長編連載ファンタジー
イルファーラン物語
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14(前半) アルファードの言葉どおり、その夜は、その年初めての本格的な雪になった。夕刻、ふたりが家に帰りついたころにはすでに地面をうっすらと白く染め始めていた雪は、それからますます激しさを増して降りしきり、闇が地上を覆い尽くす頃には、あたりはすっかり雪景色に変わっていた。 暗い夜空から音もなく舞い落ちる雪が、ほの白く、すべてを埋めていく。裏庭に残る女の血の跡も、今は雪の下だ。 暖炉の燃える部屋の中で、里菜は、さっきから、窓にへばりついて、水滴を手で拭っては、窓から漏れる淡い光の中を通りすぎていく雪を見ていた。 雪は、あとからあとから降りしきり、いっこうに小止みになる気配もない。この分では明日の朝までに、かなり積もることだろう。この村では、この程度の雪は、珍しくもないという――なにしろ、冬の間中、雪に埋もれているのだ――が、東京でなら、何年かに一度の大雪といったところだ。 香草のお茶を前にテーブルに座っているアルファードが、里菜に声をかけた。 「リーナ、そんなに雪が珍しいか」 「うん。あたしの住んでたとこじゃ、めったに降らなかったの。ね、アルファード、あした、雪合戦しよ!」 「えっ……。いや、俺は……。子供たちを誘ってするといい」 「だって、子供が相手じゃ、思い切りぶつけられない」 「それなら、ローイを誘えばいい。あいつならきっと、大喜びで、子供と混ざって雪合戦をするだろう」 「いや。あたしは、アルファードとしたいの!」 アルファードは、困った顔で黙ってお茶を飲んでから、もう雪合戦の話は勝手に打ち切って、こう言った。 「それはともかく、もう遅い。そろそろ寝たほうがいい」 「うん、もうちょっと、もうちょっとだけ……」 アルファードは、しかたないな、といった表情で、また、お茶を一口飲んだ。 別に特にお茶が飲みたいわけではないのだが、間が持たなくて、他にすることもないので、とりあえずお茶を飲んで時間稼ぎをしてみたという風情だ。 普段ならもう寝ている時間なのだが、今夜、里菜はこうして、夕食のあと、雪にかこつけていつまでも居間でぐずぐずしている。 実は、里菜は一人で寝室に行くのが怖いのだ。なにしろ、昼間、あんなことがあった後だ。 それで、なんだかんだと言い訳をつけて寝室に行くのを引きのばしているのだが、いくらなんでも、そろそろ寝る時間だ。アルファードだって、普段ならもう寝ている時間なのだから、里菜が彼の寝室でもある居間から出ていかないせいで、いつまでも寝られなくて迷惑しているだろう。 里菜は、溜息をつきながら、窓から離れようとした。 その時、ふいに、里菜は目を見開いて、もう一度窓を覗き込んだ。 窓の外に、揺れる灯りを見たような気がしたのだ。 確かに、それは、灯火だった。たぶん、角灯の明りだ。 降りしきる雪の中、窓の明りを横切って、角灯を手にした三つの黒い人影が静かに家に向かって来る。半透明の窓板が、ゆっくりと近づいてくる黒い行列を不規則に歪ませ、揺らめかせ、二重三重に滲ませている。 もちろん顔は見えなかったし、服装もはっきりとはわからなかったが、これが村の誰かなんかであるはずがないと、里菜は直感した。 それほど、それは、幻想的な、非日常的な光景だった。 きっと、雪と闇と灯が、すべてをそんなふうに見せるのだろう。その、音のない行列は、まるで黄泉からの使いを思わせた。 「アルファード! 誰か、来る……」 里菜の声にアルファードが素早く立ち上り、里菜の腕を掴んで部屋の奥に引っぱり込んだ。そうしておいて、自分は、滑るように窓辺に寄った。 窓の外を一瞥するなり、彼は、里菜の背中を押して囁いた。 「リーナ、向こうの部屋に隠れろ!」 アルファードは、戸口に駆け寄り、壁に掛けてある剣を取って、内開きのドアの脇に立った。 すぐに、コツコツと、ドアを叩く音がした。 「誰だ」 アルファードは剣を抜いて構えながら、短く誰何した。 ドアの向こうで、穏やかな、年経た声が、それに応えた。 「私どもは、タナティエル教団のもの。シルドーリンから参りました」 「シルドーリンだと? ヴェズワルじゃないのか」 「はい。最高導師ギルデジードからの使いです。あなたがたに危害を加えるつもりはございません。武器も持っておりません。お話ししたいことがあって参りました。どうか入れてくださいませ」 「タナティエル教団になど、用はない。