学校の講師をするということ





私は、池袋にあるユニバーサル・カイロプラクティックカレッジで、
講師をしています(平成26年3月にて離職)。
毎週月曜日、7時21分発の「あずさ2号」で私は私は甲府から旅立ちます。


さて、私のような浅学非才な者が、何故学校の講師などをすることに
なってしまったのでしょう?
その理由は私にもわかりません。
そもそも、「学校の先生」などというものは、「なりたい人がなるもんだ」
と私は思っていました。
そういう面では、私は講師になりたいと思ったことは一度もありません。
それどころか、私には全く向かない仕事だとさえ思っていました。
そんな私が講師をしているのには、実は特別な事情が・・・・・有りません。




それはこんな一言から始まりました。
「吉岡君、インストラクターやらない?」
卒業を目前に控えた私に掛けられた、事務局からの一言です。
そんなつもりは全く無かった私は、当然断るつもりでしたが、
一先ず「考えさせてください」と返事をしました。
すると、たまたまそこを通りがかった大御所(米○DC)が、にこやかに一言、
「考えなくていいんだよ。もう決まってるんだから!」
私 「・・・・・」。


なんと、これが私が講師をするはめになった経緯の一部始終です。
その後も穏便に断る為の理由が見つからないまま、
私は講師をすることになり、ここに至ります。


で、実際に講師をしてみた感想ですが、
結果的には「良かったな」と思っています。
講師をすることで失ったものは特に有りませんでした。
逆に得たものは、数え切れません。


実は、未だに自分が講師に向いているとは思っていません。
何故なら、私は話をする事が大の苦手なのです。
その上人見知りで、初対面の人とはまともに話す事が出来ないのです。
こんな私の性格は旧友の間では有名な話で、
彼らはおそらく、私が講師として教壇に立つ姿は想像出来ないでしょう。
以前ある人に、「吉岡先生は話しが上手いから」などと言われた事がありましたが、
それには少し「ムッ」としてしまいました。
これでもかなり努力しているのです




そんな話は置いといて、やはり講師というのは大変です。
生徒に理解させる為には、
何よりも自分自身が十分理解していなければなりません。
私が担当している「ディバーシファイド・テクニック」は、
カイロプラクティックの中では基本中の基本とも言うべきテクニックです。
これは所謂カイロプラクティックの代名詞的なテクニックで、
一般的にカイロプラクティックというと「ボキボキ」「バキバキ」という
イメージがあるようですが、まさにそれです。
一歩間違うと事故に繋がる事が多いテクニックでも有ります。


ディバーシファイド(diversified)とは、「多様的な」「種々雑多な」
という意味を持ちます。
このテクニックには、様々な手法の寄せ集めといった印象があります。
その為どちらかというと、理論よりも方法論が重視される傾向があるのです。
しかし、その方法論が多様的であるからこそ、
それらを統括する理論がより重視されるべきである、と私は考えます。
その「ディバーシファイド・テクニック」を統括する理論は、
脊柱の運動学に他なりません。
それに基づき、脊柱を分析し矯正する為の方法論を検討するのです。


正直に言うと、私はこの基礎となる脊柱運動学の理解が不十分でした。
脊柱の運動学は、この業界では一般的なある関節生理学書の内容が
重視されるのですが、実際にはそれだけでは不十分なのです。
と言うのも、そこにある内容を熟読しても、答えにたどり着けない
関節があるからです。
それが「仙腸関節」です。


このサイト内で何度も触れているように、仙腸関節は解析が困難で、
未だに全容が解明されていないのです。
関節運動に関する仮説は多々有るものの、そのどれを見ても
「コレだ!」と思えるものが、私にはありませんでした。
また仙腸関節は、ここが理解出来なければ脊柱全体を理解出来ない、
と言っても言い過ぎではないほど重要な関節なのです。
その理解が不十分だった為に、私は講師であるにも関わらず、
方法論を説く前の原理原則的な部分がとても曖昧だったのです。
そんな講師としての未熟さが、私を仙腸関節の研究へと駆り立てたのです。


これはおそらく、講師をしていなければ直面することの無かった
問題だったと思われます。
今でも完全に理解しているわけでも、全てを解明したわけでも有りませんが、
もし講師をしていなければ、未だに仙腸関節に対する理解は
不十分なままだったでしょう。
それどころか、今ほど関心を持つことも無かったように思います。
この「仙腸関節への興味」は、私が講師をしたことで得られた最も大きな
“対価”なのかもしれません。
そして学校の講師をすると言う事は、人に教えながら自分自身が学んでいる
という事ではないか、と私は思います。




さて、最後にその講義のことを少しだけ。
自分で言うのもなんなのですが、なかなかオリジナリティーあふれる
良い講義をしている、なんて思っています(自画自賛)。
学生(医療系の有資格者が多い)から、「先生のアドバイス通り施術したら
良くなりました」
などと言われると、自分の事のように嬉しくなります。
自分自身が施術出来る患者は少なくても、こうして自分の意見に賛同し、実践して
くれる人が増える事で、間接的に多くの人の役に立っているような気になれます。
しかし、その分責任も重大になるわけですが。
(カイロによる事故がある、などと聞くと、胸が痛みます)


今でも本当に私が講師に相応しいのかどうかという疑問はありますが、
今後も講師そしてカイロプラクティックを続けていく限りは、
患者さんと受講生のため、そして何よりも自分自身のために
勉強を続けようと思っています。
幸いにも、勉強の題材が尽きる事は一生なさそうです・・・。




いつも帰りの電車(あずさ)の中で、「今日の講義は上手くいかなかった」と
反省しながらビールを飲みすぎたり、「今日は良い講義が出来た」と
ニヤニヤしながらビールを飲みすぎたりと、
毎週ちょっとした小旅行を楽しんでいます。