〜司書子さんとタンテイさん〜





第二話 ジギタリス殺犬未遂事件

(1)


  夏の初めの晴れた朝。朝露の光る庭で、大きな帽子を被って、ジギタリスの花がらを摘みました。来年も良い花がたくさん咲くように。
 でも、一本だけは、花がらを摘まずに残しておくのです。こぼれ種で、また来年、新しい株が生えるよう。
 壁際に咲く背の高いジギタリスの群れは、わたしが覚えている限り昔から、毎年この場所で咲いています。ジギタリスは暑さに弱いので夏に枯れてしまうことも多いらしいのですが、うちの庭は、たまたま環境が合っているのでしょう。時には枯れる株もありますが、その分、こぼれ種で増える株もあり、長年、絶えることがありません。祖母もよく、こうして、青空の下でジギタリスの花がらを摘んでいたものです。天に向かってそびえ立つ長い茎に赤紫の筒状花をずらりとぶら下げたこの植物の、どこか謎めいた佇まいは、『この花は毒があるから、花や葉っぱを犬の鎖の届くところに捨てては駄目よ』という祖母の言葉とともに、子供の頃の初夏の思い出の中に、強く焼き付いています。
 いつもよりたいぶ花期が遅れた今年の花も、そろそろ終わりです。

 こうして庭の手入れをしていると、この家にとっての祖母の存在の大きさを、あらためて思います。
 一見無造作に草木が茂る自然な趣のこの庭の、その、無造作で自然に見える秩序は、祖母がたゆまず手を入れ続けることで保たれていたのだと。
 わたしだって子供のころから草取りのお手伝いはしていましたが、それはやっぱり、あくまでも『お手伝い』に過ぎなかったのです。祖母の没後、一人で庭を維持してみて、その本当の大変さがわかりました。
 庭のことだけではありません。それは、生活のすべてにわたって言えることでした。祖母がこの家を切り盛りしていた間、わたしはずっと、『子供』だったのだと、今になって、わかります。もう三十になろうとしていて、外ではそれなりに一人前の社会人だったのに、家では、祖母に守られ、世話される、子供の立場であったのだと。
 わたしは祖母にずいぶん家事を仕込んでもらったほうだと思うし、人の話を聞いていると、実家住まいの働く独身女性の中では家事を良く手伝っていたほうではないかと思うのですが、それでも、家事を『手伝う』ことと、自分で家のすべてを切り盛りしてゆくことは、まったく違うことだったのですね。生活のあらゆる面で、ふとした時に祖母の不在が思い知らされ、そのたびに、生前の祖母の偉大さを思い、我が身の頼りなさを顧みる毎日です。
 でも、わたしは、祖母の愛した、わたしも大好きなこの庭――祖母との思い出がいっぱいのこの庭を、そして、この家での慎ましく穏やかな暮らしを、ずっと、守りつづけていたいのです。少しずつでも成長して、いつか祖母のように、しっかりと暮らしの中に根を張って、ゆったりと生活を楽しめる人になりたいです。一人では、しかも働きながらでは、手の回らないことも多いから、全く同じとはいえず、庭に雑草が生えたり、家の手入れが行き届かなかったり、祖母がいた頃は毎年作っていた季節ごとの保存食も全部は作れなくて、もどかしい思いをすることもありますが……。

 だから、反田さんが草取りを手伝ってくれたことは、とてもありがたかったです。雑草にだって可愛い花が咲くものもあって、別に嫌いではないのですが、だからといってあんまり草ぼうぼうにしておいては、宿根の草花が雑草に負けて消えてしまいますから。
 しかも、反田さんは、このあいだ本を返しに来た時なんて、本とお茶のお礼にと、垣根の傷んだところを補修していってくれました。
 わたし、ずっと気にかかりながらも、自分では直せなくて、そのうち業者さんに頼むしかないかと思い、でも、あまりにもささいなことなので、そんなことで来てくれる業者さんがいるかしら、こんなささいなことを頼んだら面倒がられないかしら、もし来てくれても、すごくお金がかかったりするのでは……と、ずっと逡巡して、後回し後回しにしていたところだったのです。
 それを、反田さんは、ちょっと目についたから、と、ごく気軽に、あっと言う間にちゃちゃっと直してくださって。
 お口が上手くて足も速くて、その上、垣根も直せるなんて、反田さん、すごいです。わたし、もう、反田洋品店のほうに足を向けて寝られません。そういえば反田洋品店って、ここから見るとどっちの方角でしたっけ……?

