長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語

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 <第一章 エレオドラの虹> 

 猛獣のように突進してきたアルファードは、里菜を押し退けるようにして、置いてあった剣をひっつかみながら、押し殺した声で言った。
「リーナ。君は、ミュシカと一緒に、羊たちを連れてあっちの木立の陰に逃げろ。あとはミュシカに羊をまかせて、薮の中に隠れているんだ。ドラゴンは、木立のあるところには降り立たない。だが、万一ドラゴンがそっちへ行って羊をさらおうとしても、君は絶対、出てくるな。俺がもういいと言うまで隠れているんだ。いいな! 行け!」
 早口ではあったが、その声は、動作の素早さとはうらはらにあくまでも冷静だった。
 アルファードに短く指示を与えられたミュシカは、瞬時に弾丸のように駆け出して羊の群れに向かった。里菜もその後を追うべきだとはわかっていたが、身体が動かなかった。
 頭上では、一旦通りすぎたドラゴンが、羊の群れを見付けたらしく、急旋回してこちらに向かっていた。鱗が、秋の陽を受けて銀に輝く。
 長い首と尾がまっすぐに伸びて、ドラゴンは、不思議な、軋むような声で、一声、高く鳴いた。
 遠い過去の彼方から、あるいは心の奥底の、古い血塗られた夢の中から聞こえてくるようなその声に、里菜の血は凍り付き、全身がそそけ立った。心が悪夢の中に引き込まれ、一切の抵抗の気力が萎えるような気がして、里菜は声もなく立ちすくんだ。
「なにしてるんだ! リーナ、逃げろ! 羊を頼む」
 アルファードは、目をひたとドラゴンに据えたまま鋭く囁いて、自分が羊を追うのに使っている鞭代わりの木の枝を里菜の手に押し込んだ。
 頬を打つかのようなその声と、掌に押しつけられた木の枝の感触で、一瞬沈み込みかけた悪夢の中からあやうく立ち戻った里菜は、はっとしてアルファードを見上げた。
「でも、アルファードは?」
「俺は、ドラゴンを引き付ける。心配するな。隠れていろ」
「でも……」
「バカ! いいから行け!」
 そう叫びざまに里菜を突き飛ばしたアルファードは、水袋を頭上に差し上げて中身を全部ぶちまけ、頭から水を被った。そして、着ていた皮の胴着を引き剥すように脱いで片手に掲げると、もう里菜のほうを向こうともせず、服や髪から水をしたたらせながらドラゴンの影を追って走り出した。
 里菜のほうは、突き飛ばされたいきおいで、ころげるように羊の群れに向かって駆け出した。
 行く手では羊たちが怯えて鳴き騒ぎ、押し合いへしあいして動きが取れなくなったり、意味もなく駆け回って群れからはみ出したりするのを、ミュシカが、なんとかきちんと一か所に集めて木立の方向に追い込もうと、稲妻のようにめまぐるしく駆け回っている。
 ちらりと後ろを振り返ると、アルファードが右手に抜き身の剣を構え、左手で盾のように胴着をかざして、頭上のドラゴンを挑発しているのが見えた。
(アルファード!)
 里菜の足は、また、すくんで動かなくなりそうになった。が、アルファードに羊たちを託されたのだという責任感が、駆け戻りそうになる里菜の気持ちをなんとか抑えた。里菜は、託された責任の象徴である木の枝をぐっと握り締め、羊の群れを追って木立に駆け込んだ。


 アルファードは、前髪からしたたり落ちる水滴を払うこともなく剣を構え、急降下してくるドラゴンを、冷静な目で見据えていた。
(なんとか、こちらに引き付けることが出来そうだ。すでに羊を目にしている飢えたドラゴンを、追い払うことはまず出来ないだろう。俺が、倒すしかない。盾も防具もないが、しかたがない。せめて、今、被った水が、いくばくかの役に立つといいが。水が乾くまえに、素早くカタをつけなければならないな)
 ドラゴンは、アルファードの目の前に、激しい突風と土煙を起こしてドスンと降り立った。銀の翼が、バサリと一回、地を打って止まる。
 アルファードは、まっすぐにドラゴンと対峙していた。
 ドラゴンの、伸ばした首の先の頭は、見上げるような高さにあったが、これは、そう大きなドラゴンではない。これくらいのものなら、彼はもう何頭も退治している。
 ただし、その時は、ひとりではなく、息のあった自警団の連中が一緒だったのだが。
 ドラゴンは威嚇するように翼を広げ、ふたたびあの、錆びた機械の軋むような、奇妙に心を波立たせる不快な声をあげた。そして、ゆっくりと下げた首をかすかにひねって、トカゲに似た顔を横を向け、瞳孔の縦に細い、感情のない金色の眼の片方にアルファードの姿を映し出した。
 アルファードは剣を構えて、慎重に間合いを取った。
 ドラゴンは、ふいに、アルファードの存在を忘れたかのように首を上げ、空を仰いだ。だが、アルファードは、それが攻撃の準備であることを知っていた。
 ドラゴンが、はるか上から長い首を振り下ろし、真下にいるアルファードに向かって、炎を吐いた!
