Mr. Matsuda


ABO FAN


Pencil_and_Paper32.gif (245 バイト)松田薫さんからのメール

 『改訂第二版「血液型と性格」の社会史』の著書である松田薫さんからのメールです。この本は、血液型と性格に興味がある人なら必読書のうちの1冊です。わざわざ松田さんからメールをいただいたので、新しくコーナーをオープンしました。どうもありがとうございます。 -- H13.1.25

09.gif (441 バイト)メールの内容

 では、本題に移ります。

Red_Ball12.gif (916 バイト)No.461 AB型男性のポポパレ、パレットの松田薫さん(popopare@cat.email.ne.jp)から H13.1.14 7:42

1.面白いですか?

ふつう

2.お気に入りのページ

血液型と性格の原点

[その他] すみません。ABOファン、まだ、ほとんど、読んでいません。

3.血液型と性格の関係は?

わからない

4.メッセージ:

ABOファンさんは、ご自身のペイジをとおし、血液型と性格等を、どう、感じられ、まとめられているのでしょうか(これ、質問です)。

ABOファンの、どこかに、かかれているかもしれませんが、俳句の松尾芭蕉はA型だそうです。検査発表のまえに、わたしはA型といいました。

それと、恩師の友人、棒ふりの音楽家、朝比奈隆さんもA型。
いまも、小学生がピーヒャラ吹いている、リコーダは、恩師が、戦後、貧しい日本の子供たちに、楽器をとおもい、竹等で手作りをしたりし、京都府教育委員長のときとおもいますが、安い笛を楽器商につくらせ、普及させました。
恩師は、血液型の話が好きでした。でも、1978年、わたしの「ABO遺伝子と音楽」の論文草稿ができるまで、批判派でした。

恩師山田忠男(フルート協会会長でした)A型は、戦前、フルート奏法のテキストを書き、フルートをも広めたひとだそうです。
「血液型と性格」批判派の恩師は、A型とB型の作曲家、10人以上を、まちがえることなく識別しました。B型の識別能力はすごいものでした。

「血液型と性格」というと、「性格」の意味が難しく、おかしくなるのですが、恩師は、自分自身と家族、友人をはじめ、血液型を、わたしに識別させました。
わたしが識別するので、とうとう、故人で、わたしが名前も知らない学者を、識別しろといいました。

識別は、著書からでした。戦前京大教授だった川村多実二さんの「鳥の歌の科学」(中央公論社)をよみ、A型といいました。A型だったそうです。20年以上、わたしの座右の書です。
川村先生は、作家筒井康隆さんのお父さんの先生です。東大トップ卒業、最後まで、博士号を拒否をした方です。

お世話になっています。有益な情報、そしてリンクの許可もありがとうございました。

 さて、本題の血液型と性格についてですが、私は(性格)心理学の論理と方法論に基づく限り、血液型と性格は関係あると考えています(論理と根拠はこちらです)。血液型と性格が「関係ある」ということさえ示せば、あとは心理学者が喜んで研究してくれると思っていました。ですから、学術的なところは心理学者にお任せしたい、というのが元々のスタンスでしたし、いまでもそういう気持ちではいます。

#残念ながら、現実の心理学者の反応は全然違ってしまったのですが…。(^^;;

 能見さんのデータの追試は行いました。従って、彼の文学的な表現はともかく、データ的にはほぼ確認できたと考えています。

 ただ、「性格」の定義はかなりあいまいなものですから、科学的に実証せよと言われると少々困ってしまうのは事実です。なにしろ、心理学では、確実な性格の定義がないようなのですから…。

#前述のように、拙HPでは一般的な性格心理学の方法論を採用しています。

 こんなところで、お答えになっているでしょうか?

 では、今後ともよろしくお願いします。

Red_Ball12.gif (916 バイト)No.467 AB型男性のポポパレ、パレットの松田薫さん(popopare@cat.email.ne.jp)から H13.1.19 4:55

4.メッセージ:[一部を伏せ字・仮名にさせていただきました]

活発で、たのしいコーナーであってほしいですね。

「ABO FAN」さん、答えになっていません。

そして、ザッと目をとおし、まちがいとおもえた部分を指摘させていただきます。

わたしには、理解できない、○ホなのか○カなのか、「論述へいたらせた行動の一貫性」を知りたいことを、ずいぶん書かれ「ABO FAN」さんに、多大な貢献された、心理学者のW氏はT・S・クーンを、最近は文系の学生も読んでいるとあります。が、70年代初期から、哲学徒は読んで、雑文体のクーンは迷いの多い、学者と批評していました。W氏やS氏の論文にみられるミシェルは、アメリカの哲学でいうと、クーンと同じくポッパー、ファイヤアーベントような類とわたしは認識しています(まあ、懐疑派独特の思考をもった、わかりやすくいえば、雑誌「噂の真相」ファン的思考学者です)。

つぎに、W氏は、東大の社会学者の上野千鶴子氏が、知識の多い「学者が素人と論争するということ自体がひとつの差別である」という意味のことを言ったとか書かれていますが、「週刊朝日」かの企画で、上野氏と、桃○語枕草子作家の橋本治氏の対談のとき、橋本氏が、こんな○カと話ができるかといって、席を立って、ギョーカイでは拍手喝采だったそうです。

ただ、W氏が主張されている、学問へ向けるときの、基礎というか、共通言語となるある程度の古典を読まれていないと、議論からの、構築は、難しいということがあります。血液型と性格の問題のとき、文体も論理性も弱く、雑然としたクーン等よりも、フランスの分子生物学者ジャン・モノーの「偶然性と必然性」のほうが血液型を論じるのにつごうがよく、いかに、科学が弱い基盤から、築かれているかが、良くわかる書とおもっています。モノーの邦訳は出ておりますが、日本語になっておりません。モノーの文体は、華麗ともいうべきものです。全文暗記する価値があります。マツダと議論する基礎教養とW氏とS氏には7年前言い、読みますと返事していました。もし、読んでいないのだったら、約束を破ったとして、いま帯広も福島も雪だそうですから、マツダは、学生さんに、ふたりは、他の教員より、格段にいい先生だけど、雪ダルマにして、蹴っ飛ばしてよいといいます。少なくとも、以前、学生が×××をおこし、夜中××までいっても教員の義務と考えるS氏は、雪ダルマにして、蹴っ飛ばしてあげると、よろこびます。

血液型と性格といったばあい、心理学者をはじめ、血液型は安定し確固としたものと認識されている感じがしますが、認識作業をはじめると「ABO式血液型」は、「性格」どうよう、難しいものだとわかってきます。優れた、生化学者や医学者は熟知していることがらです。

