カノープス通信 
2002年5月号−2

目次
・季節の便り
・今月の面白探し
・近況報告
・読書録
(今月は『ネシャン・サーガ』、『神住む森の勇者』他です)
・オンライン小説読書録
(『雪の記憶』『ヨバルズシア』)



季節の便り

 今年は、桜も早かったけど、他の花も、軒並み早いですね。
 例年ならゴールデンウィーク後半になって咲き揃う山藤の花が、4月半ばには、もう満開で、4月末の今は、かなり散ってしまっています。
 でも、うちのべランダの向かいに張り出してきている藤は、日当たりが悪い場所なので、咲くのが毎年少し周囲より遅く、今、花盛りです。洗濯物を干しに出ると、目の前に藤の花があり、良い香りがします。別に自分ちの庭に植えてるものじゃなく、生えてる場所はよその地所で、手入れの悪い山に勝手に茂ってしまった野生の藤なんですが、まるで我が家のために咲いてくれているようで、ラッキーです。
 しかも、あの藤、垂れ下がった蔓が子供たちのターザン・ロープやブランコとして大いに役立ってくれるので、あれのせいで庭やベランダの日当たりが悪くなるぐらい我慢です。冬になると、クリスマスリースの材料にもなりますし(^^)

 山藤には、白いのもあるんですよね。いつも犬の散歩に行く空き地には、白い藤の大木(というか、何かの大木にびっしり絡み付いてる藤)があるんですが、紫のより、ひとつひとつの花がひと回り大きく、ふっくらとして、匂いも強いのです。とっても綺麗です。

 初夏のこの季節、他にも、木の花が色々、花盛り。そういえば、ほとんどが白い花です。ノバラやキイチゴ、卯の花、うつぎ、エゴノキ、その他にも、名前を知らない、いろんな形の白い花が、そこらじゅうで咲いています。



今月の面白探し

 冬木はクレープ屋さんに勤めています。
 先日、休憩時間にクレープを買って食べました。
 休憩が終わって戻ってきたら、そのクレープを作ってくれた同僚のKさんが、
「クレープにカッパ入ってました?」と聞くのです。
 えっと思って、聞き返しましたが、もう一度言ってもらっても、やっぱり、そう聞こえるので、
「カッパ……?」と聞き返したら、大笑い。
 実は、『葉っぱ、入ってました?』だったのでした。
 私が食べたクレープは、葉っぱの形をした緑色のリーフチョコ(通称『葉っぱ』が飾りに付くもので、Kさんは、そのリーフチョコを入れ忘れたかもしれないと思って気になっていたのだそうです。
 聞き返している間、私の頭の中には、スティック状に切ったきゅうりが入った『カッパ巻クレープ』や、簀巻きにされたカッパの映像が次々と浮かんでは消えていたのですが……。

 (ちなみに、『簀巻きのカッパ』として頭に浮かんできた映像は、私が今年のバレンタインデーに夫に送ったチョコレートの映像でした。大の河童マニアである夫のために私が買ってきたチョコは、手巻き寿司に使う『すのこ』でキャンディータイプのチョコ数粒とカッパの人形を巻いた『カッパ巻きチョコ』という、実にバカバカしい製品だったのです。ばかばかしいわりに、しかも、チョコはほんの数粒しか入ってないわりに、本物の『すのこ』が使われているせいか、結構高かったのです^_^;)



近況報告

 上に書いたように、私はクレープ屋さんでパートしています。ショッピングセンターの中にあるファーストフードコーナーの一角で、うちと、ラーメンやお好み焼きのお店と、マクドナルドの3ショップで、客席を共有しています。

 で、最近、お店に、ヘンなお客様が来るのです。
 客と言っても、うちのお店では何も買わないのですが、とにかく、『客席を利用する方』です。

 来るのはいつも、閉店も近くなって客席も閑散とした、夜の7時〜8時ごろ。
 頭のてっぺんがちょっと薄くなった小太りのおじさんで、まずは、スーパーでお買い物をします。
 それから、買い物袋を乗せたカートを押してファーストフードコーナーに来て、奥のほうの客席に、こちらの背を向けて陣取ります。
 そして、おもむろに、スーパー袋からいろんな食材を取り出して、その、持込み食材で、なにやらオープンサンドのようなものを自分で作りながら黙々と食べ始めるのです!