 けれど、その瞬間、アルファードの姿はドラゴンの前から消えていた。
 水を吸った皮の胴着を盾代わりに掲げて炎を避けながら、後方へではなく、まっすぐにドラゴンに向かって跳躍し、迫り来る首の下をかい潜って、その身体の横に回り込んだのだ。
 剣が一閃して、黒ずんだ銀の翼を切り裂く。
 と、思うと、もうアルファードは、ドラゴンの巨体から、獣のようなしなやかさで飛びすさって離れていた。
 怒りに狂ったドラゴンの首が、ヘビのようにくねりながら敵の姿を探る。
 不思議な金の瞳がアルファードの姿を捕らえ、ドラゴンは、敵に向かって突進した。
 アルファードはドラゴンの首をかわして胸元に飛び込もうとしたが、まだ弱っていないドラゴンの動きは素早かった。ドラゴンの前足に薙ぎ払われ、アルファードは地面に叩き付けられた。
 そのまま踏み付けてこようとする足をよけて、アルファードは地面を転がり、ドラゴンの身体の下から逃れ出る。ドラゴンの爪がかすった腕から、つっと血が流れた。
 拭う間もなく、彼はドラゴンに打ちかかる。
 ドラゴンの首や爪による攻撃をかい潜って目まぐるしく飛び回りながら、彼は、その身体のあちこちの鱗の合せ目を正確に剣で貫いてはすぐに飛びすさることを繰り返し、また、その横腹や、下げた首などに、幾度か力まかせに剣の平を打ち降ろした。剣は弾かれ、腕がしびれる。しかし、鱗の下で、柔らかい肉が砕け、骨がきしむ手ごたえがある。固い鱗につつまれたドラゴンに、打撲は致命傷とはならないが、強い力で繰り返せば徐々にダメージが大きくなるのだ。
 が、この攻撃は、大きな危険を伴っている。剣にかかる負担が大き過ぎるのだ。
 彼の剣は、戦乱の時代に重装の騎兵たちが鎧の上から相手を叩いてダメージを与える目的で使っていたような重さのある剣ではなく、農民出身の軽装の歩兵たちに支給されることが多かった、生身の相手を切るための白兵戦用の剣の流れを汲むものである。戦後、農民兵たちの帰郷に伴って各地に普及したそうした型の剣とそれに適した剣術が、現在スポーツとして行われている剣術の原型になったから、現代の剣術では、そうした比較的軽い剣の使用こそが正統であり、主流であり、そして彼はまさにその現代剣術をあくまで基本通りに正しく極めつくした、まさに正統的なチャンピオンなのだ。
 今でも、ある程度の上級者になると、より自分に合った剣をと模索した結果、あえて他人と違う形状の剣を選び取ってみたり、力自慢のものであればことさら巨大な剣を選んでみたりして、それに適した剣法を極めようとするものもいないではないが、彼は、これまで終始一貫して、初心者が最初に使うような、ごく一般的な形で標準的なサイズの剣を使い続け、そしてそれをそのままドラゴン退治にも用いてきた。
 しかし、剣はもともと、決してドラゴン退治に適した武器ではない。
 集団でドラゴンを弱らせる時に腕力の強いものが、重さで叩き切るタイプの分厚い大剣を鈍器がわりに使うことはあっても、こんなふうに、生身の人間同士が切り合うのに使うような刃の薄い剣でドラゴンに立ち向かうものは、彼の他にはいない。そんなことができるのは、歌物語やお芝居の中の英雄たちだけのはずだった。
 それでも彼がこれまでドラゴン退治にこの使い慣れた剣を用い続けてきたのは、それが集団戦におけるとどめの一撃専用だったからである。
 仲間たちが、槍や戦斧やこん棒など、他の武器で弱らせたドラゴンの胸元に飛び込んで、一瞬のチャンスを捉えた渾身の一突きで素早くとどめを刺すという、彼ならではの瞬間的な速攻戦法においてこそ、この剣の手ごろなサイズや切れ味の良さという特徴を生かすことができたのだ。
 だから、普段、この剣でドラゴンに何度も切りつけるなどということは無いのである。うまくいけばただ一突き、失敗しても、せいぜい数回だ。そうでなければ、彼とても、他の、もっと頑丈な武器を選んでいただろう。こんな華奢な剣でドラゴンの固い鱗に幾度も切りつけるなど、正気の沙汰ではない。下手をすれば、途中で剣が折れる。そうなっては、そこで終わりだ。
 とはいえ、今は、気心の知れた自警団の仲間は、ここにはいない。他に選べる武器もない。それに、一人で一度に操れる武器はどのみちひとつだ。それならば、手の中にある自分の剣でできる範囲で戦うしかない。
 ドラゴンの巨体に比べるとあまりにちっぽけな愛剣と、あとは自分の素早さだけを武器に、アルファードは、ドラゴンの周囲を跳び回って、素早い一突きを繰り出し続ける。
 傷ついたドラゴンは、我を忘れて、やみくもに暴れ出した。
 その、くすんだ銀色の身体は、あちこちが黒っぽい血でまだらに染まっている。
 アルファードのほうも、無傷ではない。
 ドラゴンの尾に跳ね飛ばされ、翼に打たれて、シャツは裂け、あちこちに浅い傷を負っている。
 だが、彼の眼は、相変わらず冷静にドラゴンの動きを読もうとしていた。
 本物のドラゴンを見たことのない都人《みやこびと》などは、ドラゴンは終始ぼうぼうと火を吹いているものだと思っているようだが、実際には、そんなことはない。一度火を吐いたら次までにはしばらく間が開くし、また、火を吐くにはそれなりの準備動作が必要で、注意深く動きを追っていれば、必ずその前兆が見てとれるのだ。
 何度目かに炎を吐こうとしたドラゴンの、一瞬の準備動作を見逃さず、彼は盾代わりの胴着を掲げて横飛びに炎から逃れた。
 炎に煽られて、胴着もシャツも、半ば乾きかけている。水が乾いた分、返り血を吸ってはいたが、それも、間近で熱風を受ける度に、すぐにごわごわに乾いてしまう。彼の黒い髪の一房が焦げ、服が破れてところどころ剥き出しになった肌に火の粉がふりかかる。
(もう一度火を吐かれたら、終りだ。そろそろ一気にケリをつける時だ)
 汗をしたたらせ、荒い息をついて、アルファードはふたたびドラゴンの正面に仁王立ちになった。


 羊の群れの後ろから木立に駆け込んだ里菜は、ミュシカが羊たちをまとめるのを横目で確認しながら、はぐれた羊が取り残されていないかと、後ろを振り返った。
 そのとたん、里菜はぞっとした。
(うそっ、アルファードが!)
