§1  入国拒否の危機 (ベイルート)

今回の行き先はレバノンです。知らない方のために言うと、中東に位置する国で、イスラエルとシリアに挟まれた小さな国です。パックツアーが催行されてたとしても、おそらく2〜3日くらいしか滞在しないであろうという、観光としての注目度があまり高くない国です。なぜそんなところに行くのかと不思議に思うかもしれませんが……いや、本当は別の中東諸国でもよかったんですよ。シリア行きやらヨルダン行きやらの航空券についてもアクセスしてたのですが、他の国への航空券が取れず、たまたまレバノン行きのものだけが取れたので、じゃあそこへ行こうということにしたのです。

レバノンという国は、日本人にとってはあまりいいイメージがありません。15年にわたる内戦、イスラエルとの戦闘、パレスチナ難民キャンプが各地に点在、イスラム過激派の活動拠点、そしてかつての日本赤軍の活動拠点…などなど、何やら危なそうな単語ばかりが目に付きます。しかしながら、そこへ行ったことのある旅行者の話を聴いていると、「なかなか面白い所だった」「治安は安定していた」という意見が多かったので、どうやら大丈夫そうだと確信し、渡航を決意したわけです。今回は現地のツアーにも参加せずに、完全に単独行動で動くことにします。たまにはそんな旅のスタイルもいいでしょ。

さて、今回の旅はちょっと特殊でした。レバノン旅行の話をする前に、まず出発1週間前の出来事について述べておくことにします。

レバノン入国にはビザが必要です。レバノンのビザを取りに大使館へ行かなければなりません。通常、レバノンビザは現地の空港で取得が可能なのですが、どうもそのビザの取得条件ってのが流動的なんだそうで、東京のレバノン大使館に問い合わせてみても、「いちおう現地で取れることは取れますが、中東情勢の如何によっては急に取れなくなったりすることもありますので、こちらとしてはあらかじめ日本で取っておくことをお薦めしています」などという答えが返ってきます。そんなこと言われたら何だか不安になってくるので、仕方なく大使館まで出向くことにしたわけです。…もちろん旅行代理店に頼めば、ビザの取得代行だけをやってもらうなんてことも簡単にできるわけですが、出発までの時間がもうあまりなかったものですからあきらめました。(←代理店通すと時間がかかるんですよね)

そんなわけで、出発1週間前に東京へ行き、ビザ申請の手続きをしました。そして翌日、その受領にまたそこを訪れたのですが、その際にビザセクションにいた女性がこんなことを言い出したのです。「ウチの上司が、あなたと話がしたいと言っておりますので、少しの時間会って頂けますか」。……えっ、何? 私に話がある? お偉いさんが? 何でそんな展開になるの? ビザを受領したらそれで終了なんじゃないの? …ひょっとして私ったら、要注意人物みたいに思われているのか!?

すぐに女性が電話でその上司とやらに「彼が来ました」などと電話をし始めます。すると奥の個室の方から、スーツを身に纏った、明らかにお偉いさんと思われる外国人の男性が私のところにやって来ました。「ようこそ、私の部屋へどうぞ」と英語で声をかけてきます。どうやら日本語はしゃべれないようです。「おいおい、なんだよ〜」と不安に駆られながら私は彼の個室に入ることに。個室の豪華さを見るとかなり高い役職のようです。

ソファに座らされると、彼はすぐに「君はなぜレバノンに行くのか?」「何日くらい行くんだ?」「いつ帰ってくる?」「他の中東の国へは行ったことがあるか?」などと執拗にどんどん質問を投げかけてきました。うわー、やっぱり私って怪しまれてるんだ。どうしよう…もしかしたらレバノンに行かせてくれないのかなぁ、と不安はさらに募ってきます。

ところが、質問に対する私の回答を聞いて納得すると、彼は急に変なことを言い出してきました。
彼「実は君に頼みたいことがある」
私「?」
彼「レバノンのパンが欲しい」
私「……???」
彼「私の代わりに、パンを私の兄弟からもらってきてくれないか」
私「……はあっ!?」

