長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語

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 <第二章 シルドーリンの宝玉> 

(第一章<エレオドラの虹>のあらすじはこちら


(前)

*

「……ローイ!」
 叫ぶなり坂を駆け降りた里菜は、勢い余ってあやうく転びそうになり、ローイのけばけばしい紫のマントにつかまった。
「ローイ……。なんで、こんな、ところに……」
 息を切らして尋ねる里菜には応えずに、ローイは、後から降りてくるアルファードに向かって、にやりとした。
「アルファード、俺も行くぜ」
 ゆっくりと坂を降りてきたアルファードは、ローイの正面に立って、厳しい顔でぶっきらぼうに問い掛けた。
「……行くって、どこへ行くんだ」
「そりゃ、もちろんイルベッザへさ。俺も、都で働いてみることに決めたんだ。それで、どうせなら、あんたらと一緒に行ったほうが都合がいいと思ってさ。
 俺はどうせ、こんな田舎にはもうあきあきしてたんだ。麦だの羊だのじゃがいもだのには、もう、うんざりなんだよ。もちろん、カブにもさ。
 な、リーナちゃん、俺みたいな世紀の色男が、こんな田舎に埋もれて、カブだのじゃがいもだのを作って暮すなんて、もったいないと思うだろ? やっぱ、この都会的で洗練された俺には都会が似合うよ、な?」
 里菜を会話に巻き込んで話をそらそうというローイの目論見は、アルファードには全く通じなかった。アルファードは、厳しく問いつめた。
「それで、イルベッザで何をするつもりだ。ちょっとくらい顔がいいからと言って、それでどうなるものでもないだろう」
「そりゃあ、そうだけどさ。でも、俺は、ただ顔がいいだけじゃない。話もうまけりゃ歌もうまいし、腕っぷしも強くて度胸もあってすばしこい。愛想も良くて人に好かれる。その上、魔法は何でも得意だし、手先も器用で頭も回る。俺には、何だってできるんだ。こんな俺が、都でひとかどのものになれない訳があるか? この俺に、何か足りないものがあるかよ?」
 平然とうそぶくローイに、アルファードは言い放った。
「お前に足りないものがあるとしたら、ローイ、それは『考え』だ。まったくお前は、考えなしだ!」
 ローイは平気で言い返す。
「ふん、俺に言わせりゃあ、あんたにゃ、その『考え』とやらが、ありあまりすぎてるぜ。あんたはいつだって、あんまり考えすぎて、自分が本当はどうしたいのかさえ分からなくなっちまってるんだ。まあ、いいや。さ、行こうぜ。今日中にプルメールまで行くつもりなんだろ。だったら急がないと、間にあわないぞ」
「確かに俺たちはプルメールに行くつもりだが、誰もお前と一緒に行くとは言っていないぞ」
「あ、そ。なら、いいよ。俺、一人で行くから。ああ、でも、プルメールはいいが、その先はどうしようかなあ。ヴェズワルの近くを通るからなあ。いくら俺が弓の名手でも、一人じゃ、俺、山賊に殺られちまうかもなあ……。
 あんたもだぜ、アルファード。いくらあんたが強くても、山賊が前と後ろから来たら、リーナはどうするんだ? いくら防御の魔法のかかった短剣を持ってたって、短剣を抜く間もなく後ろから襲われたら、どうしようもないんじゃないか? そんな時、俺とあんたがリーナを中にして背中合せで戦えば、怖いものなしなんだがなあ。
 それに、あの辺を通るときには、夜、どうしたって寝ずの番がいるだろう。あんたのことだ、どうせリーナには黙って、一晩でも二晩でもひとりで起きてるつもりだったんだろうが、それじゃあ、いくらなんでも身がもたないぜ。寝不足でふらふらしてるとこを山賊に襲われたら、いくらあんたでも普段の力は出ないだろうなあ。まあ、あんたがどうしてもいやだってなら、しょうがない。じゃあな」
 ローイはわざとらしくきびすを返して立ち去ろうとした。その肩に、アルファードが後ろから手をかけて、しかたなさそうに引き止めた。
「おい、待て、ローイ。まだ話は終っていない。お前が村を出たことを、家族は知っているのか」
 ローイは、ひょいと振りかえって、にっと笑った。
「ん? ああ、知ってるはずだぜ。もし、今頃まだ知らなかったら、俺の兄貴はよっぽどのウスラボケだ。あれだけ目立つところに置き手紙してきたんだからな。俺、あんたらの見送りのどさくさに紛れて、家に置き手紙して、東側から村を出て、ぐるっと回り道してきたんだ。それで先回りしてここにいたら、あんたら、なかなか来ないんだもんなあ。世話役の演説が長かったのかぁ?」
 里菜は仰天して口を挟んだ。
「置き手紙って、ローイ、それって家出じゃない!」
「おい、リーナちゃん、やめてくれよ。家出なんてい言うと、ガキみたいじゃんか。俺のような一人前の大人が家を出るのは、家出とは言わないの。だいたい、俺が黙って家を出てきたのは、あれこれ言われるのが面倒だっただけで、俺がどうしても村を出るっていやあ、兄貴は、最初はごたごた引き止めただろうが、結局最後には許してくれたと思うぜ。兄貴も姉貴も俺には甘いし、俺はあの家では余計者だし、俺が言い出したら聞かないのは兄貴もよく知ってるからな」
