長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語

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 <第二章 シルドーリンの宝玉> 

三(後)



 キャテルニーカは、本当に不思議な子供だった。
 彼女は、イルベッザに発つ前にプルメールに戻って靴とマントを買ってやろうというアルファードの申し出を、あっさり断わった。別に、遠慮をしたり、行程の遅れを心配してのことではなく、ただ、いらないというのだ。彼女はどうやら、この薄着姿でちっとも寒くないらしく、こんなことを言って、ケロっとしている。
「裸足がいい。地面の声が聞こえるから。服も、これでいい。このほうが、たくさん風に触れるから」
 そうとなれば、幸い食料は多めに買い込んであるのだから、わざわざ戻って一日を無駄にすることもなかろうと、一行は先を急いだ。子供連れでは遅くなるかと思ったら、とんでもない。この子は、里菜よりよほど足が強い。北部から歩いてきたというのも、本当かもしれない。どんなに歩いても、その足取りはまるで踊るように軽く、全く疲れる気配もなく、逆に里菜の足を気遣ってくれるのだ。
 キャテルニーカは、また、ひとなつっこい少女で、会ったばかりの里菜やローイにすっかりなついてしまい、道々、里菜とローイにかわるがわる纏わりついてくる。
 けれど、キャテルニーカは、アルファードのそばにはあまり寄りつかなかった。
 彼女はきっと、アルファードが子供好きではないことや、自分に心を許していないことを、直感的に見抜いていたのだろう。
 たしかにアルファードは、まだ、この子のことを、それとなく警戒していたのだ。
 アルファードも、この子は、まずまちがいなくローイの想像どおり、親と故郷を失くしたショックで一時的に記憶が混乱した避難民の子供だろうと思っているのだが、彼の性格上、どんな時でも『万一』という言葉が頭から離れないのである。
 アルファードが彼女に心を許していないのには、もうひとつ訳があって、それは本当に感情的なものだった。彼女がアルファードを見て最初に言った言葉が、アルファードにとっては、理由はよく分からないが、もっとも他人から言われたくない言葉だったのだ。
 彼女を一行に加えると決めた時、アルファードは、ごく自然に、リーダーとして、自分と仲間たちを彼女に紹介した。
「俺は、イルゼールのアルファード。こっちは、同じく、ローイとリーナだ」
 その時、キャテルニーカは、その、すべてを見透かすような、猫を思わせる大きな緑の瞳で、小首をかしげながらじっとアルファードを見つめて、ぽつんと、こう言ったのだ。
「……ドラゴン」
 アルファードの表情が強張り、拳が握りしめられた。それは一瞬のことだったが、アルファードの拳に並々ならぬ力が入るのを見た里菜は、アルファードが少女になぐりかかりでもするのではないかと、ぎょっとなり、少女をかばうように進み出ながら、その場を取り繕った。
「そ、そうよ。よく知ってたわね! この人が、あの、<ドラゴン退治のアルファード>なの。アルファードって、ほんとに有名人なのね!」
 実際、ローイの話によると、例の武術大会のおかげでアルファードのこの二つ名は全国的に知れ渡っているそうだし、アルファードという名はあまりよくある名前ではないそうだから、この子も、『イルゼールのアルファード』と聞いて、彼が三年前のチャンピオンその人ではないかと思い当たったのかもしれない。
 が、それ以来、アルファードは、この少女に対して、露骨に邪険な態度をとることはないまでも、ますます距離を置いて接するようになった。里菜はそれに気づいていたが、アルファードは子供が苦手だというのは知っていたから、何も言わないことにして、かわりに自分がせいぜい彼女に話しかけてやるよう心掛けた。
 話しているうちに、彼女の年令は、十一才だということが分かった。里菜は最初、もっと小さいかと思ったのだが、妖精の血筋だから背が低いのだろう。
 だが、年令が分かっても、それ以上のことは、いくら聞いても分からなかった。
 隠し事をしているという感じではないのだが、どうにも要領をえなくて、話が通じないのだ。
 それに、いったいどんな深窓の令嬢だったものか、何だか浮世離れして、年令のわりに妙に幼い感じがする。言うこと、やること、まるで幼児のようだ。天は二物を与えずというが、この、豪華絢爛、とほうもないほどの美少女は、もしかすると少々頭が弱いのではないかと、里菜は思い始めている。
