5.南部の遺跡(羽曳野丘陵先端部から平野部)

 八尾市南部の羽曳野丘陵先端部から沖積地に存在する遺跡群です。太田・大正橋・八尾南・木の本などの遺跡があります。

 「八尾南遺跡(やおみなみいせき)

 若林町・西木の本の一帯に広がる遺跡で、西側は大阪市の長原遺跡と接しています。当遺跡は、昭和53~54(1978~1979)年度に地下鉄谷町線八尾南駅建設工事に伴う発掘調査で後期旧石器時代~鎌倉時代の遺跡であることがわかりました。それ以後、現在までに40次におよぶ発掘調査が府教委・市教委・八尾南遺跡調査会・調査研究会で実施されています。
 特に弥生時代後半~古墳時代中期の集落跡が見つかっています。第1次調査では、弥生時代後期の方形周溝墓群、その上から古墳時代中期の方墳群が発見されています。
 第2次調査では、弥生時代後期の鏡片が出土しました。この鏡は国内で作られたホウ(にんべんに方)製鏡(内行花文日光鏡系)で、鋳上がりや材質ともに中国製と思われるほど精巧につくられています。表面にはペンダントのように首にかけるための孔をあけようとした痕跡がみられます。第8次調査では、古墳時代中期の井戸内から乗馬の際に使われた国内でも最古級の木製鞍の一部である前輪が発見されています。これらの発見は、当時の社会情勢の変化や馬を飼う集団の生活様式を知る上で貴重な資料となるものです。

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八尾南遺跡 方形周溝墓(左)、方墳(右)

 「木の本遺跡(きのもといせき)

 木の本・南木の本付近一帯にあたります。昭和55(1980)年度に南木の本四丁目において実施した調査で、弥生時代中期前半の集落跡が発見されました。
 その後、昭和57~58(1982~1983)年度に八尾空港内で実施した第1次調査では、平安時代の条里制に伴う水田(志紀郡条里)がみつかりました。
 そして昭和57(1982)年度に行った共同住宅建設に伴う第2次調査では、平安時代中期(10世紀頃)の大量の土師器皿・杯および黒色土器椀を主とする土器集積が発見されました。
 また、第3次調査では古墳時代前期の高床式の掘立柱建物がみつかりました。この建物の柱跡9ヶ所がすべて残っており、非常に貴重な資料となりました。

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木の本遺跡 古墳時代前期の掘立柱建物跡(左)、平安時代の土器集積(右)

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平安時代後期の遺構(左)、近世の条理遺構(右)

 「太田遺跡(おおたいせき)

 太田・太田新町に存在する遺跡で、近年の発掘調査によって旧石器時代~中世に至る複合遺跡であることが確認されています。昭和62(1987)年度の府教委による公共下水道工事に伴う発掘調査で旧石器時代の石器が多量に出土しています。平成5(1993)年度の市教育委員会による共同住宅に伴う発掘調査では平安時代~鎌倉時代の井戸・小穴・溝などの集落遺構、平成8(1996)年度の市教委による遺構確認調査では弥生時代後期の焼失住居跡が見つかっています。市内では弥生時代後期の焼失住居は、萱振遺跡の2基に次いで3例目の検出例となります。


太田遺跡 鎌倉時代の遺構

 

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