超節電のカフェブロッサム

副題:カフェブロッサム繁昌記

隠遁生活・隠逸生活に憧れ(今風に表現すれば、スローライフ)其の業界で高名な、陶淵明先生の
「帰去りなんいざ、田園 将にあれんとす なんぞ帰らざる」という文章に感激して、前後も見境無く、
隠遁生活は既に十霜を積む。 現世の移り行く様は、モノの哀れをさそい、
隠遁生活も気晴らしが必要となります。そこで、色々と試行錯誤を繰り返すわけです。
これは、その試行錯誤する隠逸生活、及びその醍醐味を綴るものであります。
しかして、時代はまさに超節電が求められる時代に突入。期せずして、我カフェブロッサムは
時代の最先端を行く店であることに気付いたのでありました。


改訂版カフェブロッサム繁昌記の目次

2011年6月30日(木)晴、暑
朝、電車に乗り、麻布十番で下車。永坂を登り、、途中を植木坂に入る。中ほどに、坂の案内在り、
この付近、江戸時代植木屋多く在る由の名称ナリ。閑静な手入れの行きとどいた
民家櫛比し、緩やかに下るとT字路に遇う。左折したところで、左に御影の石碑あり。
島崎藤村旧宅跡なり。崖の脇に通じる細道に佇むと、ロシア大使館ビルディングの裏手が見える。
麻布の谷は昭和の雰囲気を色濃く残すところだ。谷底にステンドガラスをはめた、丸窓をもつ
瀟洒で古風な洋館有。
赤坂に出て、知り合いと待ち合わせ、「ナガラ」にて蕎麦飯。別れてより、檜町公園付近にある
志賀直哉住居跡の碑を探す。写真はその折、教会の枇杷の樹を撮った。
国立新美術館の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」を覗いて、帰路の電車に乗る。歩すこと、
一万五千余、多汗。
2011年6月29日(水)晴午後雷
上天気となり、探検帽に半ズボンをはき、モーガンで飛駒に出掛ける。久しぶりのドライブだ♪
到着後早速草刈。昼に至り、老妻來。汗をかき、一風呂浴びて、パエリャを飯。緑陰に涼風を得暫し午睡。
帰宅後、図書館にて調べ物をする。夕、雷鳴、駿雨を伴う。画像は、雨後の西空。
2011年6月28日(火)晴、暑
朝より織姫健康診断。昼、ピザ飯。夕、織姫車坂歩。他、特に記す事無。
2011年6月27日(月)曇
午前中、飛駒草刈。午後、太田イオンにて「スーパー・エイト」を観る。映画の時代は
始まって間も無く、テレビでスリーマイルズの炉心溶融事故を取り上げている場面が
あったから、1979年頃の話だ。描写されるアメリカの街がよかった。郊外に大型店が展開されて
郊外型文化が進行中で、まだ、旧市内の商店が辛うじて存在している、危うい、時代の風物が
巧みに取り上げられていた。映画で活躍する少年達も個性的で、最近日本のTV番組で
よく見かける、「ビビる大木」に似た少年が印象的であった。夕餉酢豚飯。
2011年6月26日(日)曇
雲、下がり来たり、終日陰。鳥語樹林に飛び交うこと、頗る盛ん。三々五々来者有、天に感謝多。
学徒出陣せし、海軍老兵來。我老妻と海軍の話に盛り上がる。桑葉の構造主義的画像。
2011年6月25日(土)曇、雨
昼を過ぎて駿雨有。世界遺産選定で小笠原諸島がメディアで取りざたされている。懐かしい地名だ。
今より四十年前、家族と出掛けた思い出がある。船で東京湾を出ると、まもなく、昼食に
鰻弁当が出た。食物を口にしたのはそれが、最初で最後だ。船が外洋に出ると船酔いが始まる。
船底の大広間に横になる。限りなく船底と密着して、あたかも、船底の一部と化せば、船酔いを
まぬかれると思い、母島の港に着くまで、25時間そもままへばりついていた。
航海中、いつも、レイモン・ルフェーブル・オーケストラの「シバの女王」が聞こえていた。
今、念のため、iPad2で「シバの女王」を検索して、音楽を確かめている。そう、この曲が
繰り返し、繰り返し流れてくるのだ・・・・。
かなり苦行を強いられる、小笠原訪であるが、懲りずに2〜3回出掛けていったのだ。
返還間もない頃で、都営アパートに泊めてもらい、毎夜、浜辺で、島の人達と星空を見ながら
丸ごと茹でた伊勢海老をよく馳走になった。
若く、無鉄砲な時代であった。
2011年6月24日(金)晴
朝より飛駒にて草刈。昼に至り老妻食料を持ち来る。粗食後、帰宅。リラク編集氏と待ち合わせ、「モカ」にて
歓談、次号の打ち合わせ。外に出ると、熱波の如き空気吹き荒れ、妖しき天気をなす。夕、「一水」に友と
待ち合わせ、晩餐す。下の写真は、店の庭内に咲くターシャのタチアオイ。
2011年6月23日(木)曇後晴
