歴代部長の御言葉 


星 俊治(19)  ????(20)   寺沢幹緒(21)  佐藤義弘(22)  ????(23)  ????(24)
????(25)  ????(26)  ????(27)  ????(28)  ????(29)  ????(30)
????(31)  ????(32)  ????(33)  佐藤 桂(34)  
寺田 潤(35)  鈴木源吾(36)
太田和幸(37)  中村 聡(38)  石田 周(39)  伊藤史人(40)  中村康宏(41)  吉郷大樹(42)
月浦 崇(43)  佐々木士朗(44)  千浦名生(45)  高橋真吾(46)  鈴木典宏(47)  沼田忠広(48)
金野琢哉(49)  伊藤寿行(50)  森 裕亮(51)  菊池洋平(52)  太田直喜(53)



ごあいさつ

 本日は我々の演奏をお聞きいただくためにお集まりくださいましてありがとうございます。昨年に続き第2回目の演奏会を開ける事を我々としても有意義であり,うれしい事でございます。幸い,昨年度は吹奏楽コンクールにおいてBクラス県大会優勝,東北大会準優勝という輝かしい成績をあげた事はその後,やればできるという自信に変わり,我々を今日まで引っぱって来ました。しかし,その反面,この二大行事以外には目もくれず,校内行事など高校生のクラブ活動として参加するべき行事に参加しなかったことは大いに反省するところでございます。

 昨年よりもさらに充実した演奏が望まれる今日,我々がどれだけ皆様のご期待に応じられるか,演奏によりお応えするつもりでございます。

 最後に,この演奏会を開くにあたってご協力願いました諸方面の方々に厚くお礼申し上げます。


不 明 (第20回生)
第2回定期演奏会 プログラム(67年)より転載




ごあいさつ

 本日は,私達の演奏を聞きに来て下さいまして誠にありがとうございます。

 私達の演奏会も今年で3回を迎え,前2回よりも,もっと充実したものにしようと張り切っております。

 考えてみれば,昭和42年度は,私達にとって,試練の年であったと思います。コンクールの不成績を始めとして,部員不足,あるいは部員のクラブに対しての意識の低下など,数えあげればきりがありません。特にコンクールの不成績はかなりの自信を持っていたので,ショックでした。しかし,そのおかげで,今までの活動に対する反省ができ,ここにこうして演奏会を開けますことは本当にうれしいことです。

 今年は,新しい試みとして,部員による,アンサンブルを入れてみました。適当な楽譜がなく,あまりたいしたことはできませんでしたが,新しい試みとしてお聞き下さい。個人の技術向上のためにも,また,1つの音楽としても,アンサンブルは,重要な練習だと思っています。今は大編成のバンドだけが,幅をきかせていますが,こういう小編成での演奏も意味があるのではないかと思います。

 私達は,毎日の練習で特にハーモニーや音のきれいさを大切にし,その方に関しては,かなりの自信を持っています。ときどきミスもあるかもしれませんが,最後までゆっくりお聞き下さい。


寺沢 幹緒(第21回生)
第3回定期演奏会 プログラム(68年)より転載




御 挨 拶

 本日は御忙しい折,我々の演奏会の為に来て頂きまして有難うございます。昨年度は定期戦終了後,部員不足の問題から,ここ数年来好成績を収めてきたコンクールへも参加を断念し,その全てを今日に賭けて練習してきました。当初は部員も20名足らず,特に木管が少なく,何度も演奏会を危ぶんだ時もありましたが,何とか切り抜けて今日のこの会を開くことができました。

 我々のこの演奏会も4回目になりますとそれにともなってマンネリ化する所も多く,その為に新しいものを入れてみたつもりですがやはりその感は,免れません。まず,マーチをやめ,クラシックでは限界を試す意味で,ショスタコーヴィッチの5番の終楽章を,ジャズでは,前半を一高モダンジャズ愛好会によるモダンジャズ,後半を一高ジャズバンドによるスウィングジャズ。それも例年と違って軽音楽的なものを,多く選んでみました。

 さて,我々音楽をやる者にとって演奏会を開くということは,一つの大きな夢であり,かつそれは,力を出しきる事業でもあります。そして今日が我々の「その日」なのであります。

 どうか我々の精一杯の演奏を最後までお聞き下さい。


佐藤 義弘 (第22回生)
第4回定期演奏会 プログラム(69年)より転載





雑 感

 今,こうして目をつぶっていると今までの吹奏楽と共に歩んできた「道」が,はっきりと目に浮かんできます。

 ただひたすらコンクールに勝つことを夢見て楽器を吹いていた中学時代,
 そしてこの独特の雰囲気のある学校に入学し,何が何だか分からないうちに臨んだ第12回の演奏会(あの時は曲の途中でチューニング管が落ちてしまった。),
 その後の高校生としての初めてのコンクール(ユーホとチューバはすべて1年生でした。),
 無事2年生に進級し,多くの新入部員をまじえての第13回演奏会(なぜか,ガラにもなくあがってしまった。),
 そしてまた記憶に新しいあの悪夢のような昨年のコンクール(あの石巻の雨は一生忘れないでしょう。),
 翌日の一高祭での涙々の演奏と一高生のあったかい拍手,
 さらにその翌日の榴岡公園での身心障害者を前にしてのマーチやポピュラーの演奏(部員の顔にもやっと笑顔がもどり,まるで別世界にいるような心地がしました。),
 唇をかみしめて各団体の演奏を聴いた山形での東北大会,
 コンクールの興奮も消え,ちょっと変わった楽器配置で演奏した吹奏楽祭(東北吹奏楽の日),
 「負けるならでるな。」という荒井先生のたった一言の御指導で,「みんなそろって東北大会へ!」を合言葉に鼻水たらしながら練習に燃えたアンサンブルコンテスト(ちなみに金管のやった曲は某楽器店で一番安いというので,衝動的に買って来たものです。また打楽器は七人中三人が本職でがんばってくれました。),
 混乱の中で進められた今回のコンサートの準備(特に編曲活動は不安とあせりにせきたてられて,発狂寸前?にまで追い込まれました。編曲が完成したのは4月の3日でした。),等々々。

