長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語

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 <第一章 エレオドラの虹> 

十(後半)

 彼らの賑やかさに圧倒されていた里菜も、いつまでも一人でぽつねんとしていたわけではなかった。
 彼女は今日の出来事のもう一人の主役でもあることだし、もともと、別の世界から来た娘ということで誰もが里菜に興味を持っていたのにこれまであまり言葉を交わす機会がなかったということもあって、すぐに里菜の回りにも、若者や娘たちが入れ替わり立ち替わりやってきては、話しかけはじめたのだ。
 実をいうと、どこからともなく村にやってきて、『転校生効果』で一時期妙に若者たちの関心を集めてしまった里菜は、これまで、村の娘たちの多くから、嫉妬混じりに『ぶりっこ』『カマトト』などと言われて、あまり良い感情をもたれていなかった。
 なにしろ、初対面の印象が悪かったのだ。みんな最初は、まだ見ぬ里菜を仲間に入れてあげよう、やさしく迎えてあげようと盛り上がっていたのに、やっと引き合わされた肝心の里菜は、アルファード以外の人間は目に入っていないらしく、自分たちのほうなどろくに見ようともせず、あんなに親切に話しかけてあげたにもかかわらず、まるで、何だか妙な動物の群れに放り込まれたとでもいうような居心地悪そうな様子で、終始、助けを求めるように、アルファードの姿を目で追ってばかりいる。回りに見えない壁を張りめぐらせて、自分たちを遮断したがっているように見える。どうも、この子は、<女神のおさな子>である自分がこんな卑しい村娘などと同席するのは不本意だ、とでも思っているのではないか──。
 実は里菜は、ただ人見知りをしていただけなのだが、村の娘たちの目には、里菜は、なんだかお高く止まっているように映ってしまったのだ。
 その上、今まで誰が誘っても一切なびかず堅物で知られてきた村の英雄アルファードをあっさりと独占してしまったことも、娘たちのあいだでの里菜の不評の理由のひとつだ。 アルファードは、これまで、誰のものにもならないがゆえに、それなりにみんなのものだったのだ。それを、突然割り込んで来た他所ものの娘が、たまたまアルファードに拾われたからといって、野良猫みたいにその家に居ついて抜け駆けをするなんて、というわけだ。
 それも、アルファードと結婚してしまったとか、おおっぴらに恋人どうしになってしまったとかいうなら、それなりに祝福してあげてもいいが、ふたりの間にはどうみても『何もない』らしいのに、妹とも養女ともつかぬ中途半端な居候の彼女をアルファードが妙に大事にしているのが、どういうものか、よけいに腹立たしいのだ。
 だが、若者たちのほとんどが里菜に興味を失い、里菜のほうもどうやら、あちこちの男に色目を使う気はないと分かった今、娘たちの里菜を見る目も、だいぶ穏やかになってきた。それに、アルファードと里菜の関係も、里菜は本気でアルファードが好きなのに、アルファードのほうが、例によって妹扱いしかしてやらないらしい。それなら自分たちと立場はあまり変わらない。
 いや、一緒に住んでいながら妹扱いしかされないなどというのは、自分たち以上に絶望的に見込みのない状態かもしれない。
 そもそも、アルファードの気を引こうとしていた娘たちのほとんどは、確かに彼の強さや頼もしさ、誠実さといったものに惹かれてはいたが、それよりも結局、本当のところは、誰にもなびかないアルファードを、それゆえに一種のアイドルのようなものに祭り上げて楽しんでいただけで、たいてい、本命は別にいたのである。ただ、なびかないとなると構ってみたくなるのが彼女らの習性だったというだけのことなのだ。
 そうなると、彼女たちも別に意地が悪いわけでもないので、そろそろ、里菜を仲間に入れてあげたい、別の世界から来た珍しい娘と友達になってみたいという気運が、反感に打ち勝って高まってくる。
 そこへもってきて、今回の事件では、里菜もなかなかただの『ぶりっこ』ではない一面を見せたということで、もともと好奇心の強い娘たちのこと、いっせいに里菜を取り囲み『あちら』の世界のことをあれこれを質問し始めた。