朝より飛駒にて草刈。機械を持ち寄り、昼に至り帰宅。自宅周辺草刈。粗食飯後、午睡。肌寒さを感じて
目覚め、暖かい茶を飲み生き返る。「断腸亭日乗6」を読み始める。昭和20年、荷風67歳よりの
戦災日記ナリ。切々と綴る耐乏生活は、この頃の世情と重なり味わい深き読み物ナリ。
夕、二人で久しぶりに太田の関淋に出掛ける。写真は途中の田園風景に浮かぶ赤城山。
夏至の夕空明るく、久しぶりにひろい空をみる。
2011年6月22日(水)晴
朝食後モーガンにて草刈をせんと飛駒に向う。途中、坂道の端に駐車。峠より足利市中を望む。
下の画像は足利市内、ガスタンク、陽光台、その他市中のビル群が変わらない姿で見えることが
とっても素晴らしいことに思える今日この頃です。
須花峠を越えて66号に入り飛駒川を北上。今日は、根本山もみえる。標高1200メートル。
路肩に駐車。
下の画像は中央左に根本山(1200メートル)がみえる。余輩は約10年前、愛犬と登ったことがある。
山頂付近より、利根川、都心のビル群も見える。こんなに、綺麗に見えるのは、久しぶりだ!
この撮影の為の小道具です。下の写真は、ミノックスの三脚。このロッドの中に足が二本仕込んである。
そう、長さは22センチあまり。
組み立てると、このように・・・・。
ようやく、店に到着して、草刈が始まる。昼に至り、パエシャを作り飯。緑陰に涼風を得て、午睡。
再び草刈。夕方、室内で一休み。車のところに午後の光が廻り面白いので、思わず、パチリ!
今日は、なんだか、とても疲れた気分・・・・。早寝をする。
2011年6月21日(火)晴
朝、焼きたてパン得。午前中駐車場草刈。昼過ぎ、二人で、前橋に出掛け、「あぜみちのダンディー」を観る。
映画を作る人の気持ちは解るが、全体に冗長気味に仕上がってしまった。紀伊国屋書店にて
「絶品レストラン」得。夕、「登利平」に飯。から揚げが美味ナリ。写真は榛名方面を望。
2011年6月20日(月)晴、涼
店の敷地にて、美容関係の雑誌カットの撮影有。モデルさんはこの為、ロシアから飛来したとある。
庭に、今年もターシャのタチアオイが花をつける。夕、帰宅。夕飯前の散歩に出掛ける。
織姫山山頂にて雨、急ぎ電話にて迎え頼む。老妻來、無事帰宅。夜、粗食飯。
2011年6月19日(日)曇、涼
朝より、鶯、雉、ホトトギスしきりに鳴く。特に、鶯の微に入り細をうがつ如くの、鳴き声は、
「よぉ〜!待ってました!名人!」と褒め言葉の一つもかけたくなるような領域に達している
と思う。今日は、新宿二丁目バンド及び、宮城、茨城方面のバンドの皆さん來し、音楽で
賑わう。夕、梅雨空は茜色に染まる。慶事なるかな・・・。
2011年6月18日(土)小雨後曇
極めて涼。林の梢にて鶯の冴えたる鳴き声、林間に響き渡る。昼より、三々五々人有、終日賑わう。
夕に至り、一段と涼。長湯につかる。
2011年6月17日(金)昼まで小糠雨
終日涼。午前中より飛駒。午後、草刈。夕、フォンディユを試食。他、特に記す事無・
2011年6月16日(木)曇、涼
飛駒にて草刈。桑の実熟し、落下。遠藤誉著「ネット大国中国」を読む。四億五千人の中国網民の
現況と、そのネット社会が向う先を大胆に描き、わかりやすく説明されている。
興味深いのは、著者の年齢及び、バックグラウンドである。なんと、余輩より2年先輩で、中国、長春より
引き上げ経験を持つ。岩波新書であるが一気に読んでしまった。
2011年6月15日(水)曇後晴、涼
朝、モーガンにて飛駒。草刈。ロケハン打ち合わせ。昼、老妻到着。パスタを飯。午睡後草刈。
7時、西空、薄紫に染まる。
2011年6月14日(火)晴、涼
夜半、雷雨有。朝、マルタカの焼きたてパン得。老妻と、東照宮へ出掛ける。駐車場の階段を登り、参道に
歩。宮内中心に向って、強い吸引力を感じる。
入門、目を周辺に漂わすと、金、黒、赤をまとった建物の集積が、圧倒する質量で
迫る。それに方向性を与えるのは周囲の杉の大木。世界的に見ても、個性的な空間を形成している。
素晴らしい、人の作り出すものと時間の集積が一体となる「パワースポット!」むべなるかな・・・。
この画像はipad2で撮りましたが、勿論、あの空間の質量は表現できません。
現場に行くことをお勧めします。
2011年6月13日(月)曇、涼
朝、住まいの手入れ後、半袖シャツを着て、織姫山散歩に出掛ける。中腹に至りて、市中の写真を撮る。
帰路、小商いをする店のガラス戸に「高齢の為、店を閉めることに相成り候・・・」と達筆で記すを見て、
