二つ、論文「降雪積雪の戦術上に及ぼす影響」(以下「影響」)
偕行社記事第三〇八号(明治三六年二月)に懸賞課題論文「降雪及び積雪の戦術上に及ぼす影響」が募集された。35年3月中隊長を下番し第4旅団副官についていた福島大尉は直ちに応募を決めた。福島大尉にはわが国の野外要務令は温暖下のもので寒冷下のものとしては露国に大きく遅れをとっており、露国に習い、早く並び越えなければならない、という焦慮があった。このため、この機会を最大限に活かして、冬季戦研究の成果を"仕上げねば"という強い前向きの思いと八甲田山で究めた何時命を失っても可笑しくない非常に困難な体験と危機の連鎖という体験を基にして、冬季戦の困難を語ろうとした。雪中の戦いが 山地と夜間戦の原則に似ていることに着目し、その理念とその応用方略及び倍加する困難とその克捷方略の二つを訴えた。又補遺の項を設け、最重要の視点として兵の保護を挙げている。従来から持ち続けた兵を護り兵に役立つ視点を貫き、実際的方略を提言している。困難を克服せんとする露軍に学ぶ、を述べている点に参謀本部は注目し対露開戦後、偕行社記事への論文寄稿を要請した。応募21編中優等賞3点に選ばれ、偕行月号に掲載され、偕行社総裁閑院宮から軍刀一口を賜った。暖地ばかりで後れを取っていた日本軍の寒地行動を理論(戦史や諸国の典令等)と体験の両面から究め啓発した功績は大きい。