何故福島大尉の武の心が起点か
八甲田山では命がけというよりはいつ死んでもおかしくない極限の状況で、生き死にを考えず、無事全員で行き着くという任務達成しか胸中には無かった。黒溝台ではほぼ死ぬであろうという状況で生き死にを超越し、ひたすら黒溝台一番乗りを果たす。この大使命を果たすため誰かが黒溝台に旗を立てよ、だけしか胸中には無かった。この与えられた使命や任務を果たすことに専ら心を砕く"専心"。言い換えれば使命を何よりも、例えば命よりも大事に思い万難を排しその実現に邁進する心こそ「死生を顧みず本分を尽くす」の「顧みずの心」である。福島大尉は顧みずの心の一方で平素から人の上に立つ者として兵の痛みをわが痛みと感じ、無駄に死なせてはならないという兵を護る上長としての義務感に駆られ実践した。冬季戦の研究の全経過において兵を護り兵に役立つ実際的な成果を得ることを目的とした。また未知の困難に挑む厳しい場は冒険的意味合いを含んでいたが危害防止を徹底し、無事故で任務を達成した。これらの間、兵の命を護ることは夫々の訓練の目的であり、任務達成の一部であった。次の、来るべき、日露戦争に勝つために一人たりとも欠けてはならない、かけがえのない命、と認識し、部下を自分の命令で死地に投じる指揮官として、その責任の重さや兵の命の重さを深く自覚し、兵の命を守ることに最善を尽くさなければならない、と考え実践したのだ。専心と最善の両立が福島大尉の武の心であり、以降この視点で私の目に留まり、繋がったのが大伴家持・栗林中将・今の自衛官である。従って福島大尉を起点とした。


武人の心 - 福島大尉から武人の心探求記念館