 里菜は、ローイの腕にしがみついて跳びはねるように歩いているキャテルニーカを眺めた。ローイは、キャテルニーカにすっかり気に入られてしまっているのだ。どうも、彼女は、ローイのことを、自分の遊び相手を務める従者かなにかのように思っているらしい。
 アルファードは最初、このふたりが、じゃれあいながら飛んだり跳ねたりして歩くのを、疲れるからと言って注意していたのだが、そのうち、この少女がまるで疲れを知らないことに気がついて、何も言わなくなった。
 ローイは、自分の回りを跳び回っている少女を、つくづくと眺めて言った。
「しっかし、お前、また、すげえべっぴんだよなあ。妖精の血筋は美人が多いが、それにしても、こんな器量よしは見たことないや。そういえばお前、俺の初恋の人に、ちょっと似てるぜ」
 ローイがなんだかうまいことを言い始めたので、キャテルニーカに対してすでにすっかり保護者気分になっていた里菜は、がぜん、彼女を守ってやらねばという気負いが沸き起ってきて、あわててふたりの間に割って入った。
「ちょっと、ローイ! いくらきれいだからって、こんな子供にちょっかい出しちゃだめよ! だいたい、その初恋の人って、さっき言ってた旅芸人の女の子? だったら、あなた、女の子はそれよりまえから追っかけてたっていってたじゃない!」
「ああ? 俺、初恋の人は十人くらいいるの!」
「何よっ、それ! そんないいかげんな……」
「あれっ、リーナちゃん、あんた、もしかして妬いてんの?」
「誰が! あたしはただ、この子の健全な成育環境というものを考えて……」
「何? なにを考えてるんだって? なんだか知らねえけど、心配すんなよ。俺、そういうシュミ、ねえから」
「どうだか!」
「……リーナちゃん。俺、そんなに見境いのない男に見える?」
「見える。すっごく、見える!」
「ああ、情けない。リーナちゃんは俺のこと、そんなふうに思ってたのか。俺、ショックだなあ……。俺は、ただ、この子の将来が楽しみだと思っただけさ。今からこれじゃ、あと、五、六年もしてみろよ、絶世の美女になること間違いなしだ。だから俺は、ただ、今のうちに、ちょっとツバつけとこうかな、なんて……」
「やっぱり、そうじゃない! ね、キャテルニーカ、このお兄ちゃんに近寄っちゃ、ダメよ! ツバつけられるわよ。バッチイんだから!」
「なんだ、なんだ、人のことをバイキンみたいに……。ようし、そんなら、ほんとにツバつけちゃうぞ! そおら!」と、叫ぶなり、ローイは指を舐めるふりをして、その指を突き出してキャテルニーカを追いかけ始めた。
「そら、そら、ツバだぞ、バッチイぞお!」
「キャーッ! やだあ!」
 キャテルニーカが、きゃらきゃら笑いながら跳びはねるごとに、尖った耳の先がぴょこぴょこ動く。
 この、尖った耳は、ローイが言うにはやはり妖精の血筋の特徴の一つなのだが、妖精の血筋なら必ず尖っているわけではなく、尖っていない人も多いらしいということだ。また、尖っている場合も、ここまでしっかり尖っているとは限らないらしい。
 とすると、これもまた、この子の、妖精の血の濃さの現れなのだろう。
 ローイとキャテルニーカは、里菜とアルファードのまわりで、ぐるぐると追いかけっこをはじめた。ローイのほうが、背丈で言えばキャテルニーカの二倍近いというのに、一緒になって追いかけっこに興じる様は、まるで子供がふたりである。
「おい、ふざけてないで、ちゃんと前に進め。同じところをぐるぐる回ってちゃ、いつまでたってもイルベッザにつけないぞ。リーナ、君も、ローイのやつを調子に乗せるんじゃない」
 アルファードはあきれて溜息をついた。


 その夕方、一行は、まだ明るさが残っているうちに手頃な空き地を探して、焚火の用意をした。
 焚火をすることで山賊に居場所を教えてしまう危険はあるが、そうでなくても、どうせ街道は一本道だ。火を焚かないくらいで隠れられるわけもない。それよりも、寒さと獣を遠ざけておくほうが優先だ。
 空き地といっても、そこは、これまで数多くの旅人たちに繰り返し利用されてきた、公共の野営用地のようなところである。宿屋がないこの街道では、旅人はみな野宿をするので、こういう空き地が自然発生的にあちこちに整備されているのだ。旅人たちの中には、野営地に、椅子になるような倒木を持ち込むもの、石積みのかまどを作ってそのまま置いていくもの、馬を繋ぐ杭を打っていくものまでいて、ほとんどキャンプ場のようになっているところもある。
