隠遁生活・隠逸生活に憧れ(今風に表現すれば、スローライフ)其の業界で高名な、陶淵明先生の
「帰去りなんいざ、田園 将にあれんとす なんぞ帰らざる」という文章に感激して、前後も見境無く、
隠遁生活は既に十霜を積む。 現世の移り行く様は、モノの哀れをさそい、
隠遁生活も気晴らしが必要となります。そこで、色々と試行錯誤を繰り返すわけです。これは、その隠逸生活を綴るものです。
ライカで撮ってもらった写真


改訂版カフェブロッサム繁昌記の目次

2011年3月31日(木)晴
朝、織姫山散歩。桜開かず。鑁阿寺を経て電柱の消え、明るくなった昭和通りを歩。昼、編集氏來。昼食を交えて歓談、互いの無事を確認。午後、読書、午睡。夕、再び織姫山散歩。風有、木蓮の花びら散る。「花に嵐」の喩えどおりの日和となる。
2011年3月30日(水)晴
再び今朝、袋川にて桜の蕾を撮影。昨日より撮影条件が改善された為なり。今、雷が鳴り響く中を、確認のために桜を見て来たが、まだ、咲いていない(備忘の為記す)。午前中、二人で飛駒に出掛ける。昼、ニョッキを作り飯。午後帰宅後、河南に歩。アピタ付近にて孫に会う。一緒にドーナツを食。河南は春休みの子供達で賑わい有。孫に読み終わった「ハーバードの世界を動かす授業」を貸すことを約す。
2011年3月29日(火)晴
終日休養。袋川の桜の蕾色付。他特に記す事無。
2011年3月28日(月)晴、寒
午前中、病院にて定期健診有。概ね良好にて安堵。午睡後読書。夕、陽射しを浴びて歩、織姫山に至る。明るい日差しを浴びる市中は何事も無かったように映る。この頃のニュースを観るに付け、鴎外著「渋江抽斎」に出てくる、維新後の、津軽藩江戸詰め一行が、国許に移る苦労の事柄を思い出す。
2011年3月27日(日)晴、寒
朝、冬の如し。暖炉を燃やす。午後を過ぎて夕に至り、二階の西窓より、陽光、東に在る暖炉の壁に射し居る。彼岸を過ぎた印である。
2011年3月26日(土)晴、寒風有
陽射しは春めいてくる。来月の今頃は草刈を始めなければならない。暖炉頻りに燃える。他特に記す事無。
2011年3月25日(金)曇
朝、準備の為店に出掛ける。飛駒のスタンドで燃料満タン。周辺の原っぱ、緑いや増す。春は粛々と近づく、今日この頃なり。
2011年3月24日(木)晴
昼前、孫、通信簿を持ち來。息災にて学業に励めたことを褒めて、「ピノキオ」にてピザを飯。片付けは納戸に至る。イタリア製の短靴が三足出てきた。かつて、‘70年代に履いていた物だ。しかし、途中より、フローシャムのウイングチップをビジネス・シーンで愛用するようになり、納戸の奥にしまい忘れていた。靴底は革。歩くとコツコツと懐かしい音がする。手入れをして履く事にする。夕、織姫山散歩。夜、粗食飯。
2011年3月23日(水)晴、寒
袋川の桜は蕾を持つ。常の世であれば、今頃は、開花予想が盛んに報じられる。早目の昼食に粗食飯。停電を避けるためなり。停電ならず。午後、墓参。帰宅後、炬燵に入り読書。午睡。夕、織姫散歩。落日、山稜に沈む。
2011年3月22日(火)小雨
午前中、市中散策。スタンドはクロウズ。昼、山井でラーメンを買い、飯。午睡後読書。停電有。運動の為、織姫山散歩。神社の鳥居を何気なく見ると、大正12年7月寄贈とある。関東大震災は大正12年9月1日11時58分に発生した。猪瀬直樹著「マガジン青春譜」によると、関西の生家に戻っていた大宅壮一は、この日、鉄道で上京途中、箱根手前でこの震災に遭遇。不通になった鉄道を離れ、昼夜を掛け、東京まで歩いたと云うことを思い出した。帰路、薄暮の市中を経て帰宅。夜、蝋燭の明かりの中で、すき焼飯。
2011年3月21日(月)小雨
朝より雨。時節を鑑み休み。自宅の片付けをする。被災された方々のご苦労に比べるべきも無いが、、ある種の緊張を帯びた10日間を過ごし、体力、精神力の持続が緩み始めてきた。片付けても、片付けても終わらない・・・・。兎に角、あせらず、片付けを続行!