 そこに、若者たちの一団から大声が上がった。
「おい、そういえば、今日は、ローイの歌をまだきいてないぞお!」
「そういえば、そうだ。ローイ、そろそろ、頃あいだろう。一曲やれよ!」
「おう、そろそろいくか! 酒の入り具合も、丁度だ。こうでなくちゃ声が出ねえや」というローイの声に、今までてんでに大騒ぎしていた連中が、いっせいにローイに向かってリクエストをしはじめた。
 里菜は、意外そうに、たまたま隣にいた色の白い小柄な娘に尋ねた。村の娘たちの多くは大柄で大人っぽく、里菜にとってはちょっと気後れがする存在だったが、この娘は背丈も自分とあまり変わらず、年令も同じくらいと見えるし、どうやらあまり身体が丈夫でなさそうなところにもなんとなく親しみを感じて、話しかけやすかったのだ。
「ねえ、ドリー。ローイって、歌なんか得意なんだ?」
「そうよ。あなた、知らなかった? ローイとはけっこう親しくしてたんじゃないの? あ、でも、そういえば、宴会は初めてだもんね。ローイはね、あれで結構テレ屋なとこ、あるから、お酒が入らないと歌わないのよ。すっごくうまいんだから。声もいいし。歌っているのがかかしのローイだと思わなければ、うっとりしちゃうわよ」
「へえ、そうなんだ。あたし、なんだかヘンな歌を歩きながら歌ってるのしか、聞いたことなかったから。でも、そういえば、いい声だったし、歌も、うまかったかもしんない。……でも今、ああいうヘンな歌、歌うんじゃないんでしょ?」
「ああ、あの歌ね」と、ドリーは声をたてて笑った。「ああいうのならシラフでも歌うわよ。あ、始まるわ。とにかく、聞いてて。ほんと、いいんだから」
 どこから取り出したのか、カマボコ板大の木片に弦を数本張ったような小さな単純な楽器を指で弾きながら、テーブルの端に腰掛けて、ローイが歌い出した。みんな、しんとして聞いている。
 その歌が、普段のローイのふざけたようすからは想像も出来ないような愛らしいラヴソングだったので、里菜はびっくりした。それがまた、確かにうまい。しみじみと心にしみる美しい歌声である。ローイには意外な特技が実に多いらしいのは分かっていたが、この才能はハンパじゃないかも知れないと、里菜は呆然と聞き入った。
 一曲を終えたローイは、喉を湿らすためと称して、一休みして酒をあおった。
 ドリーが里菜の肘をつついて言った。
「どう、言った通りでしょ? 宴会の中盤には、やっぱりこれがなくっちゃね」
「うん、あたし、びっくりした。あのローイが、あんなきれいな歌を歌うなんて」
「じゃあ、もっとびっくりするかも知れないけど、あの詞、ローイが作ったのよ」
「ええーっつ! うそ!」
「ほんと、ほんと。ガラじゃないでしょ? 曲はこの辺の古い民謡なんだけど、それにローイが自分で詞をつけたの」
 それは、里菜にとってますます信じられないことだった。そういえば、確かに拙い詞だったかも知れないが、それはとんでもなくロマンティックで、おセンチと言っていいほどの詞だった。あの、ガサツなローイが、まさか、である。
 二曲目は、なんだかもの悲しい放浪の歌だった。これもまた、ローイには不似合いである。
「今のも、ローイの詞?」
「そうよ。彼が歌うのは、ほとんど、そう」
「でも、ローイって、ずっとこの村に住んでるんでしょ。それに、あんなに明るい人なのに。なんで、あんな悲しい歌をつくるの? 失われた故郷がどうたら、みたいな……」
「ああ、それはね……」
 ドリーは、顔を曇らせた。
「きっと、ヴィーレのことを歌っているのよ。彼、恋の歌の時もそうだけど、あのテの歌を歌う時も、ヴィーレのほうだけは、絶対見ないもの。ヴィーレが、彼の失われた故郷なの。それに気付いてないのは、本人だけよ」
「ヴィーレ? ……何でヴィーレが出てくるの?」
「え? あら、あなた、知らなかったの? あたし、まずいこといっちゃったかしら? まさか、知らないなんて思わなかったから……。でも、これは村では誰でも知っていることなのよ。……ローイとヴィーレは、もと許婚《いいなづけ》だったの」
