§2  歴史と現代の錯綜 (マイソール)

寝台車の中で6時ごろ起床です。何だか頭がボーッとしてます。それもそのはず、ゆうべ上段のベッドで寝てる間、冷たすぎるエアコンの風がずっと私の脳天に直撃してたんですよ。何でこんなにもエアコンをガンガンと稼動させるんだ? インド人ってのはいつもこんな極寒の列車に乗っているのか? …う〜っ、マジで寒かった。

起床してからも列車はずっと西に走り、10時ごろに、チェンナイ以西400kmに位置するデカン高原最南端の街マイソールに到着です。列車を降りてみると、チェンナイと違って涼しくて心地よい風がプラットホームを吹き抜けています。この街は海抜770mの所に位置しているということなので、チェンナイよりも快適に観光ができそうですね。

まずは今夜泊まるホテルを探します。3人で議論した結果、ちょっと値段高めの中級ホテルに決定。駅から街までは少し離れているので、オートリキシャーで向かうことにします。駅前には客引きをしつこくやっているリキシャーワーラ(オートリキシャーの運転手のこと)がたくさんいましたが、客引きしてる連中はちょっとヤバイだろうということで、駅からしばらく離れた所へ行き、そこで流しのリキシャーをつかまえることにしました。ところがここで、その客引きの1人であるオヤジに目をつけられてしまい、ずーっと付き纏われてしまいました。駅から離れても流しのリキシャーは一向につかまらず、それでいてA君の隣では、常にそのオヤジが「わずか10ルピーで乗せてやる」としつこく言い寄ってきます。時間がムダなので3人はとうとう観念して、仕方なくその客引きのリキシャーに乗車することにしました。オヤジ大喜び。

…予想通り、そのオヤジは私達が泊まろうとしているホテルには向かわずに、全く別のホテルへ向かってしまいます。「ここのホテルの方が安いぞ」などと言って、勝手に紹介しはじめるのです。おそらくこのホテルとオヤジがつるんでいて、ホテル側からマージンをもらうためでしょう。でも私達は、「いやダメだ、最初に言ったホテルへ行け」と頑なに拒否をします。オヤジは不満そうな顔をしながらも、実際のホテルへと向かったのでした。

しばらくしてそのホテルに到着。ここでオヤジへの料金の支払いとなります。きっとぼったくられるぞーと思ってたのですが、意外や意外、最初に提示した10ルピーだけでいいとのこと。…あれっ? なーんだ。実はこの人って素直なんじゃないか。疑っちゃってごめんなさい。そう思いながら私達は10ルピーを支払いました。

しかしそう思ったのも束の間、実はホテルにチェックインし、前金でホテル代を払った後に、オヤジがそのホテル側から100ルピーを受け取っていたのをA君が目撃したらしいです。おいおいナンダヨ、結局このオヤジ、このホテルともつるんでたんじゃねーか。ふざけんなよコラ。…しかしオヤジときたら、あまりにもいい笑顔をしながらその場を去っていったので、こちらもなんだか気持ちが萎えて文句を言えずじまいだったのでした。 ………。

  
マイソール市内

まあいいや、とにかくさっそく街をぶらつこうということで、荷物を部屋に置いて外出です。途中、近所のレストランでゆうべと同じチャパティを主食としたミールスを食べた後は、マイソール市街の中心にあるマハラジャ宮殿へ向かいます。

このマイソールという都市、200年程前まではマイソール藩王国と呼ばれており、政治経済の中核を担ってました。その王国を築き上げたのはハイダル・アリーとティープー・スルターンの2人の王。彼らは父子であり、2代にわたってこの地方に数々の宮殿や寺院を建てていきました。そしてそれらの建造物は、以後イギリスの支配下にあるときも常に敬重され、現在に至るまで残されているのです。

