カノープス通信 
2001年8月号−2

目次

・季節の便り
・今月の面白探し
・近況報告
・最近思うこと
・読書録



季節の便り

 夏ですねえ。暑いですねえ。
 いつもは、朝、いくら起こしてもなかなか起きない小学生の息子が、夏休みに入ったとたん、いきなり5時だの6時だのに起きてきて、子供が起きてくる前の早朝を貴重なネットタイムとしている私にとっては、いい迷惑です。

 で、うるさいから追い払おうと思って、
「せっかく早起きしたから、外でカブトムシでもとってくれば」と言ってみたら、本当にパジャマ姿で外に出ていき、これで静かになったと喜んでいたら、30分もしないうちに、超でっかいカブトムシを3、4匹も手に持って帰ってきました。虫網も虫かごも何も持たずに、ふらりとそこらへんに行ってきただけで……。

 その日の午後も、犬の散歩ついでにカブトムシを素手で捕ってきました。
「歩いてたら飛んできたから手で掴んだ」そうです。
 カブトムシって、そんなに簡単に捕まるもの? もしかして、うちの周りって、カブトムシの穴場?
 子供にとっては、なんとも幸せな環境ですよね。

 でも、一匹、二匹ならともかく、小さな水槽にでっかいカブトムシが7、8匹もひしめきあっている様子には、ちょっと怖いものがあります。その上、臭いし、がさごそとうるさいし……。
 もとはといえば私が捕ってこいと言ったんですが、ちょっと後悔……(-_-;)



今月の面白探し

 私、冬木は、ごく普通の主婦です。ごく普通に子供を育て、ごく普通にパ−トをし、ごく普通に平凡な日々を過ごしております。
 ただ、ちょっと普通と違うのは、奥様は実は魔女……だったりするわけじゃなくて、趣味でこっそり小説や詩を書いていることくらいですが、それだって、まあ、そう特別変わった趣味ではないでしょう。
 ほかに、夫が絵描きだというのが、ちょっと変わってるといえば変わってますが、このご時世ですから、夫に定職・定収がない家なんて、嘆かわしいことに珍しくもないはずですね。

 でも、そんな普通の主婦の、普通の日常にも、ちょっと気をつけて見回してみれば、ちょっとした『面白いこと』は、案外、普通に転がっているものなのです。
 ただ、それを目聡く見つけて積極的に面白がろうと思う、ささやかな心がけさえあれば……。
 つまらながってても面白がってても同じ人生なら、面白がらなきゃ、損、損!

 そんなわけで、冬木は、日々、『面白がり精神』をとぎすまして、『日常生活の中で見つけた小さな笑い』を、ひそかにコレクションしています。
 が、そういう面白いこと、楽しいことは、一人で楽しむより誰かと分かち合ったほうが、もっと楽い!

 というわけで、よかったら、一緒に笑って下さいね!
 とりあえず、今月は、私にとっては『定番』の話題である『勘違い、聞き違い』のお話を……。

私と夫の勘違い会話集

私 「あ、とうもろこしの匂いがする」
夫 「えっ、タモリの死んだ匂い?」

夫 「ラ−油と醤油、取って」
私 「えっ、ダイエット醤油? そんなの、うちにあったっけ?」

夫 「幸田露伴の小説でね…」
私 「え? 『コ−タロ−はん』って、誰?」

私 「文化の日とか…」
夫 「え? 伝家の宝刀?」

謎の『貧乏屋』
 ある日、小学3年生の息子が、「学校で使うから、『びんぼ−屋』で三角定規買って」と言うのです。
 『貧乏屋』って、なに? 学校の前にある小さな文房具屋のことでしょうか。その店は特に看板も出てなくて、正式な名前は知らないのですが、たしか、通称『よろずやさん』と呼ばれているはずです。
 が、子供たちの間では、もしかして、あの店、『貧乏屋』という愛称で呼ばれているのでしょうか? なぜ? なんでそんな失礼なあだ名がついたのでしょう?
 ……と、しばらく考えていて、ふと気がづきました。
「ねえ、健太郎、それって、もしかして『びんぼう屋』じゃなくて『文房具屋』じゃない?」
「あ、そう、そう、それ!」

息子ネタ、もうひとつ
 息子に読んでやろうと、図書館で、リンドグレ−ンの『ミオよ、わたしのミオ』という本を借りてきました。
 それを見た息子の言葉。
「『三才(さんさい)よ、わたしの三才』って、何のお話?」


