長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語 

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 <第四章 荒野の幻影> 

(第三章までのあらすじはこちらから


二(後)



 洞窟の中央では、ドラゴンが眠っている。その向こうの暗がりの先に、反対側の岩壁がかろうじて見えている。目を凝らしてよく見ると、その、ちょうどここの正面あたりに、反対側の通路の入口があるらしい。
「よし、ドラゴンを起こさないように気をつけながら、あの通路まで、壁に沿って回っていこう」
「うん」
「だが、その前に、いったん、ちょっと引き返す」
「えっ、なんで?」
 アルファードは、里菜の質問には答えず、黙って通路を引き返し始め、里菜は慌てて後を追った。しばらく通路を引き返して、ドラゴンから十分離れたと思われる頃、アルファードは里菜を振り返って、唐突に答えた。
「念のため、武器を調達しに行く」
「え? 武器? どこへ? こんなとこに、そんな都合よく武器なんかあるわけが……」
「あったじゃないか。ついさっき、壁に、盾と戦斧が飾ってあった」
「……そうだった?」
「ああ。君はここへ来る途中、いったい何を見てたんだ? あんなに、足もとが疎かになって段差にけつまずくほどきょろきょろしてたくせに、肝心のものは何も見ていないんだからな。さっきからの経過を考えると、前に通ったからといってもう一度あそこにたどり着けるという保証はない気もするが、たどり着ければ儲けものだから、とりあえず、行ってみよう」
「ねえ、盾はともかく、なんで斧なんかいるの? 剣じゃ駄目なの?」
「剣一本じゃ、途中で刃毀れする」
「えっ、魔法で保護してあるから刃毀れしないんじゃないの?」
「するさ。君は魔法のことをよく知らないから、魔法は万能だと思っているようだが、そういうわけじゃないんだ。魔法がかけてないよりは強いというだけで、固い鱗に覆われたドラゴンに繰り返し切りつければ、当然、刃毀れくらいする。今まで君が見ている時に俺の剣が刃毀れしなかったのは、相手が魔物だったからだ。だいたい、剣は、もともとあまりドラゴン退治に適した武器じゃないんだ。何しろ、ドラゴンには鱗がある。簡単に刃物で切れる相手じゃない。刃こぼれくらいならともかく、下手すると、折れる。一本しかない剣が途中で折れたら、そこで一巻の終わりだ。それでも、あの、牧場《まきば》で退治したドラゴンは、首が一本だったから剣でもなんとかなったんだが、首が九本もあっては、剣一本で相手にするのは、どう考えても無理だ。よしんば互角に戦えたとしても剣がもたない。まず戦斧なり棍棒なりでなるべく相手を弱らせて、剣はとどめを刺すのに取っておくべきだ」
「とどめを刺すって……、ねえ、まさか、アルファード、あいつと戦う気? 起こさないように気をつけて通り抜けるんじゃなかったの?」
「ああ、そうだが、もしあれが目を覚ましてしまって、向こうから襲いかかってこられたら、戦わないわけにいかないだろう?」
「いくわよ! 逃げればいいじゃない! いくらアルファードでも、あんなのと戦うなんて無茶よ。だって、相手は怪獣よ、大怪獣!」
「それは、俺だって、立ち向かってかなう相手とは思わないさ。だから、逃げられれば逃げるが、逃げられなかったら、戦うしかないじゃないか。そのための備えは、無いよりあったほうがいいだろう? 黙って貪り食われるよりは、ほんのわずかでも生き残る確率があるほうに賭けるべきだ」
「それはそうだけど……」
 アルファードは、
「無茶でも何でも戦うしかない時もあるさ」と、他人言のように呟いて、それに続く、
(例えば、俺が盾になってでも君を逃がさなければ君を守れないような時には……)という言葉は声に出さずに飲み込んで、通路を引き返し始めた。
 里菜はずんずん歩いていくアルファードに追いすがって、腕をひっぱった。
「ねえ、お願い、約束して。危ない時は逃げてね。無茶はしないで。約束よ!」
「当然だ。俺だって何も好き好んで危険を冒す趣味はない。だが、他に道がない時は、しかたないだろう?……あった。ほら、これだ」
 アルファードは足を止め、壁に飾られた盾と戦斧を示した。
「ほんとだ、あった……。なんか、あんまり都合が良すぎない? 魔王がわざわざ用意してくれてたみたいじゃない? だとしたら、単なる親切とは思えないんだけど。思いっきり怪しくない?」
「それはそうだが、これは本物の、ちゃんとした品物だ。古びているし、昔からここに飾ってあったものだろう。ほら、埃も積もっているし、盾の下など壁の汚れ方が他と全然違う。ずっと前から、ここに掛けてあったんだ。もしそれも何かの目眩ましで、これが罠だというのなら、罠を仕掛けるには何か理由があるんだろうから、騙されてみるしかないだろう」と言いながら、アルファードは斧や盾を取り外してつぶさに検分し、
