五万ヒット記念企画・青春の赤恥公開!(^_^;) |
(前半)
教室ではストーヴが焚かれています。 窓は細かな水滴が付いて白く曇っています。 体育館の脇のメタセコイヤの木が、すっかり葉を落とした枝を元気なく垂れている姿が、パステル色のシルエットになっています。 高いところにはかなり風があるらしく、うすねず色の雲が不安げに流れていきます。 あわただしい一月末の、曇りの木曜日の六時間目、つぐみ台中学校三年二組は、英語の時間です。 春子は、英語が嫌いではありません。けれど授業は退屈でしかたがないのです。今日もぼんやり頬杖をついて、早く家に帰って読みかけの本を読みたいと、そればかり考えて、先生の喉がカメレオンのように動くのを眺めています。 木曜日の六時間目って、どうしてこんなに眠いんでしょう。おまけに、英語だなんて。 下を向いた、黒い頭、頭……。それから、制服、几帳面な先生の字……。 春子は最近、おもしろくないのです。 別にこれと言っていやなことがあるわけではないのに。 友達とけんかしたわけでもないし、失恋したわけでもないし、だいたい、春子には、けんかをするような友達もいないし、恋をしたことさえないのです。のんきな春子には、受験も悩みにはなりません。 ただ、春子にはわからなかったのです。 自分が果たして本当に生きているのか、何をしているのか、何をするべきなのか。 まるで夢を見てるように、時間が過ぎていきます。 周囲のあわただしさにまぎれて自分を失ってしまいそうです。 今まで自分は何をしてきただろうか。ぼんやり空想にふけっていただけではないだろうか。 自分が信じられないから、人も信じられない。 なんだか、心のすみっこに、何もかも吸い込んでしまう小さなブラックホールがあるような――、何かとっても大切なことを忘れていて、思い出そうとしても想い出せないような――。 何かを求めているのに、それが何だか、わからないのです。なにもかもよそよそしく感じるのです。さみしいくせに肩を張って自分の周りに縄張りを作ってしまいます。この世のものが、全部くだらないような気がするのです。 (たしかにあたしは、人間じゃないわ。こういった一切のものと、まるで関係のない、そうだ、宇宙人に違いない。きっと、そうだ) 先生の後について教科書を読んでいる生気のない声を聞きながら、春子はぼんやりと、そんなことを考えていました。 「あ、居た、居た。こんな所に……」 突然、場違いな声がして、春子は慌てて振り向きました。 授業中にこんな無遠慮な声を出すなんて――。 見るとそこには、少しあわてた様子の、白い手袋をした電車の車掌が立っていました。 走ってきたのか、少し息を弾ませて、車掌は、ほっとしたような、けれど事務的な口調で言いました。 「一体全体、こんな所で何をしていたんです? 困りますよ。列車に戻ってください。もうあと三十秒です。急がなくては」 そして、ちらりと腕時計を見ました。 驚く暇も不審に思う暇もなく、突然、春子は、何もかも思い出しました。 春子は、さっきまで、銀河鉄道に乗っていたのです。 春子の席は、車両の一番後ろの右側のボックスの、後ろの椅子の窓側でした。 一度も他の車両に行ったことがないので、自分が何番目の車両にいるのかは知りませんが、それはどうでもいいことです。 春子のいたボックスには、他に誰も乗っていませんでした。 春子はいつも、窓のところに肘をついて、後ろへ飛んでゆく景色を見ていました。 暗いときは、春子の顔が窓に映りました。 春子はそれを見つめていました。 ガラスが曇ると、春子は時々、手で水滴を落としました。すると、そこだけ外が見えるようになりました。 春子は、自分がいつからそうして座っていたのか、知りませんでした。 周りにいるほかの乗客も、どこで乗ってきたのか知りませんでした。 ただ、ときおり見回すそのたびに、何人かの人がいなくなったり、別の人が座っていたりしました。 春子は気にも留めないように、再び窓に目をやるのでした。 けれど乗客たちの間には、いつも強い連帯感がありました。 