目次 今月の面白探し 近況報告・フェアリーさん 読書録 (今月は『詩人の夢』『夜陰譚』です) オンライン小説読書録 (今月は『エーデムリング物語』です) |
今月の面白探しさて、今月も、相も変わらずの、夫と私のとんちんかん会話集です(^^)一ヶ月休んだので、貯まってます!<一回休んだからって、こんなネタがこんなに貯まる私たちって……^_^;) ☆夫「昨日、一晩中さあ……」 私「えっ、磯饅頭(いそまんじゅう)?」 ☆私「今度のコミックシティ、場所はどこ?」 夫「えっ、柏戸高(かしわどこう)?」(←そういう地名があるのかと思ったらしいです) ☆私「そこ、重いもの置いとくと、下がっちゃうんじゃない?」 夫「えっ、セバスチャン?」 ☆夫「今日、小松菜とか買った」 私「えっ、コマツ・タカコ? それ誰?」 ☆夫「康平(息子)はニコニコしてるし……」 私「えっ、肉残してる?」 ☆私「あいかわらず咳が出て……」 夫「えっ! 目からずっと咳が出る?」 ☆私「マッチやライター、ここに置かないでね」 夫「マッチ洗ったぁ?」 ☆テレビから流れる「憧れのスターに変身!」という声を聞いた夫の一言。 「ああ、びっくりした。『アフガニスタンに変身』って何かと思った」 ☆夫「HPに、俺も詩のコーナー作ろうかな」 私「えっ、催し物コーナー?」 |
近況報告・フェアリーさん〜育つのが遅い子供について〜『歯の妖精』さんを知っていますか?おそらく、主に欧米に生息する妖精さんの一種族だと思うのですが、子供の乳歯が抜けた時、それを枕の下などに置いておくと、夜中にそっと持ち去って、かわりにちょっとした贈り物を置いていってくれるという妖精さんです。 我が家で、この妖精さんが知られるようになったのは、『はがぬけたとき、こうさぎは』という絵本によります。 この絵本は擬人化されたウサギが主人公なので、ここでは、フェアリーさんも、ウサギの女の人の姿をしています。ニッセイのおばちゃんか保険婦さんかと言う感じの、スミレ色のスーツ姿の女性で、肩から大きなショルダーバックを下げており、子供たちの枕元を回って集めた乳歯を、まだ歯の生えていない赤ちゃんたちに届けてあげるお仕事をしているのです。 以前、うちの上の子の最初の乳歯が抜けた時、この絵本を図書館で借りて読んでやったら、彼は、自分も枕の下に歯を入れたいと言い出したので、夜中に、封筒に入れておいた歯を、100円玉に取り替えておいてやりました。彼はサンタクロースが来たかのように大喜びし、当時まだ3歳くらいだった下の子も、自分の歯が抜けてフェアリーさんが来てくれる日を楽しみにするようになりました。 それは、たしか、4年ほど前、彼が保育園の年中組の頃の事です。 で、このあいだ、今度は、今、6歳の下の子の最初の乳歯が抜けたのですが、なんと、彼らは、二人とも、まだ、あの時のフェアリーさんのことを覚えていたのです。 下の子は、こんどこそ自分の番だと大喜びで、抜けた乳歯を封筒に入れました。 で、それを枕の下に入れ忘れたまま何日かたつうちに、ちょうど、今度は、9歳になった上の子の、まだ残っていた乳歯の一本が抜けました。 すると、もう小学校の3年生、4月には4年生になろうという上の子が、大真面目な顔で、 「ぼくの歯も康ちゃん(下の子)の歯と一緒に袋に入れてフェアリーさんにあげたい」と言い出すではありませんか。 私はてっきり、 彼が小遣い目当てでそんなことを言い出したのだと思い、 「でもね、フェアリーさんは、たぶん、最初の一本目の歯の時しか、100円は呉れないんだと思うよ」と言ってみました。 すると彼は、目をキラキラさせて、大真面目にこう言うのです。 「僕はね、フェアリーさんが100円くれなくてもいいよ。お金なしでも、フェアリーさんに僕の歯をあげたいんだ。だって、そうすれば、どこかの、まだ歯の生えてない赤ちゃんに、歯が生えるんでしょう? 僕の歯がどこかの赤ちゃんの役にたてば、それだけで嬉しいんだよ」 うわ、こいつ、本気だよ。目に星が入ってるよ〜(^_^;) 長男・健太郎、現在9歳。