カノープス通信 
2001年12月号−2

目次

季節の便り
今月の面白探し
再録エッセイ『演歌とコーヒーとおじいさんと』
読書録
(今月は『天象儀の星』『ペリペティアの福音』『夏の王』です)


季節の便り

 冬だから、壁紙、暖色系に変えてみました〜! (『牛飼いとアイコンの部屋』さんの作品です)
 ところで、今月は、『今月の詩』の話。
 『解説』にも書きましたが、なんで中学生の時の詩なんか引っ張り出してきたかというと、12月にふさわしい詩が、他に、なかったんです。
 冬木にとって、詩が出来る季節、詩の題材になる季節と、そうでない季節というのがあって、冬木は、ペンネ−ムに『冬』がついているくせに、冬の詩は、あまり書いたことがありません。
 何ででしょう。冬、好きなんですけどね。いえ、現実の季節としての冬は、寒いから嫌いですが、文学の中のイメージとしての冬は、すごく好きなのに。
 冬木の詩で一番よく出てくる季節は、まずは、夏。それも、夏の終わり。
 それから、十一月と三月。これらは『秋』『春』として扱われるのではなく、あくまで『十一月』『三月』なのです。あと、『五月』も、けっこうタイトルに使いますが、同じ春・秋でも、四月、十月頃に似合う詩は、意外と少ないです。
 『今月の詩』を一年以上続けるとするとネタに困る月は、一、二、四、七、十、十二月かな? 逆に、何年分でもあるのが、三、五、八、九、十一月。六月は、六月の詩というのは全然無いのですが、雨とか水とかのイメ−ジがあるものが使えるので、とりあえず不自由しないでしょう。
 と言うわけで、冬木にとって、冬は、なぜか詩の出来ない季節なのでした。  


今月の面白探し

 今月も、『とんちんかん会話集』です。つくづく、とんちんかんが多い家族です(^_^;)

☆ 私「ああ、体調悪い
  夫「何? カッチョ悪いだと? 俺の事か!?」

☆ 私「日記を毎日書くのは大変だよね」
  夫「えっ、ミッキーマウスを描くのは大変?」

☆夫「これ、お皿が小さすぎるよ」
  私「えっ、『お正月ツリー』って何?」

☆息子「昨日、テレビで『シャーマンキング』見たよ」
  夫「えっ、『殿様キングス』がテレビに出たの!?」(←若い人にはわからないネタでごめんなさい(^_^;)

☆息子が友達の事を、「ひろくんはね、『しじみ幼稚園』に行っていたんだよ」と話してくれました。
 変な名前だなあと思ってから、そういえば、と、しばらくたって思い出したのですが、その友達は、たしか、『いずみ幼稚園』に通っていたのでした。

☆先日、夫に、
「あんたのサイト、今、ヒット数、どのくらい?」と聞かれて、わからなかったので、
「なんで?」と聞き返すと、夫が妙なことを言うのです。
「いや、カボチャを設定すると、そのうち俺のサイトを追い越すなあと思って」
 えっ、カボチャ? 『カボチャを設定する』って、何のこと?
 『それをすると夫のサイトのアクセス数を追い越せる』ということは、『カボチャ』とは、例えば『牛』とか『リンゴ』のような、コンピュータ関係の俗語で、何か、それを設定するとアクセス数が伸びるような特別なオプションででもあるのでしょうか?
 そんな考えが、一瞬のうちに頭の中を駆け巡りましたが、実は、夫の言葉は、
この調子で行くと俺のサイトを追い越す」だったのでした。

☆私のサイトで『イルファーラン物語』の予告編を見た夫。
 『二人は、やがて、いやおうなしに戦いに巻き込まれていく──』のところまできて、
 「ああ、びっくりした。『やおい無しに』って書いてあるかと思った」
  ……確かに、『イルファーラン物語』にはヤオイはありません(^_^;)
  まさか、夫はヤオイを期待していたのでしょうか?
 (『ヤオイ』と言う言葉を知らない人は、意味不明でごめんなさい。ちょっとここでは説明いたしかねます(^_^;)


再録エッセイ『演歌とコーヒーとおじいさんと』

 昔の近況報告なんて、なんだかですけど、たまたま季節が合うので載せてみました〜(^_^;)

