これは、関東平野の少しディープなカフェ・ブロッサムの「繁昌記」2016年の11月の巻です。
73年の歴に伏し、激変、新状態化する世界、しかも、アメリカ大統領に例の御仁が選ばれ選ばれ、混迷深まりゆく中、「世の中はどうなってしまうのか!」とおろおろするばかり。草堂に時を過ごす中、「暖炉料理」にこだわり、「飲食道」という迷路をたどり、店の環境向上と質の向上につとめる関東老生の日々を綴るものです。
題して「カフェブロッサム繁昌記」。

最近この文章が気に入っています。
老驥骨奇心尚壮 青松歳久色逾新・・・。



改訂版カフェブロッサムの繁昌記の目次

 2016年11月30日(水)晴後曇
午前中、歯科訪。入歯の調整完了!。モノが少し噛めるようになった。その足で飛駒に向かう。例の須花坂を越える時、焦らずゆっくり自転車のペダルを踏み、着実に登り坂をこなして、飛駒の谷に入る。今日は足が痛くならないので一安心。やはり、急に筋肉を使ったのが堪えたのかもしれない。ヨーコさんが居れば、「勝っちゃん!あまり無理をしちゃぁいけませんよ!」と物事が酷くなる前に注意されて、止めることになるが、今はそうは行かない・・・。兎に角、無事に店に到着。店番をして人が来ないので帰宅。炬燵に入り、先日、図書館を訪ねた際、松本清張の本が並んでいたので、借りて来た、その本を読み始める。ヨーコさんと二人で最初に会ったころ、お互いに、松本清張の本を読んでいるという事で、話が盛り上がった時があった。あの頃は「ゼロの焦点」「点と線」に出てくる播但線という言葉や、高木彬光の「成吉思汗の秘密」なども話題になり、その時の事が無性に懐かしい。当時はベストセラー社会派作家松本清張絶頂期で、今よりも、社会の本質を抉り出すことにジャーナリズムも熱心であった時代だ。この本は、清張晩年の作でタイトルは「神々の乱心」。昭和8年頃の宮中、政界に潜む新興宗教にまつわる推理モノで、舞台に佐野や足利の描写が出てくる。例えば「佐野町は栃木県の西南端で、渡良瀬川に沿っている。熊谷市から直行すると利根川を渡り、館林町を過ぎ、渡良瀬川の橋が終れば佐野町に近づく。それまでは一面の平野で、二つの川敷を除くとほとんどが桑畑であった。
北にあたる正面は空を塞ぐ連峰で、裏は日光につづく。左手は足尾山地、赤城山となる。足尾銅山の崖下を洗う渡良瀬川は採銅鉱の土泥に濁って峡間を奔り、六里にして赤城山が目の前の水沼で左折する。桐生、足利の各市と佐野町が間隔をおいて川の北岸にならぶ。桐生より北は群馬県。」さらに「佐野荘は鎌倉時代から地方豪族の佐野氏がその付近の地域とともに領していた。近世に家康によって廃せられたが、古河藩の堀田家の分家が佐野に置かれ、正敦(まさあつ)のときおよそ一万六千石となった。ここには陣屋がおかれた。
吉屋は埼玉県にくる三年前まで、栃木県足利署の捜査課主任として二年間勤務した。その二年のあいだ栃木県内はよく知ってもいるし、歩いてもいる。この佐野に来るのも、途中の通過を入れると何度目だかわからなかった。」
今、老輩が住んでいる付近の昭和8年頃の描写が面白いではないか!思うに、この文体は森鴎外先生の「渋江抽斎」の如くな名文だと思う次第。権力の頂点には宗教にまつわる話がつきものである。ロシアのラスプーチン、レーガン政権時代の星占い、日本会議のバックにあるモノ、今、問題になっている韓国の朴政権の周辺。興味をそそられる事頻り也。
 2016年11月29日(火)晴
今朝も自転車で店に向かったが、トンネルを過ぎて、飛駒の谷に降りたあたりから、左足の膝裏が痛みだして、力が入らない。しかし、向かうは緩やかな登り坂が6キロ余り続くコースだ!仕方がないので、右足で補い。無事、店に到着。通常より20分余り時間がかかった。10時半の外気温は13度。室温20度。今日は昼の予約があるので、暖炉に火を入れ、早速営業の準備をする。昼に至り、古河より先日来知り合ったS氏夫妻I氏夫妻来。昼食後、断腸亭日常を話題に歓談。帰路、心配していた左の足は回復したており、家まで自転車で走りとおせた!晩夕鮟鱇鍋を拵え飯。
 2016年11月28日(月)晴、風有