 このような数々の思いでの中で,最近特にコンクールについて考えるようになりました。確かにコンクールは自分たちの練習によってみがき上げた技術や音楽性を発揮し,それに賞が与えられるという,私たちアマチュアにとってはとても大切な場であり,またすばらしい場でもあります。しかし,考えてみると何かむなしくなって来ます。自分たちの築き上げた音楽が,数分間のうちに数人の審査員によって判断されてしまうのです。とてもやりきれない思いがします。

 でも,問題なのはそんなことではなくて,私たちの心の中にあるコンクールの位置ではないかと思います。あまりにも一年を通してコンクールを意識するがゆえに,他の団体をてき扱いにはしていないでしょうか。他の団体をねたみ,他の団体の失敗をよろこび,コンクールの結果で,その団体の存在を決めてしまう。偵察やスパイなどという言葉が使われる。全く恐ろしいことです。これが音楽をやっていると言えるのでしょうか。もっといろいろな団体と合同演奏したいです。もっといろいろな人と接してみたいです。でも「コンクール」という「まく」でそれらがすっぽりと覆われてしまっているのです。これが本来の私たち音楽をやるものの姿なのでしょうか。そこらへんをもう少し考えてみたいものです。とにかくみなさん,もっと楽しくやろうじゃないすか!!

 私は「不可能を可能にする」という言葉がとても好きです……。


寺田 潤 (第35回生)
第14回定期演奏会 プログラム(82年)より転載





吹奏楽と私

 私が吹奏楽を始めたのは中学からで,すでに5年余り過ぎようとしていますが,その間にはひたすら無心に楽器に立ち向かっていた時期もあれば,道を見失ってさまよっていた時期もあり,今考えると思い出深いことばかりです。特に自分の頭で幼稚ながらも考え悩んだことは,一番心に残っています。また吹奏楽のあり方を考えることは,自分のあり方を見極める意味でもあり,私にとって大事でした。

 現在は今までにないほどブラスバンドは,華やかになっています。本屋にもレコード店にもバンド関係のものがあふれています。コンクール熱も過熱し,全国大会に特定の団体が多く出ることも少なくなり,実力も迫ってきています。そのような中で私達も変わり,豊かなものを得ることができたような気がしますが,また失われたものもあるように思います。

 吹奏楽の変化の中にもなにか一つ貫かれねばならないものがあるはずです。それは,いわゆる「音楽」でしょう。こう書くと当然のようですが,私のいうこの「音楽」は単なる音のら列ではなく,意味をもっているものです。それでは,その「音楽」とはどういうことでしょう。上手な団体の演奏を真似て,同じような上手な演奏をすることでしょうか。それとも,一枚の紙切れの上の「金」の文字とその名誉を得るために,自己の感情や欲望を徹底的に規制することでしょうか。それでは「芸術」「表現」??……。だんだんわからなくなってきました。私の手にはおえませんので,他人の言葉を借りましょう。詩人 萩原朔太郎が芸術を感情と理性の側面に二分し,音楽を感情の芸術の代表としています。これは音楽を,感情を表現する一つの言葉としてとらえることと解釈していいと思います。すべての音楽が必ずしもこうではないでしょうが,これが音楽の重要な側面であることは明らかです。

 このことは今の私達に欠けているような気がします。しかし,私達大部分がそんな必要はないと言うかもしれませんから,このことはしかたないのかもしれません。しかし今の私達の状況はあまりに音楽を見失いやすいといえると思います。

 私はこれからの私達に必要なのは,真の「音楽」のともしびを求めて,自分なりのやり方で,単なる勝利の喜びでない人間的な深い喜びをえるために,日々努力することだと思います。

 
鈴木 源吾(第36回生)
第15回定期演奏会 プログラム(83年)より転載




今日までの歩み

 私が音楽を始めたきっかけは,音楽好きの母の勧めで,小学校1年生の時に,某オルガン教室に入り,その後一年たってピアノを習い始めたことです。そして,四年生の後半に,学校でブラスバンドの部員を募集していること知り,朝会の時に行進の伴奏をしていたブラスバンドに,前々からあこがれていたので,入部することにきめたのです。これが,私とブラスの出合いでした。

 やはり自分から好きでやり始めたものの方が,楽しく,自然に練習が増えるもので,その結果,ピアノの方は余り伸びず,中二で挫折してしまいました。小六の時には,TBCコンクール東北大会でブラス始まって以来の優秀賞を頂きました。

 中学でもブラスを続け,三年時にはコンクール県大会で,隣のM中学校と共に県代表に選ばれました。一高の一年時には,中学時代には,全く手のとどかない大会と思っていた全国大会出場となり,信じられませんでした。初出場のせいか,ステージに上がったとたんに,会場の広さに圧迫感を感じ,演奏にも影響を及ぼしてしまったのか結果は銀賞でした。Aクラスで二年目,全国でも激戦区の東北大会で代表になれたことは,驚くべきことです。無事二年生に進級し,今度は自分たちが指導する立場になり,非常に大きいプレッシャーを感じながらも,部員全員で一生懸命全力を尽くしてきました。しかし,去年のコンクール東北大会では,おしくも?銀賞でした。

