我が家のてんかん騒動






平成24年/11/13 追記


H18年にこの記事を書いて以来、ここでその後の経過について触れてはいませんでしたが
(数年前の近況報告中で一度書いていますが)、H17年の二度目の発作以降、
痙攣は一度も起きていません。


本人は現在(H24年)11歳ですが、日々サッカーにテニス、そして遊びにと、
人一倍元気に走り回る毎日を過ごしています。


結果的に薬を服用することなく痙攣は治まったことになりますが、我が子のケースが
単にごく軽度の症例だっただけなのか、それともカイロプラクティックが奏功したのか、
または放っておいても結果は一緒だったのか、痙攣が治まった今でも、その真相は私には分かりません。
ただ、あれ以来発作がない、ということだけは紛れもない事実です。


このページは「てんかんに関するカイロプラクティックの有効性の紹介」として作ったものではありません。
また、我が子のケースについて、「カイロで治った」などと断言するつもりもありません。
ですから、このページの趣旨は、てんかんに対してカイロを強く勧めるためのものではありません。


どういう治療法を選択するかはそれぞれの自由で、ご自身またはご家族がよく調べ、考えた上で、
最善の方法を選択されるのが良いかと思います。


そうした選択の過程で、たまたまこのサイトをご覧になった方が「こんなケースもあるんだな」と
参考程度に捉えていただけたら幸いです。


最後に、もしカイロも試してみたいと思われるのであれば、ひとつ肝に銘じていただきたいことがあります。


すべてのカイロプラクターが、安全で効果的な施術を提供してくれるとは限りません。
中には知識も技術もいい加減なカイロプラクターが大勢います。


慎重にご判断ください。


では、追記が先に来て結末がばれてしまった小説のようになってしまいましたが、
ご興味のある方は、この先をお読みくださいませ。






てんかんは、人口1000人に対し5〜10人の割合で発症する突発的にけいれんを起こす疾患で、
神経疾患としては比較的頻度が高い疾患である。
これは全人口の0.5〜1%にあたり、200人もしくは100人に1人が「てんかん患者」ということになる。
最寄りの小学校の児童数が約400名なので、全校で2〜4人は患者が存在する計算になる。
なので、すぐ身近にてんかん患者がいたとしても全く不思議ではない。


実は最近、私の最も身近な人が、てんかんだと診断された。


そのてんかん患者とは他でもない、「我が子」である。
息子がてんかんだと診断された時は、やはりショックだった。
しかし、比較的軽度である可能性が高いことと、多くの方のご指導、ご助言により、
気持ち的には随分と前向きになれたので、今回レポートとしてここに報告しようと思う。




我が家のてんかん患者は、現在(H18.3)4歳の次男坊。幼稚園の年少さんである。
風邪もほとんどひかないような元気な子で、これまでに健康面での心配事は一切無かった。
ただ、てんかんとの関連が指摘される「熱性けいれん」を、1歳頃に一度起こした事がある。


今回最初にけいれんを起こしたのは、平成17年11月19日(土)の午前11時頃。
土曜日なので普段なら仕事をしているのだが、その日私は「日本腰痛学会」受講のため
早朝から夜遅くまで家を留守にしていた。
正午前に携帯に妻から着信があったようだが、受講中だったため気付かず、
その後送られたメールと着信に気付いたのは、昼食を取り午後の講演が始まってしばらくたった
2時過ぎだったと思う。
メールを見ると、「子供の様子がおかしいので、至急連絡が欲しい」との内容だった。
心配になりすぐに電話をすると、息子が突然けいれんを起こし、意識がなくなったので
医者に行った、という。


その時の様子を書き記す。
その日幼稚園は休みで、朝から家の中で兄弟で遊んでいたらしい。
下の子はカードが好きで、普段から遊び方も良く分からないのに、
ポケモンやら遊戯王やらのカードを眺めたり、並べたりして遊んでいる。
その時もカードで遊んでいただけで、特に強い光や音などの刺激も無く、
体調が悪そうな様子は見られなかったと言う。