朝食を済ませる頃より晴れて来た。久しぶりに運動の為に、自転車で飛駒に出掛ける。一週間程自転車に乗らないと、大分筋肉が衰える。老人の体は若い頃と違い、衰えが早い!だから、須花坂を越えるのに難儀をする。坂道を「うんうん」言いながら自転車をこいでいる最中に、「こういう事がいつまで続けられるのだろう」という考えが一瞬頭をよぎるが、深く考える事もないと思い、 登る事に集中する。兎も角も毎日、目先の事だけに集中して過ごせば、己の役目は完了すると思う次第。飛駒川に沿って走っていると、傍らの藪で、雉の鳴き声がする。何と!老輩が自転車に乗る姿を華麗な姿の雉が眺めている。挨拶をして店に急ぐ。到着11時、外気温13度。暖炉に火を入れ、店の掃除。昼に至り、人無・・・。粗食飯。暫く薪割をする。2時半の外気温は13.5度。クリスマススペシャルの予約も入り始める。有り難き哉。
 2016年11月27日(日)曇後雨
朝より曇りがちなお天気となり、出足を心配していたが、ふときずいてみたら、概ね満席状態!終日炉辺にて焼き物に専念する。店を訪ねてきた人は一様にあまりの居心地の良さに驚く次第・・・・、郁子なるべし。
 2016年11月26日(土)曇
飛駒、8時半の外気温は1度。室温10度。早速暖炉に火を入れ薪を盛んにくべる。10時、室温22度。昼前より人来。その後、しばらく時をおいて三々五々人来。夜、かねてより誘いのあった留学生との交歓会に出掛け、インド料理を飯。楽しいひと時を得る。
 2016年11月25日(金)晴
日差しがあるので午前中、布団を干し、田沼方面に出掛け所要をたす。昼、こじんまりしたラーメン屋さんに入る。カウンターがあり、80歳をとうに越えていると思える老人が、簡素なテーブルで食べている。カウンターの中には老夫婦がビックリした顔で佇み、老輩を見つめている。思うに、このお店は、近所のお馴染みさんが愛用する処で、よそ者は滅多に訪れる店ではないのだと気付く。ソバを食べ終わり、御主人に何年生まれであるかと尋ねると「9年!」と答えが返ってきた。そうですか、それでは戦前は大分ご苦労なさったのですね・・・。と話を続けると、「そう!小学校に通っていてよく機銃掃射にあって、石の陰に隠れたり、橋の下に潜り込んだりと怖い思いをしたなぁ~」と話が続き、ひとしきり、歓談笑話なる次第。帰宅後布団を取り込み、炬燵にて読書、午睡。晩夕、お雑煮を拵え飯。かくの如くして、晩秋の一日は過ぎゆく。
 2016年11月24日(木)雪
朝より雪。午前中、歯科訪。帰宅後、昼食に鍋を拵え飯。午後、炬燵にて読書、午睡。夕、歯に負担がかからない、お雑煮を拵え飯。
 2016年11月23日(水)晴、寒
早朝よりローストビーフを焼き、今日の営業に備える。昼前より来店有。今日も終日暖炉の前で焼き物に専念する。午後、ミニの御一行31人来、その中にニューヨーク市警で働いている現職のお巡りさんも混じっている。久しぶりにニューヨークの事を話題に談笑。英語が上手いと褒められた次第。記念写真も撮る。
 2016年11月22日(火)晴、暖
早朝震!その後一眠り。霧が消えて上天気だ。布団を干して、店に出掛け、テラスの7番にて、人を迎える。野鳥が盛んに啼き、うららかな日差しのもと寛いでゆく也。用心のため車のタイヤを冬用に交換する。
 2016年11月21日(月)曇後雨
歯痛にて店はお休み。どうも、この4ヶ月自転車に夢中になり、疲労が歯にでたらしい。ヨーコさんが居れば、「カッちゃん!そんなに無茶をすると、きつと、何処かに差支えが来るから、いい加減に止めときなさい!」と注意があり、ブレーキがかかるわけだが、もう、いなくなってしまったから、ノンストップで来て、痛みを伴いそれが分かったわけだ。午後、歯科訪。夕、粗食飯。
 2016年11月20日(日)晴、風無く暖
秋の長閑な日和となり、各方面からバス、ヘリコプター、犬連れで、人来。この時期のブロッサムの周囲は紅葉でチョットゴージャスな雰囲気が漂う。庭、テラス、暖炉周辺、来人それぞれ寛ぐ一時を得た。
 2016年11月19日(土)雨