帰れ」 「話を聞いていただけるまで帰りません。一晩中でも、明日、あさってまででも、ここにおります」 これにはアルファードも困った。 このあたりでは、ヴェズワルの山賊のせいで、タナティエル教団の評判は非常に悪い。ただでさえ里菜をうろんな目で見るものがいるというのに、こんな連中に家の前に居座られては、どんな噂が立つか分かったものではない。そのうえ、相手は、どうやら老人だ。家の前で凍死でもされては、かなわない。 アルファードは、細く開けたドアの隙間から、外にいるのが三人だけなのを確認し、用心深く抜き身の剣を手にしたまま、ドアを開いた。 黒衣の三人は、旅行用の長い防水マントを背中に払い除け、両手を広げて、武器もなく魔法を使うつもりもないことを示しながら、ドアの内側でアルファードがつきつけている剣の前を、恐れる様子もなく一人ずつ通り過ぎて部屋に入ってきた。 そのあいだ中、アルファードは、油断なく剣を構え、彼らの動きを見守っていた。 先頭に立って入ってきたのは、今、口をきいた、彼らのリーダー格らしい老人である。腰は曲がり、小枝のように痩せ細った小柄な姿だが、その動きには、どこか威厳が感じられ、フードの下の顔にも品位と知性が宿っている。教団内でかなり高い地位にあるものかもしれないと、アルファードは思った。 後に続く二人は、対象的にがっちりした体格の若い男たちだった。おそらく、高僧の護衛をかねた従者なのだろう。 三人とも、衣装はほとんど同じだが、そういえば、死の前ではみな平等というのがそもそもの基本であるこの教団では、本来、高位の導師も一般の教団員も同じものを着るのが原則のはずだ。 最後の一人が後ろ手にドアを閉めると、先頭の小柄な老人がフードを外し、静かにアルファードの前に進み出て片膝を折り、地面にうずくまるように頭を下げた。タナティエル教団独特の礼の姿勢である。黒いマントがふわりと広がり、肩に積もっていた雪が床に落ちて水に変わる。 後ろの二人も老人にならって、うっそりと跪《ひざまず》 き、三人は、 「あなたの心に平安がありますように」と、静かに唱和した。 それから老人は、跪いたまま顔を上げ、黙って油断なく目を光らせているアルファードを見上げて言った。 「私はタナティエル教団の導師、ゼルクィールと申します。このように強引にお目通り願いました無礼をお許し下さいませ。私どもはあなたがたにお会いするために、シルドーリンから遠く旅して、今夜、やっと、ここを探しあてたのでございます。どうぞ、その剣をお収め下さい。私は御覧の通り、無力な年寄りでごさいます。後ろのものは当教団の若い導師で、ここまで私の護衛をしてまいりましたが、よろしければ、話が終るまで外で待たせておきます」 「いや、いい。挨拶はいいから、用があるなら、早く用件を」 あいかわらず抜き身の剣を手にしたまま、それでも構えは解いて、アルファードはぶっきらぼうに答えた。 老人は、立ち上りながらアルファードの腕輪に目を止めると、もう一度アルファードの目をじっと覗き込んで、呟いた。 「では、あなたが、<銀のドラゴン>なのですね……」 アルファードの目の中に、一瞬、暗い炎が燃え上がった。拳が、関節が白くなるほどぎゅっと握り締められた。 アルファードは、これまでも、<ドラゴン退治のアルファード>という二つ名で呼ばれるのが、実は、あまり好きではなかった。自分の名とドラゴンを結びつけて口にされるのが、何故とも知らず不快だったのだ。今、こうして容赦なく『ドラゴン』と呼ばれて、突如身の内から、自分でも意外な程の、眩暈のするような怒りが沸き上がり、彼は一瞬、茫然とした。 「どういう意味だ」 抑えた声で鋭く問うアルファードに、小柄な老人は、ひるむ気配もなく穏やかな表情を見せて、こう言った。 「あなたが今まで、我が君の花嫁たるべき幼い女王を守護してくださったことに、私どもはみな、深く感謝いたします。あなたは、ご自分の役割を正しく果たされました」 「何のことだ。誰の話をしている」 「そちらの部屋に、娘御がおられましょう。会わせていただきたい」 「会って、どうする」 「女王はいまだ幼く、その心は半ばまどろみの中にあって、御自分が何であるかを御存知ない。それをお教え申し上げた上で、シルドーリンにお連れいたします。無論、お望みなら、女王の守護者たるあなたも、ご一緒に来ていただいてもよろしゅうございます」 「そしてシルドーリンで、リーナが生贄として殺されるところを、見ていろというのか。黄泉にいる死者の王の花嫁になるというのは、そういう意味だろう。