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まずくない分、始末が悪い
ワールドカップ1次予選対オマーン戦
国の内外を問わず、レギュラーとして出場しているか、いないか。
ここが選手選考の基準になる。
オマーン戦は、ぶざま、というよりも、どこか覇気のない、迷いのある、煮え切らない、そんな料理を食したおもいである。
まずくない分、始末が悪い。
料理は塩できまる。
三國清三さんはそういった。
オマーン戦はまさしく塩味のなんたるかを教えてくれる。
本番で久保選手を先発からはずすほど高原選手はドイツで、柳沢選手はイタリアで活躍しているか?
ノン。
本番で小笠原選手を先発させないほどの存在感を中村俊輔選手は示しているか?
ノン。
本番で先発させるほど稲本選手は2列目からの飛び出しを肝に銘じているだろうか?
ノン。
風邪をひいていてもなお先発で使わなければならないほど山田暢久選手は攻撃のアイディアに富むのか?
ノン。
ジーコはブラジル人でしかない。
世界でたたかうジョカットーレはたしかに、ブラジル人のレギュラークラスなら、ジーコのイメージどおり活躍できるかもしれない。
が、日本のそれはまだ、ほとんどがレギュラーになりきれない、サブスティテュートもしくはそれ以下なのである。
そこにある感覚のずれ。
困難を打開していくための訓練として、選手間の議論をその手順をしめせない大人と日本育成システム。
約束事がいらなくなるのは、さまざまな約束が語られ、そして為され、尽くされ、その変転の飽和状態のなかに吹く、一瞬の風、のようなものという認識の欠如。(「アルゼンチンは失敗したのか、マルセロ・ビエルサ」で言及)
個人がまだ未成熟であるのに、成熟したものと見誤るメディアと本人。
そのとりまき。
日本語を話すひとびとで構成する組織の弱点を、繰り返し、繰り返し問われているのだ、という根本の問題意識がない。(2.18.04)
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