☆冬木の近況報告・演歌とコ−ヒ−とおじいさんと☆


 11月から、クレ−プ屋さんに勤めています。
 クレ−プ屋さんは、うちの近所のショッピングセンターのファ−ストフ−ドコ−ナ−の一角にあります。椅子とテ−ブルを並べた広場をファ−ストフ−ド店がぐるりと取り囲むその中の一軒、ハンバ−ガ−屋のお向かいが、私の勤めるクレ−プとアイスクリ−ムのお店です。
 これを書いている今は12月。
 当然のことながら、店内はクリスマスム−ド一色。コ−ナ−中央には大きなクリスマスツリ−が飾られ、スピ−カ−からはひがな一日、軽快なクリスマスソングが流れています。

 さて、最初にお店に立った日に店長から、
「常連さんの顔は早く覚えてね」と言われた時は、
(喫茶店ならともかくこんなファ−ストフ−ド店、しかもクレ−プなんていう非日常的な食べ物に、常連さんなんてものがそんなにいるのだろうか)と思ったのですが、これがけっこう、いるのですね。ほぼ毎日のように来て下さるお客さんが。
 まず朝一番にはあの奥さんがお買い物前のウ−ロン茶を一杯、幼稚園のお迎えの時間を過ぎるとあの母子が、小学校が終わるとあの坊主どもが……という具合です。
 クレ−プとかアイスクリ−ムというと『女子供』のものというイメ−ジがありましたが、意外と男の人や年配の方で毎日のようにアイスクリ−ムを食べにきてくれる方もいたりします。

 そんな常連さんの一人に、大正生まれ(と本人が言っていた)の、ひょうひょうとしたおじいさんがいます。最初に出会ったのは、お店に入って数日目の夕方。ソフトクリ−ムを買った後、自分の名札がまだなかった私の胸の入店許可バッジを見て、
「あんた、新しい人かい?」と訪ねられたのが出会いです。とりあえず愛想よく、
「はい、今月から入りました。よろしくお願いしま〜す!」と答え、おじいさんが立ち去った後で、先輩にそっと、
「あのおじいさん、よく来るんですか?」と聞くと、
「そうなんですよ。それで、『俺は何歳に見える?』って、いつも聞くの」。
 そう言われてふと客席を見ると、おじいさんは、ちょうど、お店の横のテ−ブルに座っていた女子高生たちに、
「俺は何歳に見える?」と訪ねていたところでした。

 その日から、何度あのおじいさんに会ったことでしょうか。
 おじいさんの注文はいつも決まってソフトクリ−ムのバニラです。
 ふらりと店の前にやってきて、「あ」とも「う」ともつかない声と共にちょっとだけ腕を上げ(わざわざ人差し指だけ立てるなどという無駄な労力は使わないのです)、ソフトクリ−ムの機械のあるあたりを漠然と指し示すのがおじいさんの省エネ注文法なので、最初は一瞬、口がきけない人かと思いましたが、しゃべるときはもう際限なくしゃべるのだということは、その後すぐにわかります。

 おじいさんは、時々、ホットコ−ヒ−を飲むこともあります。
 コ−ヒ−はおかわり自由のドリンクバ−になっていて、レジの前に並べてあるデカンタから自分でついでいってもらうのですが、おじいさんは、片手が少し不自由なので、私がコ−ヒ−をついであげます。ついでに、お砂糖とミルクも入れてかきまわしてあげます。おじいさんは、小さな紙カップのコ−ヒ−に、スティックシュガ−を3本入れます。
 ほんとはおじいさんは、コ−ヒ−などあまり好きじゃなく、寒い日は熱いお茶でも飲みたいらしいのですが、このコ−ナ−ではどこの店にもホットの飲み物はコ−ヒ−しかないので、苦いのを我慢して飲んでいるらしいのです。

 そのコ−ヒ−を、おじいさんは、他のお客さんのようにテ−ブルまでもっていかず、レジの前で立ち飲みしてしまいます。
 セルフサ−ビスのファ−ストフ−ド方式に馴染めないおじいさんにとっては喫茶店のカウンタ−席でウェイトレスとおしゃべりしながらコ−ヒ−を飲むような感覚なのでしょう、時々急に、
「あんた、今日は何時までかい? 車で通ってるのかい? 家は近いのかい? 出身はどこだ? こっちにきて何年になる? じゃあ、行川アイランドには、もう行ったか? サチ(シャチのこと)は見たか? 俺は鴨川に親戚がいて……」などと、延々と話し出します。
 ある時は、夕方のお店の混んでいる時間に、突然、カウンタ−の上に、さっき隣の写真屋さんから取ってきたところだという写真の袋を投げ出し、
「このあいだどこそこに行ってきたから、その写真を見ろ」と言い張り出して、ちょっと閉口したこともあります。

 さて、先日も、おじいさんは、やってきました。
 店に流れるクリスマスソングに割り込んで、まるでおじいさん登場を告げるテ−マ音楽のように、場違いな演歌の調べ(演歌といっても歌抜きのストリングスでしたが)がかすかに流れだし……。
(……ん? なんでここで、演歌が?)

