(後半)
「あたし、ずいぶん長いこと、十五年くらいも、ここにいるような気がする……」
春子は、何か思い出そうとするように、ゆっくり、考え考え言いました。実際、なんだか自分の記憶があいまいになってきたのです。 「何を言っているんですか、十五分です。私の時計は、宇宙絶対時に合わせてあります。停車時間は十五分。ちゃんと申し上げたはずです。もう少しで置いていってしまうところでした。さあ、急いでくださいよ」 春子は、はっとして、ポケットを探りました。 「車掌さん、あたし、切符を無くしちゃった――!」 「無くした? 困りますよ。再発行は出来ませんよ。どうするんです?」 突然、春子は、頭がはっきりしたように思いました。春子は決然と言いました。 「車掌さん、あたしは置いていっていいわ」 「しかし、そういうわけにはいきませんよ。乗客を置いていくことはできません。あなたは乗客名簿に、『シャスカウディヴラ行き』で載っているんですから、あなたがよくても、こっちは義務があるのです」 「でも……」 一瞬決心が揺るぎかけたけれど、すぐ元に戻って、春子は言いました。 「あたしは切符を無くしたもの……。もう、もう乗客じゃないわ。あなたはただ、名簿からあたしの名前を抹消するという簡単な作業をするだけでいいはずよ」 「えっ。そりゃあ、そういえばそうですけど……。いいんですか、本当に。この小さな田舎星に一生とどまるつもりですか? 一度降りてしまったら、切符は、まず間違いなく、二度と手に入らないと思いますよ」 「……」 「あなたはなぜここにとどまることにしたんです? 駅のそばに咲いていた花なら、もう二度と見ることはないでしょう」 「どうして、あたしが花を見て降りたことなんか知ってるの? ……そうだ、あたしは、駅で降りて、地球に足を踏み出した。そして、どうしてここにいるのか、わからない。あなたが来るまで、銀河鉄道のことなんて、まるっきり忘れていたわ。そして、自分が今まで何をしていたのか分からない。だけど確かに、そうだ、ずっと前から、ここにいる……。なんだか、そうよ、ここが『あたしの場所』なんだ……」 最後の方は、車掌に向かってと言うより、自分の記憶を確めようとするように、春子はとぎれとぎれに言いました。空中を見つめて、自分に問いかけるように。 自分の言っていることが支離滅裂だと言うことは気づきましたが、自分がしっかり決心していることも分かりました。ただ、はっきり説明できないのです。 けれども車掌には、それで分かったようでした。 車掌は言いました。 「よろしい。それじゃあ、あなたはもう乗客ではありません。……そうですね?」 「ええ……」 「ところであなたは、地球の入星許可証をお持ちですね?」 「え? あ、あの、あたし……」 「持っているでしょう。ほら、ポケットを探してごらんなさい」 春子は再びポケットに手を入れました。 さっき切符を探したときは、他にそんなものはなかったと思ったのに、けれどそこには、一枚の許可証が入っていたのです。 春子は、驚いて、まじまじとそれを見つめて呟きました。 「変だなあ、あたし、手続きをした覚えもないし、持ってた覚えもないわ」 「変なことはありませんよ。もらえることになっているんです。エエ、決まりによると、一定に期間、地球に住所を有し、その間の行いが悪くなければ、正式に永住許可ももらえることになっています。あなたは、まだ仮処分ですね。そのうち正式に地球人になれますよ。 それから、あなたの、星のついた小さいアクセサリー――、ペンダントでしたっけ?」 「ヘアーピンです」 「そうでした、そのピンは、大事に取っておくとよろしいでしょう。誰もが持つことを許されているものです」 春子は、ポケットを抑えてぎくりとしました。 あたし、あれをどうしたかしら。ポケットには、もう、何も無かった――。 そんな春子の気持ちを察したかのように、車掌は続けました。 「ポケットにお持ちでしょう?」 またしてもポケットから出てきたピンを眺めて、春子は言いました。 「あたしのポケット、変よ。無いと思ってたものがあるんだもの。入れといたものがいつのまにか消えてたり……。不思議だわ」 「当たり前ですよ。誰にでもポケットがあります。そして、ポケットの中に何があるかなんて、調べてみなくちゃ分からないじゃないですか。あるはずだ、ないはずだなんて、あてになりませんよ」 「そうね、ポケットの中は見えない。どのくらい大きくて何が入ってるか、自分でも分からない……。ねえ、いま、ふと思ったんだけど、あたしのお友達――ピン止めを置いていった人、きっと、今はどこかの星にいるのね? そうなんでしょ? あたしより先に降りて行ったんだ」 「そうです」 「いつか、また、会えるかしら」 「さあ……。いえ、たぶん会えるでしょう。シャスカウディヴラに着けたなら」 「――ああ、だめよ、もうおしまいだわ!」 春子は突然絶叫しました。 「あたしは、あの人に、もう会えない。あたしは切符を失くしてしまった! シャスカウディヴラには、いけないわ……」 絶望の叫びは、だんだん弱々しく、最後には泣き声の中に消えました。 「さっき、あんなにはっきり決心したじゃありませんか。