 ジギタリスの花がらを摘み終えて、ちゃんとスノーウィの鎖の届かない場所にまとめると、帽子のつばを上げ、空を見上げました。梅雨開け十日の晴天の、白く見えるほど輝く青空に、朝から立派な入道雲が出ています。今日も暑くなりそうです。もう夏休みに入ったらしい小学生が、色とりどりのプールバッグを下げて、賑やかに路地を駆け抜けて行きました。

 子供たちと入れ替わりに、今度は郵便屋さんのバイクが走ってきて垣根の外で止まり、「おはようございます!」と元気に挨拶しながら郵便受けに手紙を入れて、また走り去っていきました。後ろ姿にねぎらいの言葉を返しながら、手紙を取りに、木戸の脇の郵便受けに向かいます。
 入っていたのは、どうでもいいダイレクトメールがいくつかと、それから、エアメールが一通。
 カナダで暮らす父からです。
 手紙が来たということは、何も用事がないということですね。何か用事があれば電子メールのほうがよっぽど速いし、父の近況ならSNSで、リアルタイムで知ることができます。でも、父は、特に用事がない時に限って、ときどき気まぐれにエアメールを送ってくるのです。だから、父からのエアメールは、いつも他愛のない内容です。
 長年、仕事であちこちの国を飛び回っていた父は、最後に赴任したカナダがよほど気に入ったらしく、昨年、定年を前に勤め先を早期退職し、仕事を通して知り合った現地の友人と一緒に、事業を起こしてしまいました。できれば永住権を取得し、向こうに骨を埋めるつもりらしいです。わたしもこちらに来ないかと誘ってくれたこともありますが、断りました。別に父と仲が悪いわけではないのですが、父には父の、わたしにはわたしの人生がありますから。

 学生時代、わたしの父が海外に赴任していると知った友人たちは、学生らしい海外への憧れから、とても羨ましがり、夏休みなどに遊びに行けばタダで長期間泊めてもらえて観光拠点にできるのではないか、せっかくだから今のうちに遊びに行けばいいのに、などとさんざん言ってきましたが、わたしは、移住や長期滞在はもちろん、夏休みの旅行としてすら、海外に行きたいとは思いませんでした。

 実はわたし、生まれてから一度も海外旅行に行ったことがありません。別に、旅行にも行けないほどずっと忙しかったわけでも、お金が無かったわけでも、飛行機が怖いわけでもないのですが。
 大学で所属していた児童文学研究会の有志が、夏休みにイギリス旅行を企画したことがありました。児童文学研究会の面々はたいていイギリス児童文学に憧れていましたから、その舞台の数々を訪ねる、いわば『イギリス児童文学巡りの旅』です。
 でも、わたしは、その旅行に、参加しませんでした。学生の分際でお金がかかりすぎるということもありましたが、わたしは、イギリスに行きたくなんか、なかったのです。
 多くの仲間たちと同じく、わたしもイギリス児童文学は好きでしたが、だからこそ、わたしは、イギリスに行きたいと思いませんでした。わたしにとって、イギリスは、物語の中の世界だったのです。わたしにとってのイギリスは、この世界のどこにもない、物語の中の国で、その、わたしの心の中のイギリスには、決して、飛行機なんかでは行かれないのです。そこは、本を読むことでしか行かれない別の世界――物語の中の夢の国なのです。けれど、もしも現実のイギリスを訪れてしまったら、イギリスはもう、わたしにとって、物語の中のおとぎの国ではなくなってしまいます。目や髪の色や話す言葉は違ってもわたしたちと同じ普通の人間が住んで、普通に生活している、ただの、現実の外国になってしまうのです。ケンジントン公園にピーター・パンはいなくて、ただその銅像があるだけで、パディントン駅でスーツケースを持ったクマと会えることもないし、湖水地方もウェールズもコーンウォールも、きっと美しいところなのでしょうが、普通の人たちが普通に暮らしているだけで、そこにピーター・ラビットはいないし、魔法使いもいないのです――たぶん。