同じ列車で、同じところをめざして旅をしていたのですから。 ――シャスカウディヴラ。誰もが一度は憧れる永遠の夢の国。 ああ、どんなに遠くたって、それがなんだっていうのでしょう。 一番すみの座席で、春子は黙って座って、くる日もくる日も窓の外を、独り、眺めていました。 ある日、誰かがやってきて、春子の向かい側の席に、黙って腰をおろしました。 春子は窓を見ていました。 その人も、何も言わずに、窓を見ているようでした。 そのとき、窓の外には、双子の星が仲良く光っていました。 春子は、確かに自分たちはあの双子星のように近しいのだと思いました。 その人も、そう思ったに違いありません。ふたりとも一言も口を利きませんでしたが、自分たちが友達同士なのだと、心が深く結びついているのだと、まちがいなく感じたのです。 ずいぶん長く、ふたりは、そうしていました。 やがて、双子の星は見えなくなりました。 急にぎくりとして、春子は向かいの席にはじめて目をやりました。 そこには、誰もいませんでした。そこに誰かがいたことなど信じられないように、冷たい空間があるばかりでした。 一瞬、春子の心に、驚きと、絶望を含んだ激情が湧きあがりましたが、それはすぐに消え、静かな悲しげな面持ちで、春子は空いた座席を見ました。 ふいに春子は、座席の上にキラリと光るものをみつけました。小さな星のついたピン止めでした。 春子は手を伸ばして、それを拾いました。 座席に触れた手は、そこにまだかすかなぬくもりが残っているのを感じました。 さみしさと後悔と諦めの入り混じった、不思議に静かな気持ちで、春子はピン止めを手に握り、またてのひらを開いて、キラキラ光る青い星を眺めました。 もしかすると、あのひとはこんな目をしていたのかもしれないと、春子はふと思いました。 すると、目の前にありありと、見たことのないその人の姿が浮かんできました。 星のように光る瞳をして、優しい、少し悲しげな、穏やかな微笑をかすかに浮かべ、静かに窓の外を見ているのです。 そのときから、春子は、曇った窓ガラスに形を書くようになりました。 それはやがて、絵や、言葉を示す文字になりました。 春子は、それを見つけたのです。 そして春子は、いつも、自分の向かいの席に友達を持つようになりました。 ときどき、あの、背の高い、白手袋の、どことなく慌てものらしい車掌が、ひょうひょうと通路を歩いていきました。 車掌はいつも、事務的で礼儀正しい、味も素っ気もないような態度をしてました。 春子はこれまで一度だけ、車掌と話したことがあります。 「失礼いたします。切符を拝見させていただきます」 「どうぞ」 「……結構です」 たったこれだけです。 けれど、その、そっけなさも、さして気になりませんでした。 あまりに事務的すぎて、彼は、列車の付属品のように思えたのです。 誰も彼のことを気にとめたりはしませんでした。 ある意味では、車掌は、乗客に、全面的に信頼されていたといえましょう。ただ、人間としての心のふれあいを彼に求めるものは、いなかったのです。 ある日、銀河鉄道は、『地球』に停まりました。 なぜか、その時、春子は降りてみる気になり、初めて自分の席を離れ、ドアーの前に立ちました。 小さな駅でした。 けれど春子は、ホームの柵の向こうの草っ原に咲いている、一輪の小さな花を見つけました。 そして、そのとたん、決心したのです。 春子は、思い切って列車の外に踏み出しました。 青い星のピン止めをしっかり握り締めて。 さわやかな風が、春子の髪を撫でました。 ドアのすぐ脇で列車に背を向けて立っていた車掌が、春子に気づいて言いました。 「お降りになりますか。ええと、あなたは確か……」と、車掌は春子を見て、一瞬考えるようにしてから続けました。 「終点まででしたね。停車時間は絶対時の十五分。早めに戻ってください」 そして春子は、地球に降りたのです。 |
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