N大の○村×男氏は、血液型と性格を批判していますが、あの御方は、能見正比古氏より、信じております。「(日本の学界の性格をしらないため)学界ではしゃいでいる、(とうじ若い)WやSには言えないけど、じつは、ぼく、大好きなんです」っていってました(笑)。わたしが、質問したのですが、○村氏が、クレッチマー等での自己性格を分類し、「ぼくは粘着質で躁鬱質、、、、、そして、てんかん質です」とかいったとき、あと、ひとつ「分裂質」を加えてくれれば、落語とかでしている座布団二、三枚とおもいました。

血液型好きの、○村氏を、わたしの学問領域での、手のラインでゆくと、春型V類(わたしは、○村氏とは、電話でしか話しておりません。○村氏の、お母さんが、良い意味でも悪い意味でも、厳しくヒステリックな傾向にあったのでしょう。わかりやすくいえば○ザコンです)。W氏は、夏型T類(じっさい見ていません)。S氏は台風型で、夏型にみられる、アルファ・ダッシュをもっておられ、ポポパレメンバーでつうじる「開き」の「離れ」という、自分の心身の限界をこえ、物事をするタイプです。仮りに、三人ともA型として、わぁー、A型でいっしょだだと、○○○以下でしょう。S氏、W氏の論理思考力は、○村氏より強いです。あいつはひょっとしてA型だから、、、だと、S氏専門の「うわさ」の領域になってきます。心理学者だけでなく、学者は、つぎの段階へ進ませないといけないのです。

 4

「メール」でインディアンにB型が多いと思っておられる方がありましたが、20C初頭の調査では、B遺伝子の分布は、南米の少数の部族にいたぐらいです。白人種がフロンティア精神とかで、衣類や寝具等に天然痘等の菌をつけ、プレゼントし、免疫力のなかったA遺伝子高頻度部族を、殺戮したと思えるため、O遺伝子が100%近い部族が多いです。

「ABO FAN」さんの年齢がわからないので、回答に困りますが、70年代、わたしに京都のホリディイン・ホテルで会おうといったN氏は、ご子息のTさんをデキが悪くて、、、とおっしゃっていました(これ以上、書けません)。また、70年代の著書に書かれていたとおもいますが、血液検査でA型とわかった奥さんを、長く、奥さんの言うO型と思っていたそうです。これは、不思議でした。わたしの家族のばあい、60年代ですが、中学生だった、わたしの妹が、クラスメイトにAB型と言われるのとかいっていましたけど、AB型の母とわたしは、妹の言動からA型と識別し、検査でA型でした。

B型のN氏の貢献は、60年代まで、悪く思われていた、B型のイメージを良くし、O型を政治的人種にあつかいイメージを悪くさせたことです。「噂の真相」の岡留安則編集長が、編集後記に、B型の典型とおもっていたのに、O型だと知り愕然としたとか書いていた記憶がありますが、N氏のおかげで、輸血ミスで死亡された、大臣経験の政治家をご存知でしょうか。病院側は、緊急時で、偉いひとの自己申告だし(Nの本にも書いてあるから)まちがいはないと判断して起きたことです。

ここで、わたしたちポポパレのメンバーは、N氏をB型よりO型とし、息子さんをA型ではなくAB型に多いかんじや形質と認識していました。

亜細亜大学の前川輝光氏の論述ですが、わたしの本の誤読が多いです。わたしの本で、得に重要なのは、一、二章でしょう。

70年代、わたしの書くものからは、能見正比古氏は省かれました。古川竹二氏でさえもでした。

わたしの能見正比古氏批判の、実際は、編集段階ですべてカットされました。わたしが、編集段階でカットされた「T○SのディレクターO」の名前を無理にだし、通過させたのは、80年代はじめ、文芸評論家小林秀雄氏亡き後、文芸評論のOさんの仕事を高く評価したことだからです。小説家希望者は、若いときに「小説家はウソつき」といい、T○S敏腕プロデュサーとなったのにディレクターといいつづけ、S学会員とかいわれ批判され、ぼくO型と自慢しながら、血液型と性格の批判番組をつくった、○○ホテル好きOさんを読まないといけません。こんなことを、わたしが言うので、昔、作家のN氏はわたしの小説原稿を隠し、元べ平連で、内外をふくめ、あちらこちらの大学教員をされているKさんが、「Oくん、新宿で、ふんぞり返っている」といい、友人も、マツダと会ったあと、なんか急に偉くなった格好で歩いてるといったので、T○Sの階段あたりで、突き落としてやれと返事しました。

前川氏は、ウェーバーも研究されているようですが、血液型と性格の歴史等にふれるのでしたら、ウェーバーにならぶ重要な社会学者がいます。その社会学者の概念や用語に、1930年代、日本の血液型と性格の研究者は大きな影響を受けました。わたしは、若い研究者へ、ドイツ語学習をかね、その学者の代表作を、せめて50ペイジでも暗記とよくいいます。ウェーバーをされる方なのですから、学問の基礎の重要性はご存知なのでしょうから、ラントシュタイナーやデュンゲルン等の博士論文は、とうぜん読まれたとおもいます。1900年から1930年前後の方々のは研究で、能見正比古氏のは調査です。

「わからない」ということ

わたしが、「血液型と性格」を、「わからない」としているのは、「心理学者」、「哲学者」「科学者」等についてもです。それと、統計で有意、あるいは無意味とでたからって、どういうことなのでしょうか。

統計でもちいる数学は、数学でいう「代数」を「応用」させたものじゃないのですか。なんか、ここらへんが、ぴょんと飛んでいるかんじがします。

「心理(性格)」がたしかでない、「ABO式遺伝子血液型」がたしかでない、「代数(数値)」がたしかでない。この論理でゆくと、確固としたものは、どこにもないじゃないですか。

わたしのいう、わからないとは、世田谷の成城、砧地域は、急な坂が多いですが、わたしは、あの周辺に「知猫」が多く、かれらは、わたしが自転車で、坂を降りてくるのを、最低、50メートルまえから、知覚し、庭のなかから、とつぜん現れ、回転レシーブのような格好で、自転車の前に、ドテっとひっくり返って、笑った顔でわたしを見ます。わたしは、危ないと、何回も睨むのですがききません。

わたしには、かれらの知覚能力が、「わからない」のです。鳥のなかにも、そんなことをしてくれる方がいます。1970年代に限定していえば、動物学会等で、わたしによる猫や鳥の、さまざまな観察の発表はなかったそうです。恩師たちは、学界等で発表とかいってましたけど、メンドーだからと返事していました。わたしにとって大事なのは、わたしと、猫や鳥等の、わかっている関係でしたから。

朝鮮半島および島々の頻度の、とらえ方ですが、あの地域は、世界でいちばんO遺伝子が少なく、表現型だと、AB型が世界でいちばん多いと考えたほうがいいとおもいます。

英文メールですが、日本人にもみられる十年一日のレベルです。わたし相手で、あのような内容をいうひとは、30年まえからいませんでした。欧米の研究家のことですが、わたしは、名前を日本語表記にするとき、アングロサクソン、ゲルマン系の外人に発音をたしかめます。すると、「わたしたちの国のひとではないです。外国人です」と返事されることが多いです。