 アルファードがため息混じりに同意した。
「ああ、まったくだ。たしかに、お前は言い出したら聞かないやつだ。……で、どうしても行くつもりなんだな」
「ああ」
「ヴィーレは、どうするんだ」
 それまで飄々とした態度を崩さなかったローイが、さっと気色ばんだ。
「……あんたにそれを言われる筋あいはねえぞ! だいたい、俺とヴィーレは、もうとっくに婚約解消してるんだ。何の関係もねえんだよ。もしあんたが、このことについてもう一回俺と話し会おうという気があるんなら、今ここでじゃなく、今度、ふたりだけで話そうや。とにかく俺は行くぜ。あんたが一緒に行かないなら、一人ででも都に行く」
 そしてまたきびすを返して歩き出そうとする背後に、アルファードが憮然と声をかけた。
「……お前、道中の食料は持ってきたのか」
 ローイは、また嬉しそうに振り向いて、背中にしょった弓と矢筒を指し示した。
「これ、これ。これ、見えない? これで、俺、鳥でも兎でも捕るからさ。乾燥の香草と塩も持ってきたから、うまいスープができるぞ。焚火で焼いてもいいしさ。俺がいれば、火にも水にも困らないんだし、鍋も、ほら……」と、ローイは、道端に置いてあった荷物をひょいと担ぎ上げた。木の枝の先に、鍋がひとつ、くくりつけてある。その中に、荷物の包みが入れてあるらしい。
「あとは、あんたらが、堅パンや焼き菓子を山ほど持ってるだろ。三人どころか四人いてもイルベッザまで持つくらいあるって、俺、知ってるぜ。な、リーナちゃん、堅パンも兎のスープにひたして食べると、ぐんとおいしく食えるぞ。アルファードのことだから、道中ずっと堅パンと干し肉とチーズで済ますつもりだったんだろうが、どうせなら、うまいもん食おうぜ」
「それじゃあ、お前は、パンや干し肉は全然持ってこなかったのか?」
「少しは持ってきたよ。一日分くらいはさ。……だって、姉貴に、堅パンを沢山焼いてくれなんて言ったら、あやしまれるに決まってるし、パン屋で買っても、ぜったい姉貴に言いつけられちまうしさ」
「あきれたやつだ。それで、もし俺たちと合流できなかったら、どうするつもりだったんだ」
「プルメールで買うさ。金は持ってきたもん」
「じゃあ、プルメールで、堅パンを買え。たしかに俺たちはパンを沢山もらってきたが、お前は、そんなに痩せてるくせに人の二倍は飯を食うし、いざと言うときのために、保存食は余分に持っておくべきだ。兎なんか、捕れるかどうか、わからないじゃないか。毎日毎日、悠長に狩りをしているヒマがあるとは限らないんだぞ」
「大丈夫さ、兎なら、まかしといてくれよ。まあ、見てなって。そんなに時間はとらせねえから。まあ、あんたが買えと言うんなら、パンも買うけどよ。あんたは、心配症だからな。でも、それじゃ、これで決りだな。俺たちは、旅の道連れってわけだ! そうと決まったら、楽しくやろうぜ!」
「……しょうのないやつだ」
 溜息をついたアルファードは、ローイがさっさと歩きだそうとするのを止めて、唐突な提案をした。
「ローイ。わかった、一緒に行こう。そのかわり、一つ、条件がある。イルベッザについたら、俺たちと一緒に軍に入らないか?」
「へ? 軍に? ああ、いいぜ。そういう仕事は俺の趣味じゃないが、まあ、向こうについてすぐは仕事も住みかもないから、とりあえず飯とベッドにありついておいて、あとからゆっくり他の仕事を探すのも悪くないさ。そのかわり、他にいい仕事があったら、俺はすぐに軍をやめるぜ。それでもよければ、一緒に入ってやるよ」
「そんな、お前の考えているような『いい仕事』など、あるものか。どうせ甘いことを考えているんだろうからな。都は今、北部から出稼ぎに来て帰れなくなった者たちや、避難民であふれかえっているそうだ。軍以外の仕事は、なかなか見つからないと思うぞ」
「そんなの、探してみなけりゃわからないじゃないか。力馬鹿のあんたにゃ軍しかないかも知れないが、俺のような器用な人間には、何かしら道が開けるもんさ。さ、行こうぜ。プルメールにつくまえに日が暮れちまったら、コトだ。あの辺じゃ、まだ雪があるから、野宿はきついぞ」
 そう言ってさっさと歩き出したローイの後ろで、里菜はアルファードのマントをひっぱりながら小声で言った。
「ねえ、アルファード、いいの? ローイは家出人でしょ」
「ああ、よくはないが、しかたがない。ここまで来ておいて、俺に説得されて帰るようなやつじゃない。あいつはけっこう頑固だから、こうなったら意地になって、ほんとうに一人ででもイルベッザに行ってしまうだろう。そうしたら、たしかに道中が危険だし、俺たちにとっても人数が多いほうが心強いのも本当なんだ。
 それに、あいつを一人で都に放りだしたら、絶対にロクなことをしない。俺が一緒に連れていかなかったばっかりに、やつが途中で野たれ死にしたり、都で道を踏み外して何か厄介なことになってしまったりしたら、そのほうがよっぽど、やつの兄さんに対して申し訳ない。それくらいだったら、俺の目の届くところに置いたほうがいい。なに、ローイは絶対、そのうちに都にあきて村へ帰る。やつは、どうしたって、根っからあの村の人間なんだ」