「え! そうだったの? あたし、ちっとも知らなかった。『もと』っていうと、今はもう、そうじゃないってこと?」
「うん、正式にはね。ずっと小さい頃からの許婚だったんだけど、何年も前に婚約解消しちゃったのよ。たぶん、何だかつまらない意地をはって、そういうことになっちゃったんじゃない? でも、今でもあの二人、本当は好き合っていると、あたしたちみんな思っているの。いつかきっと、あの二人、やっぱり結婚するわよ。ああ、ロマンチック!」
 ドリーは祈るように両手を組み合わせ、目に星を浮かべてうっとりと中空を仰いで見せた。テレビの恋愛ドラマもロマンス小説も存在しないこの村の娘たちにとって、他人のロマンスは格好の娯楽の種である。
「へえ……。そうなんだ……」
 意外な事実を知って、里菜は、初めて見るもののようにローイをまじまじと見直し、隅っこにいるヴィーレと見比べた。
(ふうん……。そうだったんだ……。たしかにローイとヴィーレって、とても仲がよさそうだとは思ってたんだけど、ただ幼馴染みだからかと思ってたわ。でも、ヴィーレって、もしかしてアルファードが好きなんじゃないのかと、ちょっと思ってたんだけど……)
 その後、ローイは、何曲か歌を歌ったが、合間合間に酒をあおるので、しまいにはロレツが回らなくなり、それでも歌いつづけようとするのを、さっきとは逆に、みんなによってたかってテーブルから引きずり降ろされ、楽器を取り上げられてしまった。
 これもいつもの展開で、みんながまだ酔っていない宴会の序盤にはローイのお話、程々に酔いが回った中盤にはローイの歌、そのあとはすっかり座が乱れて乱痴気騒ぎというのが、ここの宴会のパターンである。ローイは、宴会の段取りも得意だが、その上、多彩な特技で座を盛り上げる、宴会には欠かせない人材なのだ。
 テーブルから引きずり降ろされたローイは、しばらく、その労をねぎらわれながら酒をどんどん飲まされていたが、そのうちふらふらと里菜たちのところへやってきた。
「おお、リーナちゃん。何、そんなとこでひそひそ話してるんら? あ、そうか、俺のファンクラブに入るにはどうすればいいかって、ドリーに聞いてたんらろう! なんたって俺はスターらもんな。宴会の星らぜ! イェーイ!」
 すっかりロレツが回らないローイに、里菜は笑いながら応えた。
「ほんとね。ローイ、すっごく、歌、上手なんだ。びっくりしちゃった」
「おお、そうらぜ! 知らなかったかあ? 俺に、ますます惚れ直したろう!」
「もう、ローイってば。惚れ直せる訳ないじゃない。もともと、惚れてなんか、ないんだもん」
「あ、そ。惚れてなかったの。俺、知らなかったぜ。じゃあ、いまかられも、惚れてよ。そうそう、ファンクラブに入るには、入会料がいるんらぞ。今ならたったの、キス一回! ほら、ほっぺに、チュッ、ってさ」
 なにやら調子のいいことを言いながら里菜の前に突き出されたローイのほっぺたを、平手でバチンと張ったのは、ドリーのほうだった。
「なあに寝惚けたこと言ってるのよ、この酔っ払い! かかし男!」
「痛ってェ! 何すんら! そのうえ、村の大スター様に対してかかしとはなんら!」
 ぶつぶつ言いながら、ローイはそのまま、またふらふらと別の一団に加わりに行った。 その千鳥足に、里菜とドリーは、顔を見合わせて吹き出した。ともに小柄で色白という共通点を持つこのふたりは、どうやら気の合う友達になれそうな気配である。
 そのうち、宴会が進み、みなが酔っ払うにつれて、話題は、毎回お定まりの思い出話にたどりつく。
「でもよお、あんときは、面白かったよな! イルベッザでさ!」
「そうそう! カーデとかシゼグとかが、軍の巡回警備の連中にしょっぴかれてな。アルファードが、さんざん頭下げて、説教くらって、釈放してもらってよ」
「なんだよ、俺らのことばかり悪者にするなよ。たまたま俺らがつかまったってだけで、お前らも充分暴れて、店のもん、いろいろぶっこわしたじゃないかよ! あとでアルファードが、賞金で弁償したんだぜ。だいたい、例の野郎の腕を折ったの、お前だろうが」
「そうともさ! いやあ、あんときは、すっとしたよ! あの、町の青びょうたん野郎ども、俺達を田舎者だと思って、バカにしやがってよ!」