 わたし、思うんですけど、小さな窓から眺めている時が、世界は一番広いのではないでしょうか。
 昔、小学校に上る前に住んでいた家の近くに、小さな雑木林がありました。『小さな雑木林』というのは、今だから思うことで、幼かった当時のわたしは、子供部屋の窓から見えるその林を、世界の果てまで広がるようなとても大きな深い森だと思い、『底なし森』と呼んでいました。そこにはオオカミやオバケや吸血鬼が潜んでいて、きっと小人や妖精も住んでいると思っていました。奥深くまで踏み込めば、妖精郷も見つかるのではないかと。
 そんな風に思いながら少し大きくなったわたしは、ある日、思い切って、世界の果てにも等しい『森の終わり』を探しにでかけようと決意し、大冒険に胸を躍らせながら、雑木林に足を踏み入れました。
 そして、ささやかな探検行の末に、たぶん何分もかからずに、もちろんオオカミとも吸血鬼とも遭遇することなく、妖精の国を見つけることもなく、その小さな林を縦断してしまったのでした。
 世界の果てだったはずの森の向こうには、家の近くにあるのと同じような、何の変哲もない小さな公園があって、その向こうには、家の周囲と何も変わらない、ありふれた住宅地が広がっていました。
 その時、わたしの世界から『底なし森』は無くなりました。わたしの中の無限の『底なし森』は、ただの、ありふれた小さな雑木林に変わってしまったのです。
 ――イギリスに旅行に行くことは、その、『底なし森』の探検と似ているような気が、わたしには、したのでした。
 わたしは、広い世界になんか、行きたくありません。この、小さな自分の庭で、垣根の内側で、子供部屋の窓から空を眺めるみたいに見知らぬ世界を夢見つつ、ひっそりと静かに生きていきたいです。……学生時代、友達にそう言ったら、誰も同意してくれなくて、みんな、『もったいないよ』とか、『世界を広げなよ』とか、『お父さんが海外にいるうちに一度は行って来たほうが絶対いいって』みたいなことしか言いませんでしたが。いいんです、わたしはわたしの道を行きます。

 それにしても、仕事で海外をさんざん渡り歩いた末に赴任先で作った現地の友達と起業してしてしまうほど行動的な父と、その血を分けた娘のわたしが、こんなに、対照的なまでに違うなんて、不思議なものですね。亡き母は内気な人だったそうですから、わたしはきっと、母に似たのでしょう。

 わたしと父は、性格も全く似ていないし、顔もあまり似ていません。そして、一緒に過ごした時間は、今までの全部を合わせても、とても短いです。それでも、わたしたちの父娘関係は、世間一般の父娘とはだいぶ違うかもしれないなりに、決して悪くはありませんでした。娘が父親を厭いがちな思春期に近くにいなかったのがかえって良かったのではないでしょうか。むしろ、直接顔を合わせる機会は少ないなりに、普通以上に仲の良い父娘だったかもしれません。
 子供の頃、父は、わたしにとって、誕生日やクリスマスには美しいカードと豪華なプレゼントを遠い外国から送ってくれる、サンタクロースのような人でした。しかも、そのサンタクロースは、ときどき、珍しい外国土産を山のように持って訪ねてきては、そのたびにわたしを動物園やら遊園地やら美術館やらと連れ回したり、華やかな繁華街や大きなデパートに連れて行って服でも本でも欲しいだけ買ってくれた上、普段は入らないようなちょっと高級なレストランで何でも好きなものを食べさせてくれたりするのでした。そのことを友達に話すと、他の子は毎日お父さんが家にいるというのに、わたしの父のことを逆に羨ましがられて、ちょっと得意な気分になったりもしました。
 学生時代には、父は、わたしにとって、学費を出してくれる『あしながおじさん』でした。しかも、ジュディのあしながおじさんと違って、わたしのあしながおじさんは、お手紙に、ちゃんと返事をくれました。父親と文通していると知ると、みんな、『ありえない』『考えられない』と驚きましたが、ずっと離れて暮らしてきたわたしたちにとっては、それは、わりと自然なことでした。父が今でもときどきエアメールを寄越すのは、たぶん、その頃の『文通』状態のなごりですね。
 そんなふうに、一緒に暮らせない分を埋め合わせるようにわたしを甘やかしてきた父ですが、わたしが大人になった今では、対等な大人同士として、とても良い関係を築けていると思っています。
 今日のエアメールには、なにが書いてあるのでしょうか。あとでゆっくり読んで、お返事を書きましょう。封筒をひっくりかえして裏を見たら、見覚えのない住所が。今までコンドミニアムのようなところに住んでいたはずですが、今度は一軒家なのでしょうか。いよいよ、あちらに落ち着くつもりなのですね……。


「司書子さん! おはようございます!」

 元気な声に、手元の封筒から顔を上げると、垣根の向こうに反田さんの日に焼けた笑顔がありました。キャンディちゃんは連れていません。今日は犬の散歩ではなく、お貸ししていた本を返しに来る約束になっていたのです。午後からお店番に入らなければいけないということで、あまりゆっくりはしていかれないそうですが、せっかくですので縁側でお茶くらいお出ししようと思い、お茶菓子も用意してあります。

