■8年ぶりのカトマンズ

バンコクを飛び立った飛行機は、およそ3時間のフライトを経て、カトマンズのトリブヴァン国際空港に到着した。

ボーディングブリッジではなく、タラップで直接飛行機から降り、駐機場を歩いて入国審査場へ向かう。空港は相変わらず、こじんまりとしたレンガ色の古い建物で、ホントにこれが空港か?と思わせる外観であった。

空港の出口に出ると、タクシーや宿の斡旋など、客引きがわんさかと私の前に寄ってくる。日本語を話す客引きも多かった。とりあえず何人かと話してみて、1泊7USドルだというタメル地区の宿に決め、その客引きと共に車に乗りこんで目的地へ向かった。

ネパールに来たのは実に8年ぶりだ。初めてネパールを訪れたときもカトマンズ盆地に滞在した。首都でありながら素朴さを感じるカトマンズの街の雰囲気が気に入り、いつかまた滞在したいと常々思っていた。そしてこうしてまた再訪の機会を得てカトマンズにやってきたのである。

「ネパールは初めてですか」客引きが尋ねる。
「いや、2回目です」
「以前はいつ来ましたか」
「8年前ですね」
「えー、8年ですかー」
「そんなに変わってないでしょ」
「変わりましたよー。たとえば国が変わりました」
そうなのだ。車窓からの光景は以前と変わらないが、ネパールという国自体は大きく変わった。私が以前訪問したときは「ネパール王国」だったのだが、2009年現在は「ネパール共和国」なのである。

2001年の旅行を終えた直後の6月、ネパール王室で事件が発生した。ディペンドラ皇太子が父・ビレンドラ国王ら多数の王族を殺害し、自らも命を絶ったとされる事件である。そのとき現場に居合わせていなかったために難を逃れたビレンドラ国王の弟ギャネンドラが、のちに国王に即位した(ただしこの事件の犯人はディペンドラ皇太子とされてはいるが、実はギャネンドラの謀略ではないかというウワサもある)。ギャネンドラ国王による統治は、議会や内閣を一方的に停止させ、親密な王党派を首相に任命するなど独裁的な色が強く、民衆、他政党、マオイスト(反王政ゲリラ)の反感を大きく買った。2006年ごろから反国王運動の熱が高まり、各地でデモやゼネスト、武力衝突が頻発した。ギャネンドラはこの混乱を受けて直接統治を断念し、国民への権力移譲、議会復活を余儀なくされる。そして2008年に王政は廃止され(ギャネンドラ国王退位)、ネパール共和国が誕生したのである。たった数年のうちにこれだけ混迷した社会をこの人たちは経験してきたのである。

今回の旅では、ネパールはあれからどう変わったのかという興味も含んではいたが、車窓から見る街の雰囲気は、それほど変わってはいないようだ。何だか安心した。

車は街の中心部にあるタメル地区に入る。タメル地区はいわゆるツーリストエリア。外国人向けの安宿、レストラン、ネットカフェ、お土産屋、銀行などが乱立する場所だ。この活気、懐かしい。以前と比べて若干真新しい店が多くなったか。
さて、ホテルに到着して荷物を置いた後は、さっそく街をぶらついてみることにしよう。おそらく観光客の大半がタメル地区に滞在することから、そこがカトマンズ散策のスタート地点となる。南に下って行き、タヒティチョーク、アサンチョーク、インドラチョークなどの旧市街を通ってダルバール広場(王宮広場)までのおよそ南北2km程度が、観光ガイドにも紹介されている散策ルートである。そしてタメルへの帰り道は、行き当たりばったりで路地などに迷い込んでみるのも面白いかもしれない。旧市街自体はそんなに広くないので迷子になることはおそらくないだろう。

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