「いやあねえ。男って、野蛮よね! 要するに、あんたたちみんなが、悪いのよ! アルファードがどれだけ迷惑したと思ってるの?」
「ヴィヴィ、お前はいつでもうるせえんだよ! そんなことじゃ、ディードに愛想つかされるぜ!」
「なんですって! おおきなお世話よ!」
 彼らは、この、イルベッザの思い出話を、宴会のたびにあきもせず、繰りかえすのである。
 それは、アルファードが武術大会に出場したときのことで、農閑期だったこともあり、その時彼らは、なけなしの蓄えをはたいて、馬車を連ねて応援に繰り出したのだった。彼らにとって、そうでもなければ一生訪れることもなかったかもしれないイルベッザの都をアルファードのおかげで見物できたというだけで、すでにアルファードは英雄なのである。
 ところが彼らは、そのイルベッザで、町の若者たちと一悶着起こして乱闘騒ぎをやらかしたのだ。
「とにかく、もとはと言えば、あっちが悪いんだぜ! 俺達のアルファードに難癖つけやがって! なにが、どうせ八百長だろう、だよ。とんでもないいいがかりだよなあ」
「そうだ、そうだ! あいつら、どうせ、あの決勝戦の相手に賭けてたんだぜ。そうに決まってる」
「そうだよなあ。あの男、岩みたいなすごい大男だったもんなあ。あれとくらべれば、アルファードなんて、まるでほっそりして、華奢に見えたもんだ。誰だって、あっちに賭けらあな。でもアルファードは、勝ったぜ! 技の正確さが段違いだったもんな」
「そうそう。アルファードは動きにも体格にも無駄が無いんだ。都のやつら、みんな、技を見る目が無いから、見てくれに騙されたのさ。筋肉なんて、あればあるほどいいってもんじゃないのに、あいつらの目は節穴だね」
「まったくだ。まあ、そのおかげで、俺達みんな、儲けさせてもらったけどな!」
 武術大会では、賭は御法度なのだが、こっそり、というより、おおっぴらに禁を犯して賭をするものは、当然ながら跡を絶たない。むろん、彼らも賭けたわけだ。
 アルファードの決勝戦の相手は、筋肉隆々の体躯をごつい防具でさらに膨れ上がらせた、身長二メートルはゆうにありそうな大男で、普通なら持ち上げることもできないだろうというほどの幅広の大剣を丸太のような腕で軽々と振り回して見せて満場の歓声を浴びており、しかも、単なる力自慢のでくのぼうなどではないことはこれまでの試合で十分披露済み、対するアルファードは身長百八十センチ台、引き締まった無駄のない体格は普段は十二分に逞しく見えるが、相手の大男と向かい合うと、まるで軽量級の小兵《こひょう》に見える。
 その上、粗末な羊毛の普段着に、いかにも借り物らしい革の胸当てという軽装、体格に不釣合いで見映えのしない小振りの剣とくれば、それまでの試合で一見貧弱なその剣をいかに巧みに扱うかが実証されていてさえ、やはりとても勝ち目がありそうには見えなかったから、この試合でアルファードに賭けた慧眼の少数派は大儲けしている。その分、負けてくやしがっていたものも多かったのだ。
 決勝戦に上がって来るまでも、アルファードの試合はあまりに簡単に勝負がついて派手な見せ場もないあっけないものが多く、実はそれは双方の力量にそれだけ圧倒的な差があったからなのだが、その無駄な動きのない剣捌きの鮮やかさを見抜けない素人にはただ相手が弱かっただけのつまらない試合に見え、彼は単にクジ運が良くてまぐれで決勝戦まで来られたのだと思われていたから、その彼が、派手な流血戦を勝ち抜いて来た迫力満点の大男をあいかわらずの一見地味な試合展開で破るのを見て、試合直後には、酒と興奮で目が曇ったままに、賭けに負けた腹いせもあって八百長だなどと喚き出す者までいたのである。
 そういう愚か者たちも、多くは、後で頭が冷えてから、剣技を見る目のあるものたちの試合評を聞いて納得し、自分の浅薄な空騒ぎを恥じることになったのだが、その夜はまだ興奮も冷めやらず、あちこちの酒場で似たような小競り合いがあったらしい。
「それにさあ、あいつら結局、血を見たかったんだぜ。それで欲求不満だったんだ。なんたって我等がアルファードは、誰にも一滴も血を流させずに勝ったもんな。それだけ技が確かだってことだよな。それをあいつらは、自分らの野蛮な期待をアルファードが満足させてくれなかったってんで逆恨みしてたんだ」