 わたし、最近、反田さんを少し尊敬しているのです。垣根を直してもらったからだけでなく、あの社交的な性格や、人当たりの良さ、コニュニケーション力、行動力を。どれもわたしには無いものばかりですから。
 行動力がありあまっている反田さんは、一見、意味もなく猪突猛進、軽挙妄動、右往左往しているように見えますが、その、一見無駄なような軽挙妄動、右往左往によって、小さな風を起こすみたいに、周囲の状況を動かし、新しい何かを生み出しているのです。
 たとえば、このあいだの、琴里ちゃんの髪飾り事件の時。
 反田さんが子供たちと苑明寺を訪れたのは、髪飾り探しには全く役に立たない余計な行動でしたが、反田さんは、それをきっかけに苑明寺のご住職とお友達になり、今度、苑明寺の境内で商店会主催の子供肝試し大会をやらせてもらうことになりました。わたしも協力を頼まれて、肝試しの前座として、子供たちに怖い昔話をいくつか語ることになっていたりします。そうそう、反田さんが、なぜかそれに浴衣で来てほしいと強く要請なさるので――そのほうが雰囲気が出るからだとかなんとか――箪笥の奥から浴衣を引っ張りだして、準備しておかなくては。せっかくですから髪飾りくらいは新調しようかしら。青年部の皆さんが綿あめやヨーヨーすくいなどの屋台も出すそうで、きっと楽しい催し物になることでしょう。
 そして、あの時に『少年探偵団』として苑明寺行きに参加した子供たちの間には、学年を超えた交流が生まれ、今もときどき、苑明寺の境内で遊んでいるとか。
 さらに、光也君は、反田さんの勧めで、夏休みの自由研究の課題として苑明寺のお千代伝説を取り上げることにし、携帯でお千代の墓や花野橋の写真を撮ったり、図書館で郷土資料を当たったりしています。
 夏休みの宿題で一番面倒なのは自由研究で、自由研究の一番大変な部分って、テーマを決めることですよね。夏休み前からそれが決まっていて、写真などの資料が用意してあったんですから、光也君の今年の夏休みの宿題は、きっと楽勝ですね。
 それもこれも、反田さんのおかげなのです。反田さんが、無駄な行動をしたおかげなのです。

 そんな風に、無駄だろうと意味不明だろうと見当違いだろうと、とにかく行動することで何かが変わる、何にだろうととりあえず体当たりしてみることでいろんなことが動き出すということを、わたしは反田さんから学びました。
 だからといってわたしが急に行動的になれるかというと、そういうでもないのですけど、でも、わたしだって、少しずつ、ゆっくりとなら、反田さんを見習って、ちょっぴり変わっていけるかもしれません。

 ――でも、そんな、尊敬する反田さんですけど、あのTシャツは、やっぱりどうかと思います……。

 反田さんは、いつも、自分のお店のオリジナル商品である、ちょっと変わったTシャツを着ています。それはいつものことなのですが……見れば、今日のTシャツはまた、ひときわ変です!
 ご挨拶を返し、木戸を開いて迎え入れながらも、目は、ついつい、反田さんの黒いTシャツの胸の、おかしなプリントに吸い寄せられてしまいます……。
 反田さんも、その視線に気づいたのでしょう、ぐっと反らした自分の胸を得意そうに親指で指し示しました。
「どうです、これ。うちの新作! 『ババアちゃんTシャツ』です!」
「はぁ?」
 たしかに、おばあさんの絵柄です……。二頭身にデフォルメされた和服のおばあさんなのですが……正直、デフォルメが効きすぎて、ちょっと不気味というか、悪趣味というか、そこはかとなく失礼な感じというか……。
「ね、かわいいでしょう! 我らがかんざしババアを、親しみやすい『ゆるキャラ』にしてみました!」
 胸を張る反田さん。なるほど、たしかに、頭には、やたら大きなかんざしを挿していますし、ポップな虹色のフォントで『妖怪かんざしババア』とプリントしてあります。
 これも、いつものお友達に頼んでデザインしてもらったのでしょうか。反田さんのお友達に、デザイン科を出て趣味で漫画を描いているとかいう方がいて、いつも、その方にTシャツなどのデザインを頼んでいるらしいのです。
 それにしても、これはさすがに、ちょっとどうかと……。
「えっと……。かわいいというか……そのう……ちょっとグロテスクじゃないですか……?」
 思わず、口に出てしまいました。
 反田さんは、ちっちっと指を振りました。
「司書子さん、今はね、ゆるキャラだって、カワイイだけじゃダメなんです! これからは、キモかわ、怖かわの時代ですよ! ババアちゃんは、お茶目でゆるカワイイけど、あくまで妖怪ですからね。妖怪であるからには、やっぱり多少は怖くなくっちゃ! でないと、妖怪としてのアイデンティティが失われてしまいますからね!」
「はあ……キモかわ、怖かわ……」
「そう。キモくてカワイイ、怖くてカワイイ、ですね。そういうのが、次のウェーブなんです!」
 なるほど……。たしかに、かわいいいような不気味なような、怖いような愛嬌があるような……。わたしには理解できないウェーブです……。

