お目こぼしを受けていたのでしょうね。

 ちなみに、この本、たいへん面白かったです。
 ちょっと、統計や参考資料などの内容が古いけど。(何しろ、初版発行昭和57年……。それでも、図書館開館時には、現役で農文協のカタログに載ってる、最新の本だったのです!)
 あんまり面白かったんで、調子に乗って、これもたぶん貸し出し累計ゼロであるだろう、同じシリーズの『ヤギ』も借りてしまおうかなと思ってます(^_^;)
 やっぱり、貸し出し累計ゼロには責任を感じるし……(^^ゞ

 というわけで、2冊の本を読んで、めん羊飼育について少しは知識を仕入れた私ですが、それが小説に役立つかどうかは疑問。ヒーローはたまたま初期段階では羊飼いをしていますが、牧羊が物語の中で重要な意味を持つというわけではないので。
 ストーリー展開上はなんの必要もない牧羊についての情報などを意味も無く盛り込んだら、ただでさえだらだら長い導入部が、ますます長くなってしまいます。
 今までも、別に、特に間違ったことは書いてなかったようだし、まあ、本編の方は、このままでいいでしょう。
 でも、キリ番企画第二弾として予定している読者様参加の『イルファーラン観光ツアー』には、せっかく仕入れた知識を、ちょっと盛り込んでみたいと思います。羊囲いの見学とか(^_^;)



再録エッセイ『怪獣さん、ごめんなさい』

  先日、時無草紙の志麻さんの掲示板でさんざんウルトラマン話をしてきたら、昔の雑文でウルトラマン絡みのがあったのを載せてみたくなりました。前に載せた『ウルトラマンの中身は……』と同じくテーマトーク『ヒーロー』のひとつとしてオフラインの交流誌に載せたものです。

<怪獣さん、ごめんなさい>
 私は、子供の頃から、わりと悪役びいきでした。
 もっと後になってからならアニメの世界で美形敵役が女の子の人気を集めるような現象も起りましたが、私の場合、もっと単純に、本当にいかにも『悪』な、仮面ライダ−の悪の幹部(好みのタイプは『死神博士』(*^^*))とか怪人や戦闘員(元祖ショッカ−の真っ黒いやつと、どの組織のだったか忘れたけど黒地にガイコツ柄の人たちが特に好きでした)とか、ウルトラマンに出てくる怪獣たちが、どっちかというと主役より好きでした。
 好きというか、もっと無自覚的に、自然とそっちに目が行っていたり、いつのまにかそれが当然のごとく彼らの身になって物事を見ていていて、気がつくと彼らほうに共感し、感情移入しているという感じでした。

 いわゆる『判官びいき』的な気持ちからついつい肩入れしたくなるのもあったし、どうも私は、今も昔も、『正義の味方』とか『英雄』とかいうものが、あまり好きじゃないようです。幼稚園児の頃からすでに、ヒ−ロ−の正当性というものを無邪気に信じることができない、ちょっとひねた子供だったのです。

 今から思えば、たぶん私は、『正義』という文句のつけようのない大義名分に潜む胡散臭さ、危険さを嗅ぎ付け、『力による正義』というものに漠然とした抵抗感を抱いていたのでしょう。

 昔、とあるロボットアニメで、正義の巨大ロボットが戦闘中に民家を踏みつぶしたために避難民たちにむちゃくちゃ恨まれるという『目からウロコ』の妙にリアルなエピソ−ドが語られたことがあって、それを見た時、私は、さもありなん、と思いました。
「そうそう、そうだよね。それが普通だよ。私も昔から、そんなこともあって当然だと思ってたんだ」と。
 まさに『わが意を得たり』とひざを打つ思いだったのです。
 私も昔から、ウルトラマンも怪獣もどっちも同じように町を壊していながらウルトラマンは正義の味方で怪獣だけが責められるということに、どこかで納得がいかない思いを抱いていたのです。要するにどっちも暴れてるわけじゃないか、というわけです。