 講評用紙の一枚に,「力説しているわりに説得力がない。」と書かれてありました。これを読んだとき,非常にたくさんの思いあたる点がうかんできて,その中でも最も欠けていたものを考えると,一つ目は,「聴衆を感動させること」であったと思う。これは吹奏楽をやる者に限らず音楽をする以上必要不可欠なものだと思います。しかし,最近のコンクールはどうでしょうか。勝敗を意識するあまり,演奏の方も人間味がなくなってきているように感じられます。つまり,聴衆はどうあれ,数人の審査員に認められればいいのだということです。二つ目は,ブラスバンドは,パズルのようなものであって,たった一つの欠落でも絵にはなりません。そういう意味で,一人一人が共通の理解を持って演奏すること,つまり一団体の方向性を定めることは,大切だと思います。三つ目に,一・二の土台になるものが,チームの団結・輪であることは言うまででもないことです。そして技術面などのあらゆる条件がそろい統一されたとき,初めてすばらしい演奏ができるのだと思います。

 先に述べたことは,あたり前のことかもしれませんが,以外に欠落した部分があるものです。だから,常に考え,努力していくべきだと思います。

 
太田 和幸(第37回生)
(現 菅原 和幸)
第16回定期演奏会 プログラム(84年)より転載




おわりに

 昨年の5月の第17回定期演奏会は部員減少という事態からOBの方々に出演していただきました。私達現役がやるからこそ意味があるのだ,という批判はありましたが,全く現役のいないパートがあるなどの問題が生じて,これでは来て下さる皆さんに音楽をお聴かせできない,そんな演奏会にはしたくない,ということから出演をお願いしました。

 OB参加という事に多くの批判が寄せられた私達も,こういった事態を避けたいという反省から,第18回定期演奏会は,できるだけ自分達だけで演奏しよう,そういった心構えで努力してまいりました。けれども残念ながら今年も,どうしても先輩方の力を借りなければならないパートがあります。理想と違う事,批判を受ける事承知の上でOBの方々に出演していただきました。

 演奏会が演奏者の発表会にとどまらずに,音楽を媒体とした演奏者と聴衆の心のつながりが生まれるように,共通の感動を得るようにと,一人一人が心に思い活動をしてきました。そして,少しでも多くの皆さんに楽しんで演奏を聴いていただくことが最大の喜びであると思い,今日,このステージに立っております。
 私達のこの気持ちが少しでも皆様の心に共鳴し,音楽の心が一層広がることを祈って…。

 
石田 周 (第39回生)
第18回定期演奏会 プログラム(86年)より転載



吹奏楽を通して

 2年生になったら,いつの間にか部長になり,部を引っぱって行く立場になっていました。部員が少ないから,まとめるのは楽だろうなと思っていましたが,我が部は個性豊かな者の集まりなので,とても苦労しました。しかし,副部長やパートリーダー,その他の部員にいろいろと教えられ,励まされ,なんとか無事に一年を送ることが出来ました。気に入らないやり方もあっただろうけど,みんなが協力してくれたので非常に助かりました。感謝しています。部長の仕事も大変でしたけど,楽しかった事も沢山ありました。いろいろな行事に参加することが出来たし,他校のブラスと音楽を離れた交流もありました。コンクールの前日に,部長自ら病気になるという大失敗もありましたが,本当に楽しい一年だったと思います。

 さて,一高の吹奏楽部に入部し,コンサートやコンクールなどで,クラシック,ポップス,ジャズなどの沢山の分野の音楽を演奏して来ました。「音楽は,音を楽しむこと。」と言う方もいますが,入部したばかりの頃は,楽しむどころの余裕はなく,無我夢中で練習しました。高校のレベルは高いなぁと,つくづく思いました。そして,先生,先輩の指導を受け,少しずつその楽しみ方を教えてもらい,音楽のすばらしさを改めて知ったような気がしました。しかし,楽しんでばかりではなく,常により良いものを求めて練習して行かなければいけないと思います。1つの曲を通して演奏者の心ばかりではなく,聴衆の心までが一つになるということは,とてもすばらしい事だと思います。そこに魅力を感じて,吹奏楽をやり始めてから6年目になりますが,常にそのような演奏を目指し,努力していくことが大切だと思います。そしてその目標に出来るだけ近づいた時の満足感は,まさに「音を楽しむ」と言えるのではないでしょうか。

 音楽を通して,これまで沢山のことを学んで来ました。しかし,これから学ぶべきこともまだ沢山あります。そこでさらに多くのことを学ぶために,19回目のコンサートを行うことにしました。19回目にもなるので,今年は一風変わった曲にもチャレンジしてみました。春休みの練習も計画的に,そして合宿なども行って今日のために練習して来ました。本日の演奏を通して,私達とお客様の心が1つになることを目指して来ました。しかし,御不満の所もまだまだあるだろうと思います。ですから,皆様からの御批評を基にして,さらに音楽について学び続けて行きたいと思います。

 
伊藤 史人(第40回生)
第19回定期演奏会 プログラム(87年)より転載



コンサートを開くまで

 今となっては,ありふれた高校生のコンサートですが,昨年の今頃,私達三年生が部の運営を任されるようになってから,このコンサートのことに関して,様々なことを考えさせられました。

 昨年のコンクール出場を決めたときから,私達はミーティングや練習後の仲間うちで,『ステージで演奏すること』について話し合うことが多くなりました。昨年の三年生引退後の並ならぬ技術の低下が,それまで,あまり感じたことのなかった演奏への不安となったのです。つまり,ステージで演奏するのに,聴衆の皆さんに,不愉快な思いをさせてしまうような演奏をしてしまうのではないか,また,そのような演奏はステージで演奏するに値しないのではないか,と考えたのです。その問いに対する部員の答えはこうでした。「そのようなことがないように練習し,努力する。演奏者である私達にとって,唯一の発表の場であるステージを減らしたくはない。一生懸命に練習すれば出来るだろうし,聴衆のみなさんにもわかってくれるはずだ。」

