主資料(実施報告4点・論文2点)の取り組みの状況

 福島大尉に近づくためには主資料の読み込みが必須であった。これらを納得がゆくまで完璧?に吸収し、準拠として何度も異なる切り口で論述しなければならない。
しかし、1回や2回で読破できる代物では全くなかった。私の読解力や筆力上の問題もあるので、これらは夫々がボリューム膨大かつ多岐に論点が亘りしかも旧漢字・漢文調で読みにくく、咀嚼し意図するところを要約する作業は極めて難渋し、沢山の時間を必要としたし、進め方の工夫も必要であった。各実施計画や論文は戦史や典令の研究、冬季の学術上の研究、行軍地域の地理学上の研究などが密接に関連して進められている、のでつまみ食いではなく、全体をある同じレベルで挙げて行く必要があった。従って本当に自信を持って私なりの解釈に到ったのは修親「予想外を訪ねて」シリーズの投稿という取っ掛かり、飯塚駐屯地修親会の講話(H22.11.18)・シバタ工業(株)技術部の講話(H24.9~12)を貪欲に活用(註1)をしながら、ブログ「福島大尉の実行力を訪ねて」中で、5つの切り口で反復し或いは総合考察をした(註2)時、である。一度現物に目を通して頂くと、私の言ってることが理解して頂けると思うが・・。

というわけで、該ブログ上で解釈に自信が持てた投稿稿を紹介し、読者の参考に供したい。当然冊子上での閲覧も可能である。

① 明治三十三年二月六日烈風暴雪の夜を選び弘前市南方原野に於ける雪中露営(以下雪中露営演習)実施計画:「八甲田山への道のりその二雪中露営演習」1編。

② 明治三十四年二月八日より同月十日日に亘り烈風暴雪の時期を選び岩木山通の雪中強行軍(岩木山雪中強行軍)実施計画:「八甲田山への取り組みその三山場の岩木山雪中強行軍」シリーズ6編。

③ 明治三十四年七月二十六日より同月三十日に亘り盛夏酷暑の時期に於いて十和田山脈の地形偵察を兼ね山地の強行軍(以下夏季強行軍):「扉を開いた下士候補生夏期強行軍」シリーズ2編。

④ 明治三十五年一月下旬雪中に於ける山嶽通過実施報告(以下八甲田山雪中行軍実施報告):「何故八甲田山か(その一~五)、「非常の困難を思う」シリーズ13編。

⑤ 論文「影響」:「論文「降雪積雪の戦術上に及ぼす影響」においてわれ虚名を釣らず」(シリーズ6編。

?論文「一慮」:論文「露国に対する冬期作戦上の一慮」シリーズ7編。


註1:ブログ【よろく】「リーダー福島大尉の実行力―その十一山場を越えてまずシバタへの感謝」
註2:「何故八甲田山か」シリーズ5編、【よろく】「福島大尉が目指したものは?」シリーズ3編、「福島大尉が成し遂げたかったものと第五連隊遭難」シリーズ6編。

福島大尉の心 - 福島大尉から武人の心探求記念館