本人が始めに変調に気付き、それを伝えようと声を発していたようだが上手く言葉が出ず、
妻はその時、ふざけて赤ちゃん言葉を使っているだけだと思ったそうである。
おそらく、手のけいれんが起こって上手く動かなくなってしまった事を伝えようとしたのではないかと思う。
その後自分で歩いて(ヨロヨロと)妻のところまで行き、異変を伝えようとしたようだが、
その時には、もう一言も言葉を発する事が出来ない状態で、口から涎を大量に流し、
意識は混濁し、問い掛けに対して頷いたのか、ただ頭の重さを支えられずうなだれただけなのか、
判別も出来ないような状態だったらしい。


右手と右足がけいれんし、右頬もピクピクとけいれんしていて目の焦点は合わず、意識がないように
見えたと言う。
妻は動転し、抱きかかえて大きな声で呼びかけたり、少し揺り動かしたりと、
適切ではない対応をしてしまったようだが、我が子が突然前触れも無くそのような状態になったら、
たぶん私も冷静ではいられなかっただろう。

 ・Memo 
 発作を起こしたときにはとにかく冷静に!
 むやみに刺激せず、安全な場所に静かに寝かせて、気道が確保されているか、
 舌を噛んでいないか確認(口に物を押し込む必要は無い)。
 嘔吐した場合に吐瀉物をのどに詰まらせないように、出来れば横を向かせておく。
 後は、冷静に見守る。               ― 詳しくは専門医に ―   

けいれんが始まってから意識が戻るまでの時間は、15分程度だったという。
これは、てんかんの発作時間としては比較的長い方らしいのだが、
相当な混乱状態だったことを考えると、この数字はあまり正確ではないのかもしれない。


意識が戻ってからも、右手と右足の軽度の麻痺と言語障害(ろれつが回りにくい)はしばらく続いたようだ
(電話を掛けたのはけいれんから2時間以上たった後だが、その時にはすっかり回復していた)。
すぐに一番近い内科へ連れて行き、受付で事情を話すと、「脳神経外科」への受診を勧められたので、
最寄りの脳外を受診した。
脳外で診察を受けている時には殆んど正常に回復していて、これといった症状は無かったようだが、
医師には「てんかんの可能性があるので、大学病院で検査をしたほうが良い」と、精密検査を勧められた。


― そこまでの経過を電話で聞かされた私は、かなり動揺した ―


人一倍元気な子供が、突然、「てんかんかもしれない」と聞かされて、動揺しない親はいないだろう。
昨日まで元気に走り回っていた息子が、もしかしたら明日から自由を大きく制限されてしまうかもしれない。
心配ですぐにでも帰りたい気持ちもあったが、気持ちを落ち着かせ、頭を整理しようと努めた。
丁度その時いた場所は医師の学会であり、周りを見渡せばどこもかしこも医者だらけである。
早速、親しくさせて頂いているDrに、その事を相談した。
その先生のご子息も小さい時に何度かけいれんを起こしたそうだが、今は全く問題なく、「心配ないと思うよ」
という心強い言葉を聞き、少し安心した。
何も分からない状態の時には様々なケースを想定し、不安になる。
こんな時には、結果はどうあれ、安心させる一言というのはありがたい。


当日の夜帰宅した時には、既に子供は寝た後だったので様子を見ることは出来なかったが、
翌朝は、特に変わった様子はみられなかった。
大学病院の小児神経外来は水曜日のみという事なので、11月30日に予約を入れ、
それまではなるべく無茶をさせないようにしながら経過を見守る事にした。




取り合えずてんかんについての知識を身に付けようと、主にインターネットを利用して、情報を集めた。
こんな時、インターネットは非常に便利である。様々な情報を、パソコンの前にいながら簡単に収集できる。


その後の一週間は子供の様子に特に変化はなく、もしかしたらもうけいれんを起こす事はないかもしれない、
と思えるほどの元気な様子に、少し安心していた。
しかしそんな期待を裏切るように、二度目のけいれんを起こした。


二度目のけいれんは11月28日(月)、朝8時過ぎだった。
この日も私は家を留守にしていた。
毎週月曜日は講義があるため、池袋に行っている。
帰りの時間はまちまちだが、その日は少し遅かった。
帰宅すると、息子はもう寝ていたのだが、妻が私の顔を見て一言「また起きた・・・」。


その日は月曜日だが、幼稚園行事の振替で休園日だった。
朝いつも通りに起きて、朝食を済ませ、上の子の登校を見送り一人で遊んでいたそうだ。
今回は、「ぜんまい式」のおもちゃで、何度もネジを巻いては遊んでいた時、異変が起きた。
やはり「手のけいれん」から始まったようで、妻に「おててが動かなくなっちゃった」と自分で言ったようだ。