9歳って、小学3年生って、こんなに幼いものだっけ〜? ましてや、純朴だった昔の子供とは違う、今時の子供。普通、もっとスレてるものじゃあ……? 前々から、うちの子はよその子に比べて妙に幼いとは思っていたけど、まさか、ここまでとは……(^_^;) まあ、でも、私も、育つのが遅い子供で、自分では覚えていないのですが、親がいうには小学校四年生までサンタクロースを信じていたらしいですから、この親にしてこの子あり、ですね(^_^;) 思うに、育つのが遅い子供って、いるんです。赤ちゃんが、立ったり歩いたりしゃべったりし始めるのに、遅い早いがあるように、心の成長の早さにも、持って生まれた速度があって、遅い子は、遅いのです。 で、うちの上の子は、きっと母親に似て、特別に心の成長の速度が遅いのです。 事実、彼が他の子と比べて、寝返りや歩きはじめは特別早かったわりに、精神面では何かにつけてすごく幼いというのは、保育園の頃から歴然としていました。 彼が小学校にあがる前には、かなり本気で、この子は入学を一年遅らせたほうがいいんじゃないかと思ったものです。新聞(か何か(^_^;)で読んだんですが、ドイツ(かどこか(^_^;)では、子供の入学時期を、親の判断でズラせるらしいんですよ。うちの子にはまだ早いと思ったら、ごく普通に、一年遅らせられるらしいです。日本にもそういう制度があれば、私は絶対、あの子には、あと2年くらい保育園にいさせたかったですね。 実際、小学校に入った彼は、幼稚すぎるために同級生とまともに付き合えず、一時期、登校拒否寸前になりました。でも、協調性が無さ過ぎて全く友達が作れないと言うわけではなく、近所の幼稚園児たちとはとても気が合って、毎日仲良く遊んでいたのです。ただ、同じ年の子供たちは、遊びにしても付き合い方にしてもレベルが高すぎて、まだ脳みそ幼稚園児状態だった彼には、ついていけなかったらしいのです。 思えば、私もそういうふうでした。一年生の時は、あまりにも幼く、ぼんやりしていたので、学校に行っても右も左も分らず、自分がいつどこで何をすればいいのかを全然覚えることが出来ずに、四六時中ぼーっとしたり、うろうろしたりで、当然、いじめられました。 何しろ、朝礼が毎週決まった曜日にあるというのを、入学して何ヶ月たっても覚えられなくて、毎朝、隣の席の友達に、「今日は朝礼ある?」と訊ねては、手を引いて校庭に連れて行ってもらっていたのです。朝礼のある日は何時にどこに行けばいいかも、よくわかっていなかったので。 そんなですから、もちろん、忘れ物は毎日、宿題なんて覚えている限り一度もやったことがなく、通信簿は、図画工作が3で後は全部1と2(もちろん五段階評価で^_^;)の、いわゆる『アヒルの行進』でした。授業中も落ち着きが無く、奇行癖もあったので「『特殊児童』だから……」と言われて、児童相談所に連れて行かれたりもしました。 なんとか人並みに学校生活が送れるようになったのは、小学校も高学年になってからです。(『人並み』といっても、右往左往しないで学校での日常生活を送れるようになったというだけで、変わり者は直りませんでしたが^_^;) でも、早いか遅いと言うだけで、いつかはちゃんと育つのです。 歩くのが早かった赤ちゃんも遅かった赤ちゃんも、何年か経てば同じです。歩きはじめが早かったからと言って必ずしもかけっこが早い子に育つわけでもないし、歩き始めた遅かったからと言って、小学校に入ってまでも歩くのが遅いとは限りません。しゃべり始めが遅かった子が、おしゃべりに育つこともあるでしょう。 私も、中学生を出る頃には、ずっと昔からそうだったかのような顔で優等生になりすまし(でも、やっぱり変わり者ではありましたが(^_^;)、それにつれてオツムの中身もすっかり生意気になって、同級生がみな幼く見えてしかたないようにまでなっていました。 まあ、今にして思えば、、同級生が一人残らず自分より幼く見えて、学校が低レベルでくだらなく思えるなんて、それ自体、私がそれだけ精神的にまだ幼かった証拠ですね(^_^;) 若気の至りと言うやつです。