〜『里菜と竜兄ちゃん』シリーズ おまけ小話〜 『小さな変のメロディ』 |
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本作は異世界ファンタジー『イルファーラン物語』の後日譚『里菜と竜兄ちゃん』シリーズの、さらに後日譚です。
『里菜と竜兄ちゃん』シリーズを読んでいれば、『イルファーラン物語』は未読でも読めます。
『イルファーラン』本編読了済みの方は、今さらですが、キャラ崩壊注意(笑)
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先日、妻の里菜が、俺にTシャツを買って来てくれた。 結婚以来、里菜は、俺に自分の好みで買ってきた服を着せることを大きな楽しみとしているらしい。 『素材がいいから磨けば光る』などと言って、好みの服を着せた俺を眺めて実に満足げである。俺は着せ替え人形か。 さらには、自分の選んだ服を着た俺の見栄えがいいので、すれ違う女性たちがみな振り向くとまで主張している。 いや、確かに俺は、女性に限らず、通りすがりの人に振りかえって見られることがたまにあるが、それは単に、デカくて目立つからだろう。 特に、里菜と一緒にいるときにはなおさら無駄に人目を引いてしまうのだが、それは、俺と里菜の身長差が極端すぎるからだろう。 傍目には面白おかしかったり微笑ましかったりする光景なのかもしれないが、里菜が小さいのも俺が大きいのも今更どうしようもないのだから、放っておいて欲しい。 なにしろ、当人たちにとっては、時に思わぬ不便があったりもするのだ。 結婚式の記念写真を撮る時も、大変だった。構図によっては、里菜と俺の顔が同じ画面に入らないのだ。 並んで立つ時には、足元は写さないようにして里菜を踏み台に乗せたが、それでもまだバランスが悪いとカメラマンが悩んでいた。里菜が椅子に座り、俺がその背後に立つというよくある構図では、里菜を椅子ごと台に載せた。だから、俺たちの結婚写真には、足元が写っているものが一枚も無い。 というわけで、すれ違う人が振り返るのは決して俺の見栄えがいいからなどではないのだが、里菜がそう思い込んで満足しているのなら構わない。他の女性にどう見えるかなどどうでも良いが、里菜が俺などのことを、通りすがりの女性が振り向くほど見栄えのする男だと信じてくれているのは、俺にとってはラッキーなことだ。 だいたい、俺にはもともと服装で自己表現をする趣味はなく、服など実用性に問題が無く、かつチャラチャラしたり派手すぎたりせず普通でありさえすればいいという主義なので、里菜の選んだ服を着ることに、特に異存は無い。 まあ、もし里菜が俺にチャラチャラした服を着せようとしていたら断固抵抗したと思うが、幸い、里菜の服の趣味はごくまともで、里菜が買ってくる服は常に、機能面だけでなくデザインの面でも、質実を旨とする俺の許容範囲内に収まっていた。 ……今までのところは。 が、先日のTシャツだけは、いただけなかった。どうしても無理だった。 別に、一見して特にヘンな服というわけではない。 何やら英文プリントがあしらわれた、ごくありふれた普通のTシャツなのだが……、その、細かい字で印刷された英文の、綴りが間違っている! 文法も、あっちもこっちも間違いだらけだ! 『a earth』とは何だ、『a earth』とは! この場合、冠詞は『a』ではなく『the』だろう! さらに、百歩譲って、もし地球というものが複数あるという設定でそのうちの一つの話をしているのだということにしても、母音の前なんだから、せめて『an』だろう! そこで『a』は無いだろう……。 かと思うと、別のところでは、冠詞自体が抜けている。抜くなら全部抜け。なぜ不統一なんだ。このいい加減さ、許しがたい! 俺は、いい加減なことが嫌いだ。明白な間違いを看過するのは気持ちが悪い。 服の製造工程のことはよく知らないが、この服――あるいは生地を作った会社では、これが実際に製品になるまで、誰もこの間違いに気づかなかったのだろうか。世の中に、そんな杜撰な事態があっていいものだろうか。こんなあからさまな間違いの印刷されたものを着るなど、俺には、耐えられない……。 「……里菜。