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日本に最初に、血液型の知見をもたらした原来復氏はA型ですが、とうじわからなかったRhマイナスの可能性があります。これは、ご家族からの連絡です。それと、困難をともなうのですが、原氏を徹底調査してゆくと、血液型と性格の社会史が変わります。心理学史を研究されている方々、いっしょに考えてください。

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さいごに、「血液型の年表」のところですが、N氏が1971年に本を出されたとき、すぐさま、テレビと活字で批判した、とうじ、著名だった知識人(科学)がいますが、抜けています。この方に、とうじ無名のN氏は一言もなかったのです。

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「ABO FAN」さんへの、わたしの質問は、これまで、血液型に関心をもたれ、長い経験をされているのですから、「血液型と性格」を、かんたんに要約できることがあるでしょうかということです。

心理学者や科学者に期待されてどうなるのでしょう(笑)。ご自身がされたらどうでしょうか。

しかも、できるだけ、かんたんに。かんたんでないと、わたしがわかりませんから。

     2001年1月19日  0400’                                   ABO不安の松田薫より

拙HPをお読みいただき、また貴重な情報・ご意見をありがとうございます。

 さて、拙HPは、なるべく実名で相手を批判しないことにしています。勝手ながら、一部の文章を修正されていただきましたので、あらかじめご了承ください。m(._.)m

 なお、回答については私の事実確認ができる範囲にさせていただきます。重ねてご了承ください。m(._.)m

 まず、1については私と直接は関係ないと解釈しました。

 2については、

> 血液型と性格といったばあい、心理学者をはじめ、血液型は安定し確固としたものと
> 認識されている感じがしますが、認識作業をはじめると「ABO式血液型」は、「性格」ど
> うよう、難しいものだとわかってきます。優れた、生化学者や医学者は熟知しているこ
> とがらです。

 すみません。これは、ABO式血液型の何の認識が難しいということでしょうか? また、「優れた、生化学者や医学者」とは誰のことでしょうか? 差し支えないなら教えていただきたく。

 3、5、6、10については、私には事実確認ができませんので、大変申し訳ありませんがお答えいたしかねます。m(._.)m

 4については、ネイティブアメリカンはやはりO型が多いと聞いています。

 7については、

> 統計で有意、あるいは無意味とでたからって、どういうことなのでしょうか。

 これは、性格心理学の教科書どおりやっているつもりなのですが…。

> 統計でもちいる数学は、数学でいう「代数」を「応用」させたものじゃないのですか。

 これは少々違うように思えますが…。

 8については、貴重な情報をありがとうございます。

 9についてですが、

> 英文メールですが、日本人にもみられる十年一日のレベルです。

 英文のメールは、そのほとんどが一般の読者からのものです。

 11については、事実確認ができないのでなんとも言えませんが、よろしければその方の名前を教えていただきたく。

 12についてですが、

> 「血液型と性格」を、かんたんに要約できることがあるでしょうかということです。

 「かんたん」の意味が分かりかねますが、私は基本的に(性格)心理学の方法論を採用しているので、(性格)心理学的には関係があるということです。また、能見さんのデータも再現性があったということになります。

> 心理学者や科学者に期待されてどうなるのでしょう(笑)。ご自身がされたらどうでしょうか。

 自分でできるのだったら苦労しません(笑)。

 では、よろしくお願いします。

Red_Ball12.gif (916 バイト)松田薫さん(popopare@cat.email.ne.jp)から H13.1.22 9:53

「九学会連合」っていうのがありました

質問の回答は、内外を問わないのでしたら、わたしの改訂版のなかに書いてあるのですが。




かんたんに、日本人にかぎりましょうか。
京大の細胞(遺伝子)学者の岡田節人(おかだ・ときんど)氏が、「さて、細胞、細胞といいますが、この世には『細胞』なるものは実は存在していない」(1972 講談社ブルーバックスB-201初版。改訂版B687ではカット)と、書かれて、学界中が、「そんな正しいこといったの、だれや」で、10年以上、騒いでいました。
ABO式血液型も細胞です。

これを受け、より詳しく、一冊まるごとABO式血液型の『生命とはなにか』(1982 講談社ブルーバックスB497) にした木原先生がいます。専門家にも難しい書です。

10年来、執筆中になっている(笑)「ABOと音楽」の脚注にだそうと思っているものです。 
慶応大医の分子生物学者木原弘二(きはら・ひろじ)氏は、学会でも認識論から「細胞はありません」といって、東大の哲学者大森荘蔵(おおもり・しょうぞう)氏に存在論から「細胞は在る」といわれ、無言になられたので、わたしは、面識もない木原氏がわにつき、「細胞は在るけれど、無い。認識は難しい」といい、木原・大森先生ぐらいしか、わたしの発言がわからない状態になりました。

わたしは「植物」と「雲」の分類をしたのですが、じっさいに、認識や分類となると、もう、わけがわからない状態へゆくことがあります。

1930年代後半と記憶していますが、アメリカの遺伝学雑誌に、日本猫の短尾が、日本産「犬猫」と紹介されました。20年後、アメリカ産ボブテイルとなりました。もちろん、アメリカ・オリジナルだそうです。




学問史からゆくと、法医学や心理学は、新しい学問です (アリストテレスがしたというひとがいれば、肯定します)。
日本のばあい学会(学界)も大正末期から昭和初期にできたものです。

どちらの学問も共通しているのは、応用数学とおなじ、技術的なところに負う部分があります。
だからといって、哲学や数学、物理をしているひとが偉いとか言う意味ではないです。

渋沢栄一氏の息子さんで、柳田國男氏に影響をうけた渋沢敬三氏が、学問はバラバラであってはいけないという考え方で、「九学会連合」というのが結束され、そのとうじのトップレベルの方々にかぎっていいますと、血液型と性格は、「ぜったい、なにかある」というレベルで信じている方が多かったと記憶しています。
でも、 肯定されていた先生の生息をきかれなくなりました。
いきていらっしゃるとしたら110歳以上ですから、無理ないのですが。 




あのー。owadaさんのホームペイジを、見たいペイジに行ける、「項目別」か「ツリー」状にしてくれないでしょうか。
わたしたち老人には、ネットサーフィンは、本当の波乗りより難しいですから。

最近、パソコンをする年齢層が上がってきて、もっと、80歳前後のひとたちを参加さしていただくと、戦前の話があれこれでてきて、違ったカラーになるとおもいます。

困るのは、B型批判が強くなることです。わたしの周辺のB型のひとは、アバウトではないですね。
むしろ、四角四面といったかんじです。

これ、公開メールで結構です。
誤字等あれば、ごめんなさい。 


 ’01 1/21  09、35’    松田薫

たびたびのメール、どうもありがとうございます。順に回答させていただきます。

 まず1についてですが、ご教授ありがとうございました。申し訳ありませんが、私は生物学は疎いですのでなんともいえません。が、細胞についてはともかく、遺伝子的には分類できるという解釈でいいのでしょうか?