地震は、我が家に甚大な被害をもたらした。このボートは今より、35年前、長男を慰める為に、一生懸命作りました。食器棚の上に、二十余年の間飾ってあったが、その棚が倒れて、ボートも壊れてしまったのです。ヨーコさんは「ゴミで捨てちまぇ!」と言うが、忍びない・・・。画像で残すことにした。
尚、推進動力は蒸気機関でした。
2011年3月20日(日)薄曇、暖
相変わらず、燃料不足は続く。訪れる人少なし。ヨーコさんは庭の手入れをする。明日は、諸般の事情を鑑み、臨時休業することになりました。悪しからず・・・・。
2011年3月19日(土)晴、暖
地震より1週経過。福島第一原発の進捗いかん・・・・。今日は停電無。店は静かに推移。レンガ敷きのテラスの間に生えた草取りをする。明るいうちに店を閉め帰宅。夕、織姫山散歩。駐車場に不在人影。神社内もしかり・・・。野鳥頻りに啼き、西に絵に描いたような落日有。薄暮、電灯の燈る市中を経て帰宅。東に盆のような月浮かぶ。夜、地震有、震度3ナリ。TVにて消防車の放水を見る。将に、本職が仕事をしている様に見える。尚、本日、正午足利インター稼動する。備忘の為記。
2011年3月18日(金)晴
朝より営業の準備の為、飛駒に出掛ける。途中、スタンドで長い車列を目撃。ブロッサムの庭に水仙を見る。昼、浅利でボンゴレを作り飯。午後、停電が始まるので帰宅。明日は、予報では、上天気とあり。帰路、再びスタンドにて長い車列を目撃。夕、織姫散歩。車、人少なし。鑁阿寺を経て帰宅。黄昏に鳥雀鳴き侘びしさひとしおナリ。
2011年3月17日(木)晴、寒
午前中、準備の為飛駒。昼、フォンヂュ飯。午後、早めに帰宅。足利はまもなく停電。ヤマセイに二人で買い物に行く。道路に車は疎。スタンドは閉鎖。家の片付けをしていたら、1976年に使用した国際免許と、愛用している椅子のカタログを発見。夕、薄暮、微光の味わい、晩餐を厳かなものにする。
2011年3月16日(水)晴、寒
朝、織姫散歩。GSスタンドは閉鎖。車も少ない。昼、粗食飯。市中散歩。スタンドは緊急車両の給油のみ。夜より停電の為、早めに更新。夜、7時過ぎて停電。石油ストーブを点火。ラジオで震災情報を聴き過ごす。途中、気晴らしに外に出ると、近隣に電気の光無く、月光ふりそそぎ、満天の星ナリ。南西にオリオン、西にスバル有。幻想的な光景に誘われ、近所を散歩する。9時前に通電す。
2011年3月15日(火)曇
朝より停電。ケロシンストーブにて暖。焼きたてのパンを求め、市内に歩。無事に得る。市民生活に復帰できた実感を得る。書籍の片付け及び掃除。昼、パスタを作り二人で飯。午睡後読書。原発事故状況不明ナリ。隣県の被害状況をパソコンで検索。夜、ブイヤベース飯。今日も、何事もなく過ぎるは有り難きかな。
2011年3月14日(月)晴、暖
朝より、地震で棚から落ちた書籍の片付ける。昼前に知人よりの差し入れ飯。計画停電を避けるためなり。停電回避。新たなる地震発生率が明日までに70パーセントと報有。極めて不安なり。予備の乾電池を求める為、ニ三軒廻ったが、売り切れ・・・・。
2011年3月13日(日)晴
周囲の世界、通常に戻り、本日営業する。海外より、安否の連絡有。終日、穏やかに推移。夕、帰路、絵に描いた様な落日有。夜、TVにて被害状況を見る。一万人の安否不明と言う・・・・。