 怪獣もいろいろで、中には明らかに侵略の意図があって宇宙からわざわざ攻めこんでくるやつもいるけど、ただ体が大きいから歩くと町が壊れるとか人間に都合の悪いものを食料としているというだけで別段悪気はない、ただのでっかい野生動物のようなやつらもいて、私には、彼らが『悪』だとはどうしても思えず、だから、そういう怪獣たちを排除するウルトラマンが正義の化身とは思えなかったのです。
 今、思えば、ウルトラマンは比較的、そういう罪の無い怪獣たちに、やさしい配慮を見せていたようにも思いますが、やっぱり『正義』というものの持つ胡散臭さは消し切れていませんでした。

 だいたい、もともとヒ−ロ−ものより、動物番組『野生の王国』のファンだった私にとっては、何が正義で何が悪かを人為的に決めつけるという感覚自体が、釈然としないものだったような気がします。『野生の王国』の世界では、食うものと食われるものの死闘に、正義も悪もないわけですから。

 さて、話は変わって、その昔、家の近くに『二子玉川園』という遊園地があって(今の『ナムコ・ワンダ−エッグ)のある場所です)、ある日そこで、たまたま、ウルトラマンのショ−に行き合いました。
 後に夫から聞いた話によると、あそこは円谷の砧スタジオに近いので円谷のショ−の本場であり、夫にとっては、一度は行きたいと願いながら結局行けないうちに閉園してしまった憧れの名所だったということですが、私にとってはただの近所の遊園地であり、ウルトラマンのショ−も、それを目がけて行ったわけではなく、遊びに行ったらたまたま目の前の歩道を、ウルトラマンと怪獣が、会場に向かってスタスタと歩いていたという状況だったように記憶しています。

 その会場も、今思えばずいぶんテキト−なもので、舞台というほどの舞台もなく、おぼろげに覚えている限りでは、なんだか、そのへんの広場の真ん中でいきなりウルトラマンと怪獣が組んずほぐれつ取っ組み合っていて、それを子供達が取り巻いてわいわい声援を送っているといったような状況だったような気がします。
 で、もちろん、子供達はみんな、ウルトラマンを応援していて、ウルトラマンに声援を送るだけでなく怪獣に罵声を浴びせる子供も多く、中には、どさくさにまぎれて怪獣に蹴りを入れたりする子もいたように思います。
 蹴りを入れていたのはさすがにショ−の最中ではなく、ショ−が終わって引き上げる怪獣を追っかけながらのことだったかもしれませんが、何にしても、怪獣を叩いたり蹴ったりしていた男の子たちがいたことは確かです。

 それを見て、私は、なんだかむらむらと義憤を感じたのです。これじゃ、あんまり、怪獣さんがかわいそうじゃないかと。
 その時かわいそうだったのは、『テレビに出てくる怪獣さんが』というよりも、『今、怪獣さんの中に入って、私たちを喜ばせてくれようと、せっかくがんばって格闘を演じてくれてるおじさんが』というのが主だったのですが、もともと番組の中でもウルトラマンよりも怪獣に親しみと同情を感じていたこともあって、その時、私は、『少なくとも私一人だけは、怪獣の味方をして、怪獣のほうを応援してあげよう!』と、心に決めました。
 そして、ショ−が終わった後、ウルトラマンと怪獣がそこらの道をてくてくと引き上げていくのを、子供達が追いかけて握手をせがんだ時、みんながウルトラマンに群がるのを尻目に、私は、一人で怪獣を追いかけたのです。

 と、追いすがる私に気づいて、怪獣さんが、振り向いてくれました!

 今思えば、きっと、怪獣の中のおじさんは、ちょっと驚いていたことでしょう。
 でも、きっと、ちょっと嬉しく思ってくれたでしょう。
 何しろ、かわいい(エヘヘ*^^*)女の子が一人、ウルトラマンに目もくれず、まっすぐ自分の後を追ってきてくれたのですから。

 怪獣さんは立ち止まり、私に手を差し出してくれました。

 が、その時、私は、間近に向かいあった着ぐるみの怪獣さんの意外な大きさとリアルな造形に、急にやっぱり怖くなって、出しかけた手を引っ込め、くるりと背を向けて、走って逃げてしまったのでした。

 怪獣さん、ごめんなさい。
 あの時、私は、本当にあなたと握手したかったんです!
 決して、からかうつもりなんかじゃなかったんです……(T-T)