たいへん申し訳ないが、俺は、この服はダメだ」 「えっ、なんで!? どうして? この色、嫌い? そりゃあすごくオシャレってわけじゃないけど、安かったし、着心地はよさそうだから、部屋着にならいいかなあって思ったんだけど……やっぱりダサかった?」 「いや、そんなことはないが……、英文の綴りが間違っている」 「ええーっ!? 綴り? ……どこが?」 「ここと、ここと、ここ。あと、ここはそもそも構文が間違っている。他にも、間違いだらけだ」 「あー……ほんとだ。間違ってるね……。でも、そんなの誰も気がつかないよ……。私だって気がつかなかったもん。こんな小さい字でズラズラ書いてある英文なんて、誰も読まないよ。ただの模様よ、模様」 里菜は不満そうだ。それはそうだろう。里菜、本当にすまない。だが、これだけは譲れない……。 なぜなら、俺がダメなのは、綴りや構文のミスだけではないのだ。 「いや、スペルミスだけじゃないんだ。書かれているメッセージ自体が、俺の主義に反する」 「えーっ!? メッセージ!? ……なんで?」 里菜はぽかんとした。服を選ぶ時に、プリントされている文章の意味など、当然、気にもしなかったのだろう。 すまない、里菜。君に悪気が無いのは分かっている。 里菜だって、さすがに『BITCH』だの『FUCK』などの卑語俗語がデカデカとプリントしてある悪趣味な服は買わないだろうが、『SAVE EARTH』などという一見無難な内容のロゴの下に小さな文字で英文がズラズラ並んでいる、その英文の内容までは、里菜の言うとおり、気にしなくても当たり前だ。 だから、里菜を責める気はないのだ。ひとえに俺の個人的な偏狭さが悪いだけなのだ。でも、俺は妥協したくない。解ってくれ。 プリントされているのは、間違いだらけの英文からなんとか大意を読み取るに、環境保護を訴えエコライフを推奨するメッセージらしい。 それは別に構わない。俺とて、環境保全や所謂エコライフの実践そのものに否はない。 が、俺は、この文章にあるように、それらを語るのに『環境への思いやり』とか『地球を救え』とか『自然に優しく』という類の表現を使う、その手の言説が嫌いなのだ。なぜかというと、そのような表現は偽善的であり欺瞞であると感じるからだ。 地球上に生きる生物の一種にすぎぬ人間が、地球を守ったり救ったり優しくしたりしようなぞ、勘違いであり、思い上がりではないか? 分かりやすく大衆にアピールするためのレトリックであるのは重々承知しているが、自分がそれらの言説に感覚的な反発を覚えてしまうのまでは、自分でもどうしようもない。 地球には、人間ごときに救われたり守られたりする必要など、ないのだ。 人間は、自然と対立するものだったり自然の上や外に存在するものではなく、自然の一部である。どんなに進化しようと数が増えようと、生態系を外からコントロールする神のごとき存在などではなく、生態系に組み込まれた自然の一部であり、地球上に数限りなく生まれては消える無数の生物の中の一つの種にすぎない。だから、俺に言わせれば、人類の生存活動の副産物として発生する『公害』や所謂『環境破壊』は、自然現象の一部なのだ。いわば生態系の自家中毒症状なのだ。 そして、地球的な視野で考えれば、生態系は移り変わるものだ。 ある生物が突出して繁栄しすぎれば生態系のバランスが変化し、その生物は衰退して別の種が台頭する。それが自然の摂理だ。 つまり、人類の滅亡もまた、正常な自然現象の一つであるのだ。地球的規模で見れば何の不都合も無い、全く正常な地表の政権交代なのだ。 自分の地表でどんな種が栄えようが滅びようが、『地球』は別に、何も気にしやしないだろう。 生命が発生しようが絶滅しようが、地表が緑に覆われようが剥き出しになろうが、大気の組成が変わろうが大気が無くなろうが、海が干上がろうが大陸が沈もうが、己自身が砕け散ろうが、地球は別に気にしないし、何も困らないだろう。 宇宙では、たくさんの星が、生まれては消えてゆく。地球もまた、いつかは消え行く定めのそうした星々の一つに過ぎないのだ。 我々が『自然』とか『環境』と呼んでいるものは、すなわち、『我々人類の生存に適した環境』のことに他ならない。 