『ガラスの少女』 レンスタ―からアグストリアのノディオン城のエルトシャンに嫁いできたグラ―ニェは、まだ少女の面影を残していた。 バーハラでの学友、キュアンの親戚にあたる娘で、レンスタ―とアグストリアの友好を高めると言う政略結婚だった。 エルトシャンはグラ―ニェには何度か会った事もあり、その清楚な所に惹かれた。グラ―ニェがどう思っているかなど分からないうちに、結婚の話が決まってしまい、グラ―ニェはノディオンに嫁いできた。 本当はもっとお互いを知ってから結婚したかった。だが、大人の思惑とは、そんな綺麗ごとを許してはくれない。 ノディオンには今、エルトシャンと妹のラケシスが住んでいる。 ラケシスは兄より優れた人ではないと結婚をしないというほどの、ブラザーコンプレックスの持ち主だった。 だから、エルトシャンとしては、グラ―ニェとラケシスの仲も気になったし、結婚したとはいえ、妹より少し年齢の高いグラ―ニェを妻と出来るか、正直に言って分からなかった。 そう、仮にも……夫婦という形をとっても。 エルトシャンは、少しずつ明かされていくグラ―ニェの本当の姿に好感を覚えていたし、大事に思うようになった。 だが、グラ―ニェはどうなのだろうか。 あまり認められたくない事実なのだが、エルトシャンの評判はあまり芳しい事がない。 「頑固・唯我独尊・威圧的」、そして何よりも……「怖い」事である。 無論、領民にとっては、そういうのはなく、良い領主なのだが、近しい人は皆、その部分を気をつけるのだぞ、と言われている。 ……だから、グラ―ニェの事を知りたかったし、理解して欲しかった。 しかし、転機が訪れた。妹のラケシスがグラ―ニェに懐きだしたのだ。事は武術の修行を付き合ってくれるからだという。グラ―ニェはあまり身体が強くない。しかし、グラ―ニェとラケシスが仲が良くなったというのは本当に嬉しい事であった。 だが、エルトシャンは悩んでいた。ラケシスとグラ―ニェは仲良くなれた。しかし、エルトシャンとグラ―ニェは、まだお互い打ち解けていなかった。 ……触れる事が出来なかった。触ってしまったら、壊れてしまいそうだった。 「で、未だに抱いてないんだ、自分の奥さんなのに」 「か、簡単に言うなベオウルフ。ラケシスとあまり変わりが無いんだぞ?それに、彼女は病弱だし……」 「それで、俺に相談してきた訳だ」 「……お前くらいしか、想像できなかったからだ」 ある日のノディオン城下にあるカフェテラスで、エルトシャンとベオウルフは会っていた。 内容は、まあ、上記の通りなのだが。 エルトシャンはまだグラ―ニェを抱いていなかった。妹より少し年上なだけの妻。感じるのは酷く罪深い事をするような、そんな気がしたからだ。 「なあ、エルトシャン、お前はそう思っているかもしれないけれど、嫁さんは待っているのかもしれないぜ?」 「……待っている?どういうことだ?」 「お前が妻だと認めてくれる事」 ベオウルフの発言は、エルトシャンにとっては天変地異にちかいものだった。 自分の事ばかりで、グラ―ニェの気持ちを考えていなかった。 ……グラ―ニェは不安だろう。異国の地で暮らさなくてはならなかったから。だけど、夫として見てもらえると言うのは、また別の事だった。自分がまだ、グラーニェの事を知らないのだと思い知った。 「なあ、ベオウルフ」 「なんだ、エルトシャン」 「俺はどうすれば、いいんだろうか?」 エルトシャンの真剣な言葉にベオウルフは肩をすくませた。 「まず、話しあってみればいいんじゃないか?」 「話す?」 「その調子じゃ、まともに喋ったことも無いんだろう?」 ベオウルフの言葉に、エルトシャンは、ぐうのねもでない。 確かにあまり話した記憶が無い。たまに話しても、静かに頷いて聞いているだけだった。 ……でも、その聞いているという行為だけでも、彼女に心を通わせていたのだろうか? そう思うと、いかに辛い思いをグラ―ニェに対して辛い思いをさせたと感じる。 別に、無理に肉体関係を取らなくて良い。まずは心を通わせる事が大事なんだろう。 ただ、心配なのはグラ―ニェの心がまるでガラスのような事くらいだろうか。 それは、簡単なようで難しい。大体、今まで怖がらせていたのだろう。いきなり親しくなろうとしても、向こうにとっては訳が分からない事だろうか。 わからない。 だから、ベオウルフに相談してみたのだが、あまりいいアドバイスは貰えなかった気がする。 「まあ、まずは、ゆっくり話して、お互いを理解するといいさ。まずはそれからで良いと思うぜ」 「……そうか、そうだな。そこから始めないと……駄目だろうな」 エルトシャンは分からないがために、空けてしまった時間の大きさを感じる。 どんなに辛い思いをさせたのだろう。エルトシャンは自分の罪を深く感じていた。 