長編連載ファンタジー
イルファーラン物語
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六(前) 冬の午後の儚い薄日に照らされた古い街道の石畳を、鳥影がよぎる。 街道を行く四人の旅人の足音は、あたりの深閑とした森に吸い込まれ、乾いた灰色の石畳から、微かに埃が舞い上がる。 そういえば、旅の間、本格的な雨や雪は一度も降らなかったと、里菜はこれまでの旅路を振り返った。 このあたりは冬至を過ぎると天候が崩れがちなのだと言う。アルファードが冬至前にイルベッザに着くように旅の計画を立てたのは、役所が冬至休みに入ってしまう前に入隊を済ませたいという理由の他に、このためもあるらしい。その甲斐あって道中は天候に恵まれ続け、まもなく旅も終わろうとしている。 明日の夕方には、イルベッザに入れる見込みである。 この辺はもうイルベッザの近郊のはずなのだが、どっちを見ても、相変わらずの森が続く。 この辺までくれば、猟師やきこりが少しは住んでいるはずだとアルファードは言うのだが、彼らの小屋は森の中に点在しているそうで、街道添いには民家も畑も見当たらない。 イルベッザの北側、カザベル街道方面は防壁を越えてどこまでも都市が続いているのに対し、このエレオドラ街道添いの東側は、防壁のすぐ外まで森が迫っている。防壁から数時間以内のところまでは、たまに市民たちが、ピクニックがてらきのこや木の実を集めたり、狩りをしに来たりするが、それ以上町を離れると、そこはもう、足を踏み入れるものほとんどない、古い神秘の森なのだ。 その中をつっきって、街道は続く。 ほの白い冬至前の太陽が、既に西に傾き始めている。そろそろ今夜の野営地を定めなければならない。 一行が、古代の巡礼のように土と落葉の上で眠るのも、今夜が最後になるはずだ。 それを考えると里菜は、堅パンや落葉の寝床にもう我慢の限界だと思っていたはずが、なんだか少し名残り惜しく、旅が終るのが寂しいような気がしてくる。 軍隊の宿舎は男女別だ。もう、この四人で雑魚寝をすることもないだろう。 キャテルニーカとも、今までのように一緒にいられるかどうかわからない。 彼女の身の振り方についてはすでに相談してあって、イルベッザ城の構内にある治療院に、治療師見習いか、それがだめなら雑用係として働かせて貰えないか当たってみることになっている。 キャテルニーカはまだ十一才だから、本来なら学校に通わせるべきなのかもしれないが、本人が、治療院で働くことを希望しているのだ。 もしキャテルニーカが治療院で働けることになったら、同じ敷地内にいるのだから、里菜はいつでも彼女と会えるはずだ。うまくすれば同じ宿舎に入れる可能性もあるらしい。 けれど、もしそうなっても、イルベッザでの日々は、もう、この旅の続きではない。何もかも、きっと、変わってしまうだろう。あさってからは、それなりに馴染み始めた旅の日々も終り、未知の都での新しい生活が始まるのだ――。 そのことを想い感傷的な気分になった里菜は、前を行くアルファードの大きな背中を、踊るような足取りで楽しげに歩くキャテルニーカを、それから、なぜかぼんやりと空を見上げて歩いているローイを見やった。 ローイは、さっきまで里菜と言葉を交わしながら歩いていたのだが、話の途切れ目にふっと黙り込んだまま、ぼんやりしてしまって、返事もしないのだ。 こんなことが、ここ二、三日、何度もあった。 ローイはあいかわらず冗談を言ったりキャテルニーカとふざけたりしていて、一見、特に変わったところはない。 けれども、時々、こんなふうに急に考え込んでしまう。 そして、そういう時、里菜が心配して様子を窺っていると、ローイが突然ちらりとこちらを見て、ふたりの目が合ってしまったりする。そのとたん、ローイは、決まって、慌てたようについと目を逸らす。 