近況報告

その1
 私にとっての今月の大事件といえば、やっぱり、このHPの開設でしょう!
 メ−ルひとつ送るにも一苦労だった(今でもそうですが)超初心者が、ホ−ムペ−ジビルダ−のガイド片手に悪戦苦闘の苦節一か月半。初心者丸出しのペ−ジだけど、ほんとに初心者なんだから、まあ、いいか。
 この間の経緯は、冬木のインタ−ネット参入記として、次回にでも書いてみたいと思います。(今回は、他の話で長くなりそうだし、他のサイトさんの名前を挙げたくなったりするかもしれないから、ちゃんとリンク集を作ってからのほうがよさそうだし……)

その2
 先日、夫のサ−クルの売り子で幕張でのコミックライブに出たら、今回は、たまたま、サ−クルスペ−スがコスプレゾ−ンの真ん前でした。売り子をしながら、ずっとコスプレ撮影風景を見物できて、おもしろかったです!
 お昼時には、持ち込んだおにぎりを交代で食べながらコスプレ鑑賞。
 夫が言うには、
「座ってお弁当食べながらコスプレ見れるなんて、歌舞伎座みたいだね!」だそうです。


最近思うこと

 『スタ−オ−シャン』というアニメのオ−プニングの最後のほうで、毎回、『剣を掲げる伝説の勇者様を描いたステンドグラス』というのが映りますが、あの勇者様って、『宇宙戦艦ヤマト』の『古代進』に似てません? 毎週、あれを見るたびに、『あ、古代くんだ!』と思うのは、私だけ……?

 ついでに、同じ『スタ−オ−シャン』の話を、もう一つ。
 しばらく前に、『ごろつきどもが女性に絡んで思わぬ反撃をされる』というシ−ンがあったのですが、その時、ごろつきどもがわめいた言葉が、
「このォ! 女だと思って、つけあがりやがって!」
 ……ちょっと待て、それは違うぞ。それを言うなら、
「女だと思ってやさしくしてりゃあ(または、『手加減してやってりゃあ』)、つけあがりやがって!」でしょう。
 だって、「女だと思って、つけあがる」って、どういう意味? その世界、女だというだけでつけあがっていられるほど女性の地位が高い世界?
 でも、それでもこのごろつきどもの言いたいことはちゃんとわかるのは、「女だと思って…」というこのセリフが、ああいう状況でああいう連中の必ず言うべき思いっきりお約束通りの決まり文句だからで、そして決まり文句というものは全部言わなくても意味が伝わるからどんどん省略されていくもので、だから、今や、この定番の決まり文句は、私の知らないところで、すでに省略が一般的になりつつあるのかもしれませんね。言葉は生き物ですから……。


読書録

 書評とか、感想文というほどのものじゃないです。自分の備忘録を兼ねた読書メモみたいなものです。その本の感想を離れて、『私はこんな本が好き!』とか、『こんなキャラに萌える!』とか、時には全然その本と関係ない話題に行っちゃう場合もあるかも。

『フェニキア紫の伝説』(榛名しおり作、講談社ホワイトハ−ト)
 『アレクサンドロス伝奇(ロマンス)』の最終巻。
 去年の夏に出て、ほんとはすぐに読みたかったんだけど、なんだかんだで、やっと借りられました。さんざん泣かされたこのシリ−ズも、これで終わり……。
 私としては、お気にいりキャラのリュシアスが前巻で死んじゃってるので、この巻は、やや『後片付け』的に感じられてしまいましたが、サラとハミルのカップルに肩入れしてた人にとっては、やっぱりクライマックスだったかも。

 ふだんはファンタジ−しか読まない私が珍しく読んだ歴史ロマンです。壮大な歴史の中で、これでもかというほどの、涙、涙のメロドラマが繰り広げられます。ファンタジ−がたくさん入ってる『ホワイトハ−ト』から出たからたまたま目について読んだけど、そうでなければ読まなかったかも。たまたまめぐり合うことができて良かったです。

 この作者は、すごく上手いのです(特に、泣かせどころが!)。格調高い文章です。ホワイトハ−トで書いてますが、大人向けのところへ出ていっても通用する筆力のある作家だと思います。だからって、私、この人に大人向けへ進出してほしいとは思わないですが……。

 私は、『大人向けのものも書けるような人(必然的に、ある程度、年齢がいっていることが多い)が書いた少女小説』『大人の鑑賞にも堪える少女小説』が好きなのです。
(別に、少女向けしか書けない若い作家、少女にしか共感されない作家が悪いというわけではありません。少女しか持ち得ない感性を少女たちと共有できる、そういう作家は、それはそれで価値があると思います。ただ、私は大人だから……。善し悪し、優劣の話ではなく、あくまで『私の個人的な好み』の話です。)