そう、嫁いだ時に、もっと話してやればよかった。自分が緊張していても彼女の方がずっと大変だったのだから。 接し方が分からないといって、逃げたからいけなかったんだ。 エルトシャンはすっかり反省モードに入ってしまった。 「まあ、今日からでも、ちょっとずつ、コミュニケ―ションをとっていけば良いだろう?頑張れよ」 友人の言葉に背中を押されて、エルトシャンはため息をつきながら、帰途についた。 ノディオン城に辿り着いた時、庭から楽しそうな声が聞こえてきた。グラ―ニェとラケシスがバドミントンで遊んでいた。 二人とも凄く楽しそうだった。楽しみは精一杯楽しい方がいい。 グラーニェとは夕食の後でも話せる事が出来るため、二人の邪魔をしないよう、こっそりと城に入っていった。 「グラ―ニェ、少し話をしないか?」 夕食が終ったあと、エルトシャンはグラ―ニェに声をかけた。それにグラ―ニェは驚いた顔をして、そして俯いた。 「……はい。エルトシャン様」 『様』か……。グラ―ニェだってレンスタ―の貴族なのだ。それなのに、エルトシャンの事を『様』付けで呼ぶ。それが、今のエルトシャンとグラ―ニェの距離なのだろう。だが、少しでもこの溝を埋めなくてはならない。 「……ここに座ると良い」 外が綺麗に見えるバルコニーのテーブルにエルトシャンはグラ―ニェを導いた。既に用意していたのだろう、そこにはワインとグラスが二つ並べられている。 グラ―ニェは遠慮がちに椅子に座ると、エルトシャンも向かい側の席についた。 グラ―ニェはどこか落ち着かない顔をしている。それにエルトシャンはため息をついた。 「率直に聞く。俺が怖いか?」 突然の質問にグラ―ニェは驚いた顔をして、そしてまた目を伏せる。どう、答えるべきなのか考えているのだろう。 「……怖くない、と言ったら嘘になります」 グラ―ニェは言い難そうにそう答えた。 ……やはり、怖がられているか。エルトシャンも、どうしていいのか分からない。性格を変えろと言われても変わる訳も無い。 だが、グラ―ニェは、たどたどしく、言葉を紡ぐ。 「エルトシャン様が獅子王と呼ばれているのを、耳にしました。……私もそう感じます。貴方はとてもお強くて、他の人に対してもご自分に対してもとても厳しい方です。 ……私など、本当に妻になっても良いのかと、感じています……」 エルトシャンの中でもこの数少ない言葉で分かった事がある。彼女はエルトシャンを認めている。だが、自分が相応かどうか悩んでいるようだった。 ……相応しい、相応しくない、それとは関係なく、エルトシャンはグラ―ニェを愛しく思っていた。それが実感できた。 だから、知って欲しい。自分の事を、もっと。 「……遠乗りに出かけてみないか?」 「遠乗りですか?もう、大分、夜がふけてしまっていますが……」 おどおどと、グラ―ニェが言う。 「だから、行くんだ。君も馬術の心得はあるだろう?」 「ええ」 「では、行こう」 半ば強引にエルトシャンは、グラ―ニェを連れ出す。 もっと知って欲しかった。ノディオンの事を……そして自分の事を。 ……もっと知りたかった。グラ―ニェの事を。 「この辺りだな……」 馬を駆り、先頭を走っていたエルトシャンは手綱をひく。それに合わせてグラ―ニェも馬を止めた。 「グラーニェ、ここにきてごらん」 その言葉にグラ―ニェはエルトシャンの横に並ぶ。 そして、そこから見える光景に息をのんだ。 沢山の光が地上を覆っていた。光り輝いていた。 それが、ノディオンの城下街であることに気がつく。 ……城の中では分からなかった、街の光。 一つ一つの光は人々が住んでいる。護るべき沢山の人々。 「ここがノディオンだ。昼には分からない夜の景色がある。 そして、護るべき人々がいる。 ……君さえ良ければ……共にノディオンを護ってはくれないだろうか?」 いつもと違い、たどたどしくそう言うエルトシャン。慣れていないのだろう、そういう言葉は。 受取っても良いのだろうか。グラ―ニェは思う。 自分は決して強くは無い。むしろ、弱い方の部類に入るだろう。 この強く厳しい人の隣りを歩んで行けるだろうか。 ……決めたはずだ。この結婚を了承した時から。この人の隣りを歩むのだと。 でも、それは、政略でもなく義務でもない。グラ―ニェが、エルトシャンに会ってから決めた事。 この人の僅かでいい、支えになれたらと思ったから。 だから大丈夫。怖くなんてない。 「はい。エルトシャン様」 グラ―ニェの顔がふわりと笑う。それを見てエルトシャンもつられて微笑む。 ……やっと、最初のスタートラインに立てたのだ。 ―――――二人の恋はここから始まるのだ――――― 終 エルトシャンvグラーニェです。大好きなんですが、なかなかお話を書けなくて、やっとー!という感じです。 結婚してから恋の始まりとか、そんな感じかなーと思っております。 |