オフライン・サークル誌『ティールーム』初出



(追記……余談ですが、サークル誌にこれを書いた後で、ウルトラマンの新シリーズが始まり、その最新作『ウルトラマン・コスモス』では、悪意ある侵略者と罪の無い動物としての怪獣をはっきりと区別し、動物としての怪獣は捕獲して隔離・保護するという『保護』路線を展開しております。昔のウルトラマンも、悪気の無い怪獣はなるべく殺さないようにしていたと思いますが、今度は『保護と被害防止のどちらを優先すべきか』みたいな議論もあったりして、より『動物保護』的な視点が強調されており、時代の流れを感じます)



読書録

『預言の子ラノッホ』 デイヴィッド・クレメント・デイヴィーズ作(徳間書房)
 面白かった! 私、動物モノ、好きなんです(^^)
 動物が服着て二本足で歩いて、切り株のテーブルでお茶を飲む……、みたいなやつも好きなんですけど、こういう、リアルタイプの動物モノは、もっと好き。

 だいたい私は、子供の頃から少々人間嫌いの気があって、とにかく動物しか好きじゃなくて人間には全く興味が無く、登場人物が動物じゃなくて人間である本は、もうそれだけで読む気がしなくなるような子供だったんです。二本足で歩いて服着てても、動物でありさえすれば感情移入できましたが、人間には感情移入できなかったのです。
 幼児にはそういう子が意外と多いから、『こぐまの○○ちゃんはズボンをはいて幼稚園に行って……』みたいな、中身は人間で動物の着ぐるみを着ているだけの、いわゆる『ぬいぐるみ型童話』が今も昔も延々と書かれ続け、必要とされ続けているのではないでしょうか。
 で、私は、そういうのを、幼児期を過ぎてもしばらく引きずっていたようです。
 もしかすると、今だに少々引きずっているのかもしれません。『異世界ファンタジーじゃないとダメ』と言う形で。『舞台が異世界である』というのは、現実との距離感と言う点で、『登場人物が動物である』ことと似ているのです。

 それでも今では、私は、人間にもとっても興味があり、『人間モノ』(^_^;)も好きですが、動物モノはやっぱり格別!

 でも、子供の頃は動物ものなら何でも楽しかったんだけど、大人になると、やっぱり、いろいろ考えちゃうんですね。基本的な価値観が自分の心に合わないものには、反発してしまうのです。
 最近、動物モノでも、動物を人間になぞらえすぎているものはダメです。
 といっても、『ぬいぐるみ』タイプは、かえって平気なんです。それは、表向きは動物だけど実は人間の物語であると知ってて読むものだから。
 ダメなのは、一見リアルな動物でありながら、動物に人間の価値観を押し付けてしまっているもの──元来別の種族である動物に、あくまで人間という種が自分たちの社会の維持のために生み出したシステムである『ヒューマニズム(いろんな定義のある言葉ですが、ここでは、一般的な『人道主義』という意味で使ってます)』を投影してしまっているものがダメなのです。

 だって、ヒューマニズムは、あらゆる生命体に普遍的な価値ではないのです。ヒューマニズムは、『ヒューマン』のものでしょ。人間にしか適用してはいけない、人間社会内限定の『お約束』なのです。
 動物も、群れ全体で子供を守ったり、年寄りや弱者を庇うなど、一見、ヒューマニズムに適う行動を取っているように見えることがありますが、それは別に彼らが『人道的』だからそうしているわけではなく、彼らには彼らなりの行動原理があって、それに基づく行動が、時々、偶然に、人道主義的振る舞いと一致して見えるだけなのです。そういうものに人間の基準を投影して感傷的になるのはどうかと思います(まあ、私だって、そういうのをテレビで感動的な音楽とおセンチなナレーションつきで見たりすれば、やっぱり、つい、ウルウルしてしまいますけどね^_^;)

 というわけで、動物にヒューマニズムを代弁させようとするやり方は、私は、あまり好みません。
 だから、服を着て家に住んでて実は中身が人間である着ぐるみのクマさんなら、『みんな仲良く、争いは止めよう』でもいいけど、四足で裸で自然の中に住んで一応リアルに生存している野生動物の話で、『弱肉強食は止めましょう。ライオンもオオカミも肉を我慢して草を食べて、種族を超えた永遠の友情を築きましょう』みたいなことを言われると、私はダメ。『それは違うだろう』と思っちゃう。