 次に2についてです。渋沢敬三氏が肯定的だったのですか。となると、時期的には戦前・戦中ぐらいなのでしょうか?

 最後に3についてですが、ABOFANは少なからず見にくいと苦情を受けています。(^^;; そうおっしゃるのも無理はありません。とはいっても、なかなか時間が取れずにずるずる来てしまいました。ぜひ長い目で見ていただくようくよろしくお願いします。m(._.)m

 どうもありがとうございました。

Red_Ball12.gif (916 バイト)松田薫さん(popopare@cat.email.ne.jp)から H13.1.26 7:40

遺伝子考、現れているものと、隠れているもの

1

遺伝子の概念のとらえかたですが、「東京」の交通網とおなじように考えてください。
さいしょに、自転車・バイク・クルマ・バス・トラック等です。この大小のなかには、「はじめから動かない車」等があり、「事故等をおこしつつある車」、「破損している車」等があります。

それらがもつ、方向性等の力学を多少想像したあと、電車へとゆきます。
「東西JRと新幹線」、「私鉄ー営団・都営地下鉄」系列を想像してください。

「私鉄ー営団・都営地下鉄」系列、たとえば、小田急沿線ですと、「陸」である「新宿」を「起点」とし、「特急」や「普通」電車があり、「海」のある「江ノ島」まで、ときに「不連続」でありながら、「連続」します。

遺伝子を考えるとき、大事なのは、この「起点」との「関連」と、「連続」と「不連続」の考え方です。

小田急沿線のばあい、この20年間の変化で、歴史としては新しい地下鉄千代田線という、政治の中心地、「国会議事堂前」からも経由し、小田急沿線へ車両が、流れ込むようになりました。


ここらのジョイント箇所、そして、人々の動き方を想像してください。
わたしたちは、わからない部分を、きれいに想像しすぎますが、人の流れや電車の流れは、スムーズなものでないところがあります。
いや、スムーズでない「箇所」や「場所」の方が多いでしょう。

小田急沿線に詳しいとおもえるわたしでも、20年ほどまえ、「代々木上原」駅で、数年まえ、「下北沢」駅で、「?」と、新しく変化した電車の流れに気づかなかったことがあります。




なにが述べたかったかというと、遺伝子の「系」や「網」は、東京の交通関係のより、複雑だということです。

ABO式血液型遺伝子に、シスAB型という、変異型があります。

わたしの恩師山田忠男の、奥様(病弱な方で、往診にこられていた主治医が「松田道雄」先生でした。
左京区の知識人の子女が、この方に、ピアノとハープのレッスンを受けていました)がそれでした。

はじめは電話での声で、わたしはA型と識別していました。が、訪問する日が近くなったころの声に、「?」とおもい、お会いしたとき、恩師が、「ウチの山ノ神は何型だ」と聞くので、いままでの声からはA型とおもいましたけど、きのうと今日の電話の声と、じっさいにお会いして、AB型とおもいました、、、というと。
奥様が「ええっ、わたしの血液型当てたのマツダさんぐらい。わたしO型とかB型っていわれるの」とかおっしゃり、恩師が、「やはり、マツダ君はそこまでわかるか、、、」と感心されたので、「そんなの、そこまで、わかるわけないでしょう」と返事しました。

恩師の家は、山田ミュージアムと欧米人に称されたくらいの、小さな博物館以上の価値あるもので、1950〜70年代、京都のサロンになっていました。




第19代京都市長高山義三氏と、わたしの本にかきました、血液型と性格の関係は絶対にあるといった、長崎大の浅田一先生は知己でしたけれど、市民に尊敬された高山義三氏と恩師も親しかったです。

蜷川虎三京都府知事政権下で、山田忠男先生は府教委をしており、山田先生も、わたしへ、書での手紙をかいてくれていました。
が、蜷川虎三氏の血液型を、第一秘書をされていた、大学の後輩にあたる荒木宣雄(元京都府職員)さんに、家人が確認しますと、「蜷川先生はAB型」との巻紙での書面をいただきました。
僭越な表現になりますが有能な秘書だったときく荒木さんもAB型だそうです。

秘書の選択権は蜷川氏にあり、AB型がAB型をえらんだわけですが、会社等でAB型の社長が、勘でAB型の秘書を選ぶ傾向を、わたしのO型の友人が長い経験測からいうのに、AB型どうしは、なにか、わかりあえる部分があるのではないかと指摘していました。

家人に、すぐ怒るとかいっていた荒木さんの、京大医学部の息子さんの血液型を確かめ、すぐ怒るといっていたわたしの編集担当の父で東大の学者や、「ウチの兄貴すぐに怒りまんねん」といってた京大の学者諸氏の言動と、その説明を、機会があれば列挙してゆきたいとおもいます。




遺伝子の概念を、より、明確にしてゆく作業にうつってもいいですが、その前に、わたしたちは、「メンデル遺伝学」という言葉を、小学生ごろからきいていながら、東大や京大といった、基礎学問の中心地のような場所でも、メンデル論文から、再発見にいたるまでの論文等を読んでいない、遺伝学者がほとんどという事実に、わたしは驚かさせられます。

ABO式血液型を論じるならば、最低、ラントシュタイナー博士と、原来復の恩師デュンゲルン博士の論文を連続して読むべきなのです。かれらは天才なのですから。

わたしの遺伝子考は、そういった、基礎訓練をしたひとが、二、三人あつまってからのほうがいいでしょう。




わたしのメールに、渋沢栄一氏という大人物が在り、渋沢氏が文化事業へ、貢献され、本来は学問をしたかったといわれる息子さんの渋沢敬三氏がいたために、少なくとも、shozoさんとわたしは、「共通項(一般化されたもので、学問は、これが異常な力を発揮します)」として、話をすすめることができます。

まず、だいじなことですが、大実業家という「人種」をしってください。
ワンマンだったといわれるひともいますが、かれらの、新しい知識への関心の向け方と、許容度の高さ、認識の早さには驚かされます。

わたしが「九学会連合」とだしたのは、1980年、ABO遺伝子と音楽の論文を印刷物にしたとき、一、二日で、読んでくださり、すばやく反応を下さったのが、サロンを知り、九学会連合に参加された、旧東京帝大出身の、学界では長老の方々だったということです。