 向こうを向いて立っているアルファードの背中は、あちこちシャツが裂け、血が付いていた。
 苦しげに肩を上下させている後ろ姿のその向こうに、小山のようなドラゴンが立ちはだかっている。
 平穏な日常の中に唐突に降り立った異形の怪物は、話に聞いて想像していたより、ずっと大きく見えた。
 見慣れた、いつもの牧場《まきば》で、傷だらけのアルファードが物語の中の英雄のように剣を掲げてドラゴンと対峙しているその光景は、どこか現実味を欠いて、さながら神話の一場面を描いた絵画のように見えた。
 やけにリアルなその絵画の題材は、これから死にゆく悲劇の英雄の、最後の勇姿――。
 そう思ったとたん、里菜は、羊のことも、薮に隠れろと言われたことも、何もかも忘れた。頭の中が真っ白になった。ただひとつの言葉だけが、その中ではじけた。
(いやっ! アルファード、死んじゃいや!)
 からっぽになった里菜の頭の中に、ふいに、ドラゴン退治の手順を淡々と説明するアルファードの声がよみがえった。
――『ドラゴンにとどめを刺す時は、撹乱役やほかの攻撃役がドラゴンの注意を引いてドラゴンが横を向いた隙に、胸元に飛び込むんだ』――

(アルファード、今、行くわ! あたしが手伝う!)
 里菜は、握り締めていた羊追いの鞭を意味もなく振りかざしながら、木立から飛びだした。


 痛みに平静を失って、すでに殆ど何も見ていなかったドラゴンは、真正面に立ち塞がったアルファードをかすんだ眼で認めて、力をふり絞り、今一度炎を吐こうと首を上げた。
(今だ! 貰った!)
 アルファードは剣を上向きに構え、全身の力を矯めて、ドラゴンの胸元に飛び込もうと地を蹴った。
 そのとき。
 背後で、か細い叫び声があがった。
「アルファード! あたしが、あたしがドラゴンの……」
 里菜の必死の言葉は、そこで途切れた。
 すばやく振り向いたアルファードが、駆け戻りざまに、ものを言う間もなく、左腕に里菜の身体を抱いて、宙に跳んだのだ。
 その瞬間、里菜はアルファードの肩ごしに、ドラゴンの凶々しい顔がこちらに巡らされるのを見た。その赤い口が、大きく開かれ……。

 そこで、里菜の視界は閉ざされた。アルファードの大きな身体が里菜に覆いかぶさり、視界を遮ったのだ。
 里菜の背中が、アルファードの左腕に庇われながら地面に叩き付けられた。


 アルファードは、里菜を抱えて地面に倒れ込みながら、とっさに、自分の背中で里菜のなるべく全身を覆い隠そうとしていた。ドラゴンの炎をまともに全身に浴びたら、例えその場で死ななくても、後々の緩慢な死は免《まぬがれ》れない。
(だめだ、やられる……。たぶん、俺は死ぬ。だが、リーナだけは……!)