 一応は肩身が狭く思っているのか、こちらに背を向けているので、何を食べているのかはよく見えませんが、この間、その付近の汚れたテーブルを拭きに出たときにチラチラと見ていたら、食パンをまるごと一斤と、レタスを丸ごと一個(これは、店内の手洗い用の水道で洗って、葉っぱをはがして、テーブルの上にごそっと広げてあります)、さらに、丸ごとの玉ねぎを一個、その場で果物ナイフでスライスしながらパンに載せていました!
 また、別の日には、丸ごとのレモンを持ってきて、果物ナイフでスライスしては、レタスといっしょにパンに挟んでいたこともあります。丸ごとと言っても、既に3分の2ぐらいに減っていましたが、とにかく、スライスしてない、丸いままのやつです。

 それでも、それらの食材は、一応、その日にスーパーで買ってきたものでなのしょうが、他に、大きなチュ―プのマヨネーズやケチャップ、ケースごとのマーガリンなどもテーブルに並んでおり、これはかなり中身が減っているので、その場で買ったものではなく、家から持ってきたものと思われます。
 また、これも家から持ってきたらしい、大きなステンレスの魔法瓶も置いてあります。
 そうやって、小一時間かけて、食パン一斤分のサンドウィッチを黙々と食べると、テーブルの上をそれなりに片付け、黙って立ち去っていくのです。

 まあ、うちで食べ物は買わなくても、一応、スーパーでお買い物をしたお客様だし、夕方は客席が空いているので(うちの店は9時まで開いていますが、閑静な住宅街にあるので、夜の7時過ぎには、商店街の人通り自体がぱたっと絶えて、客足もすっかり引いてしまうのです)、一人くらい持ち込みで食べている人がいても、そんなに邪魔にはならないので、今のところ、みんな黙認しています。
 ただ何も買わずに客席に居座るというだけで、大声で騒ぐとか、他の人に迷惑をかけるわけではないので。(いるんですよ〜。大声で独り言を言って周りを怯えさせる人とか、何にも注文していないのに番号札もレシートも無くしたと言い張って他の人の分のハンバーガーを持っていってしまう人とか……^_^;)

 が、セルフサービスの『殺菌済みダスター(台フキン)』を大量に持っていって、レタスや玉ねぎを包んだり、ナイフに付いたマヨネーズやマーガリンをぬぐったりするのだけは勘弁して欲しいです(T-T) 特にマーガリン……。洗っても落ちないんですよ〜(T-T)



読書録

『ネシャン・サーガ第一部、第二部』 ラルフ・イーザウ・作(あすなろ書房)
 まずはじめに言っておきますと、私はこの本を途中の巻までしか読んでいないので、これが良いとか悪いとかは言えません(いえ、最後まで読んでも、そんなこと、言えませんが)。好きなのか嫌いなのかも、良くわかりません。だから、これは、ただ、途中まで読んだ段階で私がどう感じたかを書いただけだということをお断りしておきますね。