私立出身者のほうが、思考が柔軟とおもっていたらしい、取材にこられた毎日新聞社の記者の方が、驚かれていました。




わたしが関係した、原来復氏のドイツ留学に援助し、早稲田大学理工学部創設し、「コマツ」の創始者「竹内明太郎」氏ですけれども、記念の銅像が、戦時中、軍へ寄付をしたということで、コマツには資料がなく、基礎づくりをした「日産自動車」でも、関係がないひとのようにいわれ、沈黙しました。

日本の歴史は、良い人物をどこまで消してしまうのかという感じがします。

若い世代での、身近な例ですと、わたしの恩師の知人に、SONYの創業者にあたる「三木守人」氏がいます。
経済学者の都留重人氏の同窓で、奈良の郡山初代市長らしいですけど、SONYの歴史では、わたしたちの耳まで、きこえてきませんね。

政財界の大人物といわれたひとたちでも、こんなにも名前が消えてしまうのかということを実感させられました。
わたしは、血液型と性格は、サロンで活用されたと、shozoさんが紹介してくださった、わたしの本で書いています。

政財界の大物たちのサロンに招かれた、文化人というのでしょうか、知識人はどんな状態なのか。このペイジを読む方々で知っているひとがいれば、表現してください。

わたしはサロン嫌いです。なぜかというと、幼児経験もあるのですが、血液型の話とか手相とか、わたしが中心になり、わたしが疲れてしまうからです。




幼児経験ですが、わたしが批判した能見氏の初期の本からですが、政治家の血液型が載っています。

今年80歳になろうとする血液型の話が好きな母に、元建設大臣だった渡海元三郎さんはAB型だった?とききましたら、
「、、、、そうね。そんなかんじ」と返事してくれました。
わたしの生家(兵庫県印南郡米田町で、わたしの幼名は「好信(よしのぶ)」です。
年下のイトコにAB型の大人しいshozoがいます)は、国会議員の寄り場でした。

とくに吉田内閣のときの「バカヤロー解散」(1953.3)では、社会党時代の到来で、近所(阿弥陀)の社会党の田中武夫さん(能見氏のでは0型ですね)が、1歳5ヶ月のわたしにしては、真夜中にきて、母が「この子は、長男と違いますから、、、」と何回いっても、きいてくれなく、わたしを抱こうとして、泣かして大変でした。

そのすぐあと、すこし離れた(高砂)、自民党の渡海元三郎さんたちがきたとき、わたしに触れようとせず、距離をとり微笑んでいる渡海さんに、静かな政治家、、、。「?」と感じました。
あとでわかりましたが、渡海さんには兄と年齢が近い息子さんがいたので、区別できたのでしょう。

祖父の友人の民社党の吉田賢一さんがこられたのは、翌日ぐらいでした。
記憶力の良い、父に、この順序でよいかときくと、吉田さんは、明石からだから、わたしの記憶どおりだろうといっていました。
いま「Yahoo!」で、「吉田賢一 民社党」で検索すると、吉田賢一さんがひっかかりました。
生前の写真もみられ、便利な時代とおもいましたが、「吉田」の「吉」は、父がいうのに、下の方が長い「吉」だそうです。

これを記載するのは、血液型と性格の歴史を、真剣に調べようとする心理学者がいたならば、この1950年代という時代の政治家に、キーパーソンがいるということを伝えたいがためです。




また、事実からゆきますと、わたしは母方を継いでおり、わたしの母は大正10(1921)年東京生まれです。
古川学説が流行をみせた1930年代は、思春期を迎えるころで、古川竹二氏を知らなかったAB型母のなかには、確固とした「血液型と気性(きしょう)」の関係が、母なりに作られています。
それは、同じくAB型の叔母にも共通しています。
A型の祖父、B型の祖母たちも、血液型と気性を、かれらなりの概念をもっていたとおもいます。

わたしが、「血液型と病気と性格の歴史(原題)」を進めているとき、編集担当が、「血液型の知識が伝わった、大正時代は、木造の建物で、土ほこりのなか、人力車が走ってさっ、、、、」というので、なにいってるの、レンガ作りか、石畳で、上流階級は、いまもいっしょとわたしは返事しました。

血液型と性格が流行したころ、早稲田大の今和次郎氏作成の、銀座カフェ・バー地図によると、どんな時代だったのかとおもうほど、飲食店が氾濫しています。

わたしの母は、とうじ、牛込の伯父の家にいて、京橋の8階建てかのビルの中でスケートして、クリームコロッケを食べたときいていますから、母が子供の写真見せようか、祖父三兄弟が(昭和)天皇陛下からいただいた品物や写真等をみせようかというと、「昔話にしたいんだ」というので、関係者はほとんど生きているから、迷惑をかけない程度に、事実を優先させたらどうなのかと返事しました。 

すると「それだと、話が進まんないじゃないか」というので、作り話はできないと返事しました。が、担当は最終稿を勝手に変えました。




標準語を話した、出自が桑名藩松平家の祖父は、内務省土木局勤務の設計技師で、関東大震災のとき、後藤新平指揮のもと、復興局にいました。

のちの2・26事件では内務省警保局警視庁本部長の大伯父が、宮城警備の指揮官でした(わたしの担当は2・26事件の本をつくったことがあるらしく、わたしの大伯父の名前が出てこないぞといっていました。歴史の表面しかわからない人物には沈黙しかないのですが、わたしは、あきれて、その息子にあたる自衛隊の幕僚長をしていた母のイトコを言えませんでした。
が、数年後、わたしが素人芸術家とおもっていた人の個展が、中野区のギャラリーであり、この人、血縁とおもうというと、わたしの担当は、パリまで、原画使用の許可を取りにいったといっていました。
どうも、日本は、芸術家のほうがわかりやすいみたいです)。


10 

標準語を話した、わたしの恩師山田忠男の出自は尾張藩徳川家でした。
じつは、わたしには興味がない、わたしの出自を明確にしてくれたのも恩師です。

このようにかくのは、血液型と性格の歴史を調査しているとき、日赤芝本部に行ったとき、資料を管轄する総務部長が尾張藩徳川家直系の方だったからです。

桑名城は取り潰しになりましたが、会津城にゆくと、わたしの、家系の、「三家名」が資料としてありました。
徳川御三家を特急と考え、松平家を急行と考え、停車駅を考えてください。
そして、原来復氏の先祖も、松平家につながってきます。
遺伝子もひとの社会と、よく似ています。

ですから、わたしが『「血液型と性格」の社会史』を書き上げられた背景には、わたしの血縁が大きいです。


     ’01 1/26  07.25'               松田薫

いろいろとご教授ありがとうございました。なるほど、そういうことなのですか。
 豊富な情報にただ感心するばかりです。コメントができず、大変申し訳ありません。m(._.)m