 こうして例年通りのコンクール参加,また,コンサート開催も決まったわけですが,そこからの問題点は,一人一人の理想や目標の違いと,全体とのギャップでした。どこの学校でもこの問題はつきものですが,一高ブラスは個性の強い人間の集団で,みんながまとまるということが,本当に難しいのです。個人としての意識が強い人は,部に拘束されるのを嫌いますが,コンサートで演奏をすることを望めば,聴衆のみなさんに応えることができるような演奏をすること,そのために練習をすることは義務と言ってもいいでしょう。しかし,好きでやっていること,趣味でやっていることが義務化するということには,誰もが違和感を持つでしょう。私もそのことで変に思い,一年生のころは,部活をやめることを真剣に考えました。実際,そうして退部したり,練習をさぼる人もいるのですが,私の場合は,吹奏楽の魅力に引きずられているうちに今のような考えを持つようになったのです。

 結局どのような練習をしたかと言うと,今まで述べてきたようなミーティングを開いた上で,それぞれの自覚に任せるようになり,その結果どのようになったかは,今日の演奏を聴いたみなさんが想像してください。

 吹奏楽を通して,コンサートを通して,本当にいろいろなことを学びました。そして,今日のコンサートを終えたとき,また一つ大きな収穫を得るでしょう。今日,御不満の点がありましたら,よろしく御指導お願いいたします。次のステージを目指し,みなさんと共に楽しめる音楽を求めてがんばりたいと思います,

 
中村 康宏(第41回生)
第20回定期演奏会 プログラム(88年)より転載



音をうたう

 最近の合奏練習で,私達は「うたう」ということをよく問題にしています。例えば「そこ,もっとよく歌って!」と指揮者が要求します。すると,奏者達はその通りにしようと試みます。しかし,何度やっても変わらない。それでも私達は必死に取り組みますが,悲しい事にあまり変わらないのです。うたえないのです。「工夫が足りない」とか「研究していない」「聴いていてつまらない」「ただ吹いているだけ」など,言われる事はわかっているが,うたえない。私達の力の限界だからなのでしょうか。いや,そんな訳はありません。私達にだって出来るはずです。

 では,何が問題なのでしょう。練習量?練習内容?これらについては,いろいろな面から追求してみました。いい演奏を聴いたり,良い音を真似してみようとしました。しかし,何度やってもそれ程変わらないのです。その後もミーティングや練習後,よく問題を取り上げて話し合いました。練習に対する意欲が足りないせいか。音楽の創造性が足りないのだろうか。それとも,練習を義務化するからか?? 悩みは尽きません。

 幸い我が部には,人間関係で退部などする人,皆無に等しいのですが,各人の個性はとても強く,意見と意見がぶつかっていつも衝突します。それが最近では,本来の音楽に対する意見の「ぶつかり」がめっきり減ってしまったのです。これは非常に危険な状態と言えます。皆が考え,納得した上でそうなればよいのですが,うやむやのまま一方の解釈に偏ってしまうと,音楽の深さ,広がりが無くなります。妥協ばかりの音楽なんて楽しくないはずです。

 かなり偉そうな事を書いてしまいましたが,ここで,ある有名なオーボエ奏者の言葉を借りて締めくくりたいと思います。

 「良い音を得るにはリードが40%,さらにたぶん40%位が“音に対するイメージ”だと思う。それが無ければ,どんな良いリードがあってもだめだろう。自分自身のイメージ,つまり色,つや,響き,考えなどを創り上げる様にしなければならない。そうして自分のイメージに従って,脇見をせず,真直ぐ進む。つまり,それが正しいのだという確信を持って吹いていかねばならないのだ。音楽というものは,常に歌っていなければならない。ここでも大切なのは,自分の音のイメージを持ち続けるということだ。」

 私達は今日のコンサートを一つの目標として悩み,苦しみ,日々努力してまいりました。まだまだ未熟な私達ではありますが,今後の私達の歩むべき方向をご教示いただければ幸いです。それを基に,これからも更に努力し,より良い音楽を目指していきたいと思います。

 
吉郷 大樹(第42回生)
第21回定期演奏会 プログラム(89年)より転載



演奏会を通して

 今日は仙台一高吹奏楽部第22回定期演奏会に御来場頂きありがとうございました。

 昨年の5月に部長に選ばれ部を引っぱっていく立場になりました。簡単だと思っていなかったにせよ,予想以上に苦労させられました。しかしそんな時でも副部長やパートリーダーやその他の部員に励まされなんとか無事に一年を過ごすことができました。彼らには本当に心から感謝しています。

 さて一高吹奏楽部に入部してからコンクールや演奏会を経験していくうちに練習時間,練習態度などの様々な問題にぶつかりました。一人一人の理想や目標が違うのは当然なこと,そんな彼らが全体としての目標を目指して活動するのは並大抵のことではありません。そんな中で一人,また一人と部を去って行く仲間もいました。しかし彼らのほとんどは最終的な一つの目標に向かっていっしょに活動して行くのです。彼らにそうさせるものはいったい何なのでしょうか。私はそれは彼らが音楽に対し喜びを感じているからではないかと思うのです。「言語−それは思想の言葉,音楽−それは感性の言葉。」とスメタナが言っているように音楽は全世界の人々に共通の感動を与えるものです。その感動から喜びを感じ私達は音楽を続けているのです。そしてその喜びを一人でも多くのみなさんに感じとってもらいたいと思い,私達は今日,このステージに立っています。

 この演奏会が単に演奏者だけの発表会にとどまらずに,音楽を媒体として聴衆と共通の感動を得るようにと思い,今までこの演奏会の準備を進めてきました。今日,この演奏会を通して,一人でも多くのみなさんの心に私達の音楽が共鳴し感動を伝えることができたら私達にとってこれ以上の喜びはありません。

 今日の演奏会を一つの目標とし私達は日々努力をしてきました。まだまだ未熟な私達ではありますが,今後の私達の活動における指針を示していただければ幸いです。それをもとにこれからも更に努力しより良い音楽を目指し努力していきたいと思います。