あるいは、体のよい囚われ人として、一生、シルドーリンの洞窟の奥にでも丁重に幽閉しておく気か」 「私どもは、生贄などという野蛮な行為はいたしません。ましてや、我等の女王となるべき娘御を、どうして殺めたりなどいたしましょう」 「では、お前らは、殺すつもりもなくて刺客を差し向けるのか」 「刺客、ですと?」 「とぼけるな。昼間、黒衣の女が来た。あれはお前たちの教団のものだろう」 それを聞くと、老人はうなだれて溜息をついた。 「ああ……。間に会いませなんだか……」 それからアルファードを見上げて、急くように尋ねた。 「しかし、女王は、ご無事だったのですね」 「ああ。あいにくとな」 老人は、アルファードの返答に込められたあからさまな皮肉はまったく無視して安堵の息を吐いた。 「それならば、ようございました。その刺客は、恐らく、ヴェズワルのものでしょう。ヴェズワルのものたちは、曲解した教義に<御使い様>の御言葉をこじつけて解釈し、女王について、誤った考えを持つに至ったらしいのです。……彼らをお許し下さい。心の弱いものは、しばしば道を誤ります。ヴェズワルのものたちが、常日頃いろいろと無法な行為を働き、周辺の方々にご迷惑をおかけしていることは存じておりますが、お恥ずかしいことに、もはや我々には彼らを抑える力がないのです。力及ばず、刺客を事前に差し止められませなんだこと、無念にございます。……して、その女は?」 「死んだ。自害だ」 老人は、再び溜息をつくと、頭を垂れて静かに祈った。 「黄泉の大君よ、定めによりて死せる魂を、御許に安らわせ給え」 祈り終った老人に、アルファードは言った。 「女は、ついさっき、村の墓地に埋葬した。ねんごろに弔ってやったが、お前たちのやりかたで埋葬し直したいというのなら、遺体を掘り出して引き渡してもいいが」 「いいえ、結構でございます。死後の平安は、弔いの形式に左右されるようなものではなく、その者の心次第でございますから。道を誤った信徒に、そのように情けをかけて下さり、かたじけなく存じます」 「お前たちの内輪揉めになど興味はないが、そのとばっちりで迷惑を被るのは、二度とごめんだ。わかったら、帰れ」 「いえ、まだ話は終っておりませぬ。娘御に、会わせていただきたい」 「だめだ。帰れ」 アルファードは、威圧するように一歩進み出て、再び剣を構えた。 が、黒衣の老人は、引き下がらなかった。 「帰りませぬ。あなたには、我等と女王を隔てる権利はありませぬ」 「なぜ、リーナを女王などと言う。リーナのことを、どこで知った。彼女はただの少女にすぎない」 「女王は、まだ目覚めておられぬのです。先頃、<御使い様>の御言葉がございました。いまだ目覚めぬ幼き女王が、異世界より降臨し、南の聖地で銀のドラゴンに守られていると。そこにいらっしゃる娘御がその女王であることは、間違いないことでございます」 老人は、いきなり、奥の扉に向かって声を張り上げた。 「女王よ。お聞き下さい。……神代の終焉以来、女王の御帰還を待って、王は眠り続けておられます。眠れる王を目覚めさせ、悪夢の中から救い出すことができるのは、女王よ、あなたをおいて、ありません。我等の王に復活をもたらし、その花嫁となり、王と並んで新しき世を治めるために、あなたは、この世界に降臨なさったのです。どうか私どもと、ともにおいで下さい。……女王よ。聞こえておいでですね? どうぞ、こちらへお出まし下さいませ。ここにおられる若い方には、あなたに命令する権利はありませぬ。あなたには、我々に会うかどうかを御自分で決める権利がおありです」 バタン、とドアが開いた。 頬を紅潮させ、黒い瞳を煌めかせた里菜が、薄い胸を傲然と反らして立っていた。 その姿が、どこか、いつもより大きく見えて、アルファードは目をしばたたいた。 「女王よ……」 黒衣の三人は、再びさっと跪き、そろって深々と頭を下げた。 その頭上に、里菜はいきなり、場違いな金切り声を投げ付けた。 「何よ、何よ! 黙って聞いてれば、人のことを勝手に、誰やらの花嫁になるとか決めつけて! あたしは、いやよ! あんな、ロリコンの、人さらいの、ばか笑いの死神じじいのお嫁さんになるなんて!」 →感想掲示板 へ →『イルファーラン物語』目次ページ へ →トップぺージへ |
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掲載サイト:カノープス通信
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