奥で立ち働いていた老婦人の心境を、我事に照らし合わせ、長嘆息す。帰宅後粗食飯。
午後、久しぶりに、断腸亭日乗の昭和20年8月14日より読む。荷風67歳,、岡山に流浪の境遇ナリ。
暫く後午睡。
2011年6月12日(日)曇
曇がちながら、涼。仔羊のグリルがよく出て、暖炉も終日活動。この頃、材料を焼きながら、思うのだが、
ラムは、元来、特有の、香りを持つが、直火で焼き上げてゆくと、匂いの元になる、油が、下に流れて、
癖もなく、程よく焼けるのだということに気付いた。ターシャのタチアオイが今年も蕾を持った。
62年型マセタッティ來。
2011年6月11日(土)雨後曇
朝よりローストビーフ焼く。昼に至り人、三々五々來。店の裏にあり桑の木は、一段と大きくなり、
緑のドームになる。他、特に記す事無。
2011年6月10日(金)曇
昼前に明日からの準備の為、飛駒に出掛ける。緑、一段と濃くなる。ホトトギスしきりに鳴く。
梅の実を収穫する。梅ジュースを造る為なり。今年は豊作だ。夜、粗食飯。
2011年6月9日(木)晴
気晴らしをせんと、二人、銀座にて、シネマを観る。浅草に出て散策。夕、国際通りにて中華飯。
どの繁華な街も、和人ばかりで、新しい時代にとば口に立ちたる気分なり。
2011年6月8日(水)晴
終日休息。峠より見える建築物を確認する為、車で、市中を探す。夕、織姫山散歩。
リビヤ情勢定まらず。庭にて、ターシャのところから来た、植物に実が付いた。
2011年6月7日(火)晴、涼
朝、焼きたてパン得る。昼前二人飛駒。余輩、草刈に専念。郭公鳴く。他、特に記す事無。
2011年6月6日(月)晴
午前中、自宅庭掃除。午後、飛駒草刈。須花峠より足利方面眺望。余輩はこの、
峠からの眺望が好。峠は過去と未来の時空間を分かつ分岐点のような気がする。
市内は、人間が拵えた今までの世界。須花トンネルをくぐると、まだ立ち入らぬ未来に
突入するような気分になる。草刈の途中で、緑陰のイスに腰掛けて休息していると、
南東より乾いた空気が体のそばを通り抜けて行く。天然のクーラーの如し・・・。
夕、帰宅。織姫神社散策。写真で見る織姫神社は平凡でフラットな感じがするが、
実物をみると、コンパクトだが、立体感がある。
2011年6月5日(日)薄曇
犬連れの多い日となる。ローストビーフも完売。桑の実が熟し始める。つい先日、花が咲いたばかり。
と、思い、日付を確認すると、5月14日であった。光陰矢の如く、「歳月人を待たず」の譬えあれど、
願わくば、今しばらく、恙無きところに身を置き、末の世の過ぎ行く様を眺めながら、古酒のなどを
味わってみたい・・・・・。
2011年6月4日(土)晴
ローストビーフが焼きあがった頃ハーレー來。三々五々人有。庭内散策する人も有。雉、しきりに鳴く。
2011年6月3日(金)晴、暖
朝、焼きたてパンを得る。午前中より二人で飛駒に出掛け、店の準備。余輩はもっぱら草刈。
鉢で育てたズキーニが実をつけた。昼、パエリャを作り飯。
午睡後読書。ロラン・パトル著「中国旅行ノート」を読み始める。著者は中国の政権闘争であった
文化大革命が終盤に差し掛かった1974年4月11日より1週間の中国グループ旅行を
試みる。その、中国での日記である。彼は、どこを案内されても、組織をたたえる台詞しか見出すこと
が出来ない、ふがいなさが、ページのあちこちに見受けられる。余輩も、この時代、中国に出掛けていった。
人民公社も見学したことがある。どこで、説明を聞いても紋切り型の言葉で応対される。
翻って、今日の周辺を見渡すと、メディアから流れてくる、具体性のない言葉は、あの時の
状況を暗示するようだ。
2011年6月2日(木)雨
震災を過ぎること80日余。普通の生活を、営なめる事の有難さを、しみじみと味わう、今日この頃である。
2011年6月1日(水)曇、寒10時半の外気温11度
昼前より二人で飛駒に出掛ける。裏駐車場の草刈をする。6月になったと言うのに、労働をしていて
体が冷える。樺太に居るようだ!昼食後、暖炉を燃やし、体を温める。
ヨーコさんは、寒くないと言う。「かっちゃん!お医者さんで見てもらったほうが良いんじゃないの」
とのたまう・・・。午後、休息。夕食時、TVニュースでは官庁のクールビズの光景が映し出されている。
しかし、我が家では、炬燵に入り、鍋料理を楽しんでいる。この同時空的差異が不思議だ!

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