東郷遺跡の中東部の桜ヶ丘一丁目地内で、発掘調査を行いました。
その結果、古墳時代前期前半(4C前半)の居住域に伴う遺構・遺物が見つかりました。居住域を構成する遺構としては、竪穴住居を中心として、土坑・小穴・溝があります。
同時期の居住域は調査地の北部一帯で見つかっており、本調査地点が居住域の南西隅にあたるようです。
東郷遺跡は、河内平野南部の長瀬川と玉串川に挟まれた低位沖積地に位置する弥生時代中期(1C前)〜中世の複合遺跡です。これまでの調査で、遺跡範囲のほぼ中央部付近を南北方向に流れる弥生時代前期〜後期前半(前3〜1C後半)の河川が見つかっています。「東郷分流路」と名付けられたこの河川は、川幅が約150mを測る大規模な河川でしたが、徐々に川幅を狭めて弥生時代後期前半(1C後半)には機能を停止しています。
東郷遺跡の邪馬台国時代の集落は、この河川により形成された自然堤防上に居住域が設けられ、河川跡のやや低い部分には生産域である水田や墓域が設けられています。特に、古墳時代初頭〜前期前半(3C)にかけては、集落域の拡大傾向に符号して、各地域間との交流が推定される外来系土器の増加がみられます。このことから、東郷遺跡は邪馬台国時代において中河内地域の中心的な役割を果たした遺跡の一つと考えられます。
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