 里菜たちの選んだ空き地も、地面は平に踏み固められて乾いており、前の旅人が置いていったたきぎの残りまで見つかって、絶好の野営地だった。
 とはいえ、この辺は山賊の勢力圏だ。森の奥まで単独で狩りに入るのは危険ということで、お茶だけいれて、携帯食で食事をすませることにした。たきぎも、なるべく空き地の近くで、みんなで一緒に拾った。そうすると、たきぎ拾いも、結構楽しいものだ。キャンプみたいで、わくわくする。
 もっとも、呑気にわくわくしているのは里菜とキャテルニーカだけで、アルファードやローイは、実は相当、気を張り詰めていたのだ。幸い、ヴェズワルの山賊は、もともと本職の山賊ではないし、まとまりのない連中なので、行動が粗雑だ。計画的に場所を選んで待ち伏せしたり、全く気配を殺して周囲を取り囲んだりといった、高度なことはできないはずだ。気をつけていれば、完全な奇襲だけは避けられると、ふたりとも考えている。
 その夜は、まずアルファードが寝ずの番につくことになった。あとの者は、焚火の回りで、乾いた落葉を集めて敷いた上に横になる。
 落葉の上にマントを広げている里菜に、
「リーナちゃーん、そんなとこで寝ないで、もっとこっち来なよ! ここ、ここ。俺と一緒に寝ようぜえ!」と、自分がくるまっているマントを広げて呼んでみせたローイは、里菜に背負い袋でなぐられた。
「痛ってえ! 何もなぐることないじゃん。冗談がわからねえやつだなあ。いいよ、いいよ。ニーカちゃんと一緒に寝るから。な!」と言って、キャテルニーカのほうを見ると、彼女はもう、里菜の隣に横になっていたが、なんと、落葉の上に直接寝て、地面に頬を押しつけている。里菜が彼女に、これにくるまるようにと言って貸してやった大判の羊毛製ショールは、半分にたたんで上に掛けてあった。
「おい、ニーカ、それ、くるまれよ。地面から冷えるぞ」と注意するローイに、キャテルニーカは、もう眠そうな声で答えた。
「いいの。こうすると、地面の声が聞こえるから」
 やはり、変わり者である。
 ローイは最後にもう一回、里菜に向かって、
「リーナちゃんさあ、今度から、こういう時、黙ってなぐらないで、何か気のきいた悪態で切り返してよ。明日の夜までに、何て言うか考えときな。言っとくけど、バカとかボケとか、そういうあたりまえのこと、言っちゃだめだぞ。創意工夫が大切なんだからな」などと、わけのわからないことを言ったと思うと、里菜が返事をする間もなく、あっという間に寝息を立て始めた。あとで不寝番を交代しなければならないのだから、当然とるべき行動である。
 キャテルニーカは、里菜と間近に顔を見あわせるように向かい合って横になると、小動物のように身体を丸め、すぐにうっとりと目を閉じた。
 里菜は、心が暖まる思いで、そのあどけない寝顔を眺めていた。
 長い睫毛が黒いビロードのような頬にあえかな影を落とし、耳元から雫のように下がったシルドライトが、穏やかな呼吸のリズムで微かに揺れている。陽の光の下では明るい浅緑色に澄み渡るシルドライトは、今、焚き火の焔に照らされて、深い緑色の底に揺れ動く真紅の煌きを湛え、昼間とはまた違う妖しい存在感を放っている。
 この耳飾りについては、彼女が一行に加わった時、ローイが一度、こう言って注意をしてあった。
「おい、ニーカ、その耳飾り外しとけよ。目立つぞ、それ。この辺は山賊が出るんだぜ」
 するとキャテルニーカは、さらりと答えたのだ。
「大丈夫。悪い心を持って見る人には、これは他のものにしか見えないの」
 さすがに高価で貴重なものだけあって、随分と高度な魔法がかけてあったものだ。そんな種類の魔法があるとは、ローイもアルファードも知らなかったと言っていた。よほど由緒のある、古い品物なのだろう。
 里菜は、ふと手を伸ばして、揺れる火影を映してちらちらと赫く瞬くシルドライトを、指先でそっとつついて揺らしてみた。
 するとふいに、もう眠っていると思ったキャテルニーカが眠そうに目を開けて里菜を見て、半分夢を見ているような声でひっそりと言った。
「……魔王は、かわいそうね。お姉ちゃん、魔王を救ってあげてね……」
「え?」
 里菜が驚いて聞き直そうとすると、キャテルニーカはもう、目を閉じて寝息をたてていた。寝言だったのだろうか。
 里菜だけが、なんだか眠れない。
