弓削遺跡中部の志紀町南三丁目で発掘調査を行いました。
調査の結果、弥生時代中期後半(1C)と弥生時代後期前半(2C)の居住域に関連した遺構・遺物が多数見つかりました。
弓削遺跡は八尾市の中南部に位置する弥生時代中期以降の複合遺跡です。
旧大和川左岸に位置しており、南部に隣接する柏原市の本郷遺跡を含めて同じ集落域と推定されます。
これまでに両遺跡で行われた調査の成果から、弥生時代の集落は中期後半に成立し、後期後半にかけて居住域を拡大したと考えられます。これまでの調査で推定される居住域は、弥生時代中期後半で東西約350m・南北約550m、弥生時代後期で東西約400m・南北約750mの範囲です。
今回の調査地は、推定される弥生時代の居住域のほぼ中央部にあたります。
弥生時代中期では遺存状況が比較的良好な土器が集中して見つかっており、居住域の中心であったものと思われます。
弥生時代後期では、並行して延びる溝2条が見つかっており、居住域を画する区画溝であった可能性があります。