 こうして、三人の旅が始まった。
 古いエレオドラ街道は、イルゼール村と首都イルベッザを結んで、この国の南の端を東西に横切っている。イルベッザから北部のカザベルに至るカザベル街道と並んで、この国の二大街道と呼ばれる、古代からの動脈である。
 エレオドラ地方は、今でこそ都の人間からは草深い田舎と思われ、実際まあ、そのとおりなのだが、もともとは、女神の聖地としてこの国で最も古くから開け、独自の文化を誇っていた豊かな地方だ。神々の物語がまだ人の心に生きていた遠い時代には、この街道を多くの巡礼が行き交かったものだ。
 また、往時の都人にとって、太古の大森林に隔てられて現実的な交流は少ないものの時々古い街道の向こうから<魔法使い>を送ってよこす古代の聖地エレオドラは、何か浮世離れしたおとぎの国のように思われ、都会の知識人たちのあいだで復古主義や田園趣味が流行する度に、神秘的な古い文化が息づく実り豊かな素朴な田園ユートピア、世界の果ての聖なる山々の懐深く抱かれて俗世の汚れを知らぬ夢の桃源郷として美化され、脚光を浴びたりもしていたのだ。
 むろん、当の村人たちには、自分たちの村が都の詩人たちによって『光り溢れる緑のエレオドラ、麦の穂の金に輝く永遠の国よ』だの、『死ぬ時は鳥になって飛んでいってそこで死にたい』などとセンチメンタルな詩に謳い上げられいることなど、知ったことではなかったのだが。
 <魔法使い>が都に現れる時は必ず遠いエレオドラからこの街道を通ってやってくるというので、この道が、都人たちから、憧れを込めて<魔法使いの道>とも呼ばれていた時代もある。
 しかし、近年では、北のカザベル街道が、ほぼ全長に渡っていくつもの大都市を点在させ、ひっきりなしに行き来する荷車や旅人で賑っているのに対して、南のエレオドラ街道は通る人も少なく、昔日の面影もなくさびれつつあった。
 ひとことで南部と言っても、南東のエレオドラ地方と南西のイルベッザの間は、開墾を阻む深い森に隔てられ、互いの交流は少ない。この地方は古都プルメールを中心とする独自の小さな経済圏を確立して、イルベッザとはほとんど無関係につつましい繁栄を享受していたのだ。
 もちろん、イルベッザとの間に物流がなかったわけではないが、街道沿いのヴェズワルの森に住み着いた山賊のせいで、それも今はかなり間遠になり、危険を承知の少数の勇敢な商人たちが護衛の私兵を何人も雇って穀物や羊毛製品の買い付けに訪れることが、ほんのときたまあるだけになっている。
 しかし、そのことは、もともと豊かなこの地方に、さほどの痛手を与えなかった。むしろ、この外界との遮断こそが、この土地の自給自足の豊かさと平和をひっそりと守り続ける役割を果たしていたのだ。