今更どうにもならないのです」 相変わらず淡々と、車掌は言いました。 「泣くことはありません。シャスカウディブラには、行けると思いますよ。ただ、今度は自分の足で歩いていくのです。地図もありません。けれど、きっとあなたの友達も、どこかで歩いているでしょう。シャスカウディヴラは、やってきたものを拒みはしません。どんな汚い格好をしていても、迎え入れてくれます。そういう星なんです。そのかわり、なかなかたどり着けない……」 車掌の話を聞いているうちに、春子は泣き止みました。突っ伏していた机から顔を上げて、涙を拭いました。ポケットには、ハンカチが入っていたのです。 少し恥ずかしそうに、春子は言いました。 「ごめんなさい、泣いたりなんかして」 春子はちょっと微笑みました。 「見て、あたしのポケットには、ちゃんと涙を拭けるハンカチが入っていたわ。これなら安心して泣けるわね。泣いた後、いつまでも、涙の後をつけていなくてすむもの。ね、あたし、本当にシャスカウディヴラに行けるの? 汚い格好でも、入れてもらえる?」 「たどり着いたとき、多くの人は汚い格好をしています。旅は困難ですから。しかし、そのポケットには、いろいろなものを持っています」 「あたし、がんばるよ。どっちへ行けばいいの、教えて」 「それは、知りません。私は銀河鉄道の車掌であって、それ以外の何者でもありませんから。そして、答える必要もありません」 確かにそうです。今、春子の目の前に立っている、ひょろりと背の高い制服制帽のこの人は、車掌以外の何者でもありません。 降りようとする乗客が車掌に乗り継ぎの列車を尋ねれば、車掌はそれを知っていて、教えてくれるでしょう。けれど、駅から目的地までの道順などを聞いたって、分かるわけがありません。春子はすぐに納得しました。 「よけいなことを聞いてごめんなさい」 「いいえ」 「自分で道を見つけるのね」 「そうです。よく気をつけて探してごらんなさい、分かるはずです」 車掌の口調は、まるで交通機関の説明をしているようでした。 事務的でしたが、決して冷たくはありません。 なぜだか春子は、この人も昔は乗客の一人だったのかもしれないと思いました。 車掌はまた腕時計を見て、慌てていいました。 「大変だ、もう時間です。帰らなくては」 春子の表情に、一瞬、変化があったに違いありません。きっと、動揺が現れたのでしょう。 決心したはずなのに、いざとなると心細くなるのです。 けれどそれは短い間でした。 「あなたはもう、戻ることは許されません」と、車掌は告げました。「では、失礼いたします」 車掌は向こうに行こうとしましたが、ちょっと立ち止まって振り向きざま、言いました。 「あ、それから――」 春子は少しとまどいました。今、列車はもう行ってしまうのだと覚悟したところでしたから。 早く行ってしまってほしい気もするし、無意識にほっとしもしたようです。 けれど車掌は、たったひとこと、こう言いました。 「幸運を祈ります」 それは、初めて今までの事務的な口調を離れた、温かみのある声でした。 さりげない言葉だけれど、その調子は、なぜか人に心に染み透るような不思議な響きを持っていました。いつか聞いたことのある響きだと、春子は思いました。 車掌は、肩越しにそれだけ言って、またすぐ、忙しげに走って行きました。 ひょうひょうと、走りながら帽子を直し、腕時計を見ました。 車掌は、初めから、春子が列車に戻らないことを知っていました。今まで、一度列車を降りて、戻ってきたものは一人もいないのです。 そして彼は、春子がどっちへ行けばいいのか、本当に知らなかったのです。そしてそれは、彼には関係のないことです。 ただ、銀河鉄道を動かしている誰かは、すべてを知っているのかもしれません。 ――いいえ、知ってはいないでしょう。それは、考えたり理解したりということはしないものですから。 いつのまにか、車掌の行く手に、小さな駅が見えていました。 灰色の曇り空の下の寂しい野原にぽつりと佇む、ひとけのないプラットフォーム。木で出来た柵、鉄条網。木造の、小さな駅舎。 『地球』の駅です。 懐かしい銀河鉄道が止まっています。 銀河鉄道の線路は、どこでも単線です。なぜなら、こちらからあちらへ向かう列車しかないので、複線にする必要がないのです。 春子は、あまりに近くに駅が見えることを、少し意外に思いました。 (あたしは、駅のこんなすぐそばにいたのかしら? ずっと? それとも……。ううん、そんなの、どうでもいい。でも、ああ、あんなに近いのならば、今から走れば、まだ間に合う、間に合うわ! 待って……!) いったん駅舎に遮られた車掌の姿が、すぐにホームの上に現れ、小走りにホームを横切り、車掌室のドアから列車に飛び乗りました。 春子は思わず、一歩前に踏み出しました。 けれど、それ以上は動きませんでした。 喉から出かかった声をそのまま飲み込み、差し伸べかけた手を途中で止め、ただ、春子の目だけは、ずっと列車を見つめていました。 春子は、力なく、ゆっくりと手を下ろし、口を閉じました。 まだ何か言おうとするように唇が微かに震えましたが、春子は黙ってその場に立ち尽くしていました。 