 例えば、ディズニー映画、『ダイナソー』。
 映像的には楽しめたけど、悪いけど私は、ストーリーには全く共感できませんでした。
 だって、肉食恐竜が草食恐竜を食べるのは、悪いことじゃないでしょ? お年寄りの知恵を敬おう、なんていうのは、人間の世界の話でしょ? 一度にたくさん子を産む動物では、生まれた赤ん坊の何割かは死ぬのが当たり前でしょ? いちいち全部育ったら、たちまち生態系狂っちゃうじゃないですか。たくさん死ぬから、たくさん産むわけでしょう。
 肉食獣は、ただ、生まれつきそういう食性を持って存在しているというだけで、別に、『悪』じゃないのです。
 病気になった動物や歳を取って弱った動物は、その肉で他の獣を養うのが、命の最後に果たすべき崇高な使命ではないでしょうか。

 そういう、野生の掟を否定し、肉食恐竜をあたかも『悪』であるかのように描くあの映画は、実は動物モノじゃなく、人間社会を描く寓話なんでしょうけれど、恐竜たちが映像的にリアルな動物であり、木や石で出来た町ではなく原始時代の自然の中に生きているから、一見、動物モノに見え、それで私は、いちいち『それは違うだろ!』と思ってしまって、共感できなかったのです。

 その点、この本は、違うのです。擬人化はされていますが、基本的に、動物の、野生の生態を否定しない。
 例えば、鹿は繁殖期には攻撃的になって雄同士で角をぶつけ合って闘い、時にはそれで命を落とすこともあるようですが、それを、『角突き合いなんて野蛮だから止めましょう。民主的な話し合いでリーダーを選びましょう。強いものにも弱いものにも、平等に繁殖の機会を与えましょう』なんてことを言い出さないところがいい。
 主人公の鹿が、死にかけた狼を助けた時はどうなるかと思いましたが、そこで、『これからは鹿と狼は友達だ、狼は鹿は食べないことを約束する』なんてことは、言い出さないのです。狼は、受けた恩に感謝はしますが、その後で、ちゃんと、『俺を恐れろ、次に会った時には必死で逃げろ、狼は鹿を食べるものだ』というようなことを言い放つのです。
 そういうところが、私の価値観に適っていたので、より楽しめました。

 やっぱり、ストーリーが面白くても、基本にある価値観が自分と合わないものって、そこが気になって楽しめない時もあるのです。
 それでも楽しめる場合も、全然無くはないし、価値観さえあってればいいというものじゃなく、ストーリーが面白いというのが大前提ですけど。その点、この本は申し分なかったです!


『イミューン・僕たちの敵』 青木和・作(徳間デュアル文庫)
 以前、別の文庫で出てたものを、加筆修正したもの、らしいです。
 おもしろかったです。決して、すごく私の好みのタイプをいう作品ではありません。でも、何かしら、引き込まれるものがある。
 最近の若い人に、すごくよくあるタイプの作品のような気がします。『ブギーポップ』とか、『ダブルブリッド』とか、あのテの雰囲気です。(これらを一緒くたにしてしまったら怒る人もいるかと思うけど、確かにそれぞれ全然違うと言えば違うんだけど、それって、SMAPメンバーの一人一人みたいなもので、みんな全然違うタイプなのに大雑把に言えば『ジャニーズ系』でくくれてしまうという……。『緒方さんのイラストが似合うタイプ』といえば納得してもらえるのでは?)

