§2  戦禍の跡 (ベイルート)

翌朝は遅めに9時ごろ起床です。ゆうべはいろいろありましたけど、今日から気分を入れ替えて旅を楽しむことにします。さてまずは今回の旅のルート決めから始めます。ホテルの部屋でガイドブックを眺めながらあれこれと考えます。で、その結果、今回はそれほど転々と街を移動するようなことはせず、ベイルート以外の訪問予定都市は2箇所に絞ることにしました。たまにはゆっくり移動するのもいいのではないかと思いましてね。

今日はとりあえず、ベイルートに1日滞在することにして、次の日はベイルートを発って北上し、海岸沿いにあるレバノン第2の都市、トリポリに向かうことにします。次に、一旦ベイルートに戻って、そこから東の方向にあるベカー高原に突入し、世界遺産のローマ遺跡・バールベックを訪問してみます。やっぱりレバノンに来たんだから、これだけは見ておかないといけませんわな。で、その後はまたベイルートに戻ってきて帰国日まで滞在する…という、まあこんな感じにしておきましょう。もし精神的にも体力的にも余裕があるのなら、他の街にも行ってみようかと思いますけどね。

  
今回の旅行での訪問予定都市

それで、今日はベイルートに1日滞在して、終日街中をぶらつくことにします。ホテルのフロントでレバノンの通貨「ポンド」(旅行当時の為替:100ポンド=約8円)に両替して、さっそく外出です。

私が泊まったホテルは、ハムラ地区と呼ばれる繁華街エリアにあります。まずはこのあたりをぶらついてみると…うーむ、確かに、いろんな種類の店があって朝っぱらからとても賑わっていますね。雰囲気はかなりインドや東南アジアの繁華街に近かったです。ただ違うのは、歩いてる人がみなアラブ人だったということくらいですね。

ちなみに、レバノンの民族構成はアラブ人が9割を占めています。街中を歩いていて初めて分かったんですけど、アラブ人の女性ってキレイな人が多いんですよ。ホントにもう、私のマジタイプばっかりです。言葉が通じるのなら、声をかけたいくらいです。アラビア語かフランス語をぜひ喋れるようになりたいものです。

さて、ハムラ地区から東のほうへ歩いていくと、マナラ地区というところに入ります。ここは、海岸通りと呼ばれる、これもまた現地の人に人気のスポットがある所です。その名のごとく、海岸に面している通りであり、その海岸というのは地中海だそうです。おお、初めて目にすることができましたな。


地中海を望める


鳩の岩と呼ばれる変わった岩もあった

この海岸通り、個人的には結構気に入りました。夕方ごろにもう一度行ったんですけど、ここは日が暮れ始めると盛り上がるんですよ。近くに小さな遊園地があるのですが、休日でもないのに、現地の人たちがワンサカといて活気付いてました。レバノンの人たちの日常を見れるという意味では、歩いてるだけで楽しかったですね。


海岸通り沿いにあるベイルート遊園地
(これは夕方に撮影)

またこの辺りはレストランも多く、外国人観光客がアラブ料理を楽しむには最適な場所ではないかと思います。私も、中東の定番料理であるケバブや、地中海の魚を使った料理、またナッツの入ったジュースという変わったデザートも堪能できましたよ。注文した時にてっきりグレープジュースかと思ってましたけど、飲んでみたらバラ水みたいな味でした。でもこれはこれでなかなか美味。

さて、午後からはハムラ地区やマナラ地区とは反対の西の方へ。実は行ってみたいところがあるので、そちらへ向かうことにします。それはダウンタウン(旧市街)と呼ばれる場所です。知ってる人も多いと思いますが、レバノンと言えば、1989年まで戦禍を被っていた場所です。1975年、イスラム教とキリスト教の宗教的な対立によって起きたレバノン内戦、さらに1982年、当時ゲリラが多かったPLO(パレスチナ解放機構)を一掃するという目的で起きたイスラエルのベイルート侵攻……この2つの戦争によって、この都市は瓦礫の町と化したそうです。そして、ベイルートの中で最も激しい市街戦が行われたのが、そのダウンタウンなんだそうです。今では、復興作業もかなり最終段階にあるようで、大半がきれいな街並みに戻ってるみたいですが、中にはいまだ廃墟のままになっている建物もあるとのこと。それなら、戦争の実態を知るという意味で、一度見ておこうと思ったわけなのです。

