§1  メディナで迷う (チュニス)

長期の休暇が取れたので、久しぶりにアラブ圏に行ってみることにしました。数あるアラブの国の中で私が今回選んだのはチュニジアです。北アフリカの国で、エジプトの2つ隣、地中海を挟んでイタリアの対面に位置します。一度アフリカ大陸、特にサハラ砂漠には足を踏み入れてみたかったものですから、ここを選んでみました。比較的アラブ圏の中では行きやすい国のようで、ヨーロッパ人にとっての外国旅行先としても人気が高いらしいです。

今回も個人旅行で行こうかなぁと思ったのですが、どうやらサハラをメインとした南部エリアは公共の交通機関がほとんど発達しておらず、個人旅行者が短期間で行くのは不可能に近いんだそうです。というわけで、南部エリアの観光については、現地の旅行会社が3日間という短期の4WDツアーを催行しているということなのでそれに参加することして、一方、都市のある北部エリアに滞在するときは、単独でぶらぶら過ごすことにします。

旅行当日、2005年2月に開港した中部国際空港(セントレア)から日本航空の国際線に搭乗し、まずは成田空港へ向かいます(名古屋〜成田間なんですけど、なぜか国際線扱いらしいです)。次に成田から同じく日本航空で、乗継地であるフランスのシャルル・ド・ゴール空港へ移動。さらに今度はエールフランス航空の便に搭乗し、チュニジアの首都チュニスチュニス・カルタゴ国際空港に到着です。いやー、久しぶりの長時間移動でした。やっぱり飛行機の移動はきついですな。特に日本〜パリ間、あの狭い機内に11時間以上も座り続けるというのは、私の中では罰ゲームに近いものがありますよ。

到着したときには、チュニジアは深夜になっていました。前回のレバノン旅行でのトラブルの教訓から、一夜目のホテルについては、あらかじめ南部ツアーと同じ旅行会社を通して送迎つきで予約を入れておきました。迎えてくれた車はピンク色のワゴン車でした。どうやら送迎ドライバーの話によると、この旅行会社、テレビ番組「あいのり」のチュニジアロケの担当もしていたらしく、このピンク色のワゴン車はラブワゴンとして実際に使用していたものらしいです。ふーん(←あんまり興味なし)。今夜のホテルは新市街のど真ん中。街歩きをするには便利ですね。今日はもうサッサと寝ることにします。

翌日、さっそく首都チュニスを観光です。チュニスといえばやっぱりメディナだろうということでそちらへ向かいます。メディナとは、北アフリカ地域の各街で見られる旧市街のことです。14〜15世紀あたりにできた、いわば要塞化された街です。外敵を迷わすことを目的として、無数の路地が迷路のように張り巡らされているのが特徴です。現在も人が生活しており、その人達のためのスーク(市場)や、モスクなども点在しています。路地、迷路、スーク…これだけ私の血を騒がせる単語を並べられちゃあ、そりゃ行かないワケにはいかないのであります。


フランス門
(元々メディナの周りは城壁で囲まれていたが、
現在はこの門だけが残っている)

メディナの東にあるフランス門を起点として散策です(散策というよりは、迷路だから探検に近いですね)。メインストリートであるスークのストリートは観光客でいっぱいで、賑わいを見せていました。いいですねぇ、くどいようですけど、こういう狭い路地にお店がひしめき合い、活気に溢れかえっている光景は大好きです。チュニジアを観光する日本人が多いことも影響してか、私の顔を見るとお店の人達が「こんにちは」とか「カラテ」とか「ナカタ(中田)」と日本語で声をかけてきます。残念ながら私はナカタではない。

  

  
チュニスのメディナにあるスークストリート
活気があります

今度は居住区(メディナの北側、南側)のほうも散策してみます。先ほどの中心部の賑わいとはうって変わって、静かで穏やかな光景になります。これはこれで現地の人の生活が見れるので興味深いです。居住区を歩いていると、そこに住む現地の人達が気軽に挨拶してくれます。外部の人間を快く受け入れてくれるというのはうれしいものです。

旧市街に存在するモスクは、結構歴史のあるものが多かったです。別に建築マニアでないですが、モスクというあの独特の建造物には興味をそそられます。特にアザーン(礼拝の呼びかけ)のためのミナレットはモスクのシンボルみたいなものですから、芸術的なこだわりが見れて面白いですね。


スークの近くにあったモスクのミナレット


メディナの南側の居住区にあった
モスクのミナレット

さていろいろ歩き回っているうちに、時間は正午になってしまいました。昼飯はメディナ近くにある食堂でとることにします。観光客向けの所ではないので、メニューを見てもフランス語表記なので全然分かりません(チュニジアの公用語はフランス語とアラビア語)。ガイドブックに書いてあった表記とメニューを照らし合わせていくと、クスクスというメニューを発見。チュニジアの定番料理だそうで、値段も2ディナールと安かったのでそれを注文してみます(旅行当時の為替:1ディナール=約85円)。