「でもあいつら、結局望み通り、たっぷりと血を見られたわけだよな。自分の鼻血をよ!」
「鼻血だけじゃないぜ! 俺はもっと血を見せてやったぜ!」
「カーデったら、何、自慢してんのよ! だから、しょっぴかれたんじゃない! ほんとにしょうがないったら」
「なんだよ、ヴィヴィ。おまえはいちいちうるせえんだよ。このじゃじゃ馬!」
「言ったわね、なによ! あんたなんか、こうしてやるっ」
[痛てっ、何すんだよ!」
 たちまち始まった派手な掴み合いに、隣席の若者が慌てて止めに入った。
「おい、カーデ、ヴィヴィ、やめろ、やめろってば。ディード、止《と》めろよ。お前の女だろう」
「おう、そうだぜ! おい、カーデ、俺の女をじゃじゃ馬とはなんだ! よくも言ったな!」
「こら、ディード、お前までいっしょにケンカしてどうすんだよ。やめろってば」
「止《と》めるなよ、ナーク。こいつが先に俺の女を侮辱しやがったんだ。外へ出ろ! 決闘だ!」
 そこへ、それまで既にほとんど忘れられて隅の寝台で無言でゆっくりと酒を飲んでいたアルファードが、彼一流の、低いが妙に逆らいがたい声で言葉をかけた。
「おい、ケンカはよせ」
 たった一言だったが、それだけで酔っ払いたちは、夢から覚めたようにしゅんとおとなしくなった。
「まったく……」
 アルファードはつぶやいて、また、ゆっくりと酒を飲み始める。
 彼がいれば、あのときも、乱闘になどならなかったはずなのだ。だが、イルベッザ城での表彰会を早目に抜け出したアルファードが約束の酒場に駆け付けた時には、すでに数人が市中警備の部隊に連行された後で、残った連中も、すっかり酔っ払たり怪我をして動転したりしていて、ただうろたえるだけでまるで話にならず、結局アルファードが一人で事後処理に奔走するハメになったのだった。
 彼らが説教だけで釈放してもらえたのは、ひとえに、アルファードがその日の市民の話題をさらった新しいチャンピオンその人だったおかげだろう。
 連行した酔っ払いを引き取りに来た若者が例の大評判の新しいヒーローだと分かると、そこに居合わせた役人たちは仕事そっちのけで大喜びで握手を求め、形ばかりの説教のあと彼らを引き渡してくれたのだ。特に、その場の責任者だった士官が、職業軍人の確かな目でアルファードの剣の腕を見抜き、この、田舎からぽっと出の無名のダークホースに大枚を賭けて大儲けしていたのも幸いしたのかもしれない。
 この自警団は、活動中はびしっと統制がとれているのだが、ふだんは対称的に野放図な連中なのだ。地域によっては、自警団の規律が非常に厳しく、日常生活に於ても団長や先輩団員には敬語を使って絶対服従という方針を取るところにもあるが、アルファードはそういうやりかたをしないで、それでもどこよりも強い自警団を育ててきたのである。
 アルファードに一喝されて一瞬おとなしくなった酔っ払いたちは、すぐに何事もなかったように思い出話の続きを始めた。
「そいで、次の日、みんなで買い物したじゃん。やっぱ、都は、モノの量も種類も、プルメールあたりとは大違いだよな」
「そうそう! あたし、あのとき買ったリボン、宝物にしてとってあって、もったいなくてまだ一度しかつけてないのよ」
「あたしは、あのとき買ったレースを、結婚式のベールにするって決めてるの!」
「でもさ、ローイが買ったマントは、すごかったよなあ」
「ああ、あの、ド紫のやつ! よくあんな悪趣味なもの見つけたよな。信じらんねえ!」
「おい、今、誰か、俺のマントにケチをつけなかったか? 聞こえたぞ!」
 別の一団にいたローイが、振り向いて大声をあげる。
「ああ、ケチをつけたとも。あんなもの着て、よく恥ずかしくねえなあ」
「ああ、嘆かわしい! お前らみたいなダサイ田舎者には、俺の都会的なセンスは理解出来ないんだな。ああいうシャレたもんは、このへんじゃちょっと手に入らないぜ」
「都会的ったって、俺は都でも、あんなマントを着ているやつは一人も見なかったぜ」
「そういう、誰も着ていないようなものを着るのが、いいんじゃないか! 俺はあれを探すのに、すごく苦労したんだ」