たとえ火星や金星や、あるいは宇宙のどこか他のところにある未知の惑星の大気が人類にとっての有害物質だらけでも、その星に水が無くても、有機生命体が生息していなくても、宇宙空間が人体に有害な放射線だらけでも、誰がそれを、大気汚染だの環境破壊だのと言うだろうか。 はたして地球という惑星は、人類という種の生存に適した状態である時だけが正常なのだろうか。 生命が発生する前の地球、人類が滅びた後の地球は、何か不適切な世界なのか? そんなことはあるまい。どうせ、宇宙にあるほとんどの星には、そもそも生命が存在しないのだ。 では、現在の地球環境が変化して困るのは何者か。 地球が、人類と言う有機生命体の生息に適した環境でないと困るのは誰か。 言うまでも無く、我々人類である。 環境の変化から救われたり守られたりしなければならないのは誰か。 そう、我々人類自身である。 けっして『地球』ではないのだ。 だから俺は、『地球を救え』というスローガンに欺瞞と偽善を見るのである。 安定した生物相の維持を望むのは、その環境に適応して生きている生物たちそのものであって、『地球』ではない。 つまり、環境保全の努力は、『地球の』ためにではなく、『自分たちの』ためにしているものなのだ。 善行でもなんでもない、しかし正常で正当な、人類と言う種の自己保存活動なのである。 人類という種は、今現在の生態系の中で、繁栄を謳歌している。その、我が世の春を、出来る限り長く保ちたいと願うのは、生き物として、ごく当然のことだ。己の生命を保全し、己の種を存続させようとすることは、すべての生物の基本的な本能なのだから。 この繁栄を長く保つために、人類は、今現在の、己の生存に適した生態系を、なるべく長く安定させておきたいのだ。 そのためのあがきこそが、環境保全のための努力なのだ。 それを、なぜ、他者のためにする善行であるかのように表現する必要がある? 己のため、そして己の子孫のため、己の属する種のために、種の存続を賭した最大限の努力をするのは、恥ずべきことなのか? おためごかしの言葉で飾りたてて隠蔽せねばならぬようなことなのか? 否。そんなはずはあるまい。 人類よ、あがけ。力を尽くして正々堂々と自己保存に励め。 何も恥じることは無い。それが、生き物としての正しい姿なのだから。 半端なおためごかしはやめろ。 みな、正々堂々と胸を張って本当のことを言えばいいのだ――『自己保存』と!! ……が、俺は口下手なので、これらのことを里菜に説明するのは億劫だった。 だから、ただ、 「『地球を救え』という類の標語が好きじゃないんだ」とだけ言った。 「えー? なんで?」 「環境保全は地球のためにすることではなく、人類が自らのためにすることだからだ。それを、地球のためであるかのように言うのは、おためごかしだ」 「ええー? じゃあ、なんて言えばいいの? 「正直に『自己保存』と言えばいいだろう」 「……自己保存……・。それだったら、竜の主義主張に合うの?」 ……いや、あらためて真顔でそう問われると、何か違うような気もするが……今、自分が語ったことに照らし合わせると、否定は出来まい。 一瞬言葉に詰まったが、しかたなく、頷いておいた。 「そうだ」 「変なの……」 「何も変ではないだろう。自己保存はあらゆる生物の根本的な行動原理だ」 「うん、まあ、それはそうかもしれないけど……」 里菜は、顎に指を添えてしばらく考えた後、うんうんと頷いて、にっこりした。 「そうね、うん、そこまで開き直ってきっぱり言い切ると、ある意味、潔くてカッコいいかも?」 いや、ごく普通の、当たり前のことなので、別にカッコいいということもないと思うのだが、里菜がとりあえず理解してくれたらしいので、俺はほっとした。 里菜は素直で寛容で、俺のような偏屈者の気持ちを常に尊重してくれる、良い妻だ。 Tシャツは、里菜がパジャマ代わりに着ることになった。 俺は、自分がそれを着るのが嫌なだけで、里菜が家の中で着る分には、特に異存は無い。 むしろ、ぶかぶかのTシャツを着た里菜の姿が大変可愛らしかったので、得をした気分だった。 これで万事解決、家庭円満、夫婦円満だ。 ……と、思っていたら。 忘れた頃に、里菜がリボンをかけた袋を差し出してきた。 誕生日でもなんでもないのに、いったい何を……と、訝りながら袋を開けると、中からは、黒地に赤の明朝体でデカデカと『自己保存』とプリントされたTシャツが……。 