朝食後歯茎が痛む。店を済ませて、歯科訪。歯茎を消毒して薬を貰う。夕飯は流動食にするつもり。やんぬるかな!今日はヨーコさんに献花有。有り難き哉。
 2016年11月18日(金)晴
朝より晴。布団を干す。昼、粗食飯。午後、長椅子にて秋の陽を浴びて読書。他、特に記す事無。
 2016年11月17日(木)晴
風無く暖。午前中、歯科訪。入れ歯の当たり具合を調整してもらう。帰宅後、東京に住んでいる孫来。1月には成人式だ!付いては背広の相談という事で、東京に出掛けた折、買うことにする。すき焼きを拵え共に飯。午後、長椅子で日差しを浴びながら、読書、午睡。夕、渡良瀬川の堤まで出掛けて、散歩をする。赤城、妙義が見える。
 2016年11月16日(水)晴
飛駒、11時の外気温は16度。風無く暖。先日からの課題、即ち、薪割をする。昼に至るも人不来。陽だまりにて、粗食飯。周囲を見渡せば木々は秋の盛りの風情をなし、荏苒として今日にいたれりとする感慨が湧いてくる。気持ちを切り替えて薪割を続行する。
 2016年11月15日(火)晴、暖
朝より暖。ニュースでは10月中旬の陽気になるという。だから、下着を半袖に変え、薄手のセーター、薄手で裏地の無い革のジャケットに身を整えて自転車で出かける。秋の初めに戻ったようで、名草まで快調に飛ばす。難儀なのはこの先に立ちはだかる須花坂だ。矢張り、普段より軽装で来たのが正解。登り始めて間もなく汗が出てくる。今日は「歯を食いしばって自転車をこぐ!」と言いたいところだが、生憎、入れ歯だからそんな無茶な事は出来ない・・・・。と、悩んでいるうちにどうにかトンネルに辿り着けた。此処からは、一気呵成に坂を下りルート66を北へ向かうばかりだ。昼、人来。暖炉に火を入れ、ステーキにてもてなす。邸内秋色深まる。紅葉する老年・・・呵々・・・。
 2016年11月14日(月)曇後雨
飛駒、11時の外気温は14度。薄曇り。暫く薪割をする。昼に至り、85歳の婦人たちを伴う家族来。暖炉に火を入れ、おもてなしをする。2時半の外気温は15度。夜、鍋飯。
 2016年11月13日(日)晴、暖
風無く暖。終日、秋日和となり人、三々五々来。午後、手すきの折、薪割をする。他、特に記す事無。
 2016年11月12日(土)晴、暖
朝霧あり。朝より晴。昼、三々五々人来。その後、しばらく薪割をする。多幸山も紅葉を始める。他、特に記す事無。
 2016年11月11日(金)小雨、寒
昼よりイオン太田にて「オケ老人」を観る。足利市が舞台となり音楽上達に奮闘する映画で、風景とともに楽しむ。帰宅後炬燵で読書、午睡。
 2016年11月10日(木)陰、寒
朝より曇。午前中、歯科訪。北海道では雪と報有。自治医大病院玄関に自動車が激突したと報有。驚くべし!兜町は値を戻す。午後、炬燵にて読書、休息。
 2016年11月9日(水)晴、北風
朝、自転車で飛駒に向かってみると、北西のアゲンストの風が吹く。ギアを一段ないしは2段低くして走るから、時間を要する。かろうじて午前中到着。暖炉に火を入れ、少し体を温め、昼のラジオのニュースでは大統領選はトランプ候補が若干優勢との報に接する。室内も程よく温まり、外で薪割をする。午後に至り大統領選が気になるので、アベマニュースを観ると、矢張りトランプ候補が優勢でペンシルベニア州、ノースカロライナ州も制したと報ずる。帰路は追い風で楽だ!帰宅後、夕飯を食べながら、当選したトランプ候補の勝利演説を聴く。驚くべき展開!どういう世界が出現するのか興味深々也。
 2016年11月8日(火)陰
店に到着後、薪割をして、今週の準備をする。昼に至り、来客現れず!最近、韓国大統領のスキャンダラスな事件の展開が報道される。その事が誘因で、今の大統領のお父さんが政権にあった時代に、仕事でしばしばソウルに出掛けていた事を思い出した。その当時は、戒厳令などという剣呑な制度があって、夜の12時以降は外出が出来ないのだ。仕事が済んで、カラオケバーの韓日友好で歌も話も盛り上がっていると、門限を過ぎてしまうこともあり、酔い醒ましに、ソウルの街を歩いていて、時々捕まって、油を絞られた事もある。あれは、同じ頃であろうか・・・。