§5 世界の半分 | (ナイーン、イスファハン) |
ツアー5日目。今日はヤズドを発ち、イラン旅行のメインといえる古都イスファハンに向かいます。これまで見た綺麗な装飾のモスクや、花で埋め尽くされた庭園などは、この街を模範として作られたということらしいので、もっと綺麗な光景が見れると思うと期待は高まるばかりですな。 イスファハンはヤズドから東へ300km弱の距離です。また車で沙漠を突き抜けることになります。車内でイランのポップスを長時間ぶっ通しでかけながらの移動でした。 移動の途中、ある街に立ち寄ります。ヤズドとイスファハンのちょうど中間くらいに位置するナイーンという古い街です。ここへは休憩として立ち寄ったのですが、どうやら貴重で珍しいモスクがあるとのことなので、ついでだから見学してみることにしました。マスジェデ・ジャーメと呼ばれるモスクがそれです。実はこれ、イランで2番目に古いモスクなんだそうですよ。確かに外観を見ても、これまでのモスクとは違います。壁にタイルは貼られておらず、土や泥で作られているのが分かります。
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ナイーンのマスジェデ・ジャーメ | |
このナイーンも沙漠沿いに位置する街なので、当時はガナートが発達していました。モスクの敷地内にもそれが張り巡らされているようです。今でも見れるということなので、ヤズドの時と同様にモスク内の地下階段を下りてみることにします。最深部には水路がありましたが、残念ながらここの水路はすでに水が涸れてしまっているようですな。
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モスクの地下にある広間 |
ところで、このモスクの地下、水路の他にすごい場所がありました。地下への階段を下りていく途中に扉があるのですが、実はその扉の向こうには石で作られた大広間が存在するのです。これは当時の住民が暑さを凌ぐため、またこのモスクが作られた当時は、他民族による侵攻が激しい時期だったらしく、住民が敵軍から身を隠すためという理由でも作られたのだそうです。ここはすごい広さですねぇ。よくこんなものを当時に作れたものです。そしてよく何百年も同じ状態で残されているものですね。 |
さてナイーンで休憩をとったあとは移動の続きです。さらに1時間ほど走って、いよいよイランの古都イスファハンに到着です。サファビー朝時代に首都となったところであり、このときの大王が行った壮大な都市計画の名残が今の街並みとなっているのだそうです。よーし、とうとう今回の旅行のメインの街にやってきたぞ! 宿泊予定のホテルにチェックインしたあとは、ダリさんと一旦お別れし、一人でイスファハンの街並みをぶらついてみます。イスファハンはきれいな街だと聞いていたのですが、やはり近代化に伴う問題とでも言うのでしょうか、道路沿いに限ってはたくさんの車が往来しているため、空気は排気ガスによってとてつもなく汚れていました。そういう点では、まあ他のイランの街と同じだなぁという印象を受けましたね。 ところが道路以外の場所、特に、街の中心にあるエマーム広場という場所に行ってみると、「おおっ、さすが綺麗な街と言われるだけのことはあるな」と、先程とは一変した印象を受けることになります。エマーム広場とは世界遺産にも認定された縦510m、横136mの長方形の広場です。サファビー朝時代(1600年代)、当時の大王であるアッバース1世の命によって作られました。その中庭には巨大で美しい噴水が完備されており、緑も多く、そのおかげで現地の人々の憩いの場として利用されています。まぁそれだけなら、単なる庭園と変わらないのですが、この広場が他とは違うのは、周囲を取り囲んでいる建造物の存在です。アッバース1世は、宗教、政治、経済の全てを集約させるようにこの広場を造ろうとしたため、広場の東と南には宗教の象徴であるモスク、西には政治の象徴である大王の宮殿、そして北には経済の象徴であるバーザールがそれぞれ建造されているのです。 東と南にあるモスクはタイル装飾が見事です。今まで見たモスクの中で一番美しいものと言えるでしょう(詳しくは次節で)。また大王の宮殿も凝った造形がなされています。そしてバーザールでは、絨毯や装飾品を売る店が多いために、色彩豊かな光景が望めます。つまりこの広場の特徴的なところは、緑や噴水といった美しさはもちろん、宗教などのその他の面でも美しさを表現しているというところなのです。このことが、きっとイスファハンの他の街並みとは異なる空間を作り出しているんでしょうね。
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エマーム広場 | |