「やっぱり都でも、あんなものあれ一枚しか売ってなかったんだぜ、きっと。あんなの着るバカ、ローイしかいねえもん」
「そうなんだよ! この村の連中もイモばっかだが、都の連中もダメだ! この国全体がファッションにかけちゃ百年は遅れてるのさ! あと百年たってみろよ。みんなが俺みたいな格好をするようになるぜ」
「なるもんか。そうなったら、世も末だ」
「そうよ、そうよ」
 そんな思い出話には加われない里菜も、それでも楽しく話に耳を傾け、楽しい時を過ごしたのだった。
 そのうち夜が更けると、娘たちの多くは、連れ立って、あるいはそれぞれのボーイフレンドや迎えに来た父兄に伴われて、いつのまにやら帰ってしまった。残っているのはすっかり出来あがった酔っ払いばかりとなった。
 ずっと娘たちの群れの中にいてアルファードのそばに行きそびれていた里菜が、やっと彼の隣にたどり着いて並んで腰を降ろすと、里菜よりさきにアルファードがいきなり話を切り出した。
「リーナ、俺は君に、謝らなくてはならない。俺は君のことを、バカと言ってしまった」
「え? ……そういえばそんなこと言ったかしら。でもしかたないわ、あたし、バカなことしたんだもん。バカっていわれて当然だから。それにアルファード、もう、あの時すぐに、すまなかったって言ってくれたじゃない」
「いや、それは二度目のことだろう。俺は、そのまえ、まだ君がなにもバカなことをしないうちに、バカといってしまったんだ」
「え? いつ?」
「最初にドラゴンが飛んできた時。俺は君に、『バカ、早く逃げろ』と……」
「……そんなこと、言った? そういえば、そんな気もするけど……。でもそれは、あたしがあんな非常事態にぼやぼやしてたんだから、しょうがないわ」
(アルファード、そんなとっさの一言を、ずっと気にしてたのね。あたしのほうは全然覚えてもいなかったのに)と、里菜はそのあまりの律儀さに半ば呆れた。
 アルファードは、大真面目にこう言った。
「いや、君は、訓練された自警団員ではないのだから、即座に指示に従えなかったからと言って、君を責めるのは間違っている。それに、いくら非常事態でも、何を言ってもいいわけじゃない。すまなかった」
「アルファード、謝るのはあたしよ。本当に、ごめんなさい。それから、ありがとう。あたしを、守ってくれて。あたし、あたし……」
 そこへ、いきなり大声を張り上げて、すっかり酔っ払ったローイが、酒の壷を片手に、割り込んできた。
「おーい、仲直り、したかあ?」
 アルファードはむっつりと答えた。
「俺とリーナは、別に仲違いなどしていない」
「何言ってんら! 俺がリーナちゃんに言ってやったんらぞ、アルファードにキスのひとつもしてやれって。してもらったか? アルファード、俺に感謝しろ!」
 ローイはすっかり、目が据わっている。
「なあ、リーナちゃん、こんな朴念仁野郎、かまったって無駄らぜ。俺に乗り換えないかあ?」
 そう言いながら、ローイが、いきなり里菜の肩に手を回したので、彼の馴々しさに悪気がないことはよく分かっているつもりの里菜も、つい、反射的に、身を固くした。ローイは、実は少々酒癖が悪いらしい。
 この手の酔っ払いには逆らわないほうがよさそうだと見て取った里菜は、身を固くしたまま、気を取り直して適当に答えた。
「う、うん、考えとく……」
「考えとくとは、なんらぁ! 酔っ払いらと思って、適当にあしらってるな! ああ、俺は酔っ払いらよ! ろうせ、今のこと、あしたは覚えてないらろうと思ってるんらな。その通りさ! 俺は忘れるよ! れも、俺は、自分が酔っ払いらってこと、ちゃんと分かってるんらぜ! て、いうことは、まらまら、酔っ払いじゃないんらぁ!」
「おい、ローイ、いいから、その手を放せ。リーナがいやがってるぞ」
「なんらよ、アルファード、あんたにそんなこと言う権利あるのかよ。リーナはあんたの持ち物か? リーナは、いやがってなんか、いるもんか。なあ、リーナちゃん? 俺のこと、キライじゃないよな!」
「う、うん、キライじゃないけど、でも……」
 どうしてよいかわからずに困っている里菜から、アルファードが、ローイを、力づくでひっぺがした。