 
月浦 崇 (第43回生)
第22回定期演奏会 プログラム(90年)より転載



音楽に対する思考力

 吹奏楽の魅力とはいったいどこにあるのでしょうか? 木管・金管・打楽器とに分かれた形態のそれぞれの楽器一つ一つの音色に特徴をもち,その特徴をうまく引き出しあって一つの大きなサウンドを完成させるところにあると思います。またそれ以上に音楽を媒体として演奏者と聴衆が共に心をふれあわせ,感動を味わうことができるところにあると思います。私達はその吹奏楽の魅力を一人でも多くのみなさんに感じとってもらいたいと思い,今日このステージに立っています。

 ところで,このコンサートを開くにあたって多くの困難や諸問題にぶつかりました。練習のこと,運営のことなどさまざまですが,改善,解決を図ろうとその都度ミーティングを開き部員一人ひとりの考えを聞きました。一高ブラスは個人の個性がとても強く,考えを一つにまとめることが並大抵のことではないのです。しかし個人としての考えはなかなかしっかりしたものがあり,意見のぶつかり合いは激しいながらも問題解決の面においても,個人においてもプラスになっていることは確かです。

 けれども,ここで物事に対する考え方はしっかりしているのに対し,音楽に対する考え方や知識が不足しているのが現状なのです。例えば指揮者が「ピッチをもっとよく合わせて。」とか,「周りの音をよくきいて音形をそろえて。」などと要求します。なぜかその要求に応えられない。できないのです。なぜなのでしょうか? 練習の量や質に深く関係していることは確かなのですが,それだけが原因であるとは私には思えません。いつかOBの先輩にこんなことを言われたことがあります。

 「目をつぶって音を聞いてみなさい。すると全神経が耳だけに集中し,他の人の音や自分の音がよく聞こえてきて,ピッチや音形などもそろってくるよ。」

 実際,その通りでした。つまり,私達は楽譜だけにしがみついて,音符を見ることだけに気をとらわれすぎて肝心の音を聞く,つまり耳をもっと使うことが欠けていたのです。つまり音を目で聞いていたといっても過言ではないのです。音に対しての考え方を個人がもっとしっかりしたものにする必要があり,これからの大きな課題の一つでもあります。

 私達は今日のコンサートを一つの目標にして日々練習に励んできました。まだまだ未熟な私達ではありますが,今後の活動における歩むべき方向を教示していただければ幸いです。それをもとにしてこれからも更により良い音楽を目指し,努力していくつもりです。

 
佐々木士朗(第44回生)
第23回定期演奏会 プログラム(91年)より転載



小学生に学んだこと

 本日はお忙しい中,宮城県仙台第一高等学校吹奏楽部第24回定期演奏会に御来場いただき,誠にありがとうございます。今年は一高にとっては大きな節目の年であり,明治25年に宮城県尋常中学校として開校して以来,創立100周年を迎えることになりました。その記念すべき年にこのような演奏会を開くことができ,部員一同心から喜んでいる訳ですが,これも色々な面で御協力下さった方々のおかげです。本日は,少ない部員ながらも,感謝の気持ちを込めて伝統の一高サウンドをお聞かせするつもりですので,どうぞ最後までごゆっくりと御鑑賞下さい。

 さて,私達は今年2月,仙台サンプラザを会場に,「音のおもちゃ函−榴岡小学校吹奏楽団・仙台一高吹奏楽部合同演奏会」を開催しました。時間的な都合であまり合同練習はできなかったのですが,私達はその数少ない合同練習の中で,まだ小さい身体で大きな楽器に向かう,ひたむきな小学生の姿を目にしました。休憩時間こそ楽器をオモチャのように扱いはするものの,練習中の彼らの真剣なまなざしは,私達の中に忘れかけていた「素直な心で音を感じる」という,音楽をつくりあげる上で最も大切なことを呼び起こしてくれるほど輝いていました。日頃,聴衆にどうやって上手く聞かせられるか・どう吹いたらコンクールで良い成績を収められるか…といった事ばかりを考えて吹いていた為か,乱雑かつ乱暴な音になっていたような気がします。そんな状態での演奏で,相手にどうやって感動を与えることができるのでしょう。精神的内面が曇ったままの演奏で,相手に何が伝導されるというのでしょう。私達は,音楽に取り組む姿勢からして間違っていたようです。

 ほんとうにささいな事かもしれませんが,私達は小学生からとても大切な事を教わったような気がします。小学生と高校生という,年齢も思想も離れた間ではありましたが,音楽を愛する気持ちに年齢は関係ありません。これからも機会があれば,お互いに色々な事を教え,学んでいきたいと思います。

 
千浦 名生(第45回生)
第24回定期演奏会 プログラム(92年)より転載



一年間の活動を通して

 僕が現在のような形で音楽と係わりを持つようになったのは,もう8年も前のこと。当時の担任の先生に勧められて,何となく,といったような感じで始めたのですが,今思うとよくここまで続いたものだと自分でも驚いています。当時は楽譜もろくに読めなかった僕が,今回のコンサートでアレンジを手がけるようになったというのも,全く不思議な話です。もしあの時,僕が先生の誘いを断って,別な事をしていたら…今とは全く違う僕がいたでしょう。あるいは,どこかで再びこの道に入るきっかけとなるものに出会ったかもしれません。いずれにせよ,今の僕があるのは,そもそもその先生のおかげであり,とても感謝しています。

 それはそうと,以前,こんな話を聞いたことがあります。

 「楽器を持って最初の3年は,自分が演奏することで大部分を費やされ,次の3年でどうにか周囲の音を聴けるようになり,その次の3年でやっと演奏を聴く人のことを考えられるようになる。」