とあるガイドブックでは、このエマーム広場のことを「まるでこの広場そのものがひとつの美術館で、それぞれの建物が美術館に並んでいる展示物であるかのようだ」と褒め称えていますが、私もまさにそう感じましたね。確かに、広場の4分の1くらいが駐車場に変わってしまっているという残念な点も存在します。それでも、残りの4分の3を見ている限りは、まだまだこの広場の美しさは評価できるのではないでしょうか。この街の美しさを称えた有名な言葉「イスファハンは世界の半分」は、いまだ健在だと思えますね。 エマーム広場の詳細な見学については、明日の観光の予定に盛り込まれているということなので、とりあえず今日のところはモスクの中までは入らずに、広場やバザールの方をぶらぶらとしてました。広場北のバーザールはかなりの広さでした。おまけに路地ばっかりだから予想通り迷子になりましたよ。 途中おみやげを買おうと思い、みやげ屋さんに立ち寄ります。ここでは、イスファハン名物のお菓子ギャズを2箱購入です(32000リアル)。ギャズというのは豆の入った、キャラメル(あるいはヌガー?)みたいなお菓子です。イラン航空の機内で食べたのが気に入っちゃたので。 夕方頃になるとイスファハンの街はさらに活気付きだします。バーザールだけでなく、広場のすぐ近くにあるチャハール・バーグ通りと呼ばれるショッピングロードでも、昼間見かけなかった若い人たちがワンサカと歩き始めます。私も近くの店で買ったミックスジュースを片手に、長い時間街を闊歩です。しばらくこの通りを歩いていると、きれいな橋が見えてきました。スィーオセ・ポルと呼ばれる橋だそうです。イスファハンでは、エマーム広場以外にも美しい建築物や自然などのスポットが存在します。やはりかつての王朝の名残か、宮殿や公園が多数見受けられるのですが、こういった橋などもきれいな形のままで残されているのは珍しいですね。スィーオセ・ポルの周辺は公園のような造りになっており、現地の人で賑わいを見せていました。 | |
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このあたりをぶらぶらと歩いていると、いきなり後ろから肩をたたかれました。振り返ってみると、中年のオッサンが、自分の娘と思われる少女を引き連れて立っていました。「ん? なんだ?」とこちらが不思議そうな顔をすると、オッサンが口を開きます。「ウチの娘は英語を習ってるんだ。外国人と喋りたがってるから、会話の相手をしてくれないか?」と、いきなり初対面の人に向かって突拍子もないことを言いだします。「…えっ!? …あ、あぁ、まあいいですけど」と私が少々ビビリながら承諾すると、さっそく娘さんとの英会話が始まります。 娘「お名前は?」 私「いのうえです」 娘「どこから来たの?」 私「日本です」 娘「いくつ?」 私「23です」 娘「わかった、ありがとう、ばいばーい」 と、娘はその場をすぐに去っていきました。会話たったの20秒。もう終わりかよ! …そう、実はイランを旅してると、外国人はこんな場面によく出くわします。イランの人々は外国人、特に親しみを持っている国の人とすぐ会話をしたがる傾向があるのです。イラン人の親日度は高いので、日本人の場合もこのように頻繁に話しかけられます。そして会話といっても、先程のような取り留めのないことだけしか聞かない、あるいは、自分が言いたいことだけを一方的にべらべらと喋ってその場を去っていく…というイラン人が多いのです。こういった出来事が2、3回くらいしか起きないのならいいのですが、1日に何度何度も起きちゃうので、旅行者側は少々参ってしまいます。もちろんむこうには悪気はないのだから余計にキツイですな。 夜8時半ごろ、再びダリさんと合流して、一緒に夕食をとることになります。今回はサンドイッチを食べてみることにしました。サンドイッチはイラン食のひとつとして数えられるくらい頻繁に食べられており、サンドイッチの専門店が街中で数十軒も見つかるほどに人気だそうです。で、我々はダリさんおすすめのサンドイッチ屋に足を運んでみます。 店内のショーケースには、パンにはさむ具が何十種類と並べられています。野菜炒めだとか、サンドイッチの具としては意外なものまでありました。私が頼んだのは2種類。ひとつはカレー味の薄型コロッケにピクルス、トマト、レタスをはさんだものと、もうひとつはソーセージと玉ねぎをケチャップ&チリ炒めしたものに、レタス、トマトをはさんだものです。出されたものを見ると、イランのサンドイッチは三角形のものとは違い、欧米と同じホットドックの形のようです。1個のボリュームが大きいので、2個も食べればおなかいっぱいですよ。これは満足。 夕食後は再びエマーム広場へ向かいます。昼と夜ではライトアップなどで広場の雰囲気が違うということなので行ってみることにしたのです。夏の夜のエマーム広場は、家族団欒の場として使われているらしく、ファミリー単位でたくさんの人がいました。またライトアップされた広場も幻想的な感を覚えましたね。
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ライトアップされた、エマーム広場のモスク | |
聞くところによると、このエマーム広場を一望できるチャイハネがあるということなので、そこでまたチャイと水タバコを楽しむことにしました。ライトアップされたモスクや噴水を見ながら、今度は野菜味の水タバコを吸い、ダリさんとの会話を楽しみました。だんだん時間が経つにつれて話が深くなり、またもやダリさんのイラン政府批判話になっちゃいましたけど。
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