3. 中央部の遺跡(玉串川と長瀬川の間)

 八尾市中央部の玉串川と長瀬川に挟まれた平野部に位置する遺跡群です。北から山賀・美園・萱振・東郷・成法寺・小阪合・中田・東弓削などの遺跡があります。

中田遺跡(なかたいせき)

 中田・刑部・八尾木北の範囲に広がる弥生時代前期〜近世の遺跡です。当遺跡は昭和45(1970)年の区画整理事業の際発見された遺跡です。

 なかでも、昭和53(1978)年度に市教委が行った調査では、吉備地方の特徴を持つ土器が大半を占めるという特異な出土状況が注目された『刑部土坑(おさかべどこう)』が発見されています。その後の研究により、『刑部土坑』の出土土器群は、河内地方における古墳時代初頭(3世紀前半)の標識資料となっています。

 また、楠根川の改修に伴う調査では、古墳時代前期の古墳が地中深く埋まっているのがわかりました。古墳からは、家形・船形・朝顔形・円筒埴輪が多量に出土しています。

小阪合遺跡(こざかあいいせき)

 若草町・小阪合町・南小阪合町・青山町・山本町南に位置しています。昭和30(1955)年の府営住宅建設工事の際に見つかった遺跡です。

 昭和57〜62(1982〜1987)年度に実施した南小阪合区画整理事業に伴う調査が最初、弥生時代中期〜近世に至る遺跡であることがわかりました。特に、古墳時代初頭〜前期の集落跡が遺跡全域に存在することがわかりました。なかでも、古墳時代初頭〜前期の集落からは、他地域から持ち込まれた土器が多量に出土しており、他地域との交流が盛んであったことを物語っています。また奈良〜鎌倉時代の建物跡・井戸なども多数見つかっています。奈良時代の井戸には、井戸枠に船材を再利用したものがあります。

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小阪合遺跡の土器集積(古墳時代初頭)

萱振遺跡(かやふりいせき)

 楠根川右岸の萱振町を中心に広がる弥生時代前期〜近世に至る遺跡です。

 昭和58(1983)年度に府立八尾北高校建設工事に伴う調査で、古墳時代前期後半(4世紀後半)の「萱振1号墳」が発見されています。「萱振1号墳」は、一辺約27mを測る方墳で、靫形(ゆきがた)埴輪や、鰭(ひれ)付円筒埴輪・朝顔形円筒埴輪等の豊富な埴輪類が多量に出土しています。この方墳は、河内平野で発見された最古級の古墳で、平野部における古墳文化の様相を考えるうえで貴重な資料です

 昭和60(1985)年度に行った府営住宅建替え工事に伴う調査では、古墳時代後期の「萱振2号墳」が見つかりました。この古墳の主体部は木棺で、古墳時代後期中葉(6世紀中葉)の須恵器壺・高杯などの副葬品が残っていました。この時期の古墳は、生駒山地の西麓部に横穴式石室を主体部に持つ円墳を造るのが一般的であり、「萱振2号墳」の発見は、平野部に造られた古墳と、同時期の生駒山地西麓で造営された古墳とを比較する資料となりました。

 

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萱振遺跡 弥生時代後期の竪穴住居(左)、萱振2号墳(右)

 

 

東郷遺跡(とうごういせき)

 

 長瀬川と玉串川に挟まれた平野部に位置する弥生時代中期〜鎌倉時代の遺跡です。遺跡範囲は近鉄八尾駅周辺に広がっています。昭和55年(1970)年の近鉄八尾駅移転以降、駅の北側を中心とした再開発に伴って数多くの発掘調査が行われてきました。調査の結果、弥生時代中期以降の遺構・遺物が数多く見つかっています。

 なかでも、古墳時代初頭(3世紀)から古墳時代前期(4世紀)の集落跡が八尾駅の北側一帯で見つかっています。

 平成17(2005)年に行われた調査では、古墳時代前期中葉(4世紀中葉)の古墳(方墳)が見つかっており、当時、東郷遺跡が地域の中心的な役割を果たした集落であったことが推定されます。

 

 

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東郷遺跡 竪穴住居(左)、集落跡(中)、方形周溝墓(右)

 

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