 反田さんは、こういう不思議な商品を、どんどん作っているのです。不思議なことに、それなりに売れているようです。Tシャツの絵柄やデザインはともかく、反田さんの熱い郷土愛には心を打たれますし、地域密着型の洋品店で地元の伝説や名産品などをモチーフにしたオリジナル商品を作って売るという反田さんのアイディア、取り組みは、素晴らしいことと思います。――思いますが……このTシャツは、やっぱりちょっと……。

 反田さんが、別にそんなにまずい顔はしていないのになぜかちっとも素敵に見えないのは、きっと、いつもこういう変なTシャツを着ているからですね。
 反田さんだって、ぴしっとスーツを着れば、あるいは……と、ちょっと想像してみしようとしましたが、無理でした。
 私には、反田さんは、いつもの変なTシャツ姿か、でなければ野球のユニフォームを着ているところしか思い浮かべられません。

 なんで野球のユニフォームかというと、実は、見たことがあるのです。このあいだ、反田さんたちの野球チーム『ホワイトラビッツ』の試合の応援に行ったので。
 わたし、野球には全く興味がなくて、ルールもあまり良くわからないので、試合を見てもちっともおもしろくないと思ったのですが、いつもお世話になっている反田さんのたってのお誘いということで、断りきれなくて……。
 でも、せっかくですから、いつもお世話になっているお礼に、お弁当を作って差し入れしたら、反田さんは死ぬほど喜んでくださいました。お仲間の皆さんがあんまりうらやましがるので、他の方にも何か大勢でつまめるようなものを作ってくればよかったと、自分の気の利かなさを、少し悔やみました。
 試合そのものは、やっぱり、なにが起こっているのかよくわかりませんでしたが、反田さんはじめ、皆さんがとても楽しそうだということだけは、よくわかりました。

 ……が、私の趣味からいうと、男の人はやっぱり、野球のユニフォームより、スーツを着たほうが素敵ですよね。大変申し訳ないですが……。

 わたし、実は、スーツの似合う細身で背の高い男性が好みなのです。ちなみに、眼鏡をかけていれば、なお良いです。
 なのに反田さんは、それとは正反対で、背はあまり高くないのにがっちりしているので、スーツを着ると、もしかして、ちょっとずんぐりして見えるのではないでしょうか。残念なことに……。
 こういう方は、もしかすると、和服を着ると意外と様になるかもしれません。結婚式の新郎みたいな紋付袴とか。

 ……スーツ姿は無理でしたが、紋付袴の新郎姿の反田さんなら、容易に想像することができました。やっぱり似合いそうです。
 そういえば、反田さんは、わたしより三つ上の三十五歳だそうですが――だから、中学の校区は一緒だったけど、中学でも入れ違いになって、わたしと出会うことがなかったのです――なんでまだ結婚しないのかしら。まあ、わたしも、それについては人のことは言えませんが。

 縁側で、グラスごと冷やして氷を浮かべた麦茶と、昨日の夜に焼いたブルーベリーマフィンをお出ししました。反田さんは、それが手作りだとわかっているのかいないのか、無造作にばくっと一口でお召し上がりになりましたが、うまいうまいと目を細めてくださったので、幸せです。
 それから、先日、反田さんに収穫を手伝ってもらった梅で作った梅シロップが完成したので、それで作ったゼリーもお出ししました。シロップ漬けの梅の実の小さなひとかけもゼリーの中に閉じ込めて。

 先日の梅だということを説明すると、反田さんは大変喜び、これも、うまいうまいと、ぺろりと召し上がって、
「いやあ、庭に梅の木が一本あると、いいですねえ。シロップも甘露煮もできるし、梅酒もできるし……。あの甘露煮、美味しかったですねえ。来年も食べたいなあ……。お袋も、あれから何度も言ってますよ、あれは美味しかったって」とおっしゃいました。
 祖母に教わったとおり、手間暇かけて丁寧に丁寧に作った甘露煮は、それでも祖母が作ったものほど上手にはできませんでしたが、中でも綺麗に仕上がった幾つかを反田さんに縁側でお出しして、ご家族にもお土産に持ち帰ってもらったのです。その時も、お母様をはじめご家族がとても喜んだと言ってくださって、お母様から、お返しのお菓子までいただいてしまいました。