 僕達の中には高校に入ってから楽器を始めた人も多く,合奏の際には個人的な技術の差が度々問題になります。そういった困難を乗り越えつつ迎えたのが今回のコンサートです。必ずしも満足いただけるものではないかもしれませんが,僕達なりに“新校舎(いれもの)”にふさわしい“演奏(なかみ)”を目指してきたつもりです。最後まで楽しんでいただけたら幸いです。

 ところで話は変わりますが,僕はこの2,3年の間,コンクールに対してある種の疑問を抱き続けてきました。はたして本当にコンクールは僕らにとって意味のあるものなのか,コンクールのために,演奏することより先に苦労だけを味わうことにならないだろうか,etc. もっと身近なところに僕らの目標があるのではないか,結果だけに気をとられ,もっと大事なことを見落としていないか,そんなことを考え,僕なりの答えを求めながら練習してきましたが,まだ答えらしいものを得ることができないでいます。

 最後になりますが,苦しい状況の中で共に頑張ってくれた部員達と,多くのアドバイスを下さった先輩方,そして未熟な僕達をご指導下さいました佐藤公一郎先生,森尾禎二先生に,この場を借りて厚く御礼申しあげます。

 
高橋 真吾(第46回生)
第25回定期演奏会 プログラム(93年)より転載



吹奏楽雑感

 吹奏楽の魅力,目指すものとは何でしょうか。

 オーケストラには金管の力強さ,木管の織りなすハーモニー,そして弦楽器の豊かな響きがあります。しかし,吹奏楽を構成しているのは金管楽器と木管楽器が主。僕が吹奏楽をはじめた最初の頃は,楽器を弾くことは好きでしたが,弦の響きのない吹奏楽というものの魅力が今一つ分かりませんでした。分からないどころか吹奏楽そのものが嫌いだった時期さえありました。

 しばらく後,部の仲間達やOBの先輩方と話をしているうちに少しずつ分かって来た事実がありました。つまりオーケストラでは出せない“吹奏楽独自の響き”に気付いたのです(その時は気付いただけで本質は理解していなかったように思います)。

 しかし,今度は我々の部としての吹奏楽に疑問が生じてきました。折しも僕が部長に決まった頃のことです。

 練習に対する取組み,練習時間等今のままでいいのか,という疑問,そして何よりも自分達の演奏について,どのような物を目指し,どのようなことに気を付けたら良いのか,という疑問…。高校に入ってから吹奏楽を始めた僕にはどれも難しい問題でした。

 自分なりに考え,そして行きついたのは基本的なところでした。…音楽は自己表現の一つの手段であると同時に,聴く人を感動させるものである。故に我々演奏者の立場としては,まず,曲が何を表現しているのかを理解し,自分がそれになりきって演奏することが大切なのではないか…。更に他人・自分そして全体の音を聴き,自分の役割を知り,それを踏まえて他との調和を図るようにしなければならない。…これが一つの答えと思っています。

 今年に入ってから,オーケストラで演奏する機会がありました。その時,オーケストラの魅力を再発見したと同時に,今までの自分は吹奏楽でオーケストラの真似をしようとしていたことに気付きました。“吹奏楽独自の響き”と“オーケストラを真似た吹奏楽の響き”とは別のものだと思います。そのことが分かったのは大きな収穫でした。

 吹奏楽という形での今日のこの演奏会。来て頂いたお客様に我々の吹奏楽の響きを味わって頂けるように努力してきました。まだまだ不完全な点も多いと思いますが,少しでも感じとってもらえる物があれば幸いです。

 
鈴木 典宏(第47回生)
第26回定期演奏会 プログラム(94年)より転載



花の香の

 花の香のなを奏でたる白銀ぞ 響きて知るらん春の宴を  石京

 本日は仙台一高吹奏楽部第27回定期演奏会にお越し頂き誠にありがとうございます。まだまだ未熟な我々ですが,この日の為に日々精進努力を重ねて参りました。どうぞ最後までお聴き下さいます様,よろしくお願い申し上げます。

 さて,時のたつのは早いもので,私がこの部に入って,はや二年が過ぎてしまいました。思えば二年前,中学校の時に柔道をやっていた私は,高校に入ったら文化系の部か他の武道をやりたいなと思い,剣道部とフェンシング部,そして吹奏楽部の三つの部のうちどれに入部しようか迷ったのです。そして結局この吹奏楽部を選んだのです。消去法で。とりあえず言っておきますが,私に消された二つの部は決して吹奏楽部に劣るものではありません。ただ紙一重の差で,紙一重の差で消されたのですので,私は別に嫌いなわけではありません。

 そして私の吹奏楽部員としての生活が始まりました。最初はクラリネットパートだったはずの私ですが,いつの間にやらフルートパートになっていました。クラの人々から見れば横笛に横どりされたという事になります。私は別にどんな楽器でもよかったので,素直に現実を認めました。

 楽器というものは他人から口で教えてもらったり,教則本を見たりしても上手くなるという訳でもなく(上手くなる人もいるかもしれませんけど),一から始めた私にとって,まず音らしきものをだすのも二,三ヶ月を要したと思います。今でもフルートの音としてはまだまだといったところですが。そんなわけなので当時はピッチなどわかるはずなく,入部して三日目ぐらいに,先輩に「めちゃくちゃ高くない?」と言われ,(え,何?高いって… 鼻?そりゃ確かに高いって言われるが… 何も“めちゃくちゃ”までつけなくとも…)とか心の中で思ってしまうくらいでした。

 それからいろいろありまして今日。こんな私が部長になるなど誰が思ったでしょうか。私は人の中心になって行動するよりも影からそれとなく助けるシブイ脇役が好みなので,部長になった時,気分は劣悪の極みでした。が,ある時顧問の公一郎先生に「もっと部長を楽しめよ。」(この時先生は般若湯を召し上がっていたようなので覚えてらっしゃるかは知りません)と言われてからそれで多少思いつめていた私は何か視界が広がったような気がしました。それから私は心に“和らぎ”を持つ事にしたのです。焦りと混乱からは何も生まれないのですから。