 街道とほぼ並行して流れるエレオドラ川は、しばらくすると、イルシエル山脈から流れ出るリル川と合流し、シエロ川と名を変えて、やがてイルベッザを抜けて海に注ぐ。
 一行の最初の宿泊地である、エレオドラ地方最大の都市プルメールは、その、エレオドラ川とリル川の合流地点にある。古びた防壁で囲われた町には、連日、市が立ち、近隣の村から訪れる人々で賑っている。
 その先は、いよいよ、山賊の根城ヴェズワルだ。古い石畳の街道は、天然の国境をなして峨峨とそびえ立つイルシエル山脈を左手に見ながら、シエロ川とつかず離れず寄り添って、ヴェズワルの古く深い森の中を抜けていく。
 ヴェズワルの危険地帯を抜けても、その先はもう、イルベッザ近郊まで、街道沿いにこれといった町もなく、宿屋もないので、ずっと野宿をすることになる。
 この街道には、かつて多くの巡礼たちが行き来したころでさえ、宿屋はほとんどなかったのだ。
 女神の巡礼たちにとって、聖地での礼拝だけでなく、夜空を屋根とし大地を寝床として母なる自然の腕の中で眠る道中そのものが、女神への帰衣を表現する、巡礼の大切な要素だったのである。
 ヴェズワルを過ぎればもう平地で、雪が積もっていないので、野宿もそれほどつらくないはずだ。冬眠していない動物や、食用になる野草もあるから、ローイの弓や鍋が役にたつこともあるだろう。イルゼール村は高原なので寒いが、もともと、この国の南部はかなり温暖であり、平地では冬でも森は常緑樹の緑に覆われ、川も泉も滅多に凍らないのだ。
 この全行程を、アルファードは、里菜の足に合せて十日と踏んでいたのだが、もしかするともっとかかるかもしれないと危ぶみ始めている。

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掲載サイト:カノープス通信
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