 少女の心と大人の文体を兼ね備えた作家さんは、貴重です。そういう人には、少女小説読者を置き去りにして大人の世界へなんか行っちゃわないで、あくまで少女向け(あるいはヤングアダルト向けエンタ−テイメント)を書き続けててほしいのです。
 いや、大人向けも書いてもいいんだけど(自分が目をつけてた少女分野の作家さんが大人向けのも書いて意外な実力でおじさんたちを唸らせたりすると、「ほ〜らね! やっぱり、でしょ」って感じで、ちょっと嬉しいじゃないですか)、でも、あくまで本拠地は『少女』あるいは『ヤングアダルト』のほうに置いたままで、ちゃんとそこへ戻ってきてほしい。だって、私が、少女向けのものを読みたいから。大人向けの本より、そっちのほうが、たいていおもしろいもん。

 でも、まあ、これって、ただの無責任な読者のワガママですよね。その作家さんは、『今までは少女小説を書きたかったけど最近は気が変わって大人向けのが書きたい気分になってきたところ』だったり、『本当はもともと大人向けのほうが書きたかったんだけど、少女小説出身の経歴に邪魔されてたのが、やっと大人の世界に進出できて嬉しい』だったりするかもしれませんものね。

 話はそれましたが、『アレクサンドロス伝奇』全七巻、お勧めです。でも、電車の中では読まない方がいいですよ。きっと泣くから。


『メメント・モ−リ』(おの・りえん作、理論社)

 児童文学です。この手の寓話的なファンタジ−は、昔はまあまあ好きだったんだけど最近はちょっと……だったんですが、これは、わりと好きでした。
 あんまり好きじゃない言葉だけど、癒し系、かな。

 十二歳の女の子、『ほほ』ちゃんが、自分の部屋の窓の向こうに突然現れた『風の鬼』(背中に黒い羽を生やした美青年♪ なのに、挿絵の、あの、妙な衣装は何? 上半身裸で下は黒タイツ……(T_T) まあ、虎の皮のフンドシよりはマシだけど(^_^;))に『鬼の国』に連れていかれて冒険するお話です。
 美しい異世界『鬼の国』は、生命力を失ってゆっくりと衰弱しつつあり、ほほちゃんは、苦難の末にその国を救って、ちょっと成長して帰ってくるのです。

 これは、ものすごく典型的なファンタジ−の1パタ−ンで、私はたまたま、この二か月ほどで、まったくぴったりこのパタ−ンどおりの児童文学を最低2冊は読んでいます(ロシアの童話『マル−シャ、またねと梨木香歩の『裏庭』)。(しかも、実は自分でも、へたっぴながら、そのパタ−ンを書いたことがあったりもします)
 が、よくあるパタ−ンであるというのは、決して悪いことではないでしょう。それは、そのパタ−ンがそれだけ普遍的な力を持っているということですから。
 だって、考えてみれば、『ナルニア』だって、このパターンだし、こちらは記憶がちょっと定かでないんですが、確か『はてしない物語』も、そうだったんじゃないでしょうか。記憶を掘り起こしてみれば、このパターンの名作は、枚挙に暇がないと思います。

 この作品でおもしろいのは、この『風の鬼・ヨロイ』が、鬼でありながら人間の世界に生まれてしまい、大人になってから『鬼の国』に帰り着いたのだという、『十二国記』みたいな設定です。

 心優しい鬼たちは、人間の国からやってきた者たちを、年齢にかかわらず、『迷子になって、やっと帰ってきた子ども』として遇し、必ず、その国での『最初の十年』を『プレゼント』する。この設定が、泣かせるのです。

 鬼でありながら人間の世界に生まれ育って、やっと故郷に帰り着いたものは、きっとみんな、辛い思いをして、傷ついている。今まで、安心した時を味わっていないとわかっている。だから、『何ができなくても、何も心配しないでも、ただ愛される……そういう子ども時代を味わい直してもらうために』『あなたを迎えた喜びのプレゼント』として、『この国の子ども』として過ごす十年間が無条件で贈られる。
 けれど、生真面目なヨロイは、その『最初の十年間』の意味を知らずに、大人でありながら役に立っていない自分を引けめに思い、自分の居場所がないように感じて心を頑にしていた−−。

 そのヨロイに、やさしい友達の、やさしいお母さんが言うのです。
『何もしなくても、この国はあなたのものよ…(略)…あなたは、ただ愛されて、慈しまれるためにここにいるのよ。だって、ここは最初から、あなたの居場所なんだから』
 そして、彫刻のように端正なヨロイは、お母さんの胸で、生まれて初めて子どものように泣きじゃくるのです。う〜ん、泣かせます。