最初のうちは、どうしたのかといぶかしみ、心配していた里菜も、そろそろ、そのぎこちない視線の意味がうすうす分かってきている。けれど、その考えを、そんなことはないと否定しようと努力している。 ローイは、村にいたころから、毎日のように、里菜に一目惚れだのなんだのと言っていたが、それは挨拶がわりの冗談だったはずだ。自分とローイは、いい友達だったはずだ。そうでなくては困るのだ。 そうは思いながらも、嫌いではない相手から、こんなぎこちない純情のまなざしを向けられれば、女の子としては、気分の悪かろうはずもない。ローイの切なげなまなざしは、里菜を、なにやら居心地の悪いような、気恥かしくも誇らしいような、微妙な心境にさせる。 けれども里菜は、ローイと目を逸らしあった直後、アルファードが見ていたかと、うしろめたいような気持で、つい、ちらりと彼のほうを窺わずにはいられない。 (あたしは、アルファードのなんでもないんだから、誰とどんなふうに目を見交わそうとアルファードのご機嫌を伺う必要なんか、ないわ)と思うのだが、やっぱり彼が気になるのである。もしかするとアルファードが里菜とローイのそんな様子に嫉妬や焦りを感じ、里菜が自分のものだということをはっきりさせる気になってくれないか、などという密かな期待もある。 もっとも、彼にそんなことを期待しても無駄なのは、里菜もよくわかっていたのだが。 この、冬の旅の終りを惜しんでいるのは、里菜だけではなかった。 ローイもまた、この旅が終る時、ものごとがいままでどおりではなくなることを予想していた。 旅の中では、すべてが移り変わり続けており、ものごとは流動的だ。何かを変えるなら、今だ。旅が終って、イルベッザで落ち着いてしまったら、自分と里菜の関係も、その時点のままの友達として固定してしまうだろう。 それにローイは、都についてからの生活について、里菜に、ある提案をしたいと思っていた。 それをするのは絶対、里菜が軍隊に入ってその仕事や宿舎の暮しに馴染んでしまう前でなければならない。 里菜が変化を好む性質ではないのに、ローイはもう気がついている。そういう人間がひとつの暮しに馴染んでしまうと、そこから連れ出すのはとても難しいのだ。きっと、里菜は、たとえそれが不本意な辛い生活であろうと、いったん選んだ暮し方を変えるくらいなら、そのままの毎日に甘んじて耐え続けることのほうを選んでしまうだろう。そうなってからでは、遅いのだ。 (あーあ、このままじゃイルベッザに着いちまうぞ。その前になんとかしたいよなあ。それにしても、何て言ったらいいんだろう。いままで、口説き文句に不自由することなんてなかったのに。本気の時には、うまいことなんて何にも言えなくなっちまうんだな) ローイは、機械的に足を運びながら、今日も道々、考え込んでいた。 彼は、三日前の、例の『戦線布告』以来、ずっと告白の機会を窺ってはいたのだが、なかなか里菜とふたりきりになるチャンスもないし、なによりも、自分では認めないだろうが、勇気がなくて思い切れなかったのである。 (俺は、村中の女の子をひとりあたり十回は口説いてきたんだぞ。それなのに、いったい俺は、どうしちまったんだ。ああ、本気だってのは辛いことなんだなあ)などと、あれこれ思案をしながら、時々ちらっと里菜を見ずにはいられない。そのうえ、それで里菜と目が合うと、おもわず横を向いたりしてしまう。 (何やってんだ、俺は……。ガキじゃあるまいし) 自分のばかげた振る舞いに、自分であきれるローイである。 いくつもの甘い口説き文句が、ローイの頭の中に浮かんでは消える。 彼は、これまで、どんな歯の浮くようなセリフでも照れずに言うのが自分の特技だと信じていた。 だが、里菜の顔を盗み見ては、 (だめだ、リーナの前では、こんなこときっと言えなくなっちまう)と、思う。 結局、彼の頭に最後に残った言葉は、ごくごくありきたりの、『一緒に暮らそう』というひとことだけだった。 (だめだ、だめだ、いきなりそれはないだろう。最初はもっと気軽な交際から始めるのがセオリーってもんだ。いきなりプロポーズなんかしたら、うまくいくものもいかなくなっちまう。でも、アルファードっていう強力なライバルがいるんだから、悠長なことも言ってられないな。なにしろあいつらは、いかに『なにもなかった』とはいえ、とっくに一緒に暮らしていたんだから。それにしても、いくらなんでも、あたりまえすぎるセリフじゃないか。だめだ、だめだ、ああ、どうすりゃいいんだ……) 最後の一言を思わず声に出して言いそうになって、あわてて口をおさえたローイを、キャテルニーカが、不思議そうに見上げていた。 アルファードは、もちろん、この微妙な雰囲気に気付いていないわけはないのだが、黙ってそれを目の隅に納めて、注意深く無視している。 (あいつ、俺がリーナを不幸にするのが心配だ、なんて言って、結局傍観してるのは、どうせ俺に勝ち目はないと踏んでるからだな。ちくしょうめ)と、ローイは、悔しがる。 そんな三人の様子にはまるで頓着しないように、あいかわらず里菜とローイにかわるがわる纏わり付きながら跳びはねていたキャテルニーカが、その時、ローイにつと擦り寄ってきて、真下から顔を覗き込み、 「お兄ちゃん、がんばってね!」とにっこり笑った。 ぎょっとしたローイが、自分は声に出して考え事をしていたのかと焦って回りを見す姿を見て、キャテルニーカはおかしそうにクスクス笑いながら猫のようなしなやかさで身を翻し、今度は里菜のそばへ駆けていった。 結局、ローイが、なんというべきか考えあぐねているうちに、もう逃すわけにいかない最後のチャンスが先にやってきてしまった。 その夕方、いつものように、手分けして野営の夕食の材料を調達していたときである。 運よく、いつもより早く兎を仕留めたローイが野営地に帰る途中、やはり運よくいつもより早く香草を見つけてきたらしい里菜と、はちあわせしたのだ。しかも、普段なら里菜と一緒にいるはずの、キャテルニーカもいない。 「リーナ、もう帰るところ? ニーカは?」 「なんか、薬草を探しに行くって、途中で別れたの。もう帰ってるんじゃない?」 「そうか……」と言って、黙って下を向いてしまったローイの様子に、なにかいつもと違うものを感じ、里菜は立ち止まってローイを見上げた。 おずおずと、ローイが言った。 「じつは、その、あんたに、話があるんだけど……。立ち話もなんだから、ちょっと、その辺に、座らないか?」 「うん……」 緊張したローイの様子につられて緊張しながら、里菜は、ローイが示した手近な倒木の脇に香草の束を置くと、ローイの隣に、少し離れて腰をおろした。 何の話かは、もちろん里菜にはだいたい見当がついた。 きっと彼は、あたしに告白するつもりだ、と、里菜は考える。どうしていいか、わからない。この場から、走って逃げてしまいたい。 ローイの気持は、うれしい。ローイはいい人だ。嫌いでない相手からなら、好意を寄せられて嬉しくないわけはない。そのうえ、今、自分が想っているアルファードは、自分のことを妹のようにしか扱ってくれない。自分には、そんなにも魅力が無いのだろうか――。 そんな自分を想ってくれるひとがいるというのは、すごく魅力的な状況だ。もし、そうなら、はっきり言葉にして告げて欲しい。 けれども、それは、自分勝手な欲望だ。自分は他の人を愛していてローイの想いに応えることはできないのだ。それなのに、自己満足のために、ローイに想いを口に出させるのは、残酷だ。それが真剣な想いであれば、なおさらだ。 ローイを友達として大切に思うのなら、絶対、今、彼に話をさせてはならない。 自分がいま大急ぎでしなければならないのは、何か、ローイがこれから言おうとしていることを言えないようにすることだ。それがお互いのためだ。