・・・そうだ、この「道草」のように・・・


電脳法師にとって は色々なことを無意識に教えてくれる教師のようなものである、と思います。
 道は、目標に向かわせる。また一歩一歩進むことを教える。
 道は、自分とまわりとのいきいきとした関わり合いを教える。
 道は、問題解決や意思決定を教える。
 道は、イメージの蓄積機能、引出し機能がある。
 道は、構造を教える。また形式を連想させる。
 道は、思想を教える。また道は、思想する。
 このように思うのは、電脳法師が山奥の生まれ育ちで、小学校一年生から、一里(※1)の山道の通学路を、歩きで通った経験があるからだ、と確信しています。

※1 いちり:約4km。もっとも後年、クルマで同じ道を走ってみたら、どうも4km以上あるような気もするのですが・・・。  関東の最北部の「那須」の、さらに奥の、開拓地で、電脳法師は生まれました。茶臼岳(ちゃうすだけ)を主峰とする那須連峰の「那須おろし」にもまれながら、凍(し)み豆腐のように育ちました。そして、小学校の半ば頃から宇都宮へ出てきて、今度は日光の「男体おろし」に、吹きさらされ、干し柿のように育(はぐく)まれました。少年時代は、まったく関東の「からっ風」の中を歩き通したといってもよいでしょう。

 突き刺すようなからっ風と高い山、そして長い「道」こそは、電脳法師の「原郷」「原風景」をなすものです。

 那須時代の小学校は、国道4号線沿いの、芭蕉が宿(※2)をとったという所の近所にありました。その小学校の校庭の端には大きな銀杏の木があり、秋になると非常にたくさんのまっ黄色な実を落とし、その銀杏の実をふみつぶしながら昇降口に入ったものです。

※2 「落くるやたかくの宿の時鳥(ほととぎす)」(奥の細道・俳諧書留)  当時の国道4号線は全く未舗装だったので、雨でも降れば、まわりに泥をはね飛ばしながら車が疾走しました。そのために国道沿いの家々はその泥で一年中泥だらけです。そういう泥で白っぽくなった家の一つに同級生がいたので、行き帰りはよくいっしょに遊んだりしました。

 また冬ともなれば結構雪が積もったので、家の近所では子供の腰近くまである雪を、かき分けかき分けしながら、細い通学路を通いました。今ならとんでもない状況なのですが、当時はこんなものかと当たり前のように思っていました。

 そんなこんなで、まったく小学校への行き帰りは面白いものです。いつも・・・「肥後の守(※3)」をポケットに持ち歩いており、そして、ふらっと、さそわれるように道草をしながら、山に入り込んで木の枝を切り刀を作ったり、田んぼのあぜの泥に足を突っ込んで抜けなくなったり、暗い池のはたをぐるっ〜と一周したりしながら、食べられそうなありとあらゆる木の実を試食したり、高い木に登りあたりをながめたり、広い草原の真中で風の音を聞いたり、狭い山道でいきなり出てきた蛇を踏みそこなったり、あるいは日のあたる草むらの土手にねころんでぼんやりとしたり・・・しながら登下校をしていたのです。

※3 ひごのかみ:折りたたみ型の日本の伝統的ナイフ  まるで宮澤賢治の童話にでてくる「タネリ」のように歩きまわっていました。まわりから何かを感じさせられながら、また自分からまわりへ何かしながら、そしてまわりと交響しながらの、学校の往き帰りです。この4kmの道が遠いなどとは、まったく、思いもしませんでした。電脳法師が「タネリ」の童話が一番気に入っているのも、この体験によるものでしょう。

 現在なら刃物を持って登下校など、教師が目をむきそうだが、当時はそんなことはお構いなしです。むしろ家では、いろいろな作業用の刃物がたくさんあったので、刃物一つぐらいまともに使えないようでは家の手伝いもできません。刃物は小さいときから「経験」した方がよいのす。切れない刃物だと手を切ったり痛い目にあいます。ちゃんと刃物を研いでおかないと、かえって危険なのです。電脳法師は、愛用の「肥後の守」を、家の作業用の砥石(といし)でいつもピカピカに研いでおきました。

 「道」を歩くということは、人に「移動する」、ということを教えてくれます。考えてみればあたりまえのことですが、なかなかこのことには気がつかないのです。実際に「道」を歩いてこそ、「移動」することが身をもって理解できるのです。体を使って歩くということは、「体」が学習することです。言葉にできない色んな事を学ぶのです。

 「体」が学習して得られた知識を「身体知」などというようですが、考えてみればこの知識がいかに難度の高いものか、二足歩行ロボットがなかなか実現できなかったことでも明らかでしょう。歩き移動する知識・知恵を、体はこれを一瞬に悟り理解するのです。さらに歩くことによって「空間」というものがよく理解できるのです。体は頭脳と違って鈍くのろまですが、その分、感覚的に左右される問題やとてつもなく高度な問題をかえって直感的に「すんなり」理解します。我々はあまりにも”利口”になり過ぎてしまって、このように非常にプリミティブ(初歩的、基本的)なことを忘れているのです。

 また「道」は例えば、「A地点からB地点へ移動する」ために使うものです。これは見方を変えれば、「問題の解決」ということです。学校や会社での主な作業は、端的にいえば、その本質はすべて「問題解決」であると思います。「1+2=?」と問題が出れば、「3」と答えて正解となります。この「問題設定」と「問題解決」を「道」は、実に直接的に教えてくれるわけです。つまり「A地点からB地点へ移動せよ」の問題は「B地点」へ到着すれば、それが「正解」であり、問題の解決となります。極めて単純明快に、問題の設定とその問題の解決の仕方を教えるのです。