妻が慌てて近づくと、すぐに意識混濁状態となり、言葉を発する事が出来ず、
前回同様頭を前へ倒すように意識を失ったそうである。
右手がけいれんし、右頬もピクピクと引きつらせていたのも、前回と同じ症状である。
この時も妻は冷静にはなれなかったようで、思わず抱き上げようとすると、
すっと力が抜け、けいれんは治まり意識も戻ったそうである。
このときの持続時間はおよそ2〜3分で、前回に比べると時間は短く症状も軽いように見える。
だが、けいれんに違いは無い。もう起こす事はないかも、という淡い期待は崩れてしまった。




この二度目のけいれんをきっかけに、私の意識は変わった。
検査が済んで診断がつくまでは静観しようと思っていたのだが、10日も経たないうちに2度目のけいれんを
起こしてしまった事で、「放っておくべきではない、自分に出来る事をしよう」と、決心した。


出来る事といえば、普段から行っている徒手的なアプローチしかない。
以前から、頭蓋骨矯正がてんかんに有効であるという話は聞いていた。
その日は一先ず、仙骨の矯正から始める事にした。
仙骨矯正は脊髄硬膜を介して頭蓋に作用する。
子供はよく尻餅を突くので、仙骨に問題を起こしやすい。
仙骨の問題が頭蓋に影響を及ぼす事は、十分考えられる。


この子はこれまで殆んど問題なく成長していたので、あまり治療する必要性を感じた事が無かった。
それでも時々自分から「治療して」などと言ってくるので、簡単にする事はあったが、
特に問題らしい問題を感じた事は無かった(上の子は、小さい時からよく治療している)。
しかしこの時は、仙骨の動きに異常を認めた。やはり、硬膜系に異常があるようだ。
その日は仙骨の問題を解消し、治療は終了とした。




翌日から、さらに情報を集めるため、お世話になっている先生方に相談する事にした。
今回の事では、本当に多くの先生方にお世話になった。


まずは、日頃お世話になっている先生に、メールで相談する事にした。
原稿を投稿している専門誌が2冊有るのだが、丁度その時はその2冊が発行される時期で、
原稿に関連したメールを何度かやり取りしていた時だった。
それぞれ徒手療法及びカイロの専門誌で、代表者は両氏とも日本の第一人者である。


1人は普段から何かとお世話になっている「マニュアル・メディスン」の大場弘DC。
大場先生は、カイロプラクティック神経学の専門ドクター(DACNB)で、いわばカイロにおける
神経学のスペシャリストである。
もう1人は、「セサモイド」の仲井 康二DCで、海外の文献を数多く翻訳しておられるDCらしく、
知識技術共に実に幅広いものがある。


大場先生には神経学的な観点から、てんかんの発生機序や貴重な臨床経験談を頂き、
その上、周りの先生方に声を掛けていただき、多くの先生方のアドバイスを頂戴する事が出来た。
マニュアルメディスン研究会の伊澤勝典先生、本多直人先生からは、頭蓋療法を中心とした
細やかで具体的なご指導を賜り、非常に勉強になった。
神経学に関する知識が豊富で、論文も数多く執筆されている九州の荒木寛志先生からは、
臨床的な改善例から、脊柱を中心としたアプローチを、実に詳細に教えていただいた。


仲井先生には、栄養学的な観点から食事の重要性を指摘され、実際の改善例と、
治療のポイントについて、大変参考になるご指導を頂いた。


最後に、私の所属するパシフィック・アジア・カイロプラクティック協会(PAAC)の
名誉会長である兼古 将先生にも、心強いアドバイスを頂いた。
兼古先生は、日本にカイロを普及させ、長年に渡り日本のカイロを牽引してきた第一人者で、
誰もが認める大先生である。
技術的にも臨床経験においても、おそらく日本のトップクラスである事は間違いなく、
我々から見れば「雲の上の存在」といった感がある。
兼古先生はてんかん治療の経験も豊富で、丁度現在もてんかん患者を診ておられ、
頭蓋矯正によってけいれんを起こさなくなった症例についてのお話をお聞きする事が出来た。
その患者さんは40代で、兼古先生の治療を受ける前は、薬を飲んでいながら頻繁にけいれんを
起こしていたそうである。
兼古先生のお話を伺っていると、「てんかんなんて簡単に治る」といった印象を受けてしまうところが、
大先生の大先生たる所以だろう。
兼古先生の治療は非常にシンプルで、余計な事は全くしない。
今回は、そのポイントをひとつだけ教えて頂き、早速実践した。
技術・知識・経験全てにおいて遠く及ばない私に、兼古先生と同じ結果が出せるのかといった問題は棚上げし、
とにかくアドバイス通りのアプローチを正確に行う事を心がけようと、心に誓った。