 読むのに、すご〜く苦労した本です(^_^;) 
 別に読みにくい文章や内容ではないのですが、とにかく、長い!
 しかも、文庫本で五分冊くらいにしてくれていたら持ち歩いて外出先で読めたのに、ことさらがっしりしたハードカバーで、厚くて重いから、家でしか読めない。で、私は、家にいて時間が有るときは優先的にパソコンやワープロに向かってしまうので、あまり本を読まないのです(^_^;)
 それで、実は、一巻目も二巻目も、図書館から借りて一回では読みきれず、各二回づつ借りてます。
 特に第二巻は、最初に借りた時には、前に借りていた本が読み終わらなかったので、手が回らず、全く手をつけないうちに返してしまったのですが、その時、実は、一度は「もう借りなくてもいいや」と思ったのです。第一巻も、実は、一回途中で返した後、一度は「続きはもういいや」と思い、しばらくして、「せっかくだから、やっぱり……」と借り直し、「二冊目はもう読まないようにしようか」と思いつつ、「でも、そういえば、尊敬する某サイトマスターさんが『二冊目の前半だけは猛烈に面白い』といってたっけなあ。だったら、読まないと損だなあ……」と思い直して借りてきて……。
 ……と、そんなことの繰り返しで、何とか二冊目まで読んだのでした。

 つまり、私にとっては、その程度にしか面白くない本だったのです。
 本当にすご〜く面白くて、途中で止まらないほどだったら、ハードカバーでも、長くても厚くても、忙しくても、他にも借りている本があっても、読まずにはいられないですもん。

 なんで面白くなかったのかは、よくわかりません。
 『ぶ厚くて長い』と文句を言いましたが、私、本来は、長いお話や、分厚いファンタジーの本は、大好きなのです。長ければ長いほど、分厚ければ分厚いほど、それだけでワクワクします。
 だから、この本も、最初は何よりもその長さと分厚さに惹かれて、読んでみようと思ったのです。装丁なんか、いかにも重厚で、本格ファンタジーっぽさ全開で、見るだけでワクワクするような、実に面白そうな、とってもステキな本なんです。
 で、内容も、別に、その期待を裏切らないのです。壮大で謎めいていて、冒険・冒険・また冒険で、どう考えても、これが面白くないはずがないんです。それなのに、なぜ、いまいちのめり込めなかったのか……。

 ひとつには、今現在の私が求めているものとは、微妙に違ったからというのがあるかもしれません。
 もしかすると、これ、子供の頃(中学生位の頃)に読んでたら、すごく面白くて、夢中になれてたかもしれないと思います。子供の頃なら、こういう冒険物語には、それだけで無条件にワクワク出来たものですが、今は、もう少し幻想味の強いものや耽美的なもの(あ、ヤ○イのことじゃないですよ^_^;)、人間を深く描きこんだものや文学的な感じのものに好みが傾いてきている気がします。

 そして、もうひとつは、思想性があるんだかないんだか、もしあるとして、それが私に共感できる思想なのかどうか、その辺が見極められなくて、どことなく反発というか警戒心と言うか、不審感を感じてしまい、気になって、冒険に没頭しそこねたのではないかと……。

 思想性なんか無くたって、別にいいんです。別に哲学的だったり深い思索が隠されていたりしなくても、単純な冒険物語は、それはそれで楽しめます。
 でも、このお話は、そういう単純な冒険モノとして楽しむには、キリスト教臭や教訓性が強く打ち出されていて、それが気になって、なんか落ち着かなくて……。

 キリスト教色の強いものでも、例えば、『ナルニア国物語』は大好きです。ところどころ宗教臭さを感じても、それほど拒否反応が起きません。なのに、この作品の場合は、何だか気になる。
 作者が立脚している価値観がいまいち理解できないという居心地の悪さがつきまとう。

 第二部まで読み終えた今でも、私は、この作者がどういう価値観でものを言ってるのか、その価値観に自分が共感できるのかできないのか、いまいち見極められずにいます。
 いえ、『全き愛』という全体テーマは、ちゃんと、はっきり打ち出されており、第二部終了でとりあえずひとつの物語が完結するとともに一応の思想的な結論も、これ以上ないほどはっきりと言葉にして示されているのですが、何か腑に落ちないのです。あそこで語られた『全き愛』は、全く私にも異論の無い、しごく真っ当な思想のはずなのに、だったらなぜ自分が物語の中で示される考え方の端々に小さな違和感を感じてしまうのか……。
 そういうところを無視して楽しめればよかったんですけど、無視するには、ちょっと宗教色が強すぎました。どうも私は、一神教的な考え方や善悪二分論に馴染めないようです。