 「1+2=?」の形の問題はただ唯一の解しかありません。しかし、ここでもし「通れるどれかのコースを使って、A地点からB地点へ移動せよ」ということになれば、その「X」か「Y」か「Z」などのルートは、近道か、難しくない道か、面白い道か、こわい道か、など”評価”し”意思決定”をして、実際に通らなければなりません。これは子供にとっては「大問題」です。

 電脳法師にとっては、子供のときから実は,近所の道や近くの田のあぜ道や裏山の山道など、いたるところ「問題」だらけでした。各ルートには、あのあぜ道を行くと河を渡る必要があるとか、この山道はよく蛇が出るとか、あの家の納屋の横には堆肥があってカブトムシの幼虫がたくさんいるとか、あの近道は途中でがけを登るので危険だとか、いろいろなデータや情報があり、それらの「データベース」と目的と、そしてそのときの状況を”比較・判断”し、その時に与えられた「問題」に対して最適の「解答」の道を決断したのでした。色んなルートを知っていることは、単に実用だけではなく、子供にとっては一つの勲章でもあったのです。

 道はものを運ぶだけではなく、情報やイメージを連想させます。好きな人が住んでいる町へ続く道は、なにか慕わしげな感情がわき、道がいそいそと楽しく幸福な気分にさせてくれます。反対に嫌なことがあったところへ通じる道は、気を重くさせ、できれば通りたくない気にさせるものです。またその道が駅につながる道であれば、その駅からさらに都市につながることを連想させ、行きたい店が目に浮かび、その街の喧騒が聞こえるような気がするのです。

 道はこのように人間に対して、色々な情報やイメージそして思想までも伝えたり、思想そのものを構成したりするのです。また道は画家のモチーフになったり、作家のテーマになったりする。例えば、司馬遼太郎は「街道をゆく」でその思想を展開し、東山魁夷は作品「道」を描いている。

 技術者であれば、例えば電子回路設計者なら、「回路図」というものを設計します。この回路図というものは電気信号の「道路」を組み立てて、設計します。この信号の伝達を、歩く「道」でイメージするというのは、目的地に応じて道を選び最適なコースで歩いていくようなものかもしれません。子供のときの、「道」の問題の経験が、「回路図」の設計に大きく寄与していると、経験的に電脳法師は思います。

 電脳法師はこの写真のように何の気なしによく道を撮ります。これはクルマで、冬の北海道の圧雪(あっせつ)の峠道を走っていたときの写真です。北海道の魅力の一つは「道」の発見です。自分と交響できる「道」を見つける楽しみは、子供のころの道草遊びからきていると思うのです。ほかにもこのような「道」があると、無性に写真を撮りたくなります。

 ・・・もしかしたら電脳法師は、まだ「道」から何かを教えられたがっているのかもしれません・・・。

 とにかく道は得体の知れない人やものが通過します。そしてその道のまわりはこの世界とは違う不気味な世界です。

 でも道を歩けば必ずどこかにたどり着きます。その道のまわりの部分も、最初は何があるのかわからなくて、不気味で怖いのですが、少しづつ道草の「調査範囲」が広がり、そこに何があるかわかるにつれて、空間の広がりを体で実感し、また時間も実感できます。昨日はここはどうだった、一ヶ月前はこうだった、いや一年前はこんな風だったと、時系列でもその道草の世界を理解していきます。

 点から線を、そして面を時間的にも「占領」するのです。そして、まるで自分の領土にでもなったように、高らかに「占領宣言」をします。ここは僕の縄張りだよ、と。

 現代の「認知理論」や「システム理論」では、主体が環境から「知識」「情報」「価値」などもらったり、環境と主体がそれらを共有したりする、という考え方があります。

 しかし子供にとってはそのようなことは、デフォルト、暗黙了解事項、当たり前なのです。子供にとっては、自分と世界がいつも一体でしかも、自分が中心にこの世界の現象が起こるのです。それが「道草世界」なのです。

 子供にとっての「道」は重要です。「道」やその先にある「広場」は子供にとって、重要な思考訓練や行動訓練の「場」であるのです。現代は子供の遊び場がないといわれてます。その意味では、子供が「道」から教えてもらうという機会や場が、少なくなっているということでしょう。

 効率的とか、経済的とか、単に安全だとか、管理しやすいとか、いわゆる「現代的」な目的のために、その裏や周辺にある「非合理」な部分や「不都合な」場所が次々と消滅した。そして、子供たちの、真剣に深い訓練や体験をする「道」や「広場」がなくなってきたのは、なんとも皮肉なことであり、残念なことであると思います。

 現代人は、あれかこれかの二元論(良いか悪いか、使えるか使えないか、儲かるか損するか・・・)的な合理主義に過剰適応しすぎたあまり、ものごとの一面だけを取り上げて、その裏に隠れてしまった部分の、真の意味を考えないか、考えないようなふりをして意図的に無視しています。そのほうが「目的」のためには都合がよいからでしょう。

 しかし、人間は”光”(効率的、経済的、科学的などの現代的な価値観)のみでは成長しないのです。”光”のみでは表面ばかりつるつるして、何かが足りないのです。それでは人間にならないと思います。まるでできの悪いロボットのような感じです。

 ”光”の反対は、「」(非効率的、非経済的、非科学的、非科学的、非因果的、ロマン的・神話的・・・)です。

 特に子供たちは、”光”のほかにこの「豊かな」の部分があってこそ、より深い感受性がえられ、知識体系を構築でき、そして世界の認識を行うことができるのです。そしてその光の「」の部分の意味についてこそ、今の時代に考えなければならない、と思うのです。

・・・子供のころ、直感的にこの世界との一体感を思う存分自分の中に感じることができた、

豊かでわくわくさせられ、すこし怖いけどしかし何とも親しげな、

あの長い通学路の「道草」での体験のように・・・。

2005.1.31 電脳法師