飛び乗った車掌は、ドアから半分身を乗り出し、ちょっと辺りを見回しました。 そして、離れたところで立っている春子に目を留めて、軽く挨拶するように、白い手袋の手を帽子のあたりに上げ、それから前に向き直って、笛を手に取りました。 客車の窓に、まばらな人影が見えましたが、誰ひとりとして窓の外を見てはいませんでした。列車が停車したのも、発車しようとしているのも気づかぬように、みんな、まっすぐ正面を見て座っていました。 今までまともに顔を見たこともない、けれど懐かしいかつての仲間たちを見まいとして、春子は顔を背けかけましたが、次の瞬間、もう、車掌が、手にした小さな銀色の呼子を、ぴりぴりと鋭く鳴らしていました。 ごとん、と、一回揺れて、すべるように列車は動き出しました。車掌も中に引っ込んで、車掌室のドアを閉めました。 線路は、空に向かってはるかに伸びていました。 春子はこぶしを握りしめて、決然と顔を上げ、目を大きく見開いていました。 最後の車輪が地を離れ、列車はだんだん加速しながら、静かに、音もなく進んでいきました。 線路の脇の草が、激しく揺れていました。 春子はそのとき、地平線を見ました。大地は確かに、丸く広がっていました。春子は地球の自転を感じました。 春子は、ゆるくカーブを描きながら空の彼方にどんどん遠ざかっていく列車を見送っていました。 列車は空に向かって走り続けました。 どんどん高くなって、灰色の雲の中に入るかと思われました。 雲は風に流されて動いていました。 そして、列車は雲に達しました。 黒い小さな点のようでした。 その時、雲が切れました! 雲の小さな切れ間から、まぶしい太陽と青空が覗いていました。 列車は、きらりと光って、その、小さな青空に入っていきました。 眩しい太陽の光で、列車は見えなくなりました。 晴れ間がどんどん広がってゆきました。地球の野原の草が、白く光りました。 なぜだか春子は、また涙が出てくるのを止められませんでした。 寂しいような、それでいて口笛でも吹きたいような気持ちでした。 春子は、自分の心の中で、何か新しい熱いものが、力強く沸きかえっているのを感じました。 あたり一面、まばゆい光と涙のために、白くかすんで揺れていました。 太陽の光が一筋、春子の、涙の溜まった目に差し込んで、本当に春子は何も見えなくなってしまいました。駅も、野原も、春子の視界から消えました。ただ、すべてがぼんやり白く光っているだけでした。 風も絶え、物音は遠ざかってゆきました。 あたりのなにもかも、自分の意識も、なんだかすうっと遠のいてゆきました――。 「おい、高野! なにぼけっとしてるんだ?」 春子ははっとして、声のしたほうを見ました。 隣の席の杉山正志でした。正志は言いました。 「もう六時間目、終わったよ。先生、お前の方、見てたぞ」 春子はあわてて、壁にかかってる時計を見ました。三時を指しています。 「やだ、ほんと? 授業、終わっちゃったの?」 「そうだよ、お前、目は開いてたけど、ほんとに起きてたのか? ほんと、高野って、ボケだなあ。何やってんだよ」 「ほんと、なにをぼんやりしてたんだろう……」 春子は照れ笑いして教科書をしまいました。 ぼんやりは、春子のくせなのです。 何か考え事をしていたようだけれども、はっと我に返って何を考えていたか思い出そうとすると、全く覚えていないのです。 だけど、今は、絶対、何かがあったような気がします。それは確かです。 けれど春子は、思い出そうとするのはやめました。 教室は暖かく、心地よいざわめきが満ちています。 短いホームルームが終わって、春子は校舎を出ました。 黒い学生かばんをぶらぶらさせて空を見上げると、空はすっかり晴れています。 土を踏むと、靴が、霜の解けたぬかるみにめり込みます。 柔らかな、春のような風に、柳の細い枝が揺れています。今はあんなふうに枯れているけれど、もうすぐ美しい新芽を出すでしょう。 よく見ると、枝はたくさん、冬芽をつけています。まだ春の来ないうちから、柳の細い枝は、芽も出ていないのにやわらかな薄緑を帯びてきて、やがて木全体が優しい緑に霞んで、春を発散させるのです。その次には、枝を近くでよく見ると小さな芽が見えるようになり、それがだんだん大きくなって、遠くから見ると枝が緑の玉をぽつぽつ付けているように見え始めます。そのうちに、その玉はすっかり細長い葉になります。その頃には、もう、すっかり春です。 「高野さーん、待って!」 誰かが春子に向かって後ろから声をかけました。 振り向くと、同じクラスの岡田礼子でした。礼子は小走りにかけてきて、春子の横に並び、言いました。 「一緒に帰ろ。うちもこっちなの」 「うん」 川べりのこの道を、柳の緑が彩る頃には、春子は高校生です。風の中に、ふと、春の匂いがしました。 ……完…… |
後書き 冒頭にも書いたとおり、中学生のときの作品です(^_^;) |
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掲載サイト:カノープス通信
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