その他にも、PAACの諸先生方には多くのアドバイスと、励ましの言葉を頂いた。


皆様には親身に相談に乗っていただき、心から感謝する次第である。
この場をお借りして、改めて御礼を申し上げたい。
今後、私に力になれる事があるなら、喜んでお手伝いしたいと思っている。


考えてみれば、今回お世話になった先生方は、そうそうたる顔ぶれである。
普段はあまり自分自身が「恵まれている」なんて思う事は無いのだが、今回の一件で、
これだけの先生方にご助言をいただける私は、実は恵まれているのだということを実感した。
それにしても、諸先生方の知識と経験の豊かさには脱帽である。
また、誰もがてんかんに対して前向きな意見を持ち、1人としてネガティブな感想を述べる方はいなかった。
このことは治療家として、またてんかん患者の親として、これ以上ない激励であった事は言うまでもない。




話を息子のてんかんに戻す。
二度目の発作から二日後に、大学病院を受診した。


当日は、午前に小児科医、午後に神経科医による診察と、血液検査のための採血を行った。
これまでの経過から判断すると、ほぼてんかんである事は間違いないようで、
あとはその種類を特定する事が重要であるという事だった。
てんかんといっても種類は多く、医師によると、専門的には「山のようにある」そうである。


子供のてんかんを、インターネットで調べた範囲の浅はかな知識から親の期待を含めて予想すると、
症状的には小児期にみられ、成長と共に治癒の見込める「小児の良性てんかん」ではないかと考えていた。
しかし医師は慎重で、「検査をしてみないと何も言えない」という姿勢を変えることは無かった。
やはり、医師の一言は特別な重みを持つため、軽率に確定的なことは言えないのだろうと感じる。
医者という仕事も色々と大変だなぁと、なんとなく同情的になる。


それにしても、本当に何も言わないというのはどうなのだろうか?
せめて可能性としていくつかでも示してくれると、今後の対応に生かせるのだが・・・。
全く何も分からないままでは、不安だけが増長する。
結局は脳波とMRI検査の日取りを決めただけで、その日は帰宅した。


翌週の検査までけいれんが起こらないように祈りつつ、私はこれまでのアドバイスを参考に、
子供の治療を殆んど毎日行った。
幸いけいれんは起こらず、12月6日の検査の日がやってきた。




この日は脳波の検査が予定されていた。
「頭に沢山『線』をつけて検査するんだよ」と聞いた息子は、なぜか、「(鉄腕)アトムみたいだ!」と
無邪気に喜んでいたようだ。
しかし、少しでも動いてしまうと正確な検査が出来ないということで、睡眠導入剤で寝かされてしまった為、
自分では「アトム」のような姿を見る事が出来ず、残念がっていた(次は写真を撮って、とねだっていた)。
それにしても、我が子は強い!
脳波の検査も嫌がることなく受けるし、採血の時も眉一つ動かさない(むしろニコニコしている)。
予防接種でも泣いた事が無い。見ているだけでも痛々しいのに・・・。


脳波検査の翌日(12月7日)に検査結果を聞きに大学病院へ行った。
心配していた脳波は、「異常なし」。
これは私の治療が奏効したのか、元々異常が無かったのかは分からないが、
治療によって頭蓋の状態は随分改善していたという手ごたえは感じていた。
では肝心の診断も「異常なし」かというと、残念ながら「てんかん」という診断に変わりはないそうである。
臨床的に見ると明らかにてんかんだそうで、脳波に異常の見られない場合も珍しくないらしい。
脳波には特徴的な波形は現れていないものの、症状的にみると「小児良性てんかん(ローランドてんかん)」
の可能性が高いということで、比較的軽度のてんかんである事に一先ず安心した。
継続的に脳波の検査が必要である事と、発作を抑える薬を服用したほうが良い事を告げられる。