 それと、私がいまいちハマれなかった原因には、もうひとつ、女の子が出てこないというのもあったかもしれません(結局、冬木の不満はそれだったのか?^_^;)。
 一冊目なんか、『女の子』に限らず、女性全般が、ふと気が付くと、なぜか一人も出てこないのです。なにしろ、主人公の少年は一人暮らしの老人に育てられてるので、お母さんや姉妹さえ出てこない。彼女がいないのはもちろん、女の子の友達もいない。冒険の途中で出会う人々も、みごとなまでに男ばかり。

 二冊目の後半には、一応、メインの男の子たちの恋のお相手となる女の子たちが出てきましたが、今のところ、何だか、男の子と組み合わせるためだけにとってつけたように用意された役という感があって、男の子の目を通して見える姿以外の独立した人格があまり感じられません。中の一人は、もしかすると3作目には活躍するキャラになるのかもしれませんが……。
 う〜ん、やっぱり、3冊目も読むべきなのか……?

 でも、これだけのページ数を読んでも、まだ、面白いのかどうかいまいちよくわからないと言うことは、つまり、この本は、私にとってはそれほど面白くないということですよね。
「もしかするとこれから面白くなるのかもしれないから」と、なかなかあきらめがつかないままに、分厚いのを二冊も読んでしまいましたが……。

 ただし、冒頭に書いた某サイトマスターさんの言葉は本当でした!
 二冊目の前半は、確かにすごく面白かったです。そこだけは、ハラハラドキドキ、用事があろうとなんだろうとページをめくる手を止められなかったですもん。それだけでも、とりあえず、読んだ価値はありました。

『神住む森の勇者上・下』 J・グレゴリイ・キイズ(早川文庫)
 これはもう、文句なしに面白かった!
 前作の『水の都の王女』だけでも面白いけれど、こっちを読むと、あれはこの物語の『序章』部分だったのだと良くわかります。ガーンやゲーが、後でこんなに重要なキャラになるとは思わなかった……。

 『ネシャンサーガ』の感想を書いた後で、これの感想を書こうとすると、私にはやっぱり、こういうアニミズム的な、多神教的な世界観がしっくりくるのだと言うことが、自分で良くわかりました。

 ここでは、万物に神々が宿っており、その神々は、善でも悪でもありません。
 そして、たまたま一人の神だけがあまりにも強大になり、周辺の他の弱小神々をみんな<食べ>つくしてしまって一神教的な世界を作ってしまうと、他の神様が、策略を尽くして、その力を殺ぎにかかるのです。
 けれどそれは、神様どうしのよくわからない内輪の事情(?)であって、世界のためとか人間たちのためとか、そういう高邁な正義のためなんかじゃないのです。神様には神様の、人間とは関係のない価値観・力関係があって、この物語は、そういう神々の抗争にたまたま巻き込まれてしまって右往左往する人間たちのお話です。
 だから、神様同士の抗争の中で代理戦争的に闘わされる人間たちは、良い神様に味方して悪い神様をやっつける正義の使徒なんかじゃないのです。ただ、神々の思惑に翻弄されながらも、それぞれに、自分が自分自身であリ続けたいと願ったり、部族の中で認められる一人前の男になりたいと思ったりしているだけで、世界を救うためなんかじゃなく、ただ、自分が人間らしく生きるために、否応無しに神と闘い続ける羽目になってしまっただけなのです。

 その中で、なんといっても小気味良いのは、幼いヒロイン、ヘジの強さと聡明さです。強さと言っても、浮き足立った攻撃性ではなく、したたかでしなやかな、地に足の着いた本物の強靭さです。お姫様育ちの世間知らずや脆弱さをものともせずに、どんな環境にもそれなりに馴染んで、しかも決して自分を見失わずに常に自分自身であり続けようとするヘジの、伸び行く草のような姿には、勇気付けられます。