小麦粉を粉状にして蒸したものとのことなので、味や食感が想像できなかったんですが、実際に食べてみると結構おいしかったですよ。でも小麦の量が具に対して多すぎ。ちょっと残してしまいましたけど。


クスクス

午後もメディナをぶらつきます。南の居住区をぶらついていたとき、若い男性からいきなり英語で声をかけられました。
男「こんにちは、日本人かい?」
私「えっ? …ええ」
男「日本人にはね、知り合いがいるんだ」
男は名刺入れを取り出し、名刺の束の中から、日本人の名前が入ったものを見せてきました。
男「メディナは広くて迷子になりやすいから案内してあげる。一緒に行こう」
これまでは気軽に声をかけられてうれしかったんですけど……うーむ、この男に限っては何だかすごく怪しいです。いきなり名刺を見せて、日本人の友達だと強調してくるのは、東南アジアの客引きの手段と重なるところがあって、どうも胡散臭いです。チュニジアにもいましたか、こういう輩が。

「道は分かるからいいよ」と断るんですが、なぜかその後もずっとついてきて勝手に話しかけてきやがります。もう〜、ウザったいです。
男「ここは歴史のあるモスクだ。一緒に中に入ろう」 ←何でお前が勝手に仕切ってんだ
男「一緒にコーヒーでも飲もうか」 ←睡眠薬を入れられそうで怖い
男「どうしてそんなアンハッピーな顔してるの?」 ←お前がいるからだアホウ

いい加減腹立ってきたので、どうにかコイツをうまく撒くことにします。スキを見て狭い路地をダッシュです。向こうも追いかけてきます。何とか追って来れないようにするため、迷路の街であることを利用して、あっちへ曲がったりこっちへ曲がったりして相手を撹乱させます。そうしてどうにか撒くことに成功しました。

しかし、いろいろぐるぐると走り回ったせいで、今度は私が迷子になってしまいました。いま自分がどこにいるのかさっぱり分かりません。アイタタタ。大規模な迷宮都市ということで、これまでは地図を見ながら慎重に歩いていたんですが、とうとうやっちまいましたな。…まあでも、迷ってしまったものは仕方ないです。時間的にもそう急いでるワケでもないので、ここはいっそ迷子を楽しむことにしますか。

メディナの居住区はどこも同じような光景なので、本当によく分かりません。私は一体どの方向に歩いてるんでしょうか? ミナレットが見えれば目印になるんですけど、それすら見つかりませんな。

  
居住区はどこもよく似た路地ばかり

居住区を彷徨っているとき、変わった場所を見つけました。これまで私がメディナの中で見た建物は白と青を貴重とした建物が多かったんですが、私が辿り着いた地区は白と緑が貴重の建物が並んでいます。道幅も車が通れるくらいに広めでした。白と緑があるんだったら、他にもいろんな色をベースにした建物があるんでしょうか? ここらへんの建物はキレイですねぇ。太陽の光を受けて、白がより映えて見えます。

  
おそらくメディナの北側あたりの光景とみた

で、ずーっと歩くこと数十分、ようやくメディナの外に出ることができました。よかったよかった。こんなこと言うのもバカみたいですけど、迷路の中で鬼ごっこなんてやっちゃいけませんね。いやしかしながら、メディナってのは面白い! 路地フリークにはたまらん! 帰国日にもチュニスに滞在して、メディナを迷いながらぶらついてやりますよ。

さて時間は流れて夜8時ごろ。チュニス・カルタゴ国際空港へ向かいます。実は明日から、申し込んでいた3日間の南部ツアーが行われるのですが、集合場所がトズールという街なんだそうで、そこまでは自力で移動する必要があるのです。自力で移動しろなんてやや乱暴な感じですが、日本ではなく現地の旅行会社のツアーだから仕方ないといえば仕方ないです。それで、トズールはチュニスから400kmも離れた場所なので、空路で移動するというわけです。

空港に赴き、トズール行きの国内線に搭乗です。国内線の飛行機はすごく小さく、しかもプロペラが剥き出しでした。でも乗客の大半は日本人観光客だったのでビックリです。どうやら団体ツアーでは頻繁に使われる路線のようですね。

深夜過ぎに南部の都市トズールに到着し、タクシーでホテルへ向かいます。二夜目のホテルもあらかじめツアーと同じ旅行会社に手配してもらっていました。特にホテルのグレードの希望などは伝えていなかったのですが、今夜のホテルはすげぇ豪華でした。バンガロー形式という趣のある客室で、部屋も広すぎ。ここに一人じゃ、逆に落ち着かないなぁ。


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