なんだ、これは……!? どこでこんなものをみつけたんだ……? 世の中に、こんな素っ頓狂なシロモノが、まさか実在するとは。俺は呆然とした。 里菜は得意満面、邪気の無い笑顔でうきうきと言う。 「すごいでしょ!? いいでしょ? あのね、特注したの! ネット通販で。一枚から安く作ってくれるメーカーがあってね。これなら竜の主義主張にピッタリでしょ?」 ……いや、たしかにピッタリだが……。 なすすべもなく試着させられた俺を見て、里菜は大喜びで手を打った。 「あはは! 似合う、似合う! 潔くて漢らしくてカッコいいわ!」 「……カッコいいって、君、笑ってるじゃないか」 「いいじゃない、面白くて!」 ああ、そういえば、里菜は、面白いものが好きだ。外ではおとなしいので、一見、ちょっと暗そうに見られることもあるが、実は笑い上戸で、意外とネタ好きだったのだ。 「でも、ほんと、竜はスタイルいいから、Tシャツが似合うのよね〜。やっぱり素敵!」 笑いながらも、ちょっとうっとりした崇拝の目で俺を見上げる里菜。 本気なのか? 里菜は本気で、これを着た俺をカッコいいと、素敵だと思っているのか? これを着た俺と、連れ立って歩こうと言うのか? そこまでネタ好きだったのか? 里菜は、地味で無難な、オーソドックスな服を好むと思っていたのだが。 里菜の趣味は良くわからない……。 いや、でも、よく考えてみたら、そもそも、俺のような男と結婚したというだけで、里菜の趣味はけっこう謎なのだ。……というか、ちょっと微妙……というか、むしろ、非常に変わっていると言わざるを得まい。 里菜はよく、俺のことを、ヘンだとか変わっていると言うが、俺に言わせれば、そんな俺なんかと結婚してくれようと思った里菜のほうが、よっぽど変なのである。 そして俺は、里菜の趣味がちょっと変であることに、感謝せねばならないのだ。 でなければ、里菜は、俺なんかと結婚してはくれなかっただろうから。 ならば、俺は、里菜の趣味の変さへの感謝の証として、この服を堂々と着てみせるべきではないか? これを恥じることは、里菜の趣味を否定することになるのではないか? よし、俺は、これを着るぞ、なに恥じることなく胸を張って! そもそも、自己保存はあらゆる生物のもっとも基本的な行動原理だ。それを己がモットーと全世界に向けて表明することに、何の不都合があろうか! 何の遠慮が要ろうか! 俺は俺の信ずるところを正々堂々と主張すればいいのだ! そうせよと、そうしてもいいのだと、里菜が背中を押してくれたのだ……! 「里菜! ありがとう! 俺はこれを着るぞ! 正々堂々と全力で着こなして見せる!」 「そ、そんなに気に入ってくれたの……? 嬉しい! 竜、大好き!」 子供のように腹の辺りにぎゅっとしがみついてくる里菜が愛しい。 ああ、なんて可愛いんだ。こんな可愛い女性が俺の妻だなんて、未だに時々信じられなくなるほどだ。俺はなんて幸運なんだ。なんてすごい僥倖を掴んだんだ。 里菜に会えなかったら、俺の人生は、どんなに満たされぬ不完全なものになっていただろう。 里菜と出会って、俺は、初めて、自分の中に根深く在った欠落を自覚したのだ。表面的には穏やかでも、自分の内部のどこかに、満たされないままの深い空洞があって、俺はそれに気づかぬまま、己自身に欺かれて生きていた。里菜と出会って、初めて、俺は、俺の中の虚ろを発見した。そして、その空洞は、里菜にしか埋められないものだった。里菜とぴったり同じ形をした、欠落の跡だった。まるで、もともと里菜がそこに嵌っていたのに、間違って抜け落ちてしまった跡みたいな。 いつのまに、里菜は、俺の中に自分の形の空洞などを用意していたのだろう。なぜ、そんなことが出来たのだろう。俺と里菜は、あの日まで会ったこともなく、俺は里菜の存在すら知らなかったというのに。 あの日、里菜と出会えなければ、俺は、自分の中に空洞を抱えたまま、それに気づくことなく、しかしその欠落にゆっくりと心を蝕まれ続ける孤独で虚しい人生を送っていただろう。 里菜、里菜、君の趣味が変で良かった! 君のその、小さな変さが、俺を孤独の闇から救ってくれたんだ……。 ……終…… |
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