§2  ペルセポリス (ペルセポリス)

ツアー2日目の朝はゆっくりと9時ごろ起床です。おそらく12時間くらい寝たでしょうか。おかげで昨日とはうって変わって眠気スッキリです。さて今日の午前中は、イランで最も有名な遺跡であるペルセポリス遺跡へ向かう予定になっています。

世界史の教科書に載るくらい代表的なこのペルセポリス、私はいろんな意味でこの遺跡を見るのを楽しみしていました。実は私、このペルセポリスについては、以前から他の旅行者からいろいろな意見を聞いていました。「あそこはぜひ行ったほうがいい」「イヤ、あそこはつまんないから(大したことないから)やめた方がいい」という感じで、旅行者の間では、この遺跡の見応えについては賛否両論なのです。そこで、「だったら自分が行ってみたらどのように感じるんだろうか」、このような気持ちも含めてこの今日の観光に臨むわけなのです。

ペルセポリスはシラーズからだいぶ離れた所にあるらしいので、車で向かいます。テヘランとは異なる新しいドライバーさんの運転で、40分ほど北に走って到着です。すでに陽が高く上っていたので、現地は相当な暑さになってました。

さて、日本の歴史を、縄文 → 弥生 → 飛鳥 → 奈良 → 平安 → 鎌倉 → 南北朝 → 室町 → 戦国時代 → 安土桃山 → 江戸 → 明治 → 大正 → 昭和 → 平成(現代)……という流れで分けるならば、イランの歴史は大まかに、メソポタミア → バビロニア → アケメネス → セレウコス → アルサケス → サーサーン → ウマイヤ → アッバース → セルジューク → イルハーン → ティムール → サファビー → 多王朝乱立時代 → ガージャール → パウラヴィー → イスラム共和国(現代)……という流れになります。そしてこのペルセポリス遺跡というのは、古代の部分にあたるアケメネス時代の遺跡です。紀元前6世紀ごろに、キュロス2世がアケメネス朝を成立させ、その後継者であるダリウス1世が、慈悲の山と呼ばれるこのラフマト山の麓に宗教的な都を作りました。紀元前330年ごろにアレクサンダー大王によって王朝が壊滅させられるまでの約200年間、この都の栄華は続いたのだそうです。あまりにも壮大なスケールで、かつ貴重な遺跡であることから現在では世界遺産に認定されています。

車を降りると、どでかい大階段が我々を迎えてくれます。入場ゲートをくぐり大階段を上っていくと、遺跡群が姿を現しました。まず最初に目に付くのはクセルクセス門と呼ばれる正面の門です。牡牛の像と、人間の顔をした翼のある獣の像がそれぞれ彫られています。古代では、このような空想的な怪獣を守護神として崇めていたことがあるらしく、そのためにこのような特異な彫刻が多いのだそうです。


クセルクセス門 (人面有翼獣神像)

門をくぐってまっすぐ進み、2つの頭を持った鷲の像の前を通りぬけ、遺跡群の中央部に向かいます。ここには百柱の間と呼ばれる広間があります。当時は会議をする場として使われてたらしく、百本の柱があったことからこう呼ばれています。しかし、現在ではほとんどが崩れていてなんのこっちゃ分かりませんが…。


空飛ぶ双頭鷲像


百柱の間

百柱の間の入口と思われる場所の、側壁部分の彫刻はまだ今でも残されていました(残されているといってもかなり改修したのかもしれんませんが…)。壁の一番上には王様が、そしてその下に14人の家臣がいるという画になってます。これが両方の壁に、つまり合計28人の家臣が描かれています。実はこれ、かつてペルセポリスの属州が28州あったということを意味しているのだそうです。この彫刻の興味深いところは、描かれている28人がそれぞれ異なる衣裳を着ているということですね。履物や帽子までそれぞれ違います。それぞれの州に異なる文化が存在していたということを表すための演出なのでしょうか? 細かいことをやってくれますな。


それぞれ違った服装を着た家臣のレリーフ

ラフマト山の中腹には王墓があるそうなので、そこまで上ってみることにします。ただでさえ暑いのに、さらに勾配の高い斜面を登らされるハメになりますが、王墓前はペルセポリス遺跡群が一望できるというスポットになっているので、苦労するだけの価値はあるでしょう。見晴らしは合格点圏内。