「うん、十分、使用に耐える」と呟いて、おもむろに戦斧を構えて振ってみた。
「ねえ、アルファード、そんな、斧なんか、使えるの? アルファードがそういう武器を使ってるとこ、見たことないけど」と、見慣れぬ姿に里菜が心配すると、
「ああ、特にこの武器の使い方に習熟しているというわけではないが、型の審査が勝敗に影響する正式の試合だとでもいうならともかく、とりあえず振り回して叩っ切ればいいだけなら、腕力まかせでなんとでもなるだろう」と、満足げに――ほとんど惚れ惚れと――戦斧を眺めながら答え、それから急に里菜に向き直って、厳しい声で言った。
「さて、俺は、戦わなくて済むならそれで済ますと約束したが、君にも約束してほしい。もし、俺がやむをえずあれと戦うことになったら、その時、君は、俺を置いてでも、逃げること。例え魔王自身に君を害する気がなくても、あれが魔王の統制の及ぶものだとは限らない。助太刀しようなどと思ってくれるな。下手な手出しは、かえって俺の命取りになりかねない。とにかく、君は、俺が時間を稼いでいるうちに逃げ延びろ。そのほうがかえって俺の助けになる。俺だって、君を守りながら戦うより一人の方がむしろ戦いやすいから、生き残れる可能性が少しは増えるんだ。いいか、もう一度、要点を言う。君が逃げてくれた方が、君が生き残れるだけでなく、俺が生き伸びる確率も高くなるんだぞ。君は、土壇場でこれを言っても、恐慌に陥ったり感情に惑わされたりして理《ことわり》を聞き分けられず、分別ある行動が取れないだろうから、こうして、あらかじめ言っておく。わかったね」
 アルファードは、出来の悪い生徒を辛抱強く教え諭すように、念を押した。
 里菜は、たしかにアルファードの言うことは理屈としてはもっともだと思ったが、かといって、そんな約束をする気は、さらさらなかった。が、今、ここで彼に逆らっても無駄だと思ったので、しかたなく、あいまいに頷いて見せた。頷きながら、もしかすると彼は自分があれと戦わざるを得なくなることを予感しているのでは、と思って、ぞっとした。
 アルファードは、普段分別臭いから気がつきにくいが、実はけっこう、開き直った時は無茶な人なのだ。里菜から見れば信じられないような危険なことを、まるで自分の命などなんとも思っていないかのように平然とやってのける――アルファードには、何かそういう、いざとなると捨て鉢なところがある気がする。相手がドラゴンであれ魔物であれ、時にはまるで、むしろ進んで死にたがっているように見えるほど、恐れ気もなく平気で危険に身を晒すのだ。しかも、そのスリルに昂揚を覚えているというのならまだ分かる気がするが、そんな気配もなく、ただ淡々としているのが、里菜にはかえって、危うく見える。
 今だって、確率がどうのこうのと理屈はいろいろ言っていたが、要するにアルファードは、あれと戦って死んでも構わないつもりでいるのではないだろうか――。
 暗い廊下を引き返しながら、前を行くアルファードの背中に死地に赴く戦士の覚悟のようなものが見える気がして、何か言おうと里菜が追いすがった時には、ふたりはもうさっきの洞窟のすぐそばまで来ていた。
 すごく嫌な予感がする。
 と、アルファードが急に振り向いて、潜めた声で言った。
「いいか、さっきの約束を忘れるな。君はたぶん、約束する気もなしに、その場しのぎに頷いたんだろうが……」
 そこで、里菜がぎくっとしたのを見てとったアルファードは、やっぱりな、という風に続けた。
「とにかく頷いたんだから、約束は約束だぞ。いいか、約束を破ったら絶交だからな!」
 この、彼らしくもない子供っぽい言いぐさに、里菜は状況も忘れて小さく吹き出した。
 アルファードは、
「何がおかしい」と、ちょっとむっとしたような顔をした。
 そうしてから、
「たぶん、ただ危機感が足りないだけなんだろうが、やっぱり君は、天下無敵の大豪傑だ」と、呆れたような感心したような様子で首を振った。
 洞窟の中では、ドラゴンが相変わらず眠っていた。あらためて見てみると、大怪獣は大げさだったかもしれないが、やはり、相当の大きさには変わりない。
 ふたりは足音を忍ばせて洞窟に足を踏み入れ、周囲の岩に張り付くようにしてじりじりと横歩きで進み始めた。その間も、目はずっと中央の眠れるドラゴンに注いだままだ。熱さと緊張のために額から滲み出る汗が目にはいるが、目をこする余裕もない。ただひたすら神経を張り詰めて、音をたてないようにそろりそろりと進んでいく。それは神経をすり減らす仕事で、時間が経つのがとても遅いように、いくら進んでも向う側が近くならないように思えてくる。よく見れば、ドラゴンの周りには、白骨らしきものが散乱しているのが見える。何の骨かは、考えたくも無い。
 そんな調子で、なんとか洞窟の半ばまで進んだころ、ドラゴンの抱いている卵のひとつが、ぐらりと揺れたような気がして、ふたりは足を止めて不安げな視線を交わし、卵に目を戻した。