中国に出掛けて、日本に帰ってくるたびに、田中元首相のロッキード事件の解明が進み、フィクサーや小佐野さん、丸紅の社長という風に色々な人が国会で聴取されている。前後の経緯が不明だが、其の頃立花隆さんが文芸春秋で「田中角栄~その金脈と人脈」を発表、社会的に大いに取り上げられた。老輩がソウルによく通っていた頃は、慰安婦問題など取り上げられる事もなく、しかし、8月15日の日本の敗戦記念にソウルに入ると、そこでは植民地時代の日本から解放された祝日として盛り上がっているので、自分の中で違和感を感じつつも、「世の中とはこういうものだ!」とモノを見る目が広がった思いがあった。一度だけヨーコさんを案内して、二人で観光気分でソウルの街を歩いたことがある。普段は先方の商社の人に案内されているので、地図が無案内でもその人が必要な場所に案内する。しかし、ヨーコさんと歩いた時はプライベートだから、街を歩いていても、知らない通りにでると、どちらに向かえばよりか判らなくなり、しばしば、立ち止まり、手元の地図を観たり、周辺をよく観察したりしていると、私たちより大分年かさの、そう、父親と同年齢の紳士が、流ちょうな日本語で「なにか、お困りですか!どちらにいらっしゃりたいのですか!」と慇懃に話しかけてくる。それも、街路だけではなく、レストランや、食堂に入り、言葉が通じないで困っていると、すかさず、やはり、その場にいる紳士が慇懃に「どんなモノを召し上がりたいのですか、私でよけれがお役にたちましょうか?」と声を掛けてくる。ことほど左様に、今で言えば東京五輪の「おもてなし」状態でそれが印象深かった。あの時代の日本周辺の国々で起きたニュースをウイキペディアで調べているうちに、3時を過ぎてしまい帰宅の途に就く。久しぶりに古き良き時代を思い出した次第。ところで、解放と云えば日本の憲法はアメリカが押し付けたモノには違いないが、その陰には名もなき日本人兵士が命を差し出して、平和国家日本を造ったという思いがしてならない。少なくても、老輩はその恩恵に浴している。円高の恩恵も受けた。それは、戦争という集団行為が戦後生産行為にうまく転換され、我々は今日の豊かさを得ることが出たのだと思う。その転換点となった8月15日はある意味で日本人が解放された日であると思うようになった。それは、イタリアの戦中、戦後史を見てそう思ったのだ・・・。アメリカから憲法を給され、我々は解放された!私は、その事に感謝している。
 2016年11月7日(月)晴
陽だまりを求めて、犬連れの人達来。ステーキでもてなす。帰路、空気が大分冷えて来たので、モーガンで使用していた、革のヘルメットを被り足利に向かう。今日は鮟鱇が手に入ったので、bouillabaisse風味のアンコウ鍋をこしらえる。週末の予約も入り始める。有り難き哉。
 2016年11月6日(日)晴
今朝は暖。出掛けは、向かい風にあったが、生ぬるい風であった。飛駒の盆地に入ると穏やかな日和で、やはり、陽だまりの里であると思う。人、三々五々来。夕飯は、下仁田ネギがあるので、すき焼きにする。まず、割り下を拵え、すき焼き鍋に、ネギを敷いて焼き、牛肉も鍋でいため、しらたき、焼き豆腐などをを並べ、割り下を注ぎ、沸々と煮えて来たところを、ふうふうと吹きながら、清酒をともにして、つついていると、永井荷風の断腸亭日乗を思い出した。あの人も、こうやって独りしみじみと晩夕を過ごしたことがあるに違いないと思う。そう思うと親近感もわいてくるというものだ!久しぶりに断腸亭日乗を読みかえしてみようと思う次第。
 2016年11月5日(土)晴、暖
朝、出がけは7度であった。早朝より防寒対策をして自転車で出かける。東に雲の塊が、太陽を遮り冬の如くである。しかし、名草にかかるころから、太陽が雲の上に出て来て、朝の日差しを浴びて、自転車をこぐ老輩の気分も軽くなる。今日は「ニッサン・オナーズ・マガジン」の撮影があった。風もなく穏やかな日和でお客さんも三々五々人来。帰宅後、夕方の街を歩いたが、陽気が、桜の咲く頃のように思える一時であった。
 2016年11月4日(金)晴
