1.東部の遺跡( 生駒山地西麓部)

 
八尾市東部の生駒山地西麓に位置する遺跡群には、高安古墳群・高安城跡、花岡山遺跡などがあります。  

 「高安古墳群(たかやすこふんぐん)

 生駒山地西麓に分布する古墳時代中期末〜終末期にかけての群集墳です。北から楽音寺・神立・大窪・山畑・服部川・郡川・黒谷・垣内・恩智・神宮寺の広範囲に存在します。
 古墳群は生駒山地西麓部(標高50〜450mの斜面)に分布しており、特に郡川・服部川地区で群集しており、「千塚」と呼ばれる地名が残されています。古墳数は現在250基前後しかわかっていませんが、大正12(1923)年の調査では640基が存在していたと言われています。
 江戸時代後期の『河内名所図会』の絵図には、郡川付近の古墳とその乱掘の様子が描かれています。
 明治時代初期、イギリス人のW・ガウランドやアメリカ人のモースが踏査し、その成果を論文にして「日本のドルメン」として世界に紹介されています。その後、府教委などにより古墳群の分布調査が数次にわたり行われています。発掘調査は一部、府教委、市教委、文化財調査研究会により実施されています。ここでは芝塚古墳、大石古墳の調査成果を紹介します。

 

 「芝塚古墳(しばづかこふん)

 神立で昭和63(1988)年度発見された古墳です。横穴式石室の天井石を除く、玄室と羨道の部分が残されていました。玄室内には石棺が3棺納められていました。石棺および石室内の副葬品はほとんど盗掘されていましたが、大刀や馬具の一部、須恵器の壺・高坏・はそう、土師器の壺・高杯などの副葬品が残っていました。
 大刀には柄頭(つかがしら)や鍔(つば)の部分に銀象嵌(ぎんぞうがん)を施していたことがわかりました。出土した土器から、6世紀末に築造され7世紀初頭まで追葬されていたと思われます。

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 左)芝塚古墳の石室と石棺 右)銀象嵌鐔、柄頭、鞘尻

 

 「大石古墳(おおいしこふん)

 平成2(1990)年度に楽音寺で発見されました。無袖式(むそでしき)の横穴式石室をもつ古墳で、墳丘、天井石などはすでに削平されていました。出土した土器から、6世紀後半に築造され7世紀初頭頃に追葬したことがわかりました。被葬者は、装飾器台(そうしょくきだい)や銀象嵌刀装具(ぎんぞうがんとうそうぐ)の副葬品から、芝塚古墳と同様、有力氏族の首長クラスが想定されます。

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左)大石古墳石室、中)石室から発見副葬品、右)装飾付器台

 

 

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