 反田さんは、梅の木を眺めて、ふと思いついたように言いました。
「この梅って、そういえば、何色の花が咲くんですか?」
 そういえば、反田さんがはじめてこの庭を訪れたのは五月のことですから、反田さんは、この梅の花は、まだ見たことがないのですね。
「白です」
「へえー。これだけの立派な木だと、満開の時なんか、さぞ見事でしょうねえ」
「ええ。実梅ですけど、花も綺麗です。毎年、花時には、祖母と二人で、この縁側で梅の花見をするんですよ。まだ寒いですけど、かいまきとかダウンとか着こんで、二人で、熱い甘酒の湯のみを手に……」と、そこまで話しかけた時、ふいに喉がつまり、わたしの目から、思いがけない涙が、ぽろぽろと溢れてきました。いけない、またです……。一昨年まで、そうやって毎年祖母と梅の花見をしてきたけれど、その祖母は、もう、いないのですね。今年も梅の花見はできなかったし、次の冬も、その次の冬も、もう、一緒に梅のお花見をする人は、いないのです……。
 ――そう思ったら、つい……。

「わわ、司書子さん……? ……大丈夫ですか?」
 びっくりする反田さん。それは驚きますよね……。今まで普通に話してたのが、突然、これじゃあ……。
「ご、ごめんなさい、あの……祖母と梅の花見をしたことを思い出したら、もう、祖母と花見はできないんだ、一緒に花見をする人はもういないんだって、ふっと思ってしまって……」
 つっかえつっかえ、説明しました。ああ、恥ずかしい……。

 反田さんは、「ああ……」とつぶやいて、困ったように眉を下げて微笑みました。
「また、お祖母ちゃんのこと、思い出させちゃったんですね……」
「ごめんなさい……」
「いえ、謝ることなんかないですよ。お祖母ちゃんが大好きだったんですよね。何かにつけて思い出すのも当然です。よっぽど可愛がってもらったんですね」
「ええ……」
「司書子さん見てるとね、お祖母ちゃんに、とっても大事にされて育ったんだなあって、わかりますよ。良い思い出がたくさんあって、幸せですね」
 そうですね。祖母はもういないけど、愛された思い出がいっぱいあることは、幸せなことなんですよね。

 反田さんが、ちょっとあらたまった声音で言いました。
「あのさ。差し出がましいかもしれないけど、こんなこと他人が言っていいのかわからないけど、お祖母ちゃんが亡くなったのをそんなに悲しめるって、素敵なことだと思いますよ」
 思いがけない言葉に、思わず顔を上げました。
「え……?」
 素敵? 悲しいことが?
「だって、それは、司書子さんがそれだけお祖母ちゃんに愛されてて、お祖母ちゃんを大好きだったって証拠なんだから。だから、今のその悲しさも、お祖母ちゃんからの素敵な贈り物なんですよ。だから司書子さんは、その気持ちを大事にしていいんです。うんと悲しんでてもいいんです。今、司書子さんが悲しいのは、素敵なことなんです。……ね?」
「まあ……」

 若くして亡くなった母と違って八十六まで生きて長患いもせずに逝った祖母の死を、いつまでも悲しんているなんて、いけないことだと思っていました。私の年代では祖父母が既に他界しているのはごく普通のことだし、母の時と違って自分ももう大人なんだから、早く立ち直らなくてはいけないのだと思っていました。遺された人がいつまでも悲しんでいると亡くなった人が天国に行けない、などと、よく言いますし。
 だからわたし、自分がまだ祖母の死を悲しんでいることを、なるべく人から隠すよう、自分の心の中でもあまり認めないよう、ずっと、ちょっとずつ無理をしていた気がします。
 反田さんの言葉は、そんなわたしの心に沁みました。なんだか、心がほっと緩むような。
 そうしたら、別の種類の新しい涙が滲みかけて、慌ててハンカチを取り出しました。
 反田さんは、そんなわたしを、優しい眼差しで見ています。
「まあ……。ありがとうございます」と、ハンカチで涙を拭いながらつぶやくと、反田さんは笑いを含んだ声で言いました。
「それにしても、司書子さんはほんとに泣き虫だなあ」
「はい……」
 もうとっくに盛大にバレているので、いまさら隠そうとしても仕方ありません。
「まったく、これじゃあ、司書子さんじゃなくてメソ子さんだ」
 少し意地悪なからかい言葉ですけれど、反田さんの声はとても温かくて、ちっとも嫌な感じがしませんでした。からかわれているのに、よしよしと甘やかしてもらっているような気がしました。本当に不思議な人です。
 反田さんの声の温かさに、つい甘えて、すがるような気持ちで、思わず訊いてしまいました。
「はい、まったく、お恥ずかしいです……。子供の頃からの泣き虫が、このトシになってもまだ直らなくて。泣き虫って、どうすれば直るんでしょうか?」
 それに対する反田さんの返答は、予想外でした。
「直さなくていいと思いますよ」
「え?」
 泣き虫って、直さなければいけない欠点なのでは……?
「だって、それが司書子さんなんだから」