「リーナ、こいつを相手にするな。こいつは酒を飲むとしつこく絡むんだ。これさえなければ、いいやつなんだが……」
「ああ、ああ、俺はいいやつれすよ! らから、酒飲んらときは、いいやつ、やめるの! れなきゃやってられんらろ!」
「おい、何言ってるんだか、さっぱりわからないぞ。いいから、あっち行け。もう、酒もそのくらいにしとけ。酒に呑まれると、ロクなことはないぞ」
「あっち行けとは、なんらあ! 俺ぁ、あんたの飼い犬じゃねえ。行けと言われて、おとなしく行くもんかぁ! あんたも、そんな一人れ真面目くさってないれ、もっと飲め。人生、もっと楽しまなくちゃあ。いつらって、一人らけ、シラフみたいな面してよ。俺あ、一度れいいからあんたが酔っ払って正体なくすとこ、見たいぞ。ほら、飲め! 固いこと言わずによお」
 ローイは、アルファードにしつこく酒を勧め始め、アルファードはしかたなさそうに、一杯だけ杯を受けて飲み干した。
(そういえば、アルファードって、全然酔ってないみたい。結構飲んでるみたいなのに、もしかしてすごく強いのかしら。それとも、ずっと、飲んでるフリしてたのかしら)
 里菜はあらためて、赤くもなっていないアルファードの顔を見た。そういえば、里菜はいままで、アルファードが少しでもお酒を飲むところを見たことがない。
「なあ、アルファード、あんた、なんれ、いつもそんなにマトモれいるんらぁ? たまにはハメをはずせよ! な? な? 俺ぁ、今日こそ、あんたが酔い潰れるとこ見ないれは帰らないぞぉ」
「ムダだ。俺は、絶対、酒で自分を失ったりはしない。そんなふうに、好き好んで正体をなくすやつらの気がしれない。自分が何をしでかすか、お前は怖くないのか?」
「ああ? 俺ぁ裏表のない人間らから、酔っ払ったって、なんにもわりいことなんか、しねえもん」
「なにが、悪いことしない、だ。何もしなくても、酔っ払ったお前は、それだけで充分、迷惑だ」
「そうかあ? そりゃあ、ごめんなあ」
 と、言いながら、ローイはアルファードのそばを離れず、しつこく絡み続ける。
 アルファードの迷惑顔を見ながら、里菜はクスっと笑って口を挟んだ。
「アルファードは、裏表のある人間なの? それとも、酒癖、悪いの? 泣くとか怒るとか説教するとか、服脱ぐとか暴れるとか?」
 いきなり追求されたアルファードは一瞬言葉に詰まってから、もごもごと答えた。
「いや、そう聞かれても、困るが……。俺は本当に、正気をなくすほど飲んだことがないから」
「お酒、強いの? ずっと飲んでるのに、ちっとも酔っ払ってないのね」
「ああ、実は、そんなに飲んでないんだ」
「へえ、やっぱり、そうなんだ。宴会とか、嫌いなの?」
「そんなことも、ないが……」
 そこへまた、すっかり目の据わったローイが、乗り出すように言った。
「な、な、リーナちゃんも、アルファードが酔っ払うとこ、見たいらろ? 俺あ、ゼヒ見たい! 飲め! さあ、飲め! 俺の酒が、飲めないっていうのかあ!」
 アルファードは頭を抱えた。
 中央のテーブルでは、最後まで残った数人の酔っ払っいたちが猥談で盛り上がり始めている。男ばかりの中に、お転婆娘のヴィヴィと、さっきまでアルファードに抱きついていたユーサが加わって、ひときわ過激な発言を飛ばして大受けしており、その会話が、声が高いために丸聞こえだ。しかも、そのうちに、本人がそばに居るのもお構いなしにアルファードをネタにして何やらとんでもないことを言いたい放題、里菜の耳には絶対入って欲しくないような露骨な冗談が飛び交い始めた。
 アルファードはますます頭を抱えて、ちらりと里菜に目をやり、たまりかねたように酔っ払い集団に声をかけた。
「お前ら、もう帰れ。今日はここまでだ」
 だが、こんどは鶴の一声とはいかなかった。
「やだ! 宴会のお開きは、副団長の権限だ! 副団長が終りと言うまで、帰らねえ」
 その、副団長は、アルファードの寝台の上にあぐらをかき、抱え込んだ壺からじかに酒を飲んでいて、もうすっかり正体がない。
「いいから、帰れ。ここは、俺の家だ」
 さすがに語調を強めたアルファードを見て、酔っ払いはますます騒ぎだした。
「あ、たいへんだ、アルファードが怒るぞお!」
