マーティン・シャープ氏からのメッセージ

1967年のある夜、ロンドンのスピークイージーでひとりのミュージシャンに会った。彼は、曲作りを終えたところで、私は自作の詞を紙ナプキンに書いて彼に渡した。2週間後、彼はその曲の入ったシングルを携え、私の許を訪れた。その曲は「英雄ユリシーズ」、そのミュージシャンの名はエリック・クラプトン。

私たちはチェルシーでスタジオを一緒に使うようになり、エリックは、私が昔のポピュラー・ソングを演奏するのを聴いた。彼は、ニューヨークの「シーン」でタイニー・ティムのショウを見たことがあり、ロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートを見に行けと私に勧めた。彼は「タイニー・ティムが大好きになるよ。」と言ったが、その通り、私はタイニーに夢中になった。ポピュラー・ソングを知り尽くしたタイニー・ティムはステージに上がり、パーラー・ソングからロックンロールまで過去の名曲をその天賦の才で見事にまとめ上げた。この若いアーティストがいくつもの声を使い分け、シャーリー・テンプルからアル・ジョルソンへ、さらにウィル・ロジャース、ルディ・ヴァレー、ボブ・ディランへと私たちの目の前で変身し、声が消え入りそうになると勢いを取り戻し、曲の真ん中で男声と女声を替えラブソングを歌うと、エルビス・プレスリー、ラス・コロンボ、ビング・クロスビーで再度融合する。1人で様々なシンガーを演じるのだ。ポピュラー・ミュージックの精神を、ピュアに、超現実的に具現化している。彼は、私の祖父母や両親が虜になった曲を歌い、現代に甦らせ、過去から解き放った。そんな彼を過去のアーティストと比較することはできない。タイニー・ティムのようなアーティストはいなかったし、これから先も現れないだろう。

私は、タイニー・ティムのために働き、彼の歌の世界に何らかの影響を与えてみたくなった。しかし、タイニー・ティムは私の手の届かない世界にいるように感じ、見果てぬ夢のように思えた。人間国宝の栄誉を受け、ホワイトハウスでアメリカ国歌を歌い、素晴らしいミュージカル映画の主役としてカーネギー・ホール、マディソン・スクエア・ガーデン、ハリウッド・ボウル、セントラル・パークでのコンサートをソールド・アウトにし、オーケストラの崇敬の念に包まれて華麗な人生を送る……。だが、突然の悲劇が彼を襲った。「ブールバード・オブ・ブロークン・ドリームズ」を歌っていたタイニー・ティムは、やじや罵声を浴び、このたった1回のショウによって、過酷なショービジネスの世界から追放された。永遠の吟遊詩人タイニー・ティムには、あまりにも冷酷な仕打ちに思えた。まさに、ギリシャ神話のオルフェウスであった。彼の世界的サクセスストーリーと、ショービジネスの神の地位からの転落は伝説となった。アメリカの詞と曲を愛し、誰よりも歌を熟知し、時間を超越して歌うことの出来たシンガーがこの社会から失われた。私にとっては、それが何よりもショックだった。

1975年、私の32歳の誕生日、私は、オーストラリア、ニューキャッスルの大衆クラブの楽屋からカセットレコーダーで彼の歌を録っていた。こうして、タイニーの「失われた」年月を録音する私の生活が始まった。やがてスタジオでの録音に変わり、コンサートはフィルムにも収められた。そして、「ワールド・プロフェッショナル・ノンストップ・シンギング・レコード」という不思議なアルバムが完成した。カントリー&ウエスタン、スイング、ロック等を収めたこのアルバムの存在を多くの人は知らない。しかし、この偉大な「ショービジネスの戦士」とともに行軍することが、私には最大の栄誉だった。


c 2006 zero communications ltd. All Rights Reserved.