 アルファードは、その身を盾にして、里菜のちっぽけな身体を庇いながら、背中にかかるドラゴンの炎を覚悟した。
 瞬間、背中を舐めた熱さに、アルファードは声を殺して、
「うっ……」と、呻いた。
 が、それは本当に、一瞬だった。
「キャーン!」という悲鳴と同時に、ドサリと音がした。
 主人の危機を察したミュシカが、木立を飛び出してきて、ドラゴンが炎を吐きだした瞬間に、その首に体当たりしたのだ。炎は、最初の一陣でアルファードの背中を一瞬舐めた後、狙いを逸れ、牧場《まきば》の草を焦がした。
 ドラゴンは怒り狂って首を振り立て、邪魔者の姿を探った。
 振り飛ばされたミュシカは、すばやく起き上がり、果敢にも再びドラゴンに挑んだ。
 すでにアルファードのことを忘れ、新たな敵に注意を奪われたドラゴンは、背後に回り込んだミュシカを追って、長い首を巡らせた。
 ドラゴンの牙が、ミュシカの毛並をかすめる。
「ワンワン! ワン!」
 生意気に吠えたてながら走り回る小さな獣の喉笛に狙いを定めて、ドラゴンはもう一度首を伸ばした。
 その首が、ピクリと跳ねて宙を仰いた。
 ドラゴンの胸のひとところに、鱗の下から生えてきたもののように、アルファードの剣が深々と差し込まれていた。
 赤い口から、断末魔の叫びが漏れた。
 それは、聞いただけで災いに取りつかれるとでも言うような、根源的な恐怖を呼び覚ます、凶々《まがまが》しい魂の軋みだった。里菜は、草の上にへたりこんだまま耳をふさぎ、いやいやをするように頭を激しく横に振った。
 アルファードは、落ち着いた、慣れた様子で、鱗をこじ開けるように剣を素早く左右に捩じってから引き抜くと、間髪を入れずに、ドラゴンの身体の下から飛び出した。
 傷口から鮮血が噴き出し、ドラゴンの巨体が、ドサリと崩れ落ちた――。

 無言の死闘が終った。永遠のように感じていたそれは、実際は、被った水も乾き切らぬ間の、ほんの短い時間の出来事だった。
 アルファードは、巨体をまだ痙攣させているドラゴンの頭に注意深く近寄ると、ベルトに吊っていた短刀を抜いて眉間に突き立てた。ドラゴンは、微かにぴくりと震えて、口の端から新たな血を一筋溢れさせ、それきり動かなくなった。そうやってとどめを刺しておいて、瞳孔と呼吸を調べて完全に絶命していることを確かめると、アルファードは、ふと屈み込んで、血に濡れた剣を足下の草で拭った。
 忠実なミュシカがアルファードに駆け寄って、主人の手に、茶色い頭を寄せた。
「よし、よし、よくやった、ミュシカ」
 そう言って、アルファードは、怪我をしていないかどうか、すばやくミュシカの全身をあらためながら、耳の後ろや首の周りをがしがしと撫でてやった。幸い、背中の毛がわずかに焦げただけで、たいした怪我はしていないようだ。興奮に逆立った首筋の毛を逆毛に撫で上げてもらったミュシカは、満足げに目を細めて身震いした。
 心の込もった短いねぎらいの後、アルファードに軽く合図されたミュシカは、何事もなかったように、また、羊のところに戻っていった。
 それからアルファードは、おもむろに里菜に目を向けた。
 里菜は、まだ強く耳をふさぎ、眼を固くつむって、草の上にぺったりと座り込んで震えていた。
「リーナ。もう、大丈夫だ。ドラゴンは、死んだ」
 アルファードの静かな声に、恐る恐る目を上げた里菜は、息を呑んだ。
「アルファード……。血が……」
 全身に血を浴びたアルファードは、ドラゴンにまけずおとらず凶々しい匂いを漂わせる危険な魔物のように見えた。
 里菜はふいに、アルファードを、怖いと思った。
 けれどアルファードの声は、あいかわらず静かだった。
「心配ない。ほとんどがドラゴンの血だ。……怪我は、無いか?」
「うん……」
「なら、いい。ところで、君に聞きたいことがある。俺はさっき、君に、薮に隠れていろと言わなかったか?」
 里菜に歩み寄って、上腕をつかんで助け起こしながら、アルファードは抑えた声で尋ねた。
「えっ……」
「言わなかったか?」
 アルファードの声は淡々として低かったが、その底に秘められた激しい怒りに、里菜は震え上がって、蚊の鳴くような声で答えた。
「言った……」
「なら、どうして出てきた。君が出てこなければ、俺はあのとき、ドラゴンを仕留めるところだったんだ。それに、俺が君をかばうのが一瞬遅かったら、君はドラゴンの炎を正面からまともに浴びるところだったんだぞ。……ドラゴンの炎は、普通の火じゃないんだ。前に話したはずだ。あの火を大量に浴びると、火傷自体は治っても、だんだん身体が弱って、死に至ることもあるんだ。君は、死ぬつもりだったのか」
「……ごめんなさい! あたし、ただ、アルファードが危ないと思って、あたしがドラゴンの注意を引いて、手伝おうと思って……」
 それまで静かだったアルファードの声が、突然、激した。
「バカ! 自分の力を考えろ!」