 それに比べて、ヒーローのペルカルは、ちょっと情けないです。
 名誉や富を意味する『ピラク』という、いかにも男社会的な価値観に凝り固まった彼は、頑迷にして蒙昧──つまり、平たく言うと、『お馬鹿さん』です。
 ヘジの求めるものが誰かからの評価ではなく、ただ『ありのままの自分自身であり続けること』であるのに比べて、彼は、常に、部族の中で自分がどういう位置を占めうるか──『ピラク』のある一人前の男として部族の中で認められるかどうかを自己評価の基準にしています。
 往々にして、女の子より男の子の方が社会的な動物なのですね。女の子は自己完結できるけど、男の子は、社会から認められなければ『男』になれないと思っている。
 彼にとって、自己実現とは、社会的成功なのです。
 他人からの評価を自分の存在の基盤としているため、彼の自我は基礎が脆く、彼はいつも、うじうじと悩み、惑っています。
 その姿は、歯がゆく、もどかしく、剣を振り回して盛大に大暴れしているわりに、見ていて爽快感がありません。

 でも、それはそれで良いのではないかと思うのです。
 ペルカルは、考え無しでおバカさんな男の子ですが、意思を持って戦闘を助けてくれる<神の剣>を手に入れたおかげで、戦闘において超人的な力を発揮するだけでなく、どんな傷もあっという間に治ってしまうどころか死んでも生き返ってしまう(^_^;)という、ほとんど不死身の、究極のスーパーヒーローです。
 そんな、超人的な力を持ったものは、悩んだ方がいいのです。力に溺れ、正義に酔ってしまっては、絶対にいけないのです。
 だから、決して正義を振りかざすことなく常に自分の正当性を疑い続け、手に入れた力に溺れることなく、むしろその分不相応の力を畏れ、疎み、若者らしく思い悩み続けるペルカルの姿は、ちょっといらいらするけれど、ある意味、私にとっては望ましいヒーロー像であり、好感が持てます。

 しかし、あの二人、あれはどう考えても、ヘジはペルカルを尻に敷きますね。まあ、せいぜいしっかり手綱を取って、うまくおだてつつ操縦してあげなさいよ、という感じです(^^)


『ホーリー&ゴースト ブギーポップアンバランス』 上遠野浩平・作 (電撃文庫)

 私、この人の作品は、ブギーポップシリーズは全部読んでいる他に、『僕らは虚空に夜を視る』『冥王と獣のダンス』『殺竜事件』など、たぶん、ほとんど全部読んでると思います。
 そんなに好きなのかというと、実はそうでもない──というか、よくわからないのですが、その『良く分らない』というのが曲者で、もう一冊読めばそれが分るかもしれない、次の一冊で今度こそ見極めが付くかもしれない……を繰り返し、気づけばほとんど全部読んでしまっていたのでした。

 自分なりに、この作者の本質というものを掴むことが出来た気がしたのは、『僕らは虚空で〜』を読んだ段階でだったと思います。そうか、やっぱり、そういう質の作家だったのか、と。『そういう質』ってどういう質かというと、一言で言えば『青い』かな?
 実は、そんなの、最初からわかってたわけですが。『ブギーポップ』は、あれは、本質的に青春小説ですよね。

 この人の価値は、要するに、『青春』と『時代の気分』だと思います。幼さ・未熟さと醒めた老成が同居した、とらえどころのない青春の苛立ち。激しい怒りや抵抗といった強い感情は無いけれど、漠然とした虚無と閉塞感が漂う、ぼんやりと生ぬるく、深い闇を潜めて薄明るい、空虚であいまいな『時代』の気分。そういう、あいまいなものを、あいまいなままに紙の上に定着させて見せるのが、この作家の魅力なのでは、と。