でも、とにかく、人並みに、思春期につきものの『若気の至り』状態に陥ることが出来る程度には、オツムが育っていたわけです。 そんなふうに、遅くたって早くたって、その子なりに、育つもの。 遅生まれ、早生まれが響くのが小学校低学年までであるのと同じように、子供時代の早熟晩熟も、30過ぎれば、もう関係なしです。 30過ぎても子供っぽい人もいますが、それは、思春期以降の人生経験と本人の心構えの問題──どんな経験をしたか、ではなく、それをどんなふうに自分の中で受け止めてきたかという──でしょう。 だから、がんばれ、息子よ! ちょっとくらい幼稚っぽくたって、純真で心優しいおまえが、お母さんは大好きだよ! 自分のペースで、ゆっくり大きくなりなさい。 いくら年の割りに幼いといったって、あと数年もすれば、どうせ、うすらでっかくて汗臭いニキビ面の若造になって、『うるせえ、くそばばあ』とか言い始めるんだから、まあ、今のうちに、せいぜいかわいがっておくとしましょう。 ……というわけで、今は黙ってフェアリーさんごっこにお付き合い。 枕の下に歯を二本入れた封筒を置いて寝た翌朝、封筒の中の歯が消えていて、代わりに100円玉が二つ入っているのを見つけた息子は、 「お母さん、僕の分も、100円、あったぁ!」と大歓声を上げ、百円玉を手に、それはそれは嬉しそうなバカ面で小躍りしていました。 愛いやつ、愛いやつ(^^) でもね、息子よ、おまえの、抜けた乳歯には、横っちょに小さな虫食いがあったよ。だから、たぶん、フェアリーさんの品質検査にひっかかって、どこかの赤ちゃんの元には届かなかったんじゃないかなあ。初めて生えて来た歯に最初から虫歯があったんじゃ、赤ちゃん、かわいそうだもんね。それともフェアリーさんは、新古書店みたいに、古い歯を綺麗に削ってからリサイクルするんでしょうかね。 そうそう、これから歯の抜ける子供をお持ちのお母さん方に一言。お子さんの歯が抜けた時、この『フェアリーさん方式』なら、『上の歯は床下に、下の歯は屋根に……』の日本式と違って、抜けた歯を記念に取っておくことが出来るという利点がありますよ。我が子の乳歯、真珠みたいで、かわいいですよね。 |
読書録 私が最近、行き当たりばったりにたまたま読んだ本の感想を、自分の備忘録を兼ねてだらだら綴る、いいかげんな『行き当たりばったり読書録』(?)です。★村松栄子作『詩人の夢』(徳間デュエル文庫) 2001年11月の読書録で取り上げた『紫の砂漠』の続編。 期待通り、面白かった〜! SFとしては、今回の方が面白かったかもしれません。前作では、主人公が子供で、しかも自分の住む世界のことをあまり知らなかったこともあって物語の背景に霞んでいたSF的設定が、今度は、物語の中心として活用されています。前作ではほとんどそれらしいことをしなかった『書記(プログラマ)』たちや、伝聞として語られるだけで実態の知れなかった『エスパ』たちが表舞台に姿を現し、クローンは作られるは、隕石(?)は落ちるは、宇宙船は作られるは、なんと、レーザー光線まで飛び交います(^^) 前作は、『子供が世界と出会う』物語であり、『世界』は子供の成長の背景であって、そこがどんなところかは、あまり問題でなかったのですが、今度は、『世界』そのものが変わっていく物語でした。 それと、もうひとつ、前回はわりと背景にあったけれど今回はっきりと前面に出てきたのが、『性』の問題。 その星の人々は、子供時代は性が未分化で、ある程度成長して伴侶と巡り合った時、初めて性が分化するのです。 前作では、主人公は、まだ性分化していなくてもあたりまえの年頃の小児だったので、その問題も、主人公がやがて出会うべき世界の謎の一部に過ぎませんでした。が、今回は、主人公・シェプシは、もう、大人です。でも、辛い過去の事情のために、まだ、性が決まっていないのです。ちょうど、前作でシェプシを導いた美貌の詩人のように。 普通なら、もうとっくに男か女のどっちかになっていて当然の年齢になっても、男にも女にもなれないまま、したがって家庭を持つ資格も得られず、社会的に中途半端な存在のままであるシェプシ。