それでマハラジャ宮殿というのはその建造物の一つであり、マイソール藩王が住まいとしていた宮殿なのです。入口で15ルピー払って敷地内に入ってみると、いきなり巨大な宮殿が私たちを迎えてくれます。おおーっ、これはすごいきれいな宮殿です! S君とA君もあまりの美しさに共に「すっげぇー」と声を荒げてます。この宮殿、聞くところによるとイスラムとヒンズーを融合させた建築様式のようで、なるほど遠くからは巨大なモスクに見えるのですが、近づいてじっくり見てみるとヒンズー様式特有の細かい装飾が施されているのに気付かされます。同じ建築様式で世界遺産のタージ・マハルもすごいと聞きますが、こちらの宮殿の方も負けじ劣らずすごいんじゃないかと思いますね。

  


マハラジャ宮殿

宮殿内は博物館になっているということなので、そちらのほうも見学してみることに。柱といい天井といい、こちらも美しい彫刻等で埋め尽くされています。特大サイズの藩主の肖像画、宝飾品などの展示物も多数陳列されており、いかに当時の王家が繁栄していたかがひしひしと伝わってきます。

博物館の外に出た後も、宮殿の美しさを収めておこうと、3人ともがずーっと宮殿の写真ばっかり撮ってました。なぜかこの場所は長居をしていても全然飽きることがないんですよね。目まぐるしく変わる時代の中で、この場所だけが変わることなく当時の栄華を残している…まるで時間が止まったようなその空間に私達は魅了でもされてしまったのでしょうか? あまりにも長居しすぎてそのまま閉園時間を迎えてしまい、係員に外に追い出されてしまうなんてこともあったりして…。

もうだんだん日も落ちてきちゃいましたが、まだしばらく街中をぶらつくことにしてみます。観光名所ではないのですが聖フィロミナ教会というところに到着。マハラジャ宮殿から北に3kmくらいの所に位置するキリスト教の教会で、これもかなり歴史の古そうな建物です。前回のネパールのように、この国もいろいろな宗教が混ざり合っているようで、教会のすぐそばにモスクやヒンズー教寺院がありました。

実際に教会の中に入ってみるとミサをやっていました。しばらくその様子を見学していたのですが、なんともインドの我流ぶりが所々に現れていて驚かされました。神父さんが教えを説いた後、教徒の皆さんが聖歌を歌うのですが、それがもう今まで聞いたことのある聖歌とはまるで違うのです。まるで伝統民謡を聞いているような、そんな独特の音調を導入していました。そして何よりも興味深かったのが石像のマリア様が民族衣装のサリーを着てたってことですよ。このことからも、その宗教が現地の人に十分に浸透しているということがわかりますね。…しっかし、マリア様にサリーというのは……失礼ながら私、思わず笑ってしまいましたよ。

教会を後にして、徒歩でホテルに帰る途中、大きな広場に遭遇です。宮殿や教会の周辺のような穏やかな雰囲気とは一転、こちらは現地のニオイが濃厚に染み付いたといった感じで活気に満ち溢れています。特にマイソール・ガンジー・スクエアという所では、夜でありながらも、食べ物の屋台、衣服売りの屋台などがズラーッと並んでおり、大声で客引きをしています。喧騒好きの私は、この雰囲気にまたワクワクな気分です。それでこの光景をしばらく見ていたいと思ったので、夕食はそのスクエアの近くのレストランで取ることにします。これまで2食ともカレーだったので、今回は麺類や揚げ物など、それぞれが異なる料理を注文です。しかしどの料理も味がスパイシーなのは変わらず、またヒィヒィ言わされました。

夕食後もぶらぶらと街を歩きます。歩いていて気付いたのですが、昨日のチェンナイといい、このマイソールといい、インドの街中にはなぜかお菓子屋さんがいっぱいあるんですよ。単に、菓子メーカーの既製品を売っているだけの所もありますが、その店が独自に作ったケーキやクッキーなどの洋菓子を販売している所もたくさんあるのです。インド人は辛いものだけでなく甘いものにも目がないようですね。興味を持った私達は夜食として、4cm四方サイズのケーキやら、羊かんっぽいもの(?)やらを数種類購入することにしました(1個3ルピー)。でもあとで食ってみたら、使用している砂糖の量にビックリです。こりゃ甘すぎ。インド人の味覚を疑います…。

夜9時ごろホテルに帰還し、しばらく談笑して就寝。


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