 最後に,何かと協力して頂いたOBの先輩方,助言を頂き,また写真を撮って頂いたりした先生方,そしてこの不埒者を部長と認め,今日まで一緒に時を過ごしてくれた部員の皆に感謝し,筆を置きたいと思います。
 (3月12日 0時8分)

 
沼田 忠広(第48回生)
第27回定期演奏会 プログラム(95年)より転載



部長挨拶

  本日は仙台一高吹奏楽部第28回定期演奏会にお越し頂き誠にありがとうございます。まだまだ未熟な我々ですが,京の演奏会の為に日々練習を重ねてきました。どうぞ最後までお聴き下さいます様,よろしくお願い申し上げます。

 私が吹奏楽を始めてから今年で6年目になります。中学生の時,運動部は疲れるから文化部にしようと思い吹奏楽部に入部したのがことの始まりでした。楽器を手にして2,3ヶ月は,「プー」とか「ピー」という音しか出せず,あまりおもしろくない練習が続きました。しかし半年後の文化祭では,どうにかこうにか曲が吹けるようになり,初出演しました。曲が吹けるようになると,楽器を吹くことがだんだん楽しくなり,音楽の世界へのめりこんでいきました。また,同じパートに小学校から楽器を吹いていたつわものがいたので,彼を目標として練習しました(結局追いつけなかったけれど…)。そして高校になると,中学校の「受け身の音楽」から「自分たちで創り上げる音楽」へと進化していきました。ただ楽器を吹くだけではなく音色や響きなどにも注意をはらうようになりました。やはり高校になると違うなあと実感しました。

 楽器で音を出すことはさほど難しいわけではありませんが,音色を良くしたり,表情をつけたりするのはそう簡単にはいかなくなります(そこがおもしろいところ)。また,性格や個性なども多少音に出てしまうので,いかに自分を進化させるかが問題になります(あー,音楽は奥が深い)。でも楽しく楽器が吹けるのが一番だと私は思います。

 我々一高吹奏楽部は2,3年生合わせて15人と少人数ではありますが,いろいろな行事に参加してきました。部員が少ないことは演奏するにあたって,なにかと問題がありましたが,音監の方々が試行錯誤して曲が吹けるようになりました。しかし少人数ということは,それだけ1人1人に対する責任が大きくなり,皆とのアンサンブル力を高めるよい機会ではありました。それが我が部の部員は個性が強い人ばかりなので,衝突が起こることもしばしばありました。そんなこんなで成り立っているのが一高吹奏楽部です。

 本日の演奏会では多くのOBの方々の協力を得て運営されております。また照明やPA,アナウンサーなど裏方のお仕事でお手伝いしてくださっている皆さん,そして顧問の佐藤公一郎先生,飯渕征一先生,御来場していただいた皆様に感謝し,部長の挨拶とさせていただきます。

 
金野 琢哉(第49回生)
第28回定期演奏会 プログラム(96年)より転載



部長挨拶

 本日は仙台一高吹奏楽部第29回定期演奏会にお越し頂き誠にありがとうございます。最近は部員減少の為に満足な演奏ができませんが,今日の為に一人一人努力して参りました。どうぞ最後までお聴き下さる様,お願い申し上げます。

 私は5年前に吹奏楽を始めました。中学に入学した時は吹奏楽部以外の文化部に入るつもりでした。私自身運動するのは好きだったのですが,部活に入ってまでしようとは思いませんでした。吹奏楽に関しては以前から忙しく,厳しいと聞いていたので一番入りたくない部活でした。ところが,友達の話などから気持ちが動き,結局吹奏楽部に入ってしまいました。私は入部の締め切りの日に入部したので自動的にホルンに決まったのですが楽器が足りず3年生が引退するまでの半年間,友達と2人で楽器を交換しながら練習を続けました。楽器を吹き始めた頃は,他の人に比べ楽器を使える時間が少なく,吹けるようになるのか不安でした。でも,与えられた時間で少しでも先輩に追いつこうと必死で努力したおかげで,夏の朝9時から夜の9時までの厳しい練習も乗り越えることができ,運よく出ることができた大会では思っていたより吹けるようになっていました(まあ,他人から見ればまだまだ下手にしか見えなかったでしょうけど…)。私はその時に吹奏楽の楽しみというものを覚えたと思います。

 その後,高校に入り吹奏楽を続けました。本当は中学で終わりにする予定だったのですが,吹奏楽への思いが離れなかったのでしょう。そんなふうに始めた高校生活での吹奏楽も2年が経過しました。最近,みんなが本当に今の部活を楽しんでいるのだろうか,という疑問を私は持っています。確かに何かの行事の時は一生懸命になり,終わった時には吹奏楽をやってて良かったと思うこともあります。それはそれで良いのかもしれません。しかし,普段の活動を見てると楽器を演奏したいと思っている人がどの程度いるのか分からないのです。まさか嫌いな人はいないと思いますが,たぶん部員が減ってしまった事で一人一人が無意識に少しずつ気落ちして,それが演奏に表れているのだと思います。私は少人数であっても立派な吹奏楽はできると思っています。そのためには部員がそれぞれどんな音楽を創りたいのか常に考えておく必要があると思います。その意見を合わせる事により,新しい音楽が生まれるかもしれません。そんな事で少しでも音楽を楽しむようになればいいと私は願っています。

 最後に顧問の佐藤公一郎先生や飯渕征一先生をはじめOBの先輩方,今日のこの演奏会の為にいろいろ準備をして頂いた方々,御来場下さった皆様に感謝の気持ちを申し上げ,部長挨拶とさせていただきます。