もしも誰かと愛し合っても、決して相手とひとつにはなれないだろうシェプシ。その問題を突き詰めているので、このお話は近頃流行りの『性の揺らぎ』についての小説でもあります。 でも、私、一箇所、ヘンな箇所を見つけちゃったんですけど……(^_^;) 主人公のシェプシ、男でも女でもないはずなんですが、一度だけ、年長の女性が子供時代のシェプシのことを『男の子』と表現する場面があるんですよね。あれ、うっかりミスですかね? それとも、単に、当時はキカン気な雰囲気から男の子のイメージを持たれ、将来は男に分化するだろうと思い込まれていたということを表現しただけなんですかね。地の文じゃなく、あくまで一登場人物のセリフの中でのことですから、単に「彼女は昔、彼を勝手に『男の子』とイメージしていた」ということを表現しただけかもしれません。 いや、でも、あの世界、『男の子供』ってものは、いないんですよね。子供はみんな、性が未分化だもん。だから『男の子』『女の子』って言葉とか、概念とか、存在しないのでは? まあ、いいや。とにかく、面白かったです。 ちなみに、この小説、お耽美系、JUNE系が好きな方もなかなか萌えられる内容なんじゃないかと思いますよ(^^) 優しくも切ないあの結末なんか、モロに、『それ系』っぽいです(^_^;) で、洋物と違って日本の少女たちにも萌えやすそうな少女漫画的な美形同士だし(^^) そのテがお好きな方には、特にお薦めですね! もちろん、別にそのテの趣味のない人にもお薦めですが。 ★菅浩江作『夜陰譚』 ホラー短編集です。私、極度の怖がりのため、ホラーは苦手なんですが、菅浩江さんは好きなので、勇気を振り絞って、我慢して読みました。でも、あんまり怖くはなかった代わりに、あんまり面白くもなかった(^_^;) あんまり面白くないだろうと言うのは、読む前からわかってたんですよ。 そもそも、ホラーが好きじゃないわけだし。 それに、菅さんはとても好きな作家なんだけど、菅さんの作品なら全部好きとか面白いって訳じゃないのは、前からわかってるんです。 私が菅さんの作品で楽しめるのは、主にヤングアダルト向けに書かれたSF・ファンタジーだけです。他の、推理モノとか、芸道モノとか、ホラーとか恋愛モノとか、『大人向け』のものは、全然ダメなのです。SFである『柊の僧兵』も、なんとなく和風なそのタイトルから、てっきり、私のあまり好きでない『菅浩江の京都モノ』だろうと思い込んで、ずっと読まずにいたほどです(^_^;) これは、実はSFで、とても面白かったんですが。 でも、菅さん、これからはもう、ファンタジーは、あまり書かないかもしれないらしいです。SFマガジンのインタビューで、『もう無邪気なほら話はあまり書けなくなるだろう』というようなことを言ってました。近作の『博物館惑星』は、バリバリにSFだったし、すばらしい作品でしたが、でも、すっかり大人向けで、私は昔の作品の方が好きでした。ちょっと淋しいです。 それでも、やっぱり菅さんのファンなので、このホラー集も、何篇かは、初出のアンソロジーで読んでたんです。で、やっぱり、それほど面白くなかったんです。でも、一応、菅さんの新作は、チェックだけはしとかなきゃ、と……。だって、もしかすると、中にひとつくらい、すごい面白いのも混ざってるかもしれないじゃないですか。でも、やっぱりいまいちでしたけど(^_^;) まあ、一応それなりに面白い、という程度。 いえ、別に、駄作だとか、そういうんじゃないんですよ。ただ、私の趣味じゃないだけです。 菅さんのFT・SF以外のものって、すごく『女っぽい』んですよ。はんなりと、京女の世界。私、女っぽいの、苦手なんです。 今回のホラーも、要するに『女は怖い』って話ばかりでした(^_^;) そういうの、苦手。 さっきも書いたように、私、超怖がりなのでホラーは苦手で、ずっと、徹底的に避けてきたんですが、最近、ちょっと読み出して、『異形コレクション』とか、好きな作家のが入ってる巻だけ読んでます。 なんで読むようになったかというと、ひとつは、ファンタジーが好きだとホラーを避けるのは難しいと言うのもあります。