ダウンタウンはハムラ地区から西へ2km歩いたところにあります。ガイドブックによると、「ハムラとダウンタウンとの間にある地区(サナエイ地区と呼ばれる)はあまり治安がよくないため、ダウンタウンへ行くならタクシーを使う方がよい」と書かれていましたが、昼間だし、車の往来の激しい通りがあるから大丈夫だろうと思い、徒歩で移動することにします。

このサナエイ地区を歩いてみると、やはり先程の場所とは違う雰囲気であるのが即座に分かります。ちょっと寄り道で、その車の往来の激しい通りから一本外れた道を通ってみたのですが、全然違う光景に変わってしまうことに驚かされます。修復中のビル群がズラッと並んでいて、人がほとんど通らない、まるでゴーストタウンのような光景が見られるのです。さすがにこの時は、「あっ、ここを歩くのはヤバイ」という直感が働きましたね。

また、街中を歩いていて怖かったのが、ときどき近辺から銃声や爆発らしき音が聞こえてくるのですよ。現地の人いわく、「工事の音か、もしくは誰かがイタズラで花火をやってるんだろう」だそうですが、いまだイスラム過激派が活動している国だけに、そんなイタズラは勘弁してほしいもんです。

途中で迷子になりながらも何とかサナエイを抜けてダウンタウンに到着です(この付近の道路はみな立体交差になってるせいで、地図が全然役に立たなかったぞオイ)。さてダウンタウンは時計塔を中心に同心円状に街が形成されています。まずはその時計塔まで行ってみることにします。

さすがに、戦争が終結してから10年以上経ってるので、中心部の街並みは生まれ変わっていて、まるでヨーロッパのどこかの街を歩いているようでした。しかし、修復した建物で営業している店はまだそれほど多くない状況であるため、街全体の雰囲気としては、活気のないひっそりとしたものでした。それに、この付近ではなぜか、銃を持った軍人らしき人達がたくさんおり、みな警備をしていました。…この付近は治安が悪いのでしょうか。

  
きれいになったダウンタウン

しばらくこのあたりをぶらついていたら、修復途中である建物を発見することができました。その建物の破損状況を見てみると、生々しい弾痕、今にも崩れ落ちそうな天井や壁がたくさんあって、何だか見ているうちに鳥肌が立ってきましたよ。

  
戦争の傷跡はまだ存在する

また、時計塔の真下や、喫茶店が並んでいる通りでは、なにやら路上写真展みたいなことをやっていました。それは、復興前(戦争終結直後)の街並みの写真と、復興後の同じ構図の写真を2つ並べ、それらを比較することによって、いかに戦争の被害が酷かったかを把握できるという構成で展示されてました。こうやって写真を見ているうちに、よくぞここまで復興できたものだという喜びと、戦争というものに対する怒りが同時に感じられてきます。

戦争の傷跡が残る場所に出向き、その現状を目の当たりにして、「戦争はなんて酷いんだ、ぜったいにやってはダメだ」なんて感想を述べることは、ありきたりで当たり前だと思われるかもしれません。しかし、その当たり前のことがなかなかできないのがこの世の中の現状です。そんな不条理がいまだに存在するからこそ、私を含めて全員が、こういったありきたりで当たり前なメッセージをずっと発するべきなんだと思いますね。

さて夕方ごろになり始めたので、ダウンタウンを後にします。またハムラ地区やマナラ地区を散策などして、今日の観光は終了です。ベイルートってのはなかなか興味深い街でしたね。また帰国日にはここに1日滞在することにしましょう。

ホテル帰還は夜7時前。繁華街とはいえ、あまり夜間に出歩くのはよろしくないようなので、そのままホテルに引きこもりです。部屋に滞在してると、遠くの方から、また爆発音らしき音が何度も聞こえてくるのですが………オイオイ、本当に花火や工事の音なのか?


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