そうしなければ、大切な友達を、傷つけるだけでなく、失うことさえありうるのだ。 一番いいのは、たぶん、ここで先手を打って、ローイに、自分とアルファードの恋について友達として相談に乗ってもらうことだろう。それだって残酷なことには違いないが、すくなくとも、あとでお互い何もなかったことにして、友達のままでいられる。それに、どうせローイは、里菜のアルファードへの想いは知っているのだ。 (そう、今、言わなくちゃ。大急ぎで……。『あたしも、あなたに相談に乗ってほしいことがあって、なかなか機会がなくて……。先に聞いてくれる?』って。ローイが、まだ、なんにも言わないうちに! 今なら、間に合う……) 決心して里菜が口を開こうとした刹那、ローイが、里菜の顔を、真近に覗き込んだ。 ローイの顔をこんなに近くで見ることは、あまりない。立っている時は、あんまり背が高すぎて顔はずっと上のほうにあるし、座る時は、そういえば、里菜は必ずアルファードのとなりに座っていて、ローイはたいてい焚火の向う側などにいた。里菜がローイと並んで座るのは、村で子守りをしていた時以来かもしれない。 こうしてあらためて近くで見ると、ローイは、なかなか整った、綺麗な顔をしているのだ。それは、前からわかっていたのだが、あんまり背が高すぎてなんだかヘンなことと、服装がキテレツなこと、そしてなによりも、表情に愛敬がありすぎ、言動がひょうきんすぎることで、普段は、彼がハンサムだというのを忘れているのである。 そのローイに間近に見つめられ、里菜は、頬が熱くなるのを止められなかった。 (何でいまさら、ローイの顔なんか見て赤くならなきゃならないの。ローイが誤解するじゃない)と思いつつ、その茶色い瞳を見ていられなくなって、目を伏せてしまう。 (やだ、これじゃますます、誤解されちゃうじゃない……) 里菜は、決して面食いではないつもりだ。でも、こういうときのハンサムな顔というのは、なかなか強引な作用を発揮するらしい。 ローイが里菜を見つめたのは、ほんの一瞬だったのだろう。だが、その一瞬のうちに、里菜の頭のなかでは、様々な思いが吹き荒れた。 このままローイに見つめられて愛を告げられてみたいという、甘美にして身勝手な誘惑と、早くさっきのセリフをいわなければとせっつく理性の声がせめぎあう。 一方ローイのほうも、落ち着いて効果を計算しつつ里菜を見つめたわけではなく、どうしてよいかわからなくなって、それしかできることがなかったのである。が、頬を染めて目を伏せた里菜の仕草は、里菜が恐れたとおり、彼にわずかに勇気をあたえた。 「リーナ、その……」 ローイは意を決して口を開いたが、そこまで言うと目を伏せて、ひととき、ためらった。 里菜は目を上げて、おそるおそる、そんなローイを見た。 うつむいたローイは、まるで幼い少年のように頼りなげに見えた。いつもの軽薄さやガサツさ、押しの強さはすっかり影をひそめ、透きとおるような繊細さと純粋さが、その下から現われたようだった。 長い睫毛が、やわらかな茶色の瞳に影を落している。 里菜のなかで、ほんの一瞬、理性が、圧倒的な誘惑の前に屈した。 そういえばローイは、声もいいのである。やわらかなテノールが耳に響いたとき、その声で愛を告げてほしいという欲望は、抑えがたくなってしまったのだ。 その、一瞬の誘惑の勝利のあいだに、とうとうローイは、さえぎらなければならなかったはずの言葉を、口にしてしまっていた。 「……イルベッザについたら、俺と、一緒に暮らさないか」 →感想掲示板へ →『イルファーラン物語』目次ページへ →トップぺージへ |
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掲載サイト:カノープス通信
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