 アルファードの右手が、高く上がり、里菜に向かって振り下ろされかけた。が、アルファードは、自分の震える腕を押し止め、そのまま静かに身体の脇に降ろした。そのこぶしが、それでもまだ震えていた。
 一瞬ビクっと目をつぶり、首をすくめた里菜は、目を開けて、そのこぶしを見つめた。アルファードの顔を見る勇気はなかった。里菜はうなだれて唇を噛んだ。
(そんなふうに、言わなくたって……。アルファードの役に立ちたかったのに。邪魔するつもりじゃなかったのに。アルファードは、なんの権利があってあたしにこんな口をきくの? ……ううん、権利なら、もちろんあるわ。あたしのせいでアルファードはよけい危険な目にあってしまったんだもの。自分の身体をはって、命を賭けてあたしを庇ってくれたんだもの。でも、だからって……)
 うつむいた里菜の目から、涙がこぼれ、乾いた地面にポツリと落ちた。
(アルファードは、あんなに怪我をしているていうのに、今あたしが、叱られたくらいで泣くなんて、わがままだわ)と思いながらも、涙は止まらない。
 アルファードは、また静かな声に戻って言った。
「リーナ、すまない。つい、きつく言い過ぎたようだ。だが、分かってくれ。自分の能力をわきまえない行動は、死につながる。二度とああいう無茶はするな」
「うん、分かった……。ごめんなさい」
 子どものように手の甲で涙を拭いながら、里菜は頷いた。
「それさえ分かってくれればいいんだ。泣かないでくれ。悪いが、頼みがある。急いで村へ行って、誰かを呼んできてくれないか。治療を頼みたいんだ。俺は、たぶん、村まで歩けない。君が戻ってくるまで、そこの川のところで待っている」
 里菜は驚いて顔を上げ、あらためてアルファードを見た。すでに背を向けて、小川のほうに歩き出している彼の背中を見て、里菜は叫んだ。
「アルファード! その火傷……!」
 そのとき里菜は初めて、振り向いた彼が、額に汗を浮かべ、かすかに顔を歪めて苦痛に耐えていたことに気がついた。左足にもズボンごとザクっと切り裂かれた傷があり、わずかに足を引きずっている。
 里菜は自分のうかつさを呪った。彼は、とほうもなく辛抱強い人なのだ。普通に口をきいているからといって、安心していてはいけなかった。ちゃんと彼の様子を見ていれば、わかったはずだ。
(それなのに、自分の感情にかまけて、彼がこんなにひどい怪我をしていることにも気づかずに、泣いたり拗ねたりしていたなんて。あたしは何て自己中心的で思いやりのない人間だったんだろう。アルファードもアルファードだわ。こんな大怪我をしているなら、人のことを心配したり叱ったりするよりさきに、痛いとか何とか言えばいいのに!)
 里菜は後悔と心配で胸が痛んだ。
 アルファードは、肉体の苦痛など一切感じさせない平静な声で答えた。
「大丈夫、ミュシカのおかげで、この程度ですんだ。これくらいなら、死にやしない。これから川で冷やせば、大丈夫だ」
 アルファードは、痛みを堪えながら片頬を歪めて軽く笑った。
「俺もバカだな。君に説教をしているヒマがあったら、先に火傷を冷やせばよかったんだが」
(あの火傷は、さっきあたしをかばったときのものなんだわ。あたしが飛び出したりしたせいで……。どうしよう、どうしよう。アルファード、ごめんなさい!)
 里菜は思わずアルファードの後を追いそうになったが、思い止まって、村に向かって駆け出した。
「アルファード、待っててね、すぐに戻って来るから!」
 放牧に使う牧草地は何か所かあり、彼はそこを季節によって移動して羊に草を食べさせるのであるが、今いるのは、秋も終りということもあって、<シモの牧>と呼ばれる一番標高の低い牧場《まきば》である。村にも近いし、途中の道も、羊が楽に歩けるくらいで、それほど険しくはない。それでも、里菜の足で村まで往復すれば、結構かかってしまうだろう。ぐずぐずしているヒマはない。今度こそ、自分のするべきことをわきまえなければならない。村の人は誰でも多かれ少なかれ癒しの魔法が使えるのにその力もなく、普通の応急手当さえろくに出来ない自分は、彼のそばにいても何もしてあげられないのだ──。


 駆けていく里菜の足音を背後に聞きながら、アルファードは痛む足を無理に運んで小川へ向かった。
 彼の心には、ドラゴンを倒した喜びや誇らしさではなく、罪悪感と自己嫌悪が広がっていた。肉体の痛みよりも、里菜を怒鳴ってしまったことへの後悔のほうが、もっと彼を苦しめた。
(リーナは、怯えていたな。ドラゴンにだけでなく、あのとき、俺を見て怯えていた。無理もない。いきなり、ドラゴン殺しや、こんな血まみれの姿を見せては……)
 里菜の怯えた目を思うと、心が痛んだ。彼は、いままで、これまでいた世界では本物の剣など見たことがないという里菜に気を遣って、里菜の前では、剣を抜くところさえ見せずにきたのだ。自分の分身とも恃む愛剣を腰に帯びることだけはやめられなかったが、稽古をするときも、里菜に遠慮して、わざわざ彼女から見えない場所を選んでいたほどだ。