発作が今後、何時起きるかも何時まで続くかも分からないらしく、診断自体確定ではない。
このタイプは、一度発作を起こすと群発する事があり、
今後突然「全般発作」に繋がる可能性も否定出来ないそうである。
安全のためにも薬を飲みつづけ、発作を出来る限り抑制したほうが賢明だという。
しかし、薬を飲んでいても発作を起こす事はあり、逆に薬を飲まなかったとしても
必ず発作を起こすとは限らないという、不確実性がある。


受け売りの知識だが、そもそも脳の神経細胞の「異常発火」は、てんかんではない人にも見られるもので、
周りの正常細胞がそれを抑制する為発作には至らないという。
てんかんではその抑制が効かず、異常な発火が周囲に伝播し発作を起こす。
家の子の脳波には周期的な異常波は現れていなかったため、イレギュラーに生じた脳細胞の興奮が
周囲に伝播したものではないかと予想する。
つまり、何時起こるか分からない異常な発火を、常時押さえつけようという治療法には少し疑問を感じる。
ただ、この異常発火が何時起こるのかは誰にも予測不可能で、これまでのように自宅で
―親の目の届くところで― 起こるのであればまだ良いが、そうではない所で ―例えば1人で入浴中や
高いところに登っている時などに― これが起こった場合には、命に関る。


診断が確定したわけではないのだが「小児良性てんかん」だった場合、治療の有無に関らず
治癒するという見方が強いようだ。
ただし、たとえ治癒するものであるからといって、けいれんが安全だという事にはならない。
結局、脳波検査は継続的にお願いする事にして、薬の方は「もう一度けいれんが起こったら開始」
ということにした。


この決断に対する若干の迷いは、今でもある。
やはり、何時どこでけいれんを起こすか分からない事を考えると、ある程度の予防は必要だと思う。
しかしそれでも、脳波に異常が無く、けいれんも起こるか起こらないか分からないという状態での対処法が、
“薬しかない”というのは、あまりにも消極的過ぎるのではないだろうか?
しかも、薬は毎日継続的に飲まなければ意味が無い。
確かに「けいれんを起こさない」というのが最優先事項であることは理解できる。
しかしその一方で、異常な発火を自分で抑制できるようになったら「治癒」である、ともいう。
自分自身で発火の伝播を抑える事が出来ているかどうかの確認は、どのように行うのだろう?
脳波のほうは異常が無いので、異常波で状態の判断は出来ない。
結局、けいれんの有無で判断するしかないことになる。


薬を飲みつづけ、適量(けいれんが起こらない)を維持しながらけいれんがコントロール出来たとしても、
それを減量していく過程でけいれんを起こす可能性がある。
そうすると、また薬を増量し、しばらくはこれを減らす事が出来なくなるだろう。
つまり、再びけいれんを起こした場合は治っていないという事になり、
ここでけいれんが起こらず、最終的に薬を止められれば「治った」ということになる。
つまり、けいれんの有無が全てであり、これは薬の服用の有無とは関係が無いように見える。
また、「異常発火」という経験が無ければ、「抑制」という学習も不可能である。


もちろん今後、全般発作に移行し、周期的なけいれんを起こすようになる可能性もあり、
薬に頼らざるを得ない状況になるかもしれない。
これからの経過が予測出来ない現状では、子供の安全を最優先に考えるべき、という意見もあるだろう。
頭蓋療法にしても「絶対ではない」ということなど、百も承知である。
薬物療法が消極的に見え、頭蓋療法の可能性にかけてみたいなどと考えるのは、
単にカイロプラクターとしてのエゴでしかないのだろうか。


幸いにも、治療を始めてから、3度目のけいれんは起こしていない(その後の「脳波」「MRI」検査も異常なし)。
これがたまたまなのか、治療の効果なのかは誰にも判断は出来ないが、今のところ薬は必要ないようである。
もし、医師の指示通り薬を服用し、徒手療法を行わなかったとしても、結果は同じだっただろうか?
しかし、もしそうだった場合、薬を止める事は数年間は出来なくなるだろう。
それを考えると、今のところ「薬を飲まない」という決断だけは、間違っていなかったように思う。
後は頭蓋療法を継続し、けいれんの再発が無い事を祈るばかりである。


多くの先生方の激励と、実際の改善例を支えに、今は前向きに且つ“積極的”に、
我が子のてんかんと向き合っていこうと決めている。