2011年3月12日(土)晴
朝、お湯を沸かしコーンスープを作る。息子夫婦と孫来。家の片づけを手伝う。近所を見回してみると、隣家周辺に瓦の崩れたるがモノ有。大谷石の塀の崩れたる家もり。既に、職人が入り、修理をする家もある。林屋でてんやものをとり孫達と飯。午後、二人で飛駒に出掛ける。夕、織姫散歩。夜、粗食飯。TVにて地震の被害を見る。自然の威力恐るべし・・・。
2011年3月11日(金)晴後曇
飛駒にて準備。昼、ボンゴレを作りソビニヨウ・ブランで飯。2時46分外で「ゴゥー」云う音が聞こえ、店が揺れ始めた。ヨーコさんと二人、裏の原っぱに避難。地面、多いに揺れる。杉の山林が地震で揺れ、花粉が煙の如く山から湧き出て、風に舞東南方面に飛んでいった。店の準備が終了して、足利戻り、酒屋にて炭酸を求めるべく立ち寄ったが、奥さんは「あんた!何考えてるの!セブンイレブンでは瞬く間にお握りが売り切れてしまい、商売なんかしばらくできないよ!」と弁ずるのである。夕、帰宅してみると、停電、ドアを開け各部屋を点検すると、書棚より本が飛び出ている。夜、停電は続き、蝋燭の光をたよりにシャルドネと粗食飯。
2011年3月10日(木)晴、寒
朝、織姫山散歩。山頂よりスカイツリー望。西に、完成した日赤病院、その上に高崎市内が見える。白い浅間山も見えた。帰宅後再び市中散歩。河南に渡り、昼、仏食飯。ワインを呑んだので、疲れがどっと出て、やむを得ず、ヨーコさんに電話して、迎えを頼む。帰宅後、日当りの良い部屋で、読書、午睡、読書。夕、織姫山散歩。途中、山道にさしかかり、藪の中より、ガサガサ、ブウブウと猪の気配有。帰宅後、粗食飯。TVでは東京大空襲の事を報ずる。思い出して、永井荷風の日記「断腸亭日乗」昭和20年3月9日のページを読んでみると、10日未明、自適生活と彼の文学のコアな部分であった「偏奇館」が空襲で焼ける。以後終戦まで約150日間、親戚、知人を頼り、過ごす日々の日乗は読者にシンパシーを抱かせる部分だ。
2011年3月9日(水)晴
午前中より準備の為飛駒。3月19日より、足利インターが始まると言うので、寄り道をして、写真を撮る。ここより、カフェブロッサムまで12キロなり。昼、久しぶりにパエリャを作り、ソビニョン・ブランと飯。午後、読書。現代史が面白い。「1989 世界を変えた年」を読み始めた。著者はニューズウィークの記者であり、ベルリンの壁が崩壊したときその現場に居た。歴史の転換期の真っ只中に居合わせたとは、幸運なことではないか。
偶然にも、この2011年も歴史の転換期になるのではないかと思う。夕、織姫山散歩。雲より太陽あらわれ、虹を見る。他、特に記す事無。
2011年3月8日(火)晴
すっかり、冬に戻ってしまったようだが、陽射しは暖かい。午後、運動を兼ねて市中散歩。帰路、整備された昭和通を、南から北に向っていると、背中を風が押してくれるようで有り難い。原稿を纏める。
2011年3月7日(月)雪
映画「大韓民国1%」を観る為、独りで、六本木に出掛ける。座席は50席ぐらいで居心地は良。ハングル文字は読めないが、映画も面白かった。久しぶりに韓国語を聴き、商売でソウルに通っていた昔を思い出す。
