画家山田新一の素顔


 2011年10月15日(土)〜12月4日(日) 都城市立美術館


    素顔の佐伯山田

   

勢いのあるタッチでパリを描いた早世の洋画家佐伯祐三と、その親友で戦後の
日本画壇で活躍した山田新一。山田が故郷として愛した都城市の市立美術館で
   素顔の佐伯祐三と山田新一展(2011/10/15〜12/4) が開かれた。

 都城市立美術館、宮崎日日新聞社、南日本新聞社、UMKテレビ宮崎、
 KTS鹿児島テレビが主催 (都城市立美術館訪問:2011年10月20日


  

    都城市立美術館のPRチラシ
  

  

 裏面に記載された作品展示の案内文<抜粋>
山田新一は、父の出身地を故郷として、その地の旧制都城中学校に学びました。
在学中、美術教師の影響を受け画家を志し卒業後、美大受験のために学んだ川端
画学校で佐伯祐三と出会います。翌年そろって東京美術学校に合格。二人は一緒
にスケッチ旅行に行き、展覧会を開き、卒業後、遠く離れていても心からの親友
として深い絆で結ばれていました。東京美術学校を卒業し、ソウルに居を構えた
山田がようやく渡仏したパリで、生前の佐伯と最後の面会をしたのも何かの因縁
でしょう。30歳で夭折した佐伯とは逆に、山田は92歳まで絵筆を握りました。
平成20年度、開館30周年という節目を前に、佐伯からの手紙をはじめとする
資料が遺族から寄贈されました。「僕にとってまずかけがえのない友情の絆とし
て胸中に生きている」佐伯と山田の絆を示す貴重な資料です。この資料をはじめ、
国内各地の美術館等に収蔵される佐伯作品と山田作品約70点を、山田が著した
「素顔の佐伯祐三」にもとづき、展示します。

    

開館30周年記念 素顔の佐伯祐三と山田新一展 図録
  編集/都城市立美術館 〒895-0073 宮崎市都城市姫城町7-18
図録(表紙)(22p×26p100ページ

      
                          
 32頁山田新一/Y嬢の像1925年  山田新一への葉書書1924年1月
                         (所蔵:巨ツ木画材店


 
    

  2011年(平成23年)10月18日(火曜日)/南日本新聞の特集
                
   2011年10月18日付 南日本新聞の特集(15面) 
    
  
← 佐伯 モランの寺 1928年
/モン・ジェルマン・シュル・モラン
 キャンバス・油彩 60.0×73.0a
 東京国立近代美術館所蔵


⇒佐伯祐三(左)と山田新一
 1922年夏、箱根・強羅をスケッチ
 旅行した際の写真

←(左)佐伯 
黄色いレストラン
   1928年
 キャンバス・油彩 73