大伴家持との繫がりの気づき
福島大尉は明治三二年の軍旗祭祭文(連隊長式辞であり、原稿を福島大尉が作成)では軍旗の起源を文武天皇の御代から説き起こしている。

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その御代とは七〇一年の大宝律令制定、七〇二年の遣唐使派遣がある。「続日本紀」によれば律令制の中央集権国家誕生、三三年年ぶりに再開した遣唐使に倭国ではなく「日本」と称させ、「天皇」と元号を正式化した頃である。律令制以前、大和朝廷は朝廷に仕える連・伴造などの姓(かばね)を持ち、部民を許された大伴・物部に武を職嘗させていた。律令制移行後は職能の姓氏(かばねうじ)は廃止され、二官八省の中の兵部省や六衛府・防人等の兵制で国家が直接武を握る形となった。国家に直接仕えるという意味の武(人)の起源である。従って武人が奉公を尽くすべき相手は大君(後に「天皇」)と(概念として大君から分離し始めた)国家であり、武人の心の始まりはこの御代にある、といえる。
しかし大君は律令制の中央集権国家以前から存するわけで、武人の心の源流(大元)を辿る必要がある。それは最古の武門大伴の言い伝えにあった。律令制は現代法治国家の原型であり、兵制も同じである。従って古代と現代(の原型)が同居しているこの時代に立ってみる必要がある。そのヒントは万葉集・大伴家持の「海行かば」にあった。

武人の心 - 福島大尉から武人の心探求記念館