 不意打ちの言葉に、わたしは絶句しました。それは、かつて祖母がわたしに言ったのと同じ言葉だったのでした。
 祖母は、わたしが泣いていると、いつも髪を撫でながら『泣かないで』と言って慰めてくれたけれど、そんな泣き虫のわたしに、泣くのが悪いことだとか、泣き虫を直せというようなことは、一度も言ったことがありませんでした。わたしが泣き虫でも引っ込み思案でも不器用でも、『いいのよ』と、『それが蕭子なんだから』と、笑って言ってくれたのです。
 ……いけない、また、涙が出てきそう……。

 言葉を失ったわたしに、反田さんは、あいかわらず気楽そうににこにこしながら言いました。
「だいたいさ、司書子さんが泣いたからって、洪水が起きて日本が沈んだりするわけじゃないんだから、別に何も困らないでしょ?」
 反田さんの言い方があまりに気楽そうなので、わたしがすごく気にしている泣き虫という欠点が、まるで庭の雑草程度のささいな問題のように思えてきました。
 たしかに、わたしが泣き虫だからといって、別に日本が沈没したり世界が滅んだりするわけではないですよね……。
 なんとなくキツネにつままれたような気分で、あいまいにうなずきました。
「はあ……」
「少なくとも、俺はなんにも困ってないよ」
 そう言って、反田さんは、ふわりと笑いました。温かく包み込むような笑顔でした。
 その笑顔に、不覚にも、ちょっと、どきりとしました。だって、反田さん、別に顔は良くないのに、どこをとっても全く少しもわたしの好みのタイプじゃないのに、今、何か、少し素敵に見えたのです。別に好きな人でもなんでもない、ただのご近所さんなのに。ただの反田さんなのに。それはたしかに、とても良い方ではありますけど……。

 反田さんは、にこにこと続けました。
「正直、最初はちょっとびっくりしたけどさ。でも、むしろ俺は嬉しいですね。司書子さんが俺に素顔を見せてくれた、心を見せてくれたって感じで」
「え……」

 そうですよね、たしかにわたし、反田さんには、ものすごく素顔を見せてしまっている気がします。いろいろとたいへんダメで恥ずかしい素顔を……。

 わたし、うっかり人に気を許すと、その人の前ではすぐメソメソが出てしまうので、大人になってからは、うかつに人に心を許しすぎないよう気をつけて、心のどこかでずっとブレーキをかけていたような気がするんですが、反田さんは、いつの間にか、そんなわたしの、固いつもりでいた心のガードを、当たり前みたいにするっとすり抜けていました。いまさらながら、ちょっと怖くなりました。反田さんが怖いんじゃなくて、自分の軽率さや気の緩みが、です。
 なんでわたし、いつのまにか、そんなに親しいわけでもない、ただのご近所さんである反田さんに、こんなに無防備になってしまっていたのでしょう。反田さんの優しさや人当たりの良さについ気が緩んで、いつの間にか大失敗をしていました。なんというか、うっかりパジャマで外に出て、ご近所の人に出くわしてしまった時のような恥ずかしさ、心細さ、きまりの悪さです。今からでも、少し気を引き締めるべきでしょうか。でも、いまさら取り返しがつかないですね……。

 わたしの内心の葛藤など知らず、反田さんは、相変わらずにこにことして言います。
「だって、図書館で司書子さんを見てて、まさかこんな泣き虫さんだなんて、想像もしませんでしたよ。図書館では、司書子さん、いつも笑顔でね、誰とでもハキハキ話して、テキパキ働いてて、仕事のできる大人の女って感じで」

 本当でしょうか。そういうふうになれるように頑張っているつもりですけれど、本当に、他の人からもそう見えていたのでしょうか。だったら、嬉しいです。
 でも、それはお仕事だから頑張ってるだけで、本当のわたしは、全然違うのです。図書館の中でなら――職員と利用者という立場でなら、ずっと努力を続けて、今では誰とでも笑顔でお話できるようになれたと思いますが、図書館の外では相変わらず人見知りで、人と話すのが苦手で、泣き虫のままなのです。そんな自分が嫌いです。