 最初は、そんなに違和感を感じなかったのです。うちのお店のすぐ横は家電売り場のテレビの陳列コ−ナ−で、時々、何かの拍子でボリュ−ムが上がりすぎていたりするとテレビの音が聞こえてくることがあるし、各売り場ごとにいろいろ音楽を流すこともあるし。
 でも、それにしても、そういえば、さすがにこれはおかしい。
(何、これ……? どこの売り場で演歌なんか流してるの? せっかく店中でクリスマスム−ド盛り上げてるのに、ボリュ−ム上げすぎで、他の店に迷惑じゃん……)
 すると、例によってレジの真正面でコ−ヒ−を立ち飲みしながら、おじいさんが唐突に訪ねるではありませんか。
「あんた、演歌は好きかい?」
「は?」
 おじいさんの視線を追ってふとカウンタ−の上を見ると、そこには、おじいさんの荷物らしいいくつかの風呂敷包みと並んで、小型ラジカセが……。

 あぜんとする私に、おじいさんは言いました。
「いい曲だろう。この曲、知ってるか? これはナントカさんのギタ−演奏で、このテ−プは2巻でいくらで、このへんには売ってなくてわざわざ渋谷に行って買ってきて……」
 レジの前につっ立ってコ−ヒ−をすすりながら、得々と解説してくれるおじいさん。
 さあ、これは困った。
 幸い、演歌の方は、多少ボリュ−ムを上げても小さなラジカセなので他の店や遠くの客席にまで迷惑をかけることはなさそうですが、いくら朝のまだすいている時間とはいえ、レジの真ん前にずっと立っていられるのも困るし……。
 そんな私の困惑など知らずに、おじいさんは、しみじみと呟きます。
「なあ、ギタ−はいいなあ。オ−ケストラが入ってるのが、また、いいんだよな。みんなこういう音楽をきけば、誰も悪いことなんかしなくなるんだよ、心が穏やかになるから」

 クリスマスの賑わいをよそに、おじいさんと私の周りだけ、コ−ヒ−の湯気と演歌ギタ−の妙なる音色に包まれた穏やかな時間が、ゆっくりと過ぎて行きます。
 私は、
(どうせまだ他にお客もいないし、食材の納品もまだだし、店内の掃除は後でもできるし)と、腹をくくっておじいさんにつきあうことにしました。
 どうせおじさんがコ−ヒ−を一杯飲み終るまでの、ほんのひとときです。演歌はあんまり好きじゃないけれど、まあ、いいか。

 が……。コ−ヒ−を飲み終ったおじいさん、手近のゴミ箱に空いた紙カップを突っ込むと、止める間もなく、やおらラジカセのボリュ−ムを最大にして、
「この曲、この曲! 聞いたことあるだろ? な、聞いててみな、いい曲だから」
 最大のチャンスに止めるタイミングを逸した私はなすすべもなくもう一曲を聴きながら今度こそ、と、意を決し、一曲終わったところで、笑顔で
「ありがとうございました」と言ってみました。
 ところが、おじいさんの返事は、
「まだ裏面もあるよ」。
 え−っ、どうしよう、困った!
 今度こそ進退極まった私は、
「すみません、でも、仕事中なので……」と、それを言っちゃあおしまいよの一言を、思わず口にしてしまったのでした。
「そうか、そうだよな、仕事中だもんな」と呟きながら去っていったおじいさんの後ろ姿がちょっと寂しそうで、見送りながら心で詫びた私です。
(おじいさん、ごめんなさい。気を悪くしないで、また来てね)
(オフラインサークル会誌『ティールーム』1998年1月号より)

