タイニー・ティム (1932-1996)

本名ハーバート・コーリー。1932年4月12日生まれとされ、ニューヨーク、マンハッタンのワシントン・ハイツで育つ。

1960年代初め、タイニー・ティムは当時活気に溢れていたグリニッチ・ビレッジ周辺で人気が出始め、特異な演出を始めた頃から、人気は不動のものとなった。彼は「ページ・スリー」というレズビアン・キャバレーで歌い始め、キャッチフレーズは「ジ・アンサー・トゥー・ザ・ビートルズ!」。何度もステージネームをかえたが、結局、ディケンズの『クリスマスキャロル』の登場人物であるタイニー・ティムに落ち着いた。

タイニー・ティムは、映画「ユー・アー・ホワット・ユー・イート」に出演し、当時大人気のコメディ「ローワン・アンド・マーティンズ・ラーフ・イン」への出演も決まり、そのいままでにないキャラクターはすぐさま評判となった。その後何度も「ラーフ・イン」に出演、ジョニー・カーソンの「トゥナイト・ショー」、エド・サリバンとジャッキー・グリーソンのバラエティ・ショーにも出演。タイニー・ティムのエキセントリックな性格は、彼の音楽と同じくらい有名になった。潔癖性で、セックス嫌い、しかし、その優しく、性別不詳とも思える身のこなしと妙にマッチしていた。彼がファルセットで歌わなくても、長いカーリー・ヘア、大きな鼻、長身 (186cm)、小さめのウクレレといった外見は、一際目立つ存在であった。

売れっ子となったタイニー・ティムは、リプリーズ・レコードと契約を結び、1968年にデビュー・アルバム「ゴッド・ブレス・タイニー・ティム」をリリース。彼の代表曲「ティップ・トー・スルー・ザ・チューリップ・ウィズ・ミー」はすぐヒットし、LPの売上は20万枚を突破。このアルバムには、アメリカン・ソングへの造詣の深さが感じられ、ファルセットはもちろんのことバリトンも披露している。

活動は勢いを増し、第2弾の「タイニー・ティムズ・セカンド・アルバム」は1968年末発売、サード・アルバム「フォー・オール・マイ・リトル・フレンズ」は1969年8月発売。1969年には、ビクトリア・メイ・バディンガー(つまり「ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジョニー・カーソン」の「ミス・ヴィッキ」)との結婚式は4000万人のTV視聴者を釘付けにした。そのとき、彼は「調子に乗り過ぎないよう気を付けます」と誓った。

1970年8月、タイニー・ティムは、「ワイト島・フェスティバル1970」において60万人の聴衆の前で、イングランド民謡やロックンロールの名曲も披露し、世界中から来たヒッピーの絶賛を浴びた。クライマックスで、彼が「ゼアル・オールウェイズ・ビー・アン・イングランド」をメガホン片手に歌うと、大観衆は総立ちになった。この光景は、このフェスを映画化した1995年の「メッセージ・トゥー・ラブ」で見ることができる。

1996年11月30日、ミネアポリスで「ティップ・トー・スルー・ザ・チューリップ・ウィズ・ミー」を演奏して数秒後にタイニーは倒れ、舞台裏にいた3番目の妻、ミス・スーの腕の中で亡くなった。


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