ファンタジーとホラーは紙一重の地続き、同じ幻想文学のお仲間なので。『幻想』が好きだと、自動的にホラーにも接近してしまいます。 あと、もうひとつ、ずっと『怖いの、嫌い』の一心でホラーを避けてきたけれど、最近、大人向けのホラーはたいていあまり怖くないということに気が付いたというのもあります。 『今はホラーが流行ってるから昔ならホラーと言わなかったものもホラーと名乗ってる』というのもあるのかもしれませんが、それだけでなく、どうやら、大人と子供は怖いものが違うのですね。 子供が怖いのは幽霊、お化けですが、大人が怖いのは『人の心の闇』なのです。 で、私は、『人の心の闇』なんてものは、『嫌』ではありますが、別にそれほど『怖い』とは思いません。 血しぶきも、別に怖くはありません。痛そうなので嫌なだけです。 私が怖いのは、ズバリ、お化けです。幽霊です。怨霊、悪霊、心霊現象です。特に、胎児・赤ん坊系の怪異が猛烈に怖い! 私が今まで一番怖かった作品は、本じゃなくてテレビドラマなんですが、昔、NHKでやってた少年ドラマシリーズの一作のタイムトラベル物(夫に聞いてみたところによると、『タイムトラベラ−』という作品だったらしい)のワンシーンです。『ある部屋の中の時間が逆行したために、その部屋にいた大人が見る見るうちに子供に戻って、ついにはそのまま胎児になってしまい、宙に浮いている』という場面でした。 前後の話など全く覚えていないのですが、そのシーンだけが鮮明に印象に残っていて、今でも思い出すだけで怖くなります。 なにしろ、そのシーンでオレンジ色の照明が使われていたため、私は、大人になってからもずっと、夜寝る時にオレンジ色の豆電球が怖くてつけられず、白熱灯をつけたまま寝ていたくらいです。豆電球をつけるくらいなら、真っ暗の方がマシなくらい、豆電球が怖かったのです(^_^;) 他人には、なんでそんなものが怖いのか謎だったでしょうね。 大人になってから読んだものでは、『ずっこけ3人組』シリーズ(なぜ大人になってから、そんなものを読む?^_^;)の、タイトル忘れたけど幽霊話の巻と、小野不由美さんの『悪霊がいっぱい』が、夜、一人でトイレに行けなくなるほど怖かったです。それぞれ、小学生向け、中学生くらい向けの作品ですよね。子供向けの作品のほうが、私には怖いらしいです。 そんなふうだから、今回の、菅さんのは、怖いというより、ただ、『嫌』だっただけ。 主に、女性の執着心や独占欲、女同士の嫉妬や競争心などの女心の怖さ・醜さを描いたものが多く、一応女性の一員でありながら淡白な性格のためにそういう女心の負の部分がわりと希薄な私としては、そんなものは、現実生活でもただ、「なるべくかかわりあいになりたくない、見たくない、嫌だ、嫌いだ、面倒くさい、うっとおしい」というだけのものです。だから、そういうオンナノコ・ワールドのねちねちぐちょぐちょにはなるべく関わり合いにならないよう、深入りしないよう、ずっと気をつけてきて、そのために、長年、一匹狼を決め込んで来たのです。それを今さら、楽しみのために読む本の中で、わざわざそんな疎ましい世界を見せつけられたくはないです。 でも、考えて見れば、小説、特にファンタジーの世界って、しばしば、死とか暴力とか闘争とか、現実世界ではあまり体験したくない負の要素をわざわざ擬似体験しに行くところですよね。私も、死の恐怖とか危機一髪のスリルとかは、小説の中でなら、たまには体験してみてもいいです。けど、女心のドロドロだけは、やっぱり避けて通りたいです。それは、それが、死や暴力といった非日常の危険と違って、自分にとってある程度身近な、現実的なものだからかもしれません。現実では体験できない非日常の恐怖はちょっとだけ体験してみたいけど、身近でしょっちゅう見聞きする嫌〜な話は、せめて小説の中でくらいは遠ざけておきたいわけです。 まあ、だから、菅さんのホラー、ある意味、怖いと言えば怖いのかな。 身に覚えのある女の方は、身につまされてそくそくと怖いだろうし、男の方は男の方で、女ってやっぱり怖いなあと、あらためてぞっとするかもしれないしね。はんなり京女の、得体の知れない怖さですね。 |