追記『演歌じいさん・その後』
 さて、冬木は今でも、このクレープ屋に勤めてます。勤続四年。
 そして、件のおじいさんは、私の願い通り、その後もひんぱんにいらしてくれていました。
 しかも、おじいさんがコーヒーに入れる砂糖の量は、どんどん増えていきました。
 カップの大きさは規格変更で一回り小さくなったのに、お砂糖の量は増えて、最終的には、なんと、スティックシュガーを4本とガムシロップを一個(なぜか必ず両方入れたがる)、ミルクを一個。
 甘党の方の中には、ホットコーヒーにもアイスコーヒー用のガムシロップを入れたがる方って、意外といるんですよ。最初は間違って入れてるのかと思ったけど、そうじゃなく、味が違うらしいです。
 中には、メロンソーダにガムシロップを入れて飲む人もて、びっくりです。
 でも、そういえば、おじいさん、ここしばらく姿が見えません。けっこう迷惑なお客さんだけど、しばらく姿が見えないと、身体でも壊したかと(何しろ大正生まれですから……)、やっぱり心配です。


読書録

 私が最近、行き当たりばったりにたまたま読んだ本の感想を、自分の備忘録を兼ねてだらだら綴る、いいかげんな『行き当たりばったり読書録』(?)です。

秋山完作『天象儀の星』(朝日ソノラマ)
 この人は、私がとりあえず継続的にチェックしている、私の『ブックマーク』作家の一人です。
 (私の『ブックマーク』は、そういえば、なぜかほとんど女性作家で、男性作家は珍しいです)
 『懐かしい未来』をキャッチフレーズにソノラマ文庫でおとぎ話風味のSFを書いているこの人の、今回は、単行本デビュー前の投稿作品を中心にした短編集。
 表題作の『天象儀の星』や次の『まじりけのない光』は、面白かったし(『放心艶技』『銀影電』には、笑いました)、いわゆる『いい話』で好感が持てるけど、たしかに、どことなく青っぽい、習作っぽい感じがあるかもしれません。
 私がすごいと思ったのは、次の『ミューズの額縁』。これ、名作だと思うんですけど。菅浩江さんの『博物館惑星』を思わせる(でも、そっちよりこっちのほうが古いはず)、『芸術』を題材にしたSFです。大人っぽい作風で、「う〜ん」とうなりました。どのくらい加筆修正したのか知りませんが、ハヤカワSFコンテストの佳作だったと言うことで、「これで佳作?(入賞じゃなくて?)」と、びっくりです。(今チラッと思ったんですけど、この時の大賞って、誰だったのかなあ)
 おとぎ話風の『王女様の砂糖菓子』も楽しかったです。全編これお菓子づくしで、のっけから、いかにも美味しそうでした。風に舞うちぎれ雲をオーブンの熱にあおられるパイ生地にたとえたところとか、風景の描写だけで、もう、なんとも美味しそう! 面白かったです。
 でも、やっぱり、圧巻は、書き下ろしの『光響祭』。面白かった〜!
 なんか、『面白かった』、だけで、紹介にも何にもなってないですが、感想覚書ですから、お許しくださいね(^^ゞ

『ペリペティアの福音(上・中・下)』(朝日ソノラマ)〜私を宇宙に連れてって・あるいは『冒頭マニア』の幸せ〜
 ついでに、この人の他の作品の話と、それから、私の好きな『物語の冒頭』の話を。
 私が、この人の作品で一番好きだったのは、『ペリペティアの福音』の冒頭なんです。
 冒頭と言っても、一番最初にプロローグとして派手なアクションが一幕あったあとの、本編部分の冒頭なんですが、主人公の青年が宇宙船に乗客として乗っているんですよね。で、一人になりたくてひとけのない隅っこにもぐりこみ、ぼんやりしていると、イヤホンから、宇宙線のノイズに混ざって不思議な歌が聞こえてくる。それは、遠い昔に発信された救命信号の名残なのです。
 そのシーンが、いいんですよ〜!
 私も一緒に、おんぼろ宇宙客船に乗り込んで、ひっそりと、宇宙の歌を聞ける。宇宙船の外にあるのは、お金と体力さえあれば将来もしかすると本当に行けるかもしれない現実の宇宙ではなく、子供の頃に夢見た宇宙。秋山さんのSFは、子供の頃に夢見た宇宙に、私を連れて行ってくれるのです。
  このお話、全体ももちろん面白かったのですが(でも、前半の快調さに比べると、後半は、いろんな要素をぶちこみすぎて、ちょっとごちゃごちゃしちゃってたかな)、とにかく冒頭のあのシーンは感涙ものでした。