朝より晴。午前中歯科訪。先日来読んでいる、林真理子さんの「下流の宴」という小説がとてつもなく面白いので、別の小説が図書館にないものかと出掛け、別の小説を借りてくる。この、林真理子さんは非常に達者な小説家であると思う次第。午後、シネマアプリランキング最上位になっている「ブリジット・ジョーンズの日記」を観に太田イオンに出掛け、観る。これは、アラフォー世代の婦人方の為の映画であった。老輩にはチョット場違いな作品であるが、久しぶりにイギリス英語を聞けて面白かった。夕、鮟鱇のブイヤベースを拵え飯。
 2016年11月3日(木)晴、暖
朝より晴。昨夜、久しぶりにシネマアプリで最近のランキングをチェックしてみると、高得点を得ている「手紙は憶えている」という作品が目に留まり、これは、90歳の老人が主役。最近老人が主役の映画は、極力観るようにしている。内容は、アウシュビッツやナチス関連。だから、早朝より映画館に出掛ける。映画の最初にアウシュビッツ収容所で生き残った二人の老人が出てくる。一人は車椅子、一人は認知症に侵されているが、しかし、体力は十分にある。車椅子の老人がかつての、アウシュビッツ収容所で家族が殺された恨みをはらそうと、当時の残虐無情な所長の戦後の行方を調べ、今は、アメリカの加州レイクタホ付近に在するという事を突き止める。同じ体験をした認知症の主人公の老人に、十分な旅費と行動計画を詳細に記した手紙を渡す。渡された老人は、拳銃を携え、何を為そうとしているのが解らなくなると、この手紙を読んで、行動を立ち直すという、どうも、覚束ない、復讐の旅に出るというところから物語は始まる。結末もどんでん返しがあり、面白く観られた。夕食はパエリャを拵える。
 2016年11月2日(水)曇、寒
朝のラジオで、今日の陽気は12月初旬のお天気だと謂う。防寒に注意をしながら、自転車で飛駒に向かう。予約を戴いた人達来。チーズフォンヂュで対応する。「こんな美味しいフォンヂュは初めてだ!」と言われる。お世辞にしてもうれしい限り。あれもこれも、ヨーコさんの努力の結果であるとしみじみと思う次第。
 2016年11月1日(火)曇後晴、寒
午前中は曇。今日は予約も入っていないので、休息する事にした。朝はどんよりと曇り、寒い。物入れから、ケロシンストーブを出して火を点けてみる。朝食後、炬燵に入り読書。先日来読んでいる「古書の来歴」がいよいよ面白くなってきて読み続けている。古書と言っても、ユダヤ教徒のハガダーと言う旧約聖書に関係するモノだから、読み始めは、読了できるかどうかが疑問で、面白くなければ途中で止めてしまおうと思った。物語にはサラエボやウイーンと言うような、昔行ったことのある街や、国が出て来るから、物語に引き込まれて行く。背景にはユダヤ教徒にまつわる物語で満ちている。大分以前、ヨーコさんが大病を患い、それが回復した頃、一緒にヨーコさんの好きな音楽の街、ウイーンに出掛けた事がある。老輩はその頃、クラシックカメラに夢中になっていたから、私にとってはカメラのメッカであった。その折、車でユーゴスラビアをドライブしてヴェネチア迄出掛けた。旧ユーゴスラヴィアの港町で一泊して、見知らぬ街の食堂に入り夕食をとった。社会主義体制の食堂だから、薄暗い陰気な雰囲気の所である。メニューも地元の言葉で書いてあるから不明だ。しかし、ヨーコさんがかろうじて読み取った、「パリジャン」と謂う言葉を頼りに、店の人に内容を尋ねると、英語で「フィッシュ」というので魚であればよかろうという事でそれを頼んだら、手長エビのむき身が大皿に山盛りで出て来た。イタリアンの「スカンピ」だ!このエビは二人とも初めてであったが、味わいが上等なカニに似ていて、美味であった。帰国後間もなくして東ヨーロッパの体制は崩壊し、ユーゴスラヴィアは内戦が生じ、そのニュースをよく耳にする様になった。この本を読んでいると、愛妻と出掛けた折の、色々なことが思い出されて、其の内に本来の物語の面白さも加わり、思わずして読了した。この本はアメリカで発表されるや否やベストセラーになったという。

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