「それは、お仕事ですから……」
「ですよね。お仕事の時は、お仕事だから頑張ってるんですよね。偉いなあ。その姿勢、尊敬しますよ。でも、今、俺には、お仕事用じゃない、素の顔を見せてくれているんですよね。俯きがちで、ちょっとしたことでもすぐに落ち込む、内気な泣き虫さんの顔を。それが、俺、嬉しかったんですよ」
「まあ……」
「で、思っちゃったんですよね。図書館での、デキる女な司書子さんにも憧れたけど、この、実は相当の天然だったり、あんがい子供っぽいところもあったりする泣き虫司書子さんも、なんか可愛いなあ……って」
「えっ……」
 可愛いって……。冗談にも程があります。わたし、もう三十二ですよ? それにわたし、そういうことを言われると、冗談だとだとわかっていても赤くなってしまうから嫌なんですってば。これじゃあ、まるで、社交辞令を真に受けてるみたいで恥ずかしいじゃないですか……。わたしがそういうの苦手だってわかっててこんなふうにからかうなんて、反田さん、やっぱり少し意地悪です……。
 でも、嫌な気分ではありませんでした。何か、くすぐったいような、温かいような、不思議な気持ちでした。
 たとえて言えば、うっかりパジャマで庭先に出たのをお隣のおばさんに見られたのに、はしたないと注意されるかわりに、『あらぁ可愛いパジャマねえ。お祖母ちゃんが買ってくれたの? お祖母ちゃん、センス良いわね』と褒めてもらった時のような。
 そういえば、お気に入りだったあのうさちゃん柄のパジャマは、もしかすると、反田洋品店で買ったものだったのかもしれません。いえ、ほぼ確実に、そうだったでしょう。
 ……なんて、関係ないことを考えて現実逃避しながらも、たぶん赤くなってしまったので、困って下を向いて、小さな声で言いました。
「……冗談言わないでください」
「冗談じゃないんですが」
 思いがけず真面目な声で即答されて、つい、「は?」と顔を上げて反田さんを見てしまいました。
 そうしたら、思わぬ真顔と目が合って、なんだか焦ってしまって、急いで目をそらし、また下を向きました。どう反応していいかわからなくて……。

 次の瞬間、反田さんは、急にすっとんきょうな声をはり上げ、がばっと頭を下げました。
「……いや、あの、すみません、すみません! 何か、ずうずうしいこと言って! 俺、調子に乗りました、はい!」
 両膝についた腕を腕立て伏せみたいに曲げて、額が膝につくほど深く頭を下げ、縁側に腰掛けたまま土下座を表現しようとしているらしいその大げさな仕草を横目に見て、つい、吹き出してしまいました。
「いやだ、反田さん、頭、お上げになってください……」
「じゃあ、司書子さんも、顔を上げてくださいね」
「えっ……はい」
 優しく促されて恐る恐る顔を上げると、反田さんは、それでよし、とでも言うようにふっと目元を和ませてから、すぐに素知らぬ顔で目をそらし、梅の木を見やって、元どおりの調子で、
「いやあ、しかし、梅の花見って、初めて聞いたけど、良いですねえ。なんか風流ですよねえ!」と、のんきな声をはりあげました。
 もう……。さっきの真顔は何だったんでしょう……。なんだか調子が狂います。

 そう思っていたら、反田さんは、またこちらを振り向いて、にこにことわたしの顔を覗き込みました。
「ね、司書子さん。良かったら、今度の梅の花見には、俺を呼んでくれませんか?」
「え……?」
「もちろん、お祖母ちゃんの代わりにはなれないけど、一緒に花見をする人、俺じゃだめですか?」
 まあ……。わたしが、一緒に花見をする人がいないと嘆いたからですね? 草取りの時と同じです。なんという優しさ、なんという思い遣りでしょう……。
「いえ……。ぜひ招待させてください」と、なんとなしの気恥ずかしさをこらえて微笑むと、反田さんは、嬉しそうに笑み崩れました。
「嬉しいなあ! 楽しみだなあ! 絶対ですよ。約束ですよ!」
 無邪気に弾む声音は、なんだか、遊園地に連れて行ってもらう約束を取り付けた子供みたい。
 わたしも楽しみです。がんばって美味しい甘酒を作りましょう。反田さんは生姜を入れたのと入れてないのと、どっちがお好みかしら。お茶請けには、何を用意しましょう。甘い甘酒に、しょっぱいおせんべいは当然ですよね。おせんべいは角の宝来堂の手焼きに限ります。ちょっとお高いけれど、お値段だけの価値はあります。おせんべいの他にも、何か和菓子なんかを、できれば手作りで……。

 考えると、心のなかが、なんだかふわっと温かくなってきました。
 さっきまで、梅の花見のことを考えるだけで悲しくなっていたのに、今は、同じことを考えて、こんなに楽しい気持ちになれるなんて……。反田さんのおかげです。反田さんは、やっぱり良い人です。

 麦茶の中で溶けかけていた氷の残りがそっと崩れて、小さな音を立てました。




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