2.中東部の遺跡(生駒山地西麓部から平野部)

 八尾市東部の生駒山地西麓の扇状地から沖積地に存在する遺跡群です。北から楽音寺・大竹西・大竹・水越・郡川・恩智・神宮寺などの遺跡があります。 

 「大竹西遺跡(おおたけにしいせき)

 大竹・西高安町・上尾町に位置する縄文〜室町時代にかけての複合遺跡です。平成2(1990)年度の第1次調査、平成8(1996)年度の第3次調査で、弥生時代前期〜近世の遺構・遺物を多数検出しました。
 第1次調査では弥生時代前期の木棺墓・土坑墓・土器棺墓などのお墓、古墳時代前期の集落からは、国内では唯一の瑪瑙(めのう)製の鏃形(ぞくがた)石製品が見つかっています。
 第3次調査では、弥生時代後期初頭の鉄剣が出土しています。エックス線による分析結果から鋳造(ちゅうぞう)鉄剣であることがわかりました。このことから当遺跡は、当時としては非常に貴重である鉄剣を持つことができた集落であったことが考えられます。 

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大竹西遺跡出土のしがらみ(左)と鉄剣(右)

 「水越遺跡(みずこしいせき)

 水越・千塚一帯に広がる縄文時代〜中世に至る遺跡です。大正9(1924)年に清原得巌氏により石鏃等が採集されたことにより、遺跡として認識されるようになりました。発掘調査は、昭和53年度に府立清友高等学校新設に伴う調査が最初で、縄文〜鎌倉時代に至る遺構・遺物が検出されました。
 その後、市教委・調査研究会が調査を実施しており、弥生時代中期の環濠集落をはじめとして、縄文時代中期〜鎌倉時代に至る遺構・遺物が検出されています。 

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水越遺跡 環濠内出土の弥生土器

 「郡川遺跡(こおりがわいせき)

 教興寺、郡川に位置する、縄文時代晩期〜室町時代の遺跡です。平成2(1990)年に行われた第2次調査では、縄文時代晩期〜室町時代の遺構・遺物が検出されています。弥生時代では、前期の古い段階に集落が作られており、生駒山地西麓部における稲作導入期の様相を知るうえで貴重です。
 古墳時代中期後半〜後期の集落からは、土器類と共に鉄製品の製作に使用された鉄滓(てっさい)・鞴(ふいご)の羽口の他、朝鮮半島南部の土器に影響された韓式系(かんしきけい)土器などが出土しており、集落を形成した古代氏族を推定するうえで貴重な資料といえます。

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郡川遺跡 弥生時代後期から古墳時代中期の遺構

  「恩智遺跡(おんぢいせき)

 恩智中町三丁目の「天王の杜」を中心に広がる縄文時代前期以降の遺跡です。大正6年(1917)に考古学的な調査が行われており、大阪府下のなかでも遺跡としての認知は早く、学史に残る遺跡として知られていました。
 恩智川改修工事に伴う発掘調査では縄文時代〜古墳時代の遺構・遺物が発見されていますが、弥生時代中期には、大規模な集落が形成されていたと思われる遺構・遺物が多量に見つかっています。当遺跡内では、個人住宅などの建替えに伴う遺構確認調査の増加により、「天王の杜」を中心として縄文時代後期〜晩期の縄文土器、弥生時代中期の遺構・遺物が密に存在していることがわかりました。

 

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