 で、結局、自分がそれを好きなのか、それほどでもないのかは、良くわからないままです(^_^;)
 こういうヤングアダルト系の作家に特有のケレン味が、最近は、『若い人にはそこがカッコよく見えるんだろうけど、おばさんにはちょっと……』という感じで(あ〜あ。歳は取りたくないですねぇ^_^;)。
 ただ、とにかく、すごく『気になる』作家であったことは確かです。

 実は私、『ブギーポップ』は、シリーズとしてはもう寿命じゃないかと思ってたんです。
 なんで『シリーズとしては寿命』と思ったかというと、当初は漠然としていた敵の組織の全貌がしだいにはっきりしてきすぎたから。
 敵に限らず、ブギーポップをはじめとする『正義の味方』たちも輪郭がはっきりしすぎて、正義の超人が何人も現れたり、悪の組織の幹部たちが内輪もめをしたり裏切ったり裏切られたり、特殊能力者が悪の組織から脱走したり……となると、もう、ほとんど某『仮面ラ○ダー』の世界じゃないですか(^_^;)
 敵が何だか良くわからない……というか、特定の敵というものがあるのやらないのやらもはっきりせず、ただ、わけがわからぬままに日常が脅かされ、正義の味方も、本当に正義なんだか何なんだか実はよくわらかないという、霧に包まれたあいまいなノリが、ブギーポップシリーズの魅力だったんじゃないかな、と。

 で、前の巻あたりでは、その巻自体の出来がどうこうというわけじゃないけど、もうここまで設定をはっきり書き込んでしまったら、その世界が、あいまいさが魅力のこの物語の背景として使えなくなって、あとは、物語自体を終わらせるしかなくなるんじゃないかと思ったのです。
 が、何だか結局、また、あいまいな方向に持ち直しましたね。
 今回はまた、捉えどころの無い苛立ちと閉塞感とともに空漠とした奇妙明るさが漂う青春犯罪ロードムービー調に仕上がってて、いい味出してます。

 私、個人的に、ブギーポップシリーズの最高峰は『パンドラ』だと思うんですが、それは、閉塞した時代の気分を映し出す青春小説として魅力的だったからです。どこか空虚だけれど、まだ絶望はしていない、そういう中途半端な青春群像を見事に描きだした青春小説の佳作だったと思います。

 ……というわけで、またまた、長い読書録でした。最近、日記帳をレンタルして以来、身辺雑記はそっちに書いてしまうし、月一回発行じゃ季節の話題は時期を逸しやすいし……で、この『月刊カノープス通信』は、ほとんど読書録だけのためになってます。



オンライン小説読書録

 そういえば、最近、オンライン小説が全然読めてません(・o・) これはまずい!
 あっちこっちからダウンロードしてきたファイルが溜まりっ放しで、『積ん読』状態!
 とりあえず、今月も、ちょっとだけ。

 テラさんの中編(なのかな?)、『ヨバルズシア』が完結。いい話でした〜。
 心温まるおとぎ話風ファンタジーで、パステルカラーがよく似合うほんわか優しい雰囲気だけど、テーマは重く、深く、でも読後感は爽やか。
 こういうものを読むと、浮世の日々に疲れて埃っぽくなった心が洗われる心地がします!

 それから、先月、ここで『月蝕』を紹介したあきこさんの、新しい連載長編『雪の記憶』がすごい!
 まだ始まったばかりですが、もう、目が離せません!
 バイオSFだそうですが、さすが元・医学部。ほんと、すごいんです。面白いです。しかも、泣けます。続きが楽しみ。
 でも、『月蝕』の続きも読みた〜い! フォルマティオ様〜!
 二つの連載が両方こんなに面白いなんて、困っちゃいます。だって、片方を書いてたらもう片方は書けないのに、どっちもどんどん進めて欲しいなんて我がまま言いたくなっちゃうじゃないですか!
 ほんと、すごいです、あきこさん。



『月刊カノープス通信5月号』前ページ(今月の詩)
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