どういうことかというと、このお偉いさん(名前はAさんというらしい)、普段日本にいる時でも、レバノンのパン(俗に言うナンのこと)を主食として生活をしているようで、そのパンはいつもご兄弟の方が日本にやってきた時にもらっているんだそうです。ところが、たまたま今月分(12月)のパンが手元になく、且つご兄弟の方が次に日本にやってくるのは1月以降であるため、結果、12月の間はパンを食べれないという状況に陥っているのだそうです。つまり、「そういう状況は耐えられないから、君がレバノンに旅行に行くんだったら、ついでに私の12月分のパンを兄弟からもらってきてくれないかい?」と、そういう頼み事だったわけです。

なんだよー、個室なんかに呼び出されるから、てっきりヤバイことなのかと思ったらそういうことか。「だったら別に構わないですよ、そんなに難しいことじゃなさそうだし」と、私は彼のお願いを受諾することにしました。Aさん大喜びです。さっそく彼の兄弟の住むレバノンに国際電話をかけ、ご兄弟の方に、私がレバノンのパンを受け取るという旨をあらかじめ伝えておき、そうしてその日はレバノン大使館を後にしたのでした。……というわけで、レバノン大使館からお使いを頼まれるという、そんな異様な展開で、この旅行は幕を開けることになりました。

1週間後の旅行当日、成田空港からKLMオランダ航空で、まずは乗り継ぎ地であるオランダの首都アムステルダムのスキポール国際空港へ向かいます。そして空港で4時間ほど待機し、続いて乗継便に搭乗。深夜1時ごろ(現地時間)にレバノンのベイルート国際空港に到着です。ここまでの移動時間は空港での待機を含めて21時間でした。長いっ! 嬉しくないけど移動時間の最高記録です。できれば、トルコかUAE経由のチケットが取れるとよかったんだよなぁ。帰国便もこんな調子かと思うと今の時点からイヤになっちゃいますな。

…さて、いよいよレバノン入国だとワクワクしながら入国審査所に向かったわけですが、実はここで、この旅一番のトラブルをいきなり最初に迎えてしまうことになります。

審査所で私は審査官に入国カードを手渡しました。すると審査官はそれを見て、こんな質問をしてきました。「滞在先はホテルと書いているが、予約はしているのか? しているならその証明書を見せろ」。 なにっ? そんなこと言われるの初めてだぞオイ。思わず私は狼狽してしまいます。

どの国の場合でも、入国カードにはその国での滞在先を記入する箇所がありますが、通常は、よっぽど変なことを書かない限りは特に何も指摘されないものです。これまで私が入国した国に関してはそうでした。たとえ泊まるつもりがないホテルの名前を書いたとしても、それで楽々と入国できたものです。今回の旅行に関して言えば、一夜目のホテルは、入国してから探すつもりでした。なぜなら中東のホテル(特にレバノン国内のホテル)というのは、仲介してくれる旅行代理店が少なかったり、取り扱っていたとしても経費が高いホテルしかなかったりなど、日本からはどうも予約が入れづらかったからです。そのため、入国カードの滞在先には、ガイドブックで見つけた適当なホテル名を記入していたのです。

ところが、この国の入国は他の国のようにはいかないようです。証明書など持ってないので、私は正直に「予約してない」と答えました。すると、審査官は険しい顔に変わります。どうやら私のことを怪しい外国人と思い始めたようです。これはマズイ展開。

その審査官は別の審査官を呼び出し、このことを報告し始めます。すると、その報告を受けた審査官はまたさらに上司と思われる別の審査官を呼び出し始めます。これが繰り返され、最終的にはなんと私のところに6〜7人くらいの審査官が集まってしまい、私の処置に対して議論を始めてしまいました。うわー、もう最悪な状況…!