 野宿は今日が初めてで、焚火のおかげでそれほど寒くはないが、落葉を敷いても地面は堅いし、なんだか落ち着かないし、アルファードが起きているので申し訳ないような気もするし、なんといっても山賊が出るかもしれないのだ。
 そっと起き上がってアルファードのそばに座ろうとすると、
「リーナ、明日も歩くんだから、寝ておけ。ただでさえ、君は体力がないんだ」と、振り向きもせずに叱られて、しかたなく、また、横になった。
 ローイとキャテルニーカの寝息と、焚火の燃える音だけが聞こえる。
 黙って薄く目を開け、焚火に赤く照らされたアルファードの横顔をこっそり眺めていた里菜は、やがていつのまにか眠りに落ちた。


 どれくらい眠っただろうか。里菜はふいに誰かに身体を揺すぶられて、ぼんやりと目を開けた。
 耳元で、アルファードが、切迫した声音で鋭く囁いた。
「リーナ、起きろ。どうやら、近くに山賊が来ているらしい」
 寝惚けまなこだった里菜は、たちまちはっとして飛び起きるなり、反射的に、目の前のアルファードにしがみついた。
「やだあ! 怖い!」
 一瞬、狼狽したアルファードは、
「バ、バカ! 落ち着け」と、あわてて自分の胸から里菜を引きはがすと、すぐに元通りの、緊迫した中にも落ち着いた態度を取り繕って、諭すように言った。
「いいか、リーナ、怖がっている場合じゃない。なんとかうまく、ローイの魔法を消さないで、あっちの魔法だけを消してくれ。出来るな? 俺達みんなの命は君の働きにかかっているんだ。頼む」
「う、うん。わかった!」
「それから君は、あの子が怯えたり騒いだりしないよう、守ってやっていてくれ。それも君の役目だ」
 その言葉にはっとしてアルファードの視線を追うと、となりに寝ていたキャテルニーカが、ちょうどむっくりと起き上がったところで、目をこすりながら聞いてきた。
「……どうしたの?」
 そのいたいけな姿を目にしたとたん、里菜は急に腹が据わった。
「ニーカ、こっちおいで。山賊がいるんだって。でも、怖くない。アルファードとローイはすっごく強いし、あたしは、こう見えても本物の魔法使いなのよ。心配しないで隠れてれば、あたしたちがきっと守ってあげるから!」
 さっきは自分が怯えていたくせに急に強気で宣言した里菜は、右手で短剣を握りしめ、左手でキャテルニーカを抱き寄せて、マントでくるもうとした。アルファードは、そんなふたりを後ろにかばいながら、油断なく剣を構えて仁王立ちになった。
 ローイはすでに起き上がって、アルファードの横で弓に矢をつがえている。
「よおし、リーナちゃん、俺がいっちょ、いいとこ見せてやるからな。心配すんな、俺とアルファードがいりゃあ、山賊の十人や二十人、どうってことねえ」
 ローイは唇をなめて目を細め、周囲の木立の奥の暗がりをすかし見た。
「……いたぜ」
 呟いたローイが弓を引き絞った瞬間、里菜の腕の中から鉄砲玉のような勢いで転がり出たキャテルニーカが、
「だめ! やめて!」と叫びながら、いきなりローイの腕に飛びついた。
「ニーカ!」
 里菜とアルファードが同時に叫んだ。
 はずみで放たれた矢は狙いを外れ、近くの木に当たって地面に落ちた。
 同時に、木立の中から、ばらばらと十人あまりの黒マントの人影が飛び出してきた。
 ひとりひとりが魔法を使おうとするところをいちいち見極めていては間に合わないと思った里菜は、目を閉じて念じた。
(あいつらは全員、魔法が使えない、使えない!)
 結果を確かめるために目をあけようとした瞬間、何か爆発でも起こったように、あたりが突然、青い光の洪水に満たされた。里菜は慌ててまた目をつぶった。
 一瞬の爆発的な眩しさのあと、光は少し薄れて、そのまま消えずに安定した。
 そろそろと目を開けた里菜が見たのは、中空に浮かぶ、丸い光の球だった。それが、空き地とその周辺の一帯を昼間のように明るく照らし出している光源で、その真下に、小さな手を天に差しのべてすっくと立つキャテルニーカがいた。
 光球は、彼女が差し伸べた腕の先に浮かんでいるのだ。
 はっとする間もなく、凛とした声が響いた。
「みんな、やめて! あたしはシルドーリンのキャテルニーカ。ヴェズワルのものたち、聞きなさい。この人たちを攻撃してはいけない!」

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掲載サイト:カノープス通信
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