4.南西部の遺跡(長瀬川左岸)

  八尾市南西部の長瀬川左岸に位置する遺跡群です。弓削・田井中・志紀・老原・植松・跡部・太子堂・久宝寺・亀井などの遺跡があります。そのうち、主な遺跡を紹介します。

 「跡部遺跡(あとべいせき)

 市西部の、跡部北の町・跡部本町・春日町・太子堂・東太子・跡部南の町・安中町がその範囲とされています。当遺跡は昭和53(1978)年、春日町一丁目で行われた寮建設の際に発見されました。
 調査は昭和56(1981)年度に春日町一丁目で行われており、古墳時代前期の方形周溝墓の他、弥生時代前期・中期の遺物が発見されています。
 平成元(1989)年度に春日町一丁目で行われた第5次調査では、弥生時代後期の土坑から埋納された状況の銅鐸が発見され、『跡部銅鐸(あとべどうたく)』として学史に名前を残す結果となりました。銅鐸は弥生社会の農耕を中心とする「まつり」やそれに伴う精神文化を象徴付ける祭器であり、それらの埋納状況が明らかにされたことは、今後の銅鐸研究に多いに役立つものと考えられます。現在、発見された地点には、『跡部銅鐸出土地』の石碑が立てられています。

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跡部遺跡 銅鐸出土状況

 「亀井遺跡(かめいいせき)

 市西部の亀井町・南亀井町・跡部本町・跡部南の町から大阪市平野区長吉出戸に広がる遺跡です。当遺跡は、昭和43(1968)年度の平野川改修工事に伴う発掘調査で発見されました。
 その後、近畿自動車道建設・長吉ポンプ場築造などに伴い府教委・(財)大阪文化財センター・市教委・調査研究会により数多くの発掘調査が実施され、縄文時代晩期~近世にわたる集落跡が検出されています。
 特に、弥生時代中期後半において集落をめぐる多重の大溝が確認されており、中河内における弥生時代の拠点集落の実態を解明する上で重要な遺跡の一つです。また特筆される遺物としては、銅鐸片、銅鏃、貨泉(かせん)、ホウ(にんべんに方)製鏡等の青銅製品が多く発見されています。

 

 「久宝寺遺跡(きゅうほうじいせき)

 北久宝寺・久宝寺・西久宝寺・南久宝寺・神武町・亀井・北亀井・渋川町・跡部北の町がその範囲にあたります。当遺跡は、昭和48(1973)年度に(財)大阪文化財センターによって実施された近畿自動車に伴う試掘調査で発見されました。それ以降、多くの調査機関により調査が実施されており、縄文時代晩期~近世に至る遺跡であることがわかっています。
 久宝寺遺跡では、昭和58(1983)年に古墳時代初頭の「準構造船(じゅんこうぞうせん)」が国内で最初に発見されました。「準構造船」は外洋航海が可能な船であり、当時、遺跡の北側に広がっていた河内湖の水運を利用した他地域との交流が盛んであったと推定されます。
 それらを物語るように、古墳時代初頭~前期の遺跡からは、国内では山陰・吉備・播磨・阿波・讃岐・摂津・東海・北陸・南関東の他、朝鮮半島南部の特徴を持つ土器類が発見されており、地域間交流が海外に及んだことがわかります。
 これらの集団が残した墳墓群が随所で残されており、旧竜華操車場内での調査では、約80基におよぶ墳墓が発見されています。なかでも「久宝寺1号墳」と呼ばれる古墳時代前期前半(3世紀後半)古墳は、中河内における周溝墓から古墳への墓制変化を考えるうえで貴重な資料となりました。

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久宝寺遺跡 前方後方墳(左) 銅鏡が出土した竪穴住居(右)

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久宝寺寺内町 室町時代の遺構

  

 「田井中遺跡(たいなかいせき)

 田井中・空港の一部に所在する遺跡で、八尾駐屯地内の工事の際に発見された遺跡です。昭和57(1982)年度から府教委、(財)大阪府埋蔵文化財協会、(財)大阪府文化財調査研究センター、市教委、調査研究会による発掘調査が実施されており、縄文時代晩期~近世にわたる遺跡であることが確認されています。
 調査において、弥生時代前期から中期の集落跡や多量の弥生土器が発見されています。また、府営住宅に伴う調査では、弥生時代中期の集落を囲む大溝群が確認されており、地域の拠点となる環濠集落を形成していたことがわかります。

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田井中遺跡 弥生時代前期から中期の遺構



弓削遺跡(ゆげいせき)

 志紀町南に所在する遺跡です。昭和59(1984)年に志紀町南二丁目で行った調査で発見されました。この調査では、弥生時代中期から奈良時代の遺構・遺物が発見されています。特に、弥生時代後期の大溝からは大量の弥生土器が出土しています。また、奈良時代の井戸からは、お祓いに使用された土器の表面に人の顔が描かれた「墨書人面土器」が発見されています

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弓削遺跡 弥生時代後期の溝から出土した土器
 

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