(しかも、ただでさえ怯えていた彼女を、俺は、やさしく労ってやるかわりに、いきなり怒鳴りつけたんだ。よりによって女の子に手を上げそうになるとは、最低だ。俺は、なんでまた、あんなに怒ってしまったんだろう。……リーナは、俺を許してくれるだろうか)
 こんな時に、終ったばかりのドラゴンとの死闘のことでもなく、戦いで負った傷や火傷のことでもなく、あのちっぽけな少女のことばかり考えている自分に気付いて、その、慣れない感情に、彼は、理由のよくわからない戸惑いを感じた。
 アルファードは服を着たまま、ちょっとした淵のようになっているところを選んで小川に入った。
 淵といっても深さは腿《もも》までもなく、アルファードは、手ごろな倒木に頭と肩を預けるようにしながら、ゆっくりと背中を水に浸した。石灰分を溶かして、深いところでは青緑色を帯びるその水が、背中を洗い、火傷の痛みを癒していく。
 聖地に源を持つ水の不思議な力が、ドラゴンの不浄の炎の毒まで流し去ってくれるような気がした。
 アルファードは、首を仰向かせて、水の中から空を見上げた。
(こうしていると、<女神のおさな子>としてこの世界に生まれ出た、あの時のようだ)
 アルファードは、眼を閉じて、身体の力を抜いた。
 水はかなり冷たいはずなのだが、少しも寒いと思わなかった。まだ全身の筋肉の中でくすぶっていた、戦いの名残りの猛々しい熱と昂ぶりが、すっと鎮まっていく。彼の心と身体を、いっとき占領していた荒ぶる力が、水に溶けるように、穏やかになだめられて消えていく。
 しだいに安らいでいく心の中に、ごく自然に、祈りの言葉が浮かんだ。
(女神よ、この小さき生命に祝福を……)
 それは、本来は、こういう時に唱える祈りではなかった。これは出産の時の祈りで、実は見かけほど信心深いわけではない彼も、羊のお産に立ち会うたびに、この言葉だけは、必ず唱えていたのである。
 祈りに答えるように、さざ波が光った。


「キャ!」と叫んで、里菜は尻もちをついた。
 息せききって駆け出した里菜は、いくらも行かないうちに、角を曲がりざま、何か、固くてまっすぐで細長いものに頭からぶつかって、はね飛ばされたのだ。
 てっきり電信柱か立木に正面衝突当したのだと思いながら、痛むお尻をさすってもたもたと起き上がろうとした里菜は、自力で立ち上がるより早く、頭上から伸びてきた誰かの手で、ひょい、と持ち上げられ、すとんと地面に立たされた。
 驚いて顔を上げると、聞き慣れたローイの声が頭上から降ってきた。
「おおっと、リーナちゃん! やっと、俺の胸に飛び込んできてくれる気になったのか。それにしても、ちょっと性急すぎやしないか? あわてなくても、俺はいつでも待ってるぜ!」
 その、あまりに能天気な言葉に、緊張の糸が一気に解けた里菜は、そのままへたへたと再び地面に坐り込んだ。
 ローイだって、ドラゴンを見て駆けつけてきたのだから、今が冗談をいっている時でないのは分かっているのだが、つい条件反射でおちゃらけてしまうあたりが彼である。
 もっとも、彼は、今しがたのドラゴンの断末魔の声を聞いて、少なくともアルファードが生きていることは、もう、確信していた。それで、里菜の元気な姿を見たとたん、それならば最悪の事態だけはまぬがれたのだと悟り、ほっとしたとたん冗談が出てしまったのだ。
「ローイ……! よかった、いいところに……」
 安堵のあまり地面にへたりこんだまま、里菜は思わずローイのズボンの裾をつかんで、ぜいぜいいう息の下から切れ切れに言葉を絞り出した。ここしばらく体調が良かったので忘れていたが、里菜は昔から、激しく動くと軽い喘息《ぜんそく》を起こすことがあるのだ。
「アルファードが、怪我を……。治療を、おねがい……」
 ローイはたちまち、おちゃらけを引っ込め、意外と強い力で里菜を再び引っ張り上げて立たせながら、短く尋ねた。
「どこにいる? <シモの牧>か?」
「う、うん」
「わかった。すぐ行く。あんたはあとからゆっくり来るといい」
 ここまで走ってきた疲れも見せず、たちまち風のように消えていったローイの後を、里菜は息をきらしながら追い掛けて、牧場《まきば》へ戻っていった。


「うわあ、こりゃあ、すげえ。アルファードが一人でやったのかあ? 人間ワザじゃないよなあ……」
 ドラゴンの死体の横を、ついつい足音を忍ばせるようにして迂回しながら、ローイはぶつぶつと呟いた。
 アルファードは、その先の小川の岸で、脱いだシャツを敷いた上にうつぶせに寝ころがっていた。
「ローイか……。ありがたい。リーナに会ったのか?」
「おっと、そのまま、そのまま。動かなくていい。うん、リーナには、会ったよ。後から戻って来ると思う。待ってな、いま治療すっから」
 頭を上げようとするアルファードを制して、ローイは彼の身体の横に膝をつき、背中に手をかざして顔をしかめた。