 そういう本って、時々、あるのです。別に全体がつまらないというわけじゃないんだけど、とにかく冒頭が良くて、冒頭だけで、もう充分、物語を読む目的を達したと思えるほどワクワク感を堪能させてもらえる物語が。
 私、物語の『冒頭』マニアかもしれません。冒頭と言っても、必ずしもそのお話の本当の最初の部分というわけじゃなく、『ペリペティアの福音』もそうだったように、短いプロローグ(引用文だったり神話だったりアクションシーンだったり暗示的なワンシーンだったり)が終わったあとの、本編部分の出だしであることが多いですが。

 たぶん、私は『お話が始まる瞬間』が好きなんです。
 その物語の世界がゆっくりとひらけて行く、その瞬間。ジェットコースターがゆっくりと上昇していくにつれて、それまで見えてなかった世界が広々と見えてくるように、「あ、はじまる、はじまる、もうすぐ、ゆっくり、壮大な物語が近づいてくる!」と待ち受ける、冒険の予感に満ちた、そんな瞬間。
 あるいは、夜明けの光景のような。暗い世界に暁の光が射し染め、ゆっくりと、いろんなものの形が浮び上がって見えてくる。やがてだんだん明るくなって、世界の隅々にまで光が行き渡ると、目の前に、こことは違う別の世界が──見たことの無い新しい世界、あるいはいつか知っていた気がする懐かしい世界が、はるばると開けている。そして、そこには、きっと見たことも無いような不思議な冒険が待っている──。
 その期待感を、ゆったりじっくりと楽しませてもらえれば、もう、続く内容そっちのけで、それだけで満足しちゃうくらい。
 もっとも、そういう至福の冒頭を持つお話で、中身はつまらないなんてものは、まず無いですが。

 最近読んだのですぐ思いつく『至福の冒頭』は、荻原規子さんの『西の善き魔女』の一巻目の冒頭とか、五代ゆうさんの『骨牌使いの鏡』とか(この二作は、冒頭の型がほぼぴったり同じで、典型的な私の好みの始まり方なのです)、あと、久美沙織さんの『青狼王のくちづけ』の冒頭とか。
 ゆったりと始まる物語が好きです。

R..O.メリング『夏の王』(講談社)
 『妖精王の月』『ドルイドの歌』『歌う石』などで大好きだった作家の新作なのですが、私は、体系的に新刊をチェックしてないで、たまたま図書館の棚や新聞広告で目に付いた本をいきあたりばったりに読んでるので、しばらく見逃してました。相互リンク先『ゆめのみなと』のゆめのみなとさんに教えてもらってさっそく図書館でリクエスト!(本屋さん、出版社さん、ごめんなさい。お金、無いんです(T-T)
 で、やっぱり面白かった。でも、前3作にくらべると、個人的には夢中度がちょっと低かったかも。
 理由のひとつは、冒険の舞台が主に現実世界だったことかもしれません。どうも私は、異世界じゃないとダメらしいです。
 あとひとつは、今回のロマンスのお相手のイアン君に、いまいちときめけなかったことかな。
 もちろん実生活での私は三十ウン歳ですから、十七歳のイアン君にときめけないのは、無理ないっちゃ無理ないんですが、こういうものを読んでときめくのは、自分の中の永遠に十七歳の部分なので、実年齢は関係ないです。でも、イアン君は、ちょっとね。だって、ただの普通のティーンエージャーなんだもん。私の中の『永遠の十七歳』にとっても、どうやら、同年代の普通の男の子なんて、てんで目じゃないのです(実年齢十七歳の時からそうだったから、高校時代、ずっと彼氏ができなかった(T-T) とゆうか、片想いすら、しなかった)
 こういう、冒険を縦糸にロマンスを横糸に、というお話は、ロマンスのお相手にときめけるかどうかでハマリ度がかなり変わってくるので、今回、ちょっと惜しかったです。
 でも、前のの方がもっと面白かったってだけで、これがつまらなかったわけじゃないのです。
 メリングの妖精シリーズ(というのかどうか知りませんが)、良いですよ〜!!


『月刊カノープス通信』前ページ(今月の詩)
『月刊カノープス通信』バックナンバー目録
→ トップページ


このページは『牛飼いとアイコンの部屋』さんの壁紙を使用しています(リンクはリンク集から)