 この、『最初の十年』、私も自分の作品の中で、やりました。主人公の女の子が、迷い込んだ異世界で、子どものようにみんなにかわいがられて何も知らずに一か月ほど楽しく過ごす、というのを。たぶん、自分の癒しのために、それをやらずにはいられなかったのです。

 私も、かつて、『ほほ』のように、周りの世界にどこか馴染めない子どもでした。大人になった今では、その違和感を手なずけ、世界をすっかり自分のものにして楽しく生きていますが、それでも心のどこかには、世界とうまく折り合えない自分に傷ついていた子どものころの私がまだ住んでいて、そういう『傷ついた子どもの私』が、こういう言葉を求めていて、こういう作品に反応するのでしょう。
 だから、寓意や教訓や説教が割りと嫌いな私ですが、このお話はなんとなく素直に読めて、
『人はときどき、考え違いをするわ。弱さを取り払ったところに、本当の自分があるって。でもね、ほほ、弱さはその人の始まりよ。取り払うことはできないし、取り払う必要はない。その人の芯』なんてセリフが、素直にすとんと腑に落ちました。
(『 』内のセリフは引用です)

その他、今読んでる本、これから読みたい本の話。

 しばらく新作がお休みだった『十二国記』がたてつづけに出てて、幸せです。まだ一冊目の『黄昏の岸 暁の天』の途中だけど、早く次も読みたいな!

 『グインサ−ガ』も、どんどん出てて嬉しい。でも、読むのが追いつかない! 私、『グインサ−ガ』は珍しく自前で買っているので、ついつい、図書館で借りた本が優先になり、こちらは後回しになってしまうのです。もう、4冊くらい、溜めてます でも、買ってくるとすぐ、我慢できずにパラパラと中を見ちゃうから、だいたいの展開は、もう掴んでますが。
 この『パラパラ』読み、やってしまうと、いざ読む時に楽しみが減るんですが、自制心がなくて、ついつい、やってしまうんですよねえ。でも、『パラパラ』をやった後、それでもう読む気がなくなる本とか、読んでもおもしろくなくなる本なんて、もともと、たいした本じゃないんですね(推理小説は別として)。本当におもしろい本は、パラパラ読みをした後でも、ちゃんと、もう一回、じっくり読みたくなりますもん。もちろん、『グインサ−ガ』は、後で、じっくり味わって読むのです!

 あと、今、すごくステキな本に巡り合って、目に星が浮いちゃってるんです。それは
『山尾悠子作品集成』(去年出た本ですから、なにを今さら……ですけど)。
 まだ拾い読みですが、ちょっと開けてみただけで、もう、何というか、オ−ラが感じられるんです。輝いてます。匂い立ってます。宝石箱のよう。私、この本、欲しい! 図書館で借りたんですが(だって、8800円ですよ!)、でも、これ、急いでいっぺんに読みたくないです。ゆっくり、少しづつ、一遍一遍をゆったりと愛でながら、気ままにあちこちと読み進んでみたい。
 ああ、悠子さま……(うっとり)。ああ、でも、高い……(しょんぼり)。

 それから、さっき新聞広告見たら、なんと、上橋菜穂子さんの『守り人』シリ−ズの外伝が出る! これは見逃せない!! 私、この人、一作目の『精霊の木』から「おっ? これは……」と思って目をつけてたんです。二作目の『月の森にカミよ眠れ』で、「おお、やっぱり!」。そして『守り人』シリ−ズ。ブレイクしましたね〜。

 あと、徳間デュエル文庫で、菅浩江さん『メルサスの少年』(最高!)とか『柊の僧兵記』が復刊されて嬉しいです。といっても、実は私、本はみんな図書館で借りるので、これらの本が今は入手困難だったということ自体、知らなかったですが……。
 菅浩江さんといえば、以前図書館で借りて読んだ『オルディコスの三使徒』(名作です!)を新古書店でゲットしたんですが、これが、1巻と3巻だけなんですよね。果たして2巻は手に入るのか!?
 でも、菅さんは、もう、ああいうのは書かれないのでしょうか? 『博物館惑星』は素晴らしかったけれど、もうすっかり『大人』の本で、「これからずっとこういうのだけだと、ちょっと寂しいな」と思っちゃいました……。あんなに素晴らしい到達点を見せてもらって、その上さらにの昔のような作品も書き続けて欲しいなんて、読者の身勝手な欲張りですけどね。

 ああ、本の話を始めると切りがない! 異様に長い読書録になってしまいました(^^ゞ


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