ヒルズ付近の書店をのぞく。久しぶりに読書欲が湧いてくる。書棚を見ていると、サンフランシスコから来たというフォトグラファーが、ライカを見せて、このカメラで写真を撮らせて欲しいと言う。これが、その写真です。世の中の動きは、まるで、行き先のわからない、暴走列車に乗っているようで、何処へ連れて行かれるか、不安がつのる。しかし、それが、何処であっても、人が作った世界であろうから、あまり、深刻に考えても仕方がない。
帰路、浅草の大黒屋で天麩羅定食を飯。この店は、昼時は戦争騒ぎだが、夜は、落ち着いて食事も出来る。使い込まれた、テーブルや椅子の間から、昭和の床タイルが見えるの所が気に入っている。
2011年3月6日(日)晴
ようやく、寒さが緩んできた。キッチンより外に目をやると、梅が満開ではないか。春が待ち遠しいこの頃である。
2011年3月5日(土)晴、寒
今朝、8時、外気温−2・5度。10時、外気温6度、室温24度。冬に戻ったせいか、チーズフォンヂュもよく出る。外で息う人も有。
2011年3月4日(金)晴、寒
リラク冬号で、愛車モーガンと英国趣味の事をエッセイを書いたが、偶然にも、ジョージ6世の映画がラジオで随分取り上げられている。不思議な因縁と謂うべきか・・・。
朝より飛駒。昼、フキノトウのパスタを作り飯。先回に続き、床をワックスで磨く。無垢の床材の表面が三十年もろくな手入れもしていない為、表面のニスも大分剥げて、艶を失っていたのだが、今年より、床ワックスで磨くようになった。すると、どうだ!表面が、ふくよかな艶が戻ってきて、味のある床がよみがえってきた。嬉しい限りなり。
2011年3月3日(木)晴、寒
冬の如し。昨日は、愛犬さーやの命日であったせいか、少し、しんみりしてしまった。
今日は、二人、朝より準備の為、飛駒に出掛ける。足利インターのそばまで回り道をして様子を見ると、ほぼ完成しており、資材の片づけをする作業がみうけられる。通り沿いに梅花咲き誇り、春、身近ナルを知る。昼、チーズフォンヂュを飯。寒さが戻りぎみの日であったから、美味であった。暖炉も全開。他、特に記す事無。
2011年3月2日(水)晴、寒
冬に戻ってしまった。赤城山も白くなった。午前中エッセイを纏める。午後、眼科にて目のゴミを取る。疲労感有。早寝をする。
2011年3月1日(火)雨
二月は夢中で過ごした心持がある。時が過ぎ行く感覚は、なんとも云えず、若いときに覚えた感覚とは違うものだ。何というか・・・、生活の質量が軽いと言うのか、一日のそれが薄いと云うのか・・・・、それにしても、一度座ってしまうと、立ち上がりがスムースに行かない。ヨーコさんも、先日めまいがして、病院で診察してもらったら、耳の部品が落ちたのが原因と云う事であるが、兎も角も、大事に至らずに済んだ。
今朝は、午前中より、二人で、新都心の映画館に「英国王のスピーチ」を観んが為に出掛け、劇場付近のカフェでモーニングを飯。映画は丁寧に作られていて、古色を帯びた映画の舞台は、英国趣味の余輩には非常に心地よい。席は概ね満席。久しぶりにイギリス英語を堪能した。
夜、足利で甥がやっている店をのぞき飯。

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