よくよく考えたら、こうなっちゃうのも仕方ないんだよなー。日本人が独りで、深夜の空港に観光を目的としてノコノコとやってきて、おまけに今日泊まる所がまだ決まってないとあれば、そりゃ向こうだって不審に思いますよねぇ。中東を他のアジアの国と同じように見てたのは甘かったですな…。

審査官同士のケンカみたいな議論が続くこと10数分、そのうちの1人が埒があかないと思ったのか、私にこう話し掛けてきました。「レバノン国内に知人はいないのか?」。…おそらく「いない」と答えてしまうと、また話がややこしくなり、ヘタすると完全に入国拒否の状態になってしまいそうです。なので、仕方なく私は、大使館スタッフAさんの兄弟のことを話すことにしました。Aさんから、彼の名刺と、ご兄弟の連絡先が書かれたメモを頂いていたので、それを審査官に提示してみます。

すると、その審査官はおもむろに電話機に手をかけます。そして、「彼に電話して、ここ(空港)に来てもらう。君の知人だという確認が取れたら、入国を許可する」などと言ってきやがります。げぇっ、それはヤバイ、えらいことになった! 今、深夜の2時だぞ。こんな時間に呼び出すの? そんなの彼に迷惑がかかるってば!

私の当初の計画では、入国したらまずホテル探しを行い、部屋が確保できたらそこで夜が明けるのを待ち、Aさんの兄弟が起きているであろう昼間の時間帯に連絡をして、自分の滞在してるホテルまでパンを持ってきてもらう…という流れを組むつもりでした。なのに、まさに今、深夜の時間に審査官は電話をかけようとしやがるのです。こちらが抑えるのも振り切って、審査官はAさんの兄弟に電話をかけ、ここに来るように要求してしまいます。すると、ご兄弟の方は、私を迎えに空港まで行くと返事をしたそうです。えっ、わざわざ来てくれるの? …あーもう、私ったら、すごい悪いことしちゃってるなぁ。私は、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまったのでした。

およそ10分後、彼が到着ロビーにやってきたという連絡を受けたので、私は審査官からようやく入国を許可され、その場から解放されることができました。税関を通って、到着ロビーにやって来ると、その人らしき男性が待っていてくれました。彼の名前はMさん。すごい笑顔で迎えてくれました。向こうの歓迎ぶりが大きいほど、こちらは「悪いことしたなぁ」という気持ちがより大きくなってしまいます。

2人で空港の外へ向かうと、Mさんのものと思われる車がありました。なんと、私が滞在する(つもり)のホテルがある場所まで、車で送ってくれるそうです。「いやもうホントにいいってば、悪いって」といったん断りますが、「まあまあ遠慮するな」という具合で私を車に押し入れます。車には助手席にMさんの奥さんが座っておられました。奥さんまで来てくれたんですか……本当に申し訳ない…。

車は空港を出発し、15分ほど走って、東ベイルートのハムラ地区に入ります。この界隈はホテルがたくさん集まるとされる、いわば観光客向けの街だそうです。でも今はもう2時なので、ひっそりとしてましたけどね。


昼間だったらハムラ地区はこんな感じ

ホテルに到着し、フロントに聞いてみます。すると部屋は空いてるようです。おお、助かった。そうして部屋の確認が取れると、Mさんは、「それじゃ、君が日本に帰るときにまた電話してくれ。そしたら、ホテルまでパンを持っていくよ」と言い残し、また笑顔で去っていったのでした。

急に夜中に呼び出してしまって、なおかつ、わざわざホテルまで送ってくれるなんて…。私はただひたすらお礼を言うしかなかったのでした。

……うーむ。これからは、一人でホテル予約のないまま深夜に入国しようとするなどという、そういった無謀なことはやめた方がよさそうですな。ひょっとしたらこの時は、たまたま私が厳しい審査官の所に行ってしまって運が悪かっただけなのかもしれません。しかしあれだけの長時間、大勢の審査官に囲まれて尋問されるという、そんな面倒な目にこれからは遭わないとは決して言えないので、こんな行為は今回限りにしたいと思います。おおいに反省です。

しかしアレですね、もし出発1週間前のあの時、レバノン大使館からお使いを頼まれていなかったとしたら、私は入国できなかったかもしれないということですよね。改めて考えてみるとゾッとしますヨ。


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