 でも、よくあるからといって、悪いと言うわけじゃないわけで。
 よくあるタイプの中でも特に人気のある一握りのものと言うのは、やっぱり、それなりに光るものがあるからこそ人気があるわけです。多くの人を惹きつけるものには、それだけの魅力があるですね。
 この作品も、ストーリーの大枠には、別にこれといって惹かれるものはないのですが(『これって完璧に戦隊ヒーロー物じゃん!』と思いました^_^;)、何かしら、きらりと光るものがあるのです。

 冒頭は、そんなに面白そうじゃなかったです。内容的にも表現的にもこれといって目を引くものもない、ありふれた情景描写に始まり、繁華街の雑踏の中でいきなり人が倒れて死ぬと言う、このテの小説の中では実に平凡な事件が起こる。
 こういう、ショッキングでキャッチーなエピソードを冒頭に持ってきて短いプロローグとするのは、まず読者を掴むための常套手段だと思うのですが、私がひきこまれはじめたのは、その部分でではなく、その後の、主人が登場する本編冒頭部分からです。

 平凡な高校生である主人公が、桜咲く新学期、合格した高校に初登校し、校門に続く長い坂を歩いていく。そして、新しい友達と出会う──。
 そういう、全然事件じゃない部分が不思議と魅力的で、どこがどうということもないのに、何かしら、心を引き寄せる力を持っているのです。人間ドラマの部分に、妙に目が吸い寄せられる。
 それがなぜだか、よくわからないのですが、たぶん、人間の描き方に味があるのでしょう。
 
 しかし、これ、やっぱり、基本のストーリーは戦隊ヒーローのパターンですよ〜(^_^;)
 なんたって、特別な力に目覚めて戦う仲間たちが、お互いに『アズールブルー』、『イエローオーカー』などを呼び合ってて、そういえば、人数もちょうど5人。うち、一人は女の子。で、その他に、唯一、謎の上層部と連絡を取れる司令官役が一人、ちなみに、色は『ヘリオトロープ(紫)』。なんだかなあ……(^_^;)


『いつか海に行ったね』 久美沙織・作(祥伝社文庫)
 これも、とっても面白かったです。
 裏表紙の紹介文には、『パニック・ホラー』と書いてあったけど、ホラーというより、SFです。
 ホラーといえばホラーでもあるかもしれないけど、それをいえば、『アンドロメダ病原体』だって『エイリアン』だって、パニック・ホラーです。
 今はきっと、同じ物でもSFと言うよりホラーと言ったほうが、売れたり、出版されやすかったりするのでしょうね。

 この作品のミソは、タイトルの由来になった小学生の絵日記のエピソードをプロローグに持ってきたところでしょう。
 本編部分では、じわじわと迫る人類滅亡の危機をわりと淡々と描き、『じわじわっときて、これから、どわっとなるのかなあ……』と思ったら、そのまま淡々と、それなりの収束を迎えるのですが、その、淡々としたところに、プロローグの絵日記に繋がるエピローグを持ってきたことで、俄然、お話全体が感傷的な色合いを帯びて、ただのホラーではない、『ちょっと泣ける、いい話』にグレードアップしているのです。
 本編部分はみんな過去のことだから、どんなにパニックしてても、どこか寂しく淡々として、物悲しい。
 同じ素材でも、盛り付けのテクニックでグレードが違ってくると言う見本ですね。さすが、プロの技!

 それにしても、カビって怖い……。梅雨時には読まないほうがいい本かも。なにしろ、『カビ・ホラー』なのです。久美沙織さん、『カビキラー』とかの会社から感謝状もらったっていいと思う!

 他に、『異形コレクション・マスカレード』 (光文社文庫)を読みました。今回は、五代ゆうさんのが楽しみで借りてみたんだけど、なんかよくわからないものでした。ただの実話みたいな、いかにもホントにありそうな、嫌〜な感じのインターネット・ネタ。
 あと、続きものの一冊目だけ読んだものが二冊あるのですが、感想は二冊目を読み終わってから。
 今回も、時間が無いのでオンライン読書録はお休みです。感想書きたいものはあるんだけど、そこまで手が回らない(^_^;)

追記……『近況報告』のところで『下に書く』と書いておいた『羊の博物誌』の感想を書き忘れました(^^ゞ
とりあえず、書誌事項を。
『羊の博物誌』百瀬正香(日本ヴォーグ社)
 羊の種類がイラストつきでいろいろ解説されていて、意外とハマっちゃう面白さ。
 だって、羊に角が4本とか6本とかあるのがいるって、知ってました?
 色だっていろいろ、体型だって色々。海草を食べてる羊もいるんですって!
 羊の種類に詳しくなったからって何の得があるわけでもありませんが、どういうものか、そういう役にたたない知識ほど楽しいんですよね(^^)



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