Red_Ball12.gif (916 バイト)松田薫さん(popopare@cat.email.ne.jp)から H13.3.2 4:28

オホーツク寒気団が、この2年、強いらしく、ほとんどベッドの状態です。

じつに、私的な、嫌な病状を、インターネットで、モンゴルの住民が、シベリア寒気団による、異常な寒さで餓死をむかえつつあることをしり、しかも、5億という、日本という国にとっては、少ない金額で救われるということをきくと、人類学の知識がある、わたしを憂鬱にさせてます。

家人はニフティ、ビッグローブにはじまり、プロバイダーをよく変化させますが、○サヒが卑劣なことをしたので、ペイジを切り、わたしのペイジはとうぶん「ぷらら」あたりになるみたいです。
http://www6.plala.or.jp/popopare/

周囲には、音楽をするもの(わたしも、友人も「ローランド」が4,5人しかいなかったころの第一号機をもっていました。
妹に買わせたのですが、専務他3人が感謝の意を表しにきました。
ヤマハのクラビノーバは妻に買わせたのですが、1号機あたりを持っていました。
70年代のは、低音部がほとんど出ませんでした。わたしは、そういった場が苦手です)がおり、

その友人たちが、1999年ごろから、ホームペイジ作りをいいだし、わたしは、ホームペイジにつける、「MIDI」化されたファイルを待っているのですが、20数年まえの曲(東芝EMI等が契約相談にきました。わたしは恩師に、契約も出席も止められました)をも、ファイル化できないようです。

わたしはMIDIは、まったくの門外漢ですが、きょう、音楽ソフトをつかい、ラフにちかいものを、マウスだけで、2時間やっていましたら、ひとさし指がやられました。

ヤマハとローランドの調子が悪いのは知っていましたが、これは、難しいソフトに原因があります。
また、「IBM」で、会議に発言できる方に、ヤマハやローランドのハードに、IBM等、プロ用のパソコンと接続できないものがあるというと、どうにか日本で業績をたもっているIBMのひとたちが驚いていました。
IBMは、去年、2回、大きなミスをし、SONYもしたのですが、マスコミに流れませんでしたね。

血液型と性格もこのようなものです。

過激(正直)な発言をする、ドクターによる、ポポパレ・メディカのペイジを、とっくに作っている予定なんですが、、、。

松田薫   ’01 3 /2 03.55'

お大事にしてください。

 ローランドとヤマハですか。実に懐かしいですね。昔はいじったのですが、すっかり遠ざかってしまいました。今でもパソコンとの相性があるのでしょうか。

 なお、リンクについてはアドレスを訂正しました。

 よろしくお願いします。

Red_Ball12.gif (916 バイト)松田薫さん(popopare@cat.email.ne.jp)から H13.3.3 13:54


じつは血液型と性格のことについて、テレビ局には、頻繁に悩まされます。先月もそうでした。
今回、わたしは、わたしの考え方は、「ABO FAN」さんのペイジに回答をしていますと返事をしました。

テレビとか一部の雑誌は極端なことを求めます。
わたしは、血液型と性格の考え方で、良識あるひとが、「血液型」で差別されると困るということを優先させます。
ところが、テレビ局等は、番組を面白くしたいので、それは困るといいます。


わたしの、70年代の調査でつまづいたのは、調査場所(サンプルの母体)が、同志社であったことです。
わたしは、入学して一週間目に、哲学専攻の長老(いま90歳の、まじめな先生です)から、大学に残ってくれるよう懇願されました。
そのとき、同志社、同志社女子大の学生数を2万5千人ときいておどろきました。
わたしが聞いていたのは、文部省への届けの2万人という数字でした。

統計をとるとき、母体(対象生物の数量)は、ある程度、把握しておかなければいけないことになっています。
そのため、なぜ、5千人も多いのですかと尋ねました。
答えは、5千人を多めにとらないと、大学、とくに私立は商売ですから、経営上のことが大きく、そして、このことは文部省も知っていますといわれていました。

国から、大学への援助は、東大へ7割、京大へ2割、のこりを旧帝大が、そして他の国公立が、少し配分され、私立にはほとんどないことは、70年前後の学生運動でも、問題となりました。
そして、わたしは同志社で、社会学的調査を行っても、この数値は公開できないと判断いたしました。


統計学のことですが、自称心理学者が言っている、心理学者は、統計学が苦手、とかいうレベルは、わたしにはどうでもいいことです。

統計学ができるというのは、解析での数式を、ちがう組み合わせ方にし、新たな数理式を作り上げられる力量をもったひとのことをいいます。

日本の統計学者で、元文部省統数研所長でイギリス王立統計学会名誉会員だった林知己夫先生がいます。
林先生は、生物数量(生態数量)を、体感で感じられる能力を持った方とわたしは思っています。
この方の著書に『科学と常識』(東洋経済 1982)があります。
小さな書籍ですが、中身は、従来の統計学の考え方を変えようではないかといったダイナミックなものです。

わたし流の読み方ですが、林先生は、統計学で大きな数値を扱ったからといって、それが実証性をもつものか?と疑問をだし、人の心の計測などこれからの学問だと主張されています。わたしは、いまも、そう思っています。

わたしは20年ほどまえ、林先生に、統計学は、学問の根本をどこに置くのですかと質問しました。

血液型と性格のまえに、同志社で「母体数」が2万5千人、そこでの血液型頻度率(生化学量)が、2千から3千人の単位でも、不安定だったこと。
オックスフォード大学からの、血液型の頻度データをみると、10万単位でも、「統計学的に有意」だという、考え方が崩れるデータがあること、そして、このようなばあい、「界面と極相の問題」(後述)をどう考えてゆくのか。

心理(性格)テストを、心の自由度の高い(成績にも、なんにも関係がないという意味です)教室外で、行うと、性格テストは、このひとは常識的か、否かぐらいの意味しかもってこなくなるとものべました。

林先生は、統計学は、何回もおこない、調査対象の「傾き」を見る学問ですとの回答をくださいました。
でも、この「傾き」が、問題なのです。統計学は「傾き」というけれども、この傾きは、どれくらいの信憑性を維持できるかということなのです。


科学哲学で「界面問題」(境界でもいいのですが、少し意味が異なってきます)があります。
そのつぎに、「極相問題」(界面と、交差する問題で、100年単位でも答えがでないでしょう)があります。
血液型と性格を論じることは、これにつながる問題と、わたしは考えています。

最近ですが、25年以上つきあっている、血液型の調査を長年した親友と、血液型と性格のまとめとして、わたしが、文化学科(わたしが在籍した学科です)の学生と、学生運動家の血液型別行動のまとめとして、わたしが、同志社女子大にある小道から、同志社大へ行くとき、O型は、樹木や建物の蔭から一人で突然現れ、A型は一人あるいは複数でも後方や前方の道から声をかけてき、B型はわたしの行く教室等の前で一人でまっていることが多く、AB型はだれもいない所で、ぐうぜんAB型どうしの一人二人が、知らないうちにそばにいて、いつのまにか消えていたと、名前を上げていいますと、そんな名簿があった?と聞きますので、わらって、「27年まえ、ぼくが作った」と返事しました。