 
伊藤 寿行(第50回生)
第29回定期演奏会 プログラム(97年)より転載



部長挨拶

 本日は御忙しい中,第30回仙台一高吹奏楽部定期演奏会に御来場いただき本当に有り難うございます。今日は他の用事は忘れて,どうぞ最後までごゆっくりお楽しみ下さい。

 話は変わりますが,私が部長に選ばれて最も憂鬱だったのはいずれ定演の時期が来れば,このページを書かなければならなくなるということでした。吹奏楽について特に取り上げるほどの考えや意見も無いので,恐縮ですが今日は御来場下さった皆様にステージ上の演奏を聴くだけでは分からないこの演奏会に関する裏話や私の思い出などをお話しようと思います。

 私は2年前,この吹奏楽部に入部しました。最初はどうしても高校の部活動といえば運動部だという偏見があり,他の運動部を選び入部届けまで出したのですが,朝練があるという理由だけで,次の日にはやめてしまいました。今はこうして部長などをやらせていただいてますが,当時は本当に練習嫌いでした。そして練習がきつそうではない部を探していたところ,吹奏楽部に出会いました(新入生がやめるといけないので,その真偽のほどは敢えてこの場では言いません)。

 私は小学校の頃にブラスバンドでフルートをやっていたのでそのままの楽器を続けました。しかしたまたまフルートパートには上級生がおらず,先輩からいろいろ教わることのできる仲間をとても羨ましいと思いました。吹奏楽というのは各種様々な楽器を用いて作り出すハーモニーがその魅力の一つだと思うのですが,それゆえに練習法も楽器によって様々で,なかなか他のパートを教えるというのは難しいことだと思います。そういった意味では現在の二年生もずいぶん苦労したのではないかと思います。我が部は現在私も含めて*三年生がクラネットパートで当然人数も一番多く,一時は一高クラリネット部とささやかれたこともありました。でも今日は一高吹奏楽部としての演奏をお聴きいただきたいと思います。

 この演奏会を開くに当たってOBの方々には随分お世話になりました。特に上級生のいなかったパートにとってはいろいろ教えて頂く事ができ,とても良い勉強になりました。今日は演奏の方もお手伝いいただいておりますが,唯一1stステージだけ,できる限り現役だけの手で演奏します。他と比べて質は落ちると思いますが,最も苦労したところでもあるのでじっくり聴いていただければと思います。

 最後になりますがこの演奏会を開くにあたってご協力下さった先生やOBの方々や御来場下さった皆様,その他たくさんのお力添えにこの場を借りて心から感謝いたします。どうぞ今後も一高吹奏楽部を宜しくお願いいたします。簡単ではありますが以上を持って部長挨拶とさせていただきます。

 *三年生がクラネットパートで当然人数も一番多く
  ・・・この年は三年生が2人だけで,2人ともクラリネットパートであった。

 
森 裕亮 (第51回生)
第30回定期演奏会 プログラム(98年)より転載



THE HEAD

 本日はお忙しい中,宮城県仙台第一高等学校吹奏楽部第31回定期演奏会にご来場頂き,誠にありがとうございます。今年こうして演奏会を開くことができますのは,皆様のお力添えによるものと部員一同心から感謝しております。

 さて,私がこの部に入ってはや2年が過ぎました。私は中学校で吹奏楽部をやっていたので,高校に入ったら運動部に入ろうと思っていたのですが,結局,音楽の魅力に惹きつけられ,吹奏楽部に入りました。高校の部活は中学校のそれとは違い,自主性に任されていて,凄いと思いました。自分たちで選曲をして楽譜を探し,時には曲のアレンジ(編曲)もする。そして何より,生徒が合奏で指揮を振ったりしている。それを見た時,自分もこんなことが出来るのか不安になりました。しかし時が経ち,先輩方とかかわるにつれてそのような不安は少しずつ消えていきました。そして気づいてみれば,自分たちが先輩となり,私は部長となっていました。この2年間,男子校ということもあって少ない部員で演奏をしてきました。しかしその分,迫力や音量ではなく音色や音楽のまとまりを重視して,日々努力してきました。そして,その成果を見せるため,また私たちの活動の集大成として本日の演奏会を開きました。私たちにとってこの演奏会は忘れられないものになると思います。それと同時に,皆様にとっても忘れられないものになることを願っています。

 最後になりましたが,本日の演奏会開催のためにお力添え下さいました,諸先生方やOBの方々,並びにその他多くの皆様に心から感謝申し上げます。

 それでは,本日の演奏会をどうぞ最後までお楽しみ下さい。

 
菊池 洋平(第52回生)
第31回定期演奏会 プログラム(99年)より転載



SALUTATION

 本日はお忙しい中,宮城県仙台第一高等学校吹奏楽部第32回定期演奏会にご来場いただき,誠にありがとうございます。今年こうして演奏会を開催できるのも,皆様のお力添えによるものと部員一同感謝しております。

 さて,こうして2年間ちょっとの部活動生活を振り返ってみると,あっという間のようで,実に充実していたように思います。相変わらず男子校ということで,初心者の多い部でしたが,それを補うくらいの努力とやる気で,何とかまとめ上げました。

 私は中学まで運動部に所属していました。中学三年のときから,高校では,楽器,特にホルンかクラリネットをやりたいと思っていて,先輩の誘いもあり,ホルンを吹くことになりました。物事に打ち込むのは好きなほうなので,練習が苦になることはまずありませんでした。そんな私が部長になり,最初はとまどうこともありましたが,なんとか慣れてきたかなというところです。正直なところ,自分は部長っぽくなかったと思います。もっとふさわしい人はこの部にいっぱいいます。そんな中,こうしてやってこれたのは,部員全員がそれをよく分かってくれていて,助けてくれたからだと思います。

 私はこの部が大好きです。そこだけは多分この部で一番だと思います。だから今日は最高の演奏会にしたい,来てくれた方々に感動してほしい,そう願っています。どうぞ最後までお楽しみ下さい。

 
太田 直喜(第53回生)
第32回定期演奏会 プログラム(00年)より転載


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