「怒るもんか。アルファードは人間出来てるもん」
「そうだよな、アルファードは、最近、絶対怒らないよな。俺、アルファードが怒るとこ最後に見たの、八年前だよ。忘れもしないよ。俺、あんとき殴られたもん」
「あ、それ、俺も覚えてる。そういえばたしかに、あれが最後だよな。あんとき、お前、なんでアルファードを怒らせたんだったっけ」
「それが、いまだにわかんないんだよな。なあ、アルファード、あんた、覚えてるか? 俺が十三かなんかのときだよ。俺、あんたと喧嘩して、殴られたの」
「いや、忘れた。だが、それは悪いことをした。すまなかった」
 子供時代の話だというのに、アルファードはいきなり、大真面目に頭を下げた。
「いや、いいんだよ、別にいまさら謝って貰おうと思って言ったんじゃないんだ。まあほら、子供の喧嘩だし、あんときだって、あんた、後ですぐ俺に謝ってくれたしよ。ただ、俺の、どの言葉が、あんときあんたを怒らせたのか、覚えてたら聞こうと思ったのさ。だって、ほんと、いきなりだったもん。『俺が魔法を使えないからって、バカにしたな!』とか、急にわめきだしてよ。俺、ちっともそんなこと言った覚えないのに……」
「それは、ほんとうに悪いことをした。きっと俺の勘違いだったんだろう」
 それを聞いていたほかの若者も、最近すっかり忘れていたアルファードの少年時代のことを思い出して、がやがや言い出した。
「そういえば、アルファード、昔は結構危ないやつだったよな。たしかに、なんでもないことで、魔法を使えないからバカにされたって言って急に怒り出したりしてよ。俺もそういえば、怒らせたことあったよ。それが今じゃ、村で一番温厚な男だもんな」
 それは里菜が初めて聞く、アルファードの過去の一面だった。
「へえ、アルファードって、子供のころは怒りっぽかったんだ……」
 里菜の言葉に、アルファードはきまり悪そうにぼそぼそと答えた。
「怒りっぽいというか、確かに、少々、カッとなりやすかったのかも知れないな……。もう、自分でも、そんなこと忘れかけていたんだが……」
「ふうん。ねえ、もしかして、それであんまりお酒飲まないの? 自分がカッとするタチなのを知っているから?」
「ああ、自分でも気付かなかったが、あんがいそうなのかも知れない」と、里菜の追求の厳しさに多少閉口しながら答えたアルファードは、これ以上旗色が悪くならないうちに寝てしまうことに決めた。
 どのみち、酔っ払いたちの猥談がこれからますますエスカレートし始めるのは目に見えているとあって、そのまえに里菜を隣室に追い払っておこうと思っていたところだったのだ。
「リーナ。もう遅い。君は、そろそろ寝ろ。あいつらは、まだ当分飲むつもりらしい。勝手にさせておこう。俺も、寝る。おやすみ」
 アルファードは、無駄と知りつつ、酔っ払いたちにも、今いちど声をかけた。
「おい、俺は、寝るぞ。お前らも、早く帰れ。ディード、お前はヴィヴィを責任持って家まで送るんだぞ。ローイ、そこをどけ。俺の寝台だ」
「ああ? なんらあ?」
「そこから、どけと言っているんだ」
「いやらね。俺はここれ、飲むんら!」
 業を煮やしたアルファードは、力まかせに掛け布団をひっぱってローイを床に払い落した。
 ローイの、ロレツの回らない抗議を背中に聞いて、クスクス笑いながら、里菜は寝室に引きあげたのだった。

 そうしてすっかり楽しい気分で眠りについたのに、どうして、あんな夢を見てしまったのだろう──。


 ベッドの脇に置いてあった洗面器の水でのろのろと顔を洗い終えた里菜は、昨夜の陽気な笑い声をもう一度思い出しながらドアの前に立ち、取手に手をかけながら自分に言い聞かせた。
(そう、あれが、ほんとうにあったこと。あの、暗い川辺は、昼間の恐怖や緊張と宴会の興奮の名残りが見せた、ただの悪い夢……)
 一瞬のためらいの後、里菜はぱっとドアを開け――そして、そこに広がる光景に、息を飲んで呆然と立ち尽くした。

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掲載サイト:カノープス通信
http://www17.plala.or.jp/canopustusin/index.htm