 たしかに、それは見間違いではなかった。卵はもういちど揺らいで、中からがさごそと物音が聞こえ、息を詰めて見守っているふたりの前で、殻というよりは膜のようなものであるらしい卵の表面に、ピッと小さな裂け目ができた。
 そこから何かぬらぬらしたものが覗いたかと思うと、みるみるうちに裂け目が広がって、卵液に濡れた小さなドラゴンの頭が現われた。
 まだ身体の半ばに卵の殻を纏ったままの、生れたばかりのドラゴンは、キュウ、と一声、呟くような産声を上げて首を伸ばし、周囲を見渡した。
 その首が、こちらを向いて止まった。
 赤ん坊ドラゴンは、首をかしげるようなしぐさで、鳥のように片方の目で里菜とアルファードを見据えた。瞳の細い無表情な金色の目が、あきらかにふたりの姿を捉えていた。
 里菜は恐怖に凍り付いて、背後の岩にぎゅっと背中を押し付け、目を見開いて立ち尽くしていた。幼いドラゴンの金色の目の中には、既に、いつか山の牧場《まきば》で見たあのドラゴンと同じ、凶々《まがまが》しい飢えが宿っていたのだ。
 アルファードが横からそっと里菜の肩をつついた。我に返った里菜に、アルファードは小さく頷くようにして合図を送り、ドラゴンの目を見返しながら、ふたたびそろそろと進み出した。里菜もあわてて横歩きを再開した。いくらドラゴンでも、卵の殻を付けたままいきなり襲い掛ってはこられないだろう。逃げるなら、今のうちだ。親ドラゴンが目を覚ましたり、他の卵が孵り出す前に、少しでも出口に近寄っておきたい。
 赤ん坊ドラゴンは、今や、全身をふたりの前に現わしていた。真珠色の殻は光沢を失って、脱ぎ捨てられた服のようにぐしゃぐしゃに縮まり、赤ん坊ドラゴンの片方の翼の先にひっかかっている――そう、小さなドラゴンは雄だったのだ。その大きさはせいぜい中型犬くらいだったが、すでに全身から凶暴な貪欲さと攻撃性の気配を発散させている。
 赤ん坊ドラゴンは、そろりそろりと壁づたいに逃げているふたりにじっと目を注いだまま、しわくちゃの濡れた翼を重そうにゆっくりと広げ、それから一度、ばさりと振った。
 その音で目を覚ましたのか、母ドラゴンの首の一つが、ふいに目を開けた。その目は、血のような、濁った赤だった。
 母ドラゴンは、まず、自分の腹の横で翼を乾かそうとしている小さな息子に目を止め、首を伸ばして鼻先で息子を軽くつつき、翼を伸ばすのを助けてやった。そうしながら、片方の目だけで闖入者の姿を捉えた。
 気がつくと、他の卵も、揺らいだり裂け目が入ったりしはじめている。
 最初の赤ん坊が翼を伸ばし終えるのを見届けた雌ドラゴンは、静かに首を上げて、片方の目で、まっすぐにアルファードを見据えた。
 たしかに、『里菜とアルファードを』ではなく、『アルファードを』見据えたのだ。
 ふたりはもう、反対側の通路の入り口近くまで進んでいた。アルファードは、里菜をすっと背後に庇って、ドラゴンの目をまっすぐに見返しながら、足を止めることなく、出口ににじり寄り続けた。
 その間にも、雌ドラゴンの腹の下で、次々と卵が孵化しはじめていた。卵は五、六個もあるだろうか。雌ドラゴンの九本の首のうちの八本は、それぞれ生れたばかりの我が子に伸びて、彼らが立ち上がったり翼を伸ばしたりするのを、やさしく助けてやっている。赤ん坊ドラゴンは、どうやら、全部、雄らしい。
 そうしながらも、雌ドラゴンの一本の首だけは、ずっとアルファードの動きを追って、ゆっくりと回されていた。
 里菜とアルファードがまもなく出口に達しようとしたとき、ふいに、こちらを見据えている雌ドラゴンの首が、ぱかっと口を開けた。裂けるように開いた巨大な口の中は、やけに生々しく赤かった。
 アルファードが、さっと全身を張り詰めさせて、盾を掲げた。その緊張が、アルファードの背中にすがりついていた里菜の掌に、シャツの布地越しに電流のように伝わって、里菜はあわてて手を離し、アルファードの脇腹の横からおそるおそるドラゴンを覗いていた首も、急いで引っ込めた。きっと、炎を吐く……! アルファードは身構え、里菜は目をつぶって首を縮めた。
 けれども、次の瞬間にドラゴンの口から出てきたのは、炎ではなかった。
 それは、どこか不自然でぞっとするような、低く耳障りな音だった。
 遠い雷のとどろきにも、嵐の夜の風のうなりや木々の軋みにも似て、危険な気配をはらんで人の心をおびやかすその音は、けれど、たしかに人間の言葉を構成していた。
 ドラゴンは、不思議な、くぐもった発音で、まちがいなく、こう言ったのだ。
あ・る・ふぁー・ど……」
 アルファードの全身に、雷に打たれたように衝撃が走った。ドラゴンは、アルファードを舐めるように眺め回して、目を細め……。
 ニッと、嗤《わら》った。


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