ただ、このようなことですが、わたしの学問の方法はあまりに実証的ですので、20年ほどまえ、神戸大の社会学者の陸井(くがい)四郎先生から、「、、、、時代は、ますます実証的な学問が力をもってきていますね」といわれました。
わたしは、「わたしも、物理優先の、嫌な時代傾向とおもっています」と返事いたしました。


松田薫    ’01  3月3日  13.53’

ABOFANを紹介していただきありがとうございます。

 統計学は、私はあまり知識はありません。(^^;;

 とはいっても、念のためにサンプルが数万人程度で各血液型分布の誤差を試算(信頼区間95%)してみると2%程度となります。従って、数が少ないAB型ならもっと安定しないことになります。ちなみに、100万人では0.4%程度です。ということは、血液型分布のデータは、必ずコンマ以下の誤差はあると考えるべきなのでしょうね。

 性格検査については同感です。心理学者のデータをさんざん見たのですが、同質のサンプルでないとキチンとした差がでないようです。ランダムサンプリングも善し悪しですね。

 血液型と行動って、そんなデータがあるのですか。ありがとうございます。

 では。

Red_Ball12.gif (916 バイト)松田薫さん(popopare@cat.email.ne.jp)から H13.3.22 12:08

少し気になった点です。


三菱電機の個所で、後日、三菱に問い合わせたひとからの情報によると、わたし(松田薫)が書いたような事実等はないということでしょうか?

わたしは、三菱電機(の社報)を担当している(三菱がクライアントです)ライトパブリシティから、91年ごろ、はじめインタヴィユーだけの依頼だったのですが、わたしと会ってから、原稿依頼のような形になり、最終校正までしましたが。
あの個所を明確にかかなく、自著等に社報のことを表記しなかったのは、取材にこられた方が、ちょうどライトパブリシティを辞められ、フリーになったという状況からです。
明確にかくと、フリーの方に仕事が来なくなりますから。


ABO遺伝子の発生順のペイジですが、発生学は非常に難しく、推論の領域を、なかなか脱することができません。

もっとわかりやすい、遺伝子の「数」ですが、70年代後半、5万以上といわれ、80年代なかごろからは10万とかいわれていました。最近のニュースでは3万となっていますね。
わたしは、各学会長をしていた恩師二人から、即、活字にしろと命令された、1980年のABOの論文で3万と表記しました。
自費出版といっても、西欧人も校閲に入る規模のものでしたから、とうじ、5万以上にしなさいとか、さまざまなことを言われました。
が、わたしは、3万でも多いし、万を超えると、どうでもいいとか言って、3万と表記しました。


体調の加減で、知人等のメールを読むこともできない状態でした。
下は血液型探検隊を主催されている方への返事です。
主催者がShozoさんへ、感謝の意をしめされているようですから、そのまま送付いたします。 


「神岡さまへ」

家人O型が、IBMホームページビルダーV5,V6とアドビのゴーライヴ使用で、パソコンをブレイクさせました。

また、版元等、他の出版社、マスコミとも、かなり、抗議し、疲れ、去年から、いまもほとんど、ベッドの状態です。

そのため、神岡さんへの連絡は気になりながら、インターネット嫌悪状態がつづき、恩師や、知人等とかの、返事におわれていました。

一番、身近で、これからの、日本の医学のために欠かせない、重要なひとたちへの回答ができていない状態です。

年賀状は、まったく、かかない年もあるのですが、今年は、家人も疲れて一枚も書かないので、わたしが代わりに、かきはじめたのが、2月中旬にはいってからでした。


見ていただいたらわかりますが、家人のホームペイジに音楽がついています。http://plaza23.mbn.or.jp/...

(よければ、リンクしておいてください。O型的な絵とでも注をされ)
音楽は、わたしが作曲をおしえた若い友人(といっても45歳O型)が、担当だったのですが、20数年前の曲すら、一年まっても、MIDIファイル化できないので、MIDI等音楽ソフトの門外漢の私が、作曲することにしました。が、専用のサウンドボードやインターフェイス(中間の接続器具)を接続すると、2台目も、ひどい、ブレイク。

ヤマハ、ローランドとも、IBMやコンパック・プロとは相性が悪いとかで、これら、企業(去年秋から、ほとんどのパソコン企業が赤字です)には、知人等の関係で、連絡が頻繁になり、それの対応にも疲れました。結局、鍵盤楽器等を使わず、「楽理」は専門ですので、マウスだけで、家人の絵にあわせた、すべての曲を、20年ぶりに、3月初旬、3日間徹夜で作曲しました。この疲労で、インフルエンザにかかりました(Shozoさんへ注、わたしは風邪にかかりにくい、ゼンソク患者向けのクスリを常用しています)。


リンクは、家人とのペイジともできていない状態です。
連絡をしてきてくださった、ABOFANさんところがかろうじてできているようです。http://www6.plala.or.jp/...

神岡さんのペイジに古川竹二氏の本(薄手の、ブルーの表紙だとおもいますが。Shozoさんへ注、古川氏の書籍の表紙は濃紺だったとおもいます。おなじ本が、遺族への連絡なしに、海賊版等いろいろな形で出版されたようです)にふれられ、能見氏のものより上ではとかかれていますので、述べさせていただきます。
血液型の能見氏ですが、彼は、古川竹二氏、死後30年たち(1970年ごろの著作権はこうでした)、古川氏の著作権が切れたので、まわりの、誰かまわず、生存者すらの著作権を配慮せず、盗用の連続をしました。
このことで、古川竹二氏をはじめとする家族(学者が多いです)の憤慨はひどいものでした。

質問ですが、B型女性が癒し系とありますが、どのような、見方からきたのでしょうか?