オンライン小説読書録今月の(といっても、読んだのは12月ですけど)大収穫は、なんといっても、わたなべりえさん(これはPNで、HNは『姫』様)の『エーデムリング物語』!いきなり失礼なことを言いますが、決して、すごく上手いというわけじゃないのです。むしろ、荒削りです。 でも、良いのです。すごく、すごく良いのです! 絵に例えると、技巧を凝らしたリアルな精密画とかじゃなく、素朴で伸びやかで力強いフォークアートの筆遣い。 「ああ、そうだった、物語ってこんなに面白いものだったんだ」と、心から思えて、その物語が存在することそのものが素直に嬉しくなるような、何ともチャーミングな作品なのです。小手先の技術だけでは生み出せない、物語の面白さの原点のようなものが感じられる気がします。 私、この作品の感想を、まず姫様の掲示板に長々と書き込んで、次に自分ちのリンク集に長々と書いたので、同じようなことをもう一回書くのもなんだから、今回、リンク集の紹介文をここに引用します。 あ、リンク集から引用するからといって、別に新着リンク様の宣伝ではなく、たまたまここで紹介するよりちょっと前にリンクさせてもらってあったと言うだけで、リンクして無くても取り上げたかったのです。前回の『カルテット』なんて、リンクもしないで無断で勝手に誉めておいてから、何日かしてリンクを申し込みましたが、この作品も、たまたま『月刊カノープス通信』の更新日が先に来てたら、そういう事態になっていたかもしれません。 『カルテット』といえば、この作品、先月ここで取り上げた『カルテット』の作者zero-zeroさんの大プッシュ作品で、私も、最初は、zeroさんのサイトでのバナー展示から、この作品に跳んだのです。もともと、この作品の存在は知っていて、面白そうだなと気になっていて、そのうち見に行こうと思ってはいたのですが、直接のきっかけは、zeroさんのプッシュです。 こういう巡り合い方って、ヒット率高いです。その現象を、私は、『『自分が面白いと思う作品を書いている人が薦めている作品は自分にとって面白いことが多い』の法則』と呼んでいます(何て長い名前の法則でしょう^_^;)。これの逆で、『『自分と同じ作品を誉めてる人の書いた作品は自分の趣味に合うことが多い』の法則』というのもあります。要するに、趣味が似てるわけですものね。 というわけで、前置きはこのくらいにして、リンク集の紹介文の転載です。 『完結済みの長編『エーデムリング物語』は、伸びやかな想像力の羽ばたきが心地よい、とっても魅力的な物語。 読んでいるうちに、現実の中で強張っていた心が解れ、解き放たれていくような、心を癒すおとぎ話の味わいです。 おとぎ話と言っても、甘い夢だけを集めた、いわゆる『メルヘン調』ではなく、やさしさと残酷さを併せ持った毒抜き前の民話の類を思わせるパワーのある作品。 悪も死も残酷もある混沌たる現実をまるごと飲み込んでやさしいおとぎ話の色合いを紡ぎ出すという荒業を、いとも無邪気げにやってのけるこの感性は、どこから来たのでしょう。 決して手馴れた流麗な筆致とはいえないけれど、その、やや荒削りな感触が、ざっくりとした手織りの織物のような素朴な温もりを感じさせて、内容が持つおとぎ話の風合いを引き立てています。 こんな作品が存在するということが嬉しくなるような、無垢で力強い輝きを放つ、稀有な物語です。』 というわけで、良いのですよ〜! 理屈ぬきに面白いです! 感動できます。読後に心地よい満足感があります。空想物語の面白さを堪能できます。こういう作品に出会うと、もう、嬉しくなっちゃいます。 ちなみに、姫様のサイトでは、現在、この続編の『エーデムリング物語2・陽が沈む時』が連載中で、これがまた、とっても面白いんですよ! 作品データ タイトル 『エーデムリング物語』 作者 わたなべ りえ(姫)様 掲載サイト 姫様御殿 |
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