「この火傷、ドラゴンの火か……。毒の方は、このくらいなら、解毒で何とかなるだろうが、こりゃあ、跡が残るな。まあ、男はそのくらい気にすんな。これで、村の誇るドラゴン退治の勇者様に、ますますハクがつくってもんだ。たったひとりでドラゴンを倒した時の傷だっていやあ、孫にまで見せびらかして自慢ができらあ」
「いや、ひとりじゃない。ミュシカが助けてくれた」
「ミュシカが? そりゃあ、すげえや。猟犬にだって、普通、ドラゴンに立ち向かうなんて出来ないのに、あいつはただの牧羊犬だぜ?」
「ミュシカは『ただの牧羊犬』じゃない。『最高の牧羊犬』だ」
「ああ、まったくだ。あんた、口のほうは無事みたいだから、治療しているあいだに、話を聞かせてくれよな。あれ、どうやってやったんだ。あんたは、団長として、ドラゴン退治の顛末を、今後の参考のために団員に報告する義務があるぜ。あんたの話はつまんねえから、俺が代わってみんなに話してやるからさ」
「お前が話すと、大袈裟になる」
「いいじゃないか、少しくらい。あんたにゃサービス精神ってものが分かってないよ。まあ、とにかく話せよ。まったく前代未聞だよな、ひとりと一匹でドラゴン退治なんてよ」
 アルファードの怪我がすぐに命に関わるようなものではないとわかってほっとしたローイは、忙しくあちこちの傷を調べたり治療のために手をかざしたりしながら、アルファードから、ことの顛末をあれこれと聞き出し始めた。
 里菜がドラゴンの前に飛び出したくだりになると、ローイはヒュウと口笛を吹いて、感心したように言った。
「そりゃまた、勇ましいことだなあ。ありゃあ、アルファード、あんたが思ってたような仔猫ちゃんなんかじゃなくて、きっと、ちっちゃな雌ライオンだぜ。俺の見込んでた通りだ。な、リーナ?」
 ちょうどそこに、やっとたどり着いた里菜は、いきなり話を振られてきょとんとした。
「えっ、なあに? なんの話?」
「いや、な、アルファードはあんたを、仔猫ちゃんのつもりで拾って来たんだろうが、俺は、『これは足が太いからでっかくなるぞ』って、思ってたのさ」
「え? ……あたしの足は、太くなんか、ないわ!」
 訳がわからず真顔で抗議した里菜に、ローイはケラケラと笑いだした。
 その様子に、とりあえずアルファードの怪我はそうひどくないらしいと、里菜は少し安心した。
 脱いであったアルファードのシャツを引き裂いて包帯にし、応急手当をすませたローイは、アルファードに向かって言った。
「あとですぐ、ヴィーレの母さんか誰か、癒しの魔法の得意な人に、もういちど診てもらえよ。包帯も薬草もないし、とりあえず、応急処置だからさ」
「ああ、ありがとう、おかげで、これなら村まで歩ける」
「じゃあ、あんたたちは、今日はもう帰れよ。羊連れてさ。肩、貸すから。ドラゴンは、誰か自警団のものを何人か寄越して処理させればいい。俺が連絡をとるから。そうそう、今晩、あんたんとこで、宴会な! 今日の勝利を祝っての祝賀会に、ほら、リーナの歓迎会をまだやってなかったから、ちょうどいい機会だから、それも兼ねて、とにかくパッとやろうや。なあに、ちっとくらい怪我してたって、酒は呑めらあ。かえって痛み止めになっていいってくらいだ。きっと、血に入ったバイ菌も消毒できるし、なにしろ女神様の祝福を受けた酒だから、ドラゴンの毒にも効くかもしれないぜ。それに、どうせ、あんた、その傷じゃ、あしたは放牧に出られないだろ? 夜通し宴会したって大丈夫だ。な、副団長の権限で招集かけるぜ!」
 そう、彼は、自警団の副団長なのである。そういうと聞こえがいいが、その実態は、ようするに宴会係だ。宴会の段取りをやらせたら、彼にかなうものはいない。
 宴会を開くと勝手に決めつけたとたん、もう宴会のことしか頭になくなったローイは、それでもアルファードに肩を貸して、ドラゴンのところに戻ると、持っていた小刀で、その爪を一本剥ぎ取ってアルファードに渡した。こうして、証拠となる戦利品を持ち帰るのが、ドラゴンを殺した時の習慣である。
 それから、ローイは、もう一本切り取った爪を、里菜のほうに差し出して言った。
「ほれ、リーナ、あんたも取りな」
「えっ……?」
 血と泥にまみれたドラゴンの爪を差し出されて、里菜は思わず後退《あとずさ》った。
 ローイは構わず、手にした爪を里菜の目の前につきつけ続ける。
「あんただって、今日はドラゴン退治に参加したんだ。爪を取る権利があるぜ。ほれ」
「えっ、あたし、いらない……」
「だって、これは、滅多にないような、すごい名誉なんだぜ? 遠慮するなよ」
「違う、違う、ほんとに欲しくないの!」
 里菜は思わず両手を後ろに回して、一生懸命首を横に振った。もしも血がついていなくても、そんなものには、手も触れたくなかった。
 頑なに拒まれて、ローイも、それ以上無理に勧めようとはしなかった。
「あ、そ。もしかして怖いの? 生きたドラゴンには素手で立ち向かったって言うのに。まあ、いいや。じゃあ、これはミュシカにな。あいつも立派に今日の功労者だからな。アルファード、これ、後で紐つけて、ミュシカの首にかけてやれよ、な」