わたしの両祖母はB型で、父方は生きているのか死んでいるのかわからない、お家嫌い、家事嫌いで、数え49歳で隠居した幽霊みたいなひとで、母方はお家大事、家事大事で90歳ごろまで、しっかりした姿勢で生きた人でした。
80歳になる母親の、60年来の親友(B型)がきたとき、家人に、「(父方の)おばあちゃんに似てるんだ。幽霊みたいで、浮いているだろ」というと、家人は「かわいいひと」と言っていましたが、こういったことでしょうか。

松田薫   3月22日  0300’


わたしは、ローランド1号機を、3ヶ月ぐらい前の注文で購入いたしました。その少し前の年ぐらいに、クラッシックギター「コウノ」を半年ぐらいまえに注文したことがあります。70年代はじめ、「コウノ」の入手は難しいものでした。
ただ、2オクターヴぐらいしかでなかった、ローランドは10時間ほどしか触っていません。
ヤマハのクラヴィノーバは5時間も触っていないですね。研究を優先させ、音楽をする時間がなかったからです。


これらの理由は、医師から告げられていた、わたしの寿命との関係が大きいです。

また、わたしの頭脳の構造を、分析した、物理学者の湯川秀樹さんが、70年代なかごろからほとんど病床で、湯川さんが健在の間に、遺伝子(ABO式血液型)とヒトの行動の論文をというのが、湯川さんの一番弟子からの言葉でした。
わたしの頭脳の構造(60年代に新しいIQテストを開発した、湯川さんたちにいわせると、超天才値でした。陰で、日本でのテレビのもとをつくったといわれ、創造工学を創設し、代数が不得手の湯川さんの頭脳となり、思考パターンを3種に分ける、新しいIQテストを作り上げた、工学者の市川亀久弥先生は、結果を知らずに、わたしを見て、出現不可とおもえた第三番目の型と、すぐ、識別しました。数学のばあい、わたしの出現率は世界の数学者一万人にひとりともいわれていました。こういったことは、ふつうのIQテストからでも、幼稚園児のころから指摘されていました。小学校、中学校、高校と、病気の連続で、ふつうのひとの半分ほども通っていませんが、高校の数学の問題は、習わなくても半分は自分で数式をつくって解析していました。IQでは、小学校のときから文部省の視学官がきたりして嫌な経験をしました。そして、数学の先生たちは、わたしの能力を高く評価したのですが、わたしが、自分の数学能力等を認めていませんでした)。

2進法の、コンピューター理論は30年以上まえからやらされましたが、いまだ、10進法と12進法との互換性が理解できない頭ですから。


松田薫 3月22日  11,50’

誤記あればごめんなさい

たびたびメールをいただきありがとうございます。どうかお大事になさってください。

 今回の地震は大丈夫だったのでしょうか?

 さて、都合により、気になった1だけ回答させていただきます。

 私は三菱電機とは関係がありませんし、その記事についてウラを取ったわけではありませんから、そういう「事実」があったかどうかは(私には)確認しようがありません。だから、私が言えるのは、そういう「事実」があったかどうかではなく、そういう「記事が掲載されたという事実」があったことだけです。ただ、一般紙にも掲載されたということであれば、そういう事実があった可能性は非常に高いと判断します。

 いつもありがとうございます。

Red_Ball12.gif (916 バイト)松田薫さん(popopare@cat.email.ne.jp)から H13.3.25 21:46

「実存主義の時代から、現象学の時代のこと(1)」

1960年代は、サルトルで代表される、実存主義の時代でした。 かんたんにいえば、心が中心におかれた時代です。 70年代において、フッサールの現象学の時代ということになりました。 また、ポパーの科学哲学が、少しブームにもなっていました。 物に中心がおかれるようになった時代といってよいでしょう。


わたしが、「ABO遺伝子と音楽」の論考をすすめてゆける環境は、 60年代で、そのころの学者、世間でいうと、 伝統ある学会の学会長へとなっていったひとたちですから、偉い方々でしょう。

とうじの大学ですけど、68年ごろは、京大や同志社は、 学生と、体格の良い機動隊との衝突が激しく、 京大正門前の様子は、正月の初詣のような人ごみでの、 殴り合い、追いかけあいだったそうです。

わたしたち、高校生による、運動には、体格はそれほど良くなくても、 拳銃をもっていた警察が関与してきました。


70年代にはいっても、同志社は、機動隊は、 金属性のヘルメットに、盾と警棒をもち、一部のスキなく、並んでいる状態でした。 学生側はプラスチックのヘルメットに、ふつうの木の角棒でした。

機動隊による、学生への暴力は、生涯、身障者になるようなものでした。 そのかわり、学生の反撃も、機動隊や警官をつかまえたばあい、 なにをしてもいいといった社会状況でした。

学生同士が一致団結しているかというと、派(セクト)によってちがいます。 ここで、学生運動に参加したひとたちの血液型でいいますと、 O型のばあい、同じ派であっても、「あいつとは、(考え方)がちがう」と発言していました。 A型のばあい、「、、、、、(いっしょ)」で、くっついていました。

そして、親がサラリーマンの子息のばあい、目立ったばあい、 父親が会社を首になりますから、わたしは運動を止めさせることにしていました。 セクトを離脱する発言をすると、暴力にあうのですが、 わたしは、されるがままにしておきなさいと忠告していました。 わたしの周辺のA型のほとんどは止めました。が、O型はひとりも、ききませんでした。


60年代、70年代の、学会長クラスまでゆき学界で発言権をもっていた方々による、 血液型と性格(かれらは気質といいませんでした)についてですが、 「関係あるよー。あたりまえじゃないか」でした。

ただ、性格のとらえ方が、専門家ですから、 わかりにくいヒトの行動の、わかりにくい一部を構成するものとしての意味です。

私の研究は、学者たちの声援で進められています。 それでないと、10年単位の研究など、連続できません。 とちゅう、海外赴任で、70年代なかばの日本の流行をしらず、 欧米から帰国してきた学者たちも、血液型と性格? 「なにいってんだ。関係ある」と同じでした。 この反応は、ABO式のどの血液型の先生方もいっしょでした。


わたしが通った大学では、学長が心理学専攻で、 若いころ、戦前からの、著名な学者たちによる、 心理学概論や入門書の書籍の校正などの手伝いをされていましたから、 学長にきけば、いちばんわかったのです。

ところが、70年安保問題の余波と、大学の移転問題で、 学生運動家の活動が盛んでしたから、 学長は入学式をはじめとする行事すら、出て来れない状況でした。

「松山(学長です)を見つけたら、リンチで殺せ」が合言葉でしたから、 学生たちには、住まいすらわからないようにしていました。

わたしは、伊豆の別荘に住んでいるとおしえらていましたが、 暴力をおそれ、わたしたち学徒への、講義すら放棄する、 松山先生へ、関心はありませんでした。

というのは、古川竹二氏の血液型がブームの時代の同志社ですが、 キリスト教の学園のため、講義室には、 憲兵がついていた時代だったということを聞いていたからです。

また、わたしも、学校をとわない、グループをつくり、 きわめて自由主義の発言をしていました。 そして、友人からの忠告でしたけど、 大学での、学生運動の中心メンバーにねらわれていました。 でも、そのころ、わたしは、文化人類学もしており、 ちょうどアラビア語と「イスラム教」の学習時期でしたから、 「目には、目だからな」が、わたしの返事でした。

松田薫    3月25日  21,35’

情報ありがとうございます。正直に言って、事実関係がわからないのでなんともコメントしようがありません。大変申し訳ありません。


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最終更新日:平成13年3月26日 [H28.10.2モバイル用に微修正]