車両一覧

主要路線図

懐かしの路線

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懐かしの宇美営業所路線図


平成2年の西鉄路線図を元に作成

行先番号

路  線

32

     西公園天神博多駅−吉塚三丁目−志免−上宇美・柳原・宇美(営)・障子岳
 那の津四丁目

34

    西公園天神−妙見−二又瀬−志免−新生・上宇美・柳原・宇美(営)・上障子岳
 那の津四丁目/                  原田橋

 35

 西公園−天神−県庁−吉塚駅−筥松−志免−宇美営業所

 36

 天神−妙見−須恵駅−佐谷−下宇美−宇美営業所
 \新原/

37

 博多駅−吉塚三丁目−二又瀬−福岡空港前−須恵役場−宇美(営)・新原

38

天神博多駅−榎田町−福岡空港前−月隈団地−ひばりが丘団地
                             \桜ケ丘第五

39・39-1

 天神博多駅−豊一丁目−福岡空港前−月隈団地−東志免
                                      \桜ケ丘第五・ひばりが丘団地・金隈


◆都市高速経由便の歴史

初期の頃は、空港通りランプを降りて亀山方面へ向かう便は、蔵本→呉服町→蓮池ととまって都市高速に乗るのに対し、桜ヶ丘方面に向かう便は蔵本を出てそのまま都市高速に乗る、という違いがあったと思います。
90年は34番、39番に「都市高速系統」が設置され、34番は経路、終点を記憶していないのですが、39番は「上り」のみに設定され、”桜ヶ丘第4⇒空港前⇒都市高速⇒天神⇒博多駅”で運行されていたと記憶しています。
94年の都市高速経由の坂瀬線はこのようなルートで運行されていました。”四王寺坂・ひばりヶ丘発−(各停)−正手−(月隈北ランプ−天神北ランプ)−天神日銀−(各停)−蔵本−(千代ランプ−月隈北ランプ)−正手−(各停)−ひばりヶ丘・宇美営・四王寺坂”。
ひばりヶ丘・桜ヶ丘5・桜ヶ丘4発−(各停、東平尾公園経由)−砂原−(榎田ランプ−天神北ランプ)−天神日銀−(各停)−蔵本−(千代ランプ−榎田ランプ)−砂原−(各停、東平尾公園経由)−桜ヶ丘4。
これは平日・土曜ダイヤで、休日は全便、上方のルートのひばりヶ丘発着になります。
                                                         
                         
 ◆普通路線&支線
                         
 
32-1番系統 平成の何年か特定はできないのですが、32-1 宇美営−志免−東平尾公園−空港通−博多駅という路線がありました。そして日曜日の1本のみ片道運行として32−1系統・那の津4丁目行きがあり、経路は宇美営⇒志免東平尾公園⇒博多駅⇒天神⇒那の津4丁目というものでした。他の32−1と大きく違う点は福岡空港を経由しないということです。ですから、東平尾公園の次は豊二丁目となります。

3234番上障子岳・障子岳行き また平成2年の34番の障子岳行は、飛岳団地経由と今屋敷経由の2ルートありました。上障子行きは今屋敷経由のみ運行されていましたが、障子岳行きの32番は飛岳団地経由のみで34番の方は飛岳団地経由と今屋敷経由の2ルートで運行していました。宇美営発着の支線(上障子岳・障子岳--宇美営)も同様です。その後障子岳系統は天神・博多駅からの本線と宇美営からの支線が統合され、32番、34番とも極楽寺入口⇒飛岳団地⇒障子岳⇒今屋敷⇒極楽寺入口⇒黒穂⇒下宇美⇒宇美営で運用されるようになりました。本線系統は極楽寺入口まで「障子岳経由極楽寺入口行き」で運行し、その先を宇美営行きで運行します。ですから、極楽寺入口で「障子岳行き」から「宇美営行き」に方向幕が変わるのです。ただ、全便そうではなく、一部には極楽寺入口到着後、回送となったものもあります。なお、上障子岳行きは今屋敷経由のみでした。ちなみに、96年12月改正で、障子岳ルートは障子岳経由で「極楽寺」までとなり、循環は廃止されました。同時に上障子岳も、天神からの本線系統乗り入れが廃止され、上障子岳−飛岳団地−宇美営に改められ、現在に至っています。

36番系統 36番の路線変動が多く昭和時代は宇美営−新原−上須恵橋−佐谷行きという路線がありました。それから『仲原購買店』行きや『酒殿』行きもありました。この2つは連絡していて、「仲原購買店」行きは到着後、回送車として酒殿に行き、今度は「酒殿始発の36番天神行き」となり、「酒殿行き」はその逆で、到着後は「購買店前」まで回送で行き、そのまま今度は「購買店前始発の36番天神行き」という運用でした。このため、当時の酒殿のバス停は「始発便対応」の停留所と、須恵方面からくる便に対応する停留所の2箇所があり、須恵方面からのバス停には「始発便は、乗車場所が異なる」旨の案内がありました。他にも新原行きや、佐谷行き、佐谷経由宇美営、恵山閣経由の天神、宇美営行きがありました。

37・38・39番系統 昔の37番は本線である「博多駅--新原・宇美」のほかに、支線で「志免役場--新原・宇美」という路線がありました。需要があるとはとても思えないのですが、6本前後運行され、支線にしては多い本数でした。利用者があるはずもなく、いつもガラガラだったのを覚えています。そして、いつの間にか姿を消しました。この、37番はいくつもの変遷がありました。”博多駅−新原・宇美営”で開設され、その後坂瀬線の「番号の整理」が行われ、坂瀬ルートは37番に一本化され、38番は、39番とともに桜ヶ丘ルートのみの運行となりました。この改正で、「37番天神行き」「37番東志免行き」が誕生しました。その後「天神行き」は、福岡タワー南口行きに変更されました。そして、96年12月の大改正で「新原−福岡タワー」系統に整理されました。その後37番は、本系統の「新原−福岡タワー」のほかに37−1系統の「博多駅−四王寺坂」、37−2系統の「佐谷−福岡空港」、37−3系統の「宇美--福岡空港」をもつ大型の路線系統になったのです。現在は新原系統は廃止され、37−1系統だった四王寺坂ルートが37番となりました。37−2系統は空港循環4番として運行されましたが、現在では同時期に発足した同5番系統に統合され、姿を消しています。37−3系統は同3番となり、この系統は現在も運行されています。
 また、宇美線と坂瀬線には、東志免行きが存在しました。この東志免というのは意外と重要な折り返し場で、桜ヶ丘の車は、原則東志免以降は運行されなかったのです。当時の坂瀬線は運用がハッキリ分かれていて、宇美の車両は37番と38番を、桜ヶ丘の車両は38番と39番を運行していました。宇美車は桜ヶ丘に入らず、桜ヶ丘車は例外を除き東志免以降には入らなかったのです。ちなみにこの頃はひばりが丘−上宇美はつながっていませんでした。また昭和の時代には38番の桜ヶ丘−月隈団地−宝満尾−金隈−南福岡駅という支線も運行されていました。

                    <情報提供 CHIKさん・回送車さん・dtさん>