荒井 弘 先生を讃えて 



 「先生のそのスケールの大きな指揮は、私達を一瞬にしてとらえ、音楽の真髄を教えてくれます。更に音楽のみならず人生とは何か、人間とは何かという哲学的問題を、先生の存在自体に教えられます。」

〜 第17回定期演奏会 プログラム より 〜


 荒井弘先生は、私の師匠である。と、勝手に決めている。とは言っても棒の振り回し方を習った訳ではない。何の師か? 格好良く言えば「男の生き方」だろうか。その「生き方」を簡単に言えば、”ブザマなことはするな”ということだ。偉ぶったり、知ったかぶりをしたり、自分を売り込んだりすることがどれだけブザマか、折りに触れおっしゃっていたように思う。

 私は商売がら、年上の方からも先生なんて呼ばれてしまうことがよくある。そんな時、自分にスキがあると、何か自分が偉くでもなったような勘違いをしそうになる。そんな自分を戒め、謙虚さを呼び戻すのが荒井先生の教えなのである。

 偏狭な視野に陥る事なく、さまざまな価値を総合するバランス感覚を持てという教えである。専門馬鹿と言う言葉があるが、思うに先生の一番嫌いなのが専門馬鹿なのではないだろうか。音楽家であるまえに人間として良く生きたいという私の考え方には、確かに荒井先生の影響が大なのである。

佐藤 寿一 (第30回生 昭和53年卒業)


[ 寿司屋の理由(ワケ) ]

 「んで、俺、寿司屋さいっからな。」
 合奏中に突如、教官室から荒井さんがでてくる。
 腹が減っていたこともあってか、このせりふは大変耳に残っていた。
 (いいなあ……寿司か。)

 私が教員になってから荒井さんと一緒に飲める機会を持つことができ、当時の話をいろいろと聞くことができるようになってきた。
 「あいづら、夜中まで音楽室に電気つけてやってんのに、ほがさなんかまげるわげあっかって!」
 「ほがの学校のやづら、俺が審査員に飲ませで勝ってるてほんとに思ってんだがら!ばががって!!」
 審査員にほんとに飲ませてると思ってた私は恥ずかしくもあり、寿司屋で電気が消えるのを待ってていただいたことに本当に感謝し、うれしくなった。

 教員としていま生徒の前に立っている私にとって頭が下がることである。
 荒井さんの棒で吹けたことを誇りに思いつつ、毎日生徒と音楽に取り組んでいる。

児玉 英誉 (第36回生 昭和59年卒業)


 荒井先生の全体練習は一味違う。先生のタクトが上がると、何とも言えない緊張感が漂う。そして、タクトが振り落とされると、それまでの練習で作り上げた我々の音色に、さらに一味加わって素晴らしい音となる。先生のタクトはもう一つの音となって我々の音楽に加わる。楽しい時間である。先生の振り方で音楽のスジが分かる。歌い方が分かる。不思議な力で音楽を作り上げていく。演奏していて気持ちが良い。

 通し練習をすると先生は汗だくになっていて、次々と上着を脱ぎだす。一回一回の練習が本気なのだ。その気迫に押されて、全体練習は熱気を帯びたものとなる。

 時々、あらぬ方向へ指示が出たりするが、細かいことは気にしない。荒井先生の指揮は、ダイナミックであった。歌心があった。先生の指揮で演奏するのは、非常に楽しかった。気持ちの良い瞬間を何度も味わった。先生は存在そのものが音楽のような方であった。

石田 周  (第39回生 昭和62年卒業)


CD 仙台一高吹奏楽部の歩み[荒井 弘]より転載

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