 それからアルファードは、剣を抜いて足下の土の上に横たえると、頭を垂れて短い祈りを唱えた。
「黄泉の大君《おおきみ》よ、定めによりて死せる魂を、御許《みもと》に安らわせ給え」
 ローイも、めずらしく神妙に唱和する。
 例えどんな不信心者でも、この国の人間である以上、出産や死と言った特別な儀礼に際しては、祈りのひとつも唱えるのである。特に、ドラゴンを殺した時は、きちんと礼を尽くさないと呪われると信じられているのだ。
 その間、里菜は、血溜まりに横たわるドラゴンの屍を、おそるおそる観察していた。普通なら死体など見たくもないが、生きていようと死んでいようと、何しろドラゴンだ。
 生きて、翼を広げ、首をもたげている時は小山のように大きく見えたドラゴンも、こうして死んでいるのを見ると、たしかに、首の長さを除けば『馬より少し大きい』という説明通りの大きさのようだった。だらりと広がる捻じれた翼だけが、やはり思いがけず大きいだけだ。
 けれど、里菜には、このドラゴンが、アルファードの言うように、ただ大きすぎるだけの罪のない野生動物だとは思えなかった。死せるドラゴンは、間違いなく何かもっと邪悪な、不吉な気配を漂わせていて、屍となってなお、凶々しく、恐ろしかった。
 銀の鱗に覆われたその亡骸は、どこか、血に塗れた銀のナイフを思わせて、そう思ったとたん、里菜は、なんとなく、ふと、気が遠くなりかけた。
 が、それは一瞬だった。ドラゴンの屍に近づき過ぎて何か毒気にあてられでもしたか、あるいは血の臭いで気分が悪くなったのだと思った里菜は、死体など、わざわざ見るからいけないのだと眉をひそめて目をそらした。
「アルファード、このドラゴン、どうするの?」と尋ねた里菜に、アルファードは、剣を納めながら淡々と答えた。
「後で自警団の連中に、皮を剥いでから、火葬にしてもらう」
 ローイが横から解説した。
「ドラゴンは、火葬にしないと生き返って復讐にくると言われているんだ。まあ、迷信なんだけどさ」
 皮を剥ぐと聞いて、里菜はぞっとして尋ねた。
「ねえ、アルファード、どうして皮を剥ぐの?」
「使うんだ」
「え? 何に?」
 ローイが横から答えた。
「防具を作んだよ。ドラゴンの皮はな、鱗が固くて、しかも火に強いから、ドラゴン退治の時に使う防具にはドラゴンの皮が一番なんだ。火事の時にも使えるんだぜ」
 アルファードがローイを振りかえって言った。
「今度の皮はミナトの分だ。ドラゴンの処理にはミナトをやってくれ」
「わかった。そうか、ついにあんたもミナトをドラゴン退治に出す気になったわけだ。しかし、すげえよな。ドラゴン退治に出るもの全員にドラゴンの防具が行き渡ってる自警団なんて、きっと国中さがしても、ほかには無いぜ!」
 各地の自警団は、それぞれ自分たちの倒したドラゴンの皮で自分たちの防具をつくっており、強い自警団はそれだけ多くのドラゴンの防具を揃えてますます強くなるのである。
 アルファードは、里菜が気味悪そうに聞いているのに気がついて、付け加えた。
「リーナ、ドラゴンは危険な生き物だが、一旦殺してしまえば、役に立つ。それならば、できるだけ役に立てるのが、殺した命への礼儀だ」
 里菜は、アルファードがケガをしていて、今ここで皮を剥ぐところを見ずに済むことにほっとした。
 羊たちは、すでにミュシカがひとところに集めて、草を食《は》ませていた。
(ミュシカって、ただものじゃないわ。ぜったい、人間の言葉が全部わかってるんだわ)
 里菜はあらためて感心して、ミュシカを眺めた。
 ふだん、アルファードは、ミュシカに口笛や短い号令で指示を与えているのだが、たぶんミュシカには、本当は、そんなものは必要ないのだ。まったく、並の犬ではない。あるいは、アルファードに、ミュシカと交信する秘密の魔法の力でもあるのかも知れないとさえ思えてくる。まきばに座る彼らの並んだ後ろ姿はいかにもしっくり納まっていて、まるで長年連れ添った老夫婦ででもあるかのような穏やかな連帯感が漂い、里菜は時々、彼らの間に、とても自分などが割り込めない強い絆を感じて、嫉妬すら覚えるのだ。
(ミュシカとアルファードって、心が通い合っちゃってるわよね……。あたしがここに来る前からずっといっしょに暮して、何年もの夏のあいだ中、ふたりきりでまきばに座り続けてきたんだものね。ああ、情けない。なんで犬にやきもちなんてやかなきゃいけないの。それって、あんまり、情けなさすぎる……)と、もとからただでさえ情けなく思っていたのに、今また、ミュシカはアルファードの命を助け、自分はそれを危険に曝したことを思うと、ますます、つくづく、自分が情けない。アルファードに謝りたい。
 だが、ローイの手前もあり、なんとなく言い出せないまま、彼らは、アルファードの上着や水袋を拾い、羊を数えて、家路についた。

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掲載サイト:カノープス通信