王墓前から見たペルセポリスの遺跡群

遺跡内の喫茶店(休憩所)で休憩を取った後、今度は南西の辺りの遺跡群を見学です。アーパーダーナーと呼ばれる謁見の間に使われていた場所に行ってみることにします。この場は高さ3m弱の壇の上に立っているので、そこへは階段を上ることになるのですが、その東側階段の壁に描かれたレリーフは高ポイントでしたね。そこには、王様への献上物を各国の使者が運んでいるという画が描かれているのですが、ここでも各国それぞれが異なる献上物を持っているという細かい表現がされていました。


東側階段の壁のレリーフ (これは見事)

アーパーダーナーの広間は高い柱が何本か立っているだけでした。ここもかなり風化が進んでいるようです。その広間の隣にはクセルクセス1世の宮殿やダレイオス1世の宮殿がありましたが、ここも残念ながら崩れているところが多かったので、やや見応えに欠けますね。これらの宮殿も壇の上に作られているわけですが、その壇の壁に描かれているレリーフはと言えば、これまでと同様に精巧でした。


アーパーダーナー

…さて以上で、ペルセポリスの大まかなところを全て見学してみたわけですが、私にしてみれば、総合的評価はまあまあ高かったように思えます。もちろん、単に柱が立っていたり、大きな石がゴロゴロと転がっていたりというだけの場所もありました。それらの場所は確かに見ていてもつまらないですけど、階段の側壁や壇の部分に描かれた(彫られた)レリーフに関しては、純粋にすごくきれいだと思えました。着ている衣裳が異なっているだとか、そういう細かい演出には特に惹かれましたね。「そこまでこだわらんでも…」とツッコミを入れたくなりましたよ。

12時前くらいに、ペルセポリスの観光は終了です。続いては、ペルセポリスの補足的なスポットと言うべきところでしょうか、5kmほど離れたナクシェロスタムという場所に向かうことになります。ここは、ペルセポリスの建造を始めたダリウス1世や、それを完了させたクセルクセス1世などのお墓があるところです。どれがどのお墓なのかということについてはいろいろ説が出回っていてまだ分からない状況ですが、この墓の巨大さはすごいもんでした。さすが王様の墓と言わんばかりの規模です。墓の付近にあったレリーフもまた芸術的にすばらしいものでした。

ちなみに、このアケメネス朝が成立していた時は、まだこのペルシアの大陸にはイスラムが普及されていませんでした。そのときこの地で信仰されていた宗教は、ゾロアスター教という火・水・土を崇拝の対象とする宗教でした。その名残か、お墓の近くには聖火を祀ったといわれている建物がありましたよ。


ナクシェロスタム

ダリさんと2人で、ナクシェロスタムの墓の前をしばらくウロウロとしていると、突然、大型の観光バスが付近の駐車場に現れ、そこからゾロゾロと20人ほどの観光客が下りてきました。おーっと、じっくり見てみると、なんとみんな日本人ですよ。どうやら団体のツアー客のようです。イランのツアーに20人も参加者が集まるとは……どうやらイランという国は日本人に人気があるようですな。…しかし、これだけ人気なのであれば、何で私が参加してるこのツアーには人が集まらないのかということがより一層不可解に感じます。むこうの観光客も、こちらを不思議そうに見ていました。そりゃそうだ、1人のツアー客に1人のガイドなんて奇妙な光景に見えちゃうよな。

遺跡観光はこれで終了し、昼過ぎにシラーズに戻りました。午後からはシラーズ市内の観光をする予定なのですが、暑さを凌ぐために観光は午後5時からということになります。したがってそれまではフリーの時間をもらえたので、「よーしさっそく一人でシラーズの街をぶらつこう」と思ってたのですが、あまりの暑さでさすがに今回は散策するのをあきらめました。たぶんこれまで行った国の中で一番暑いと感じましたよココは。どうやらイランは今(8月)が一番暑い時期らしく、現地テレビの天気予報を見てたら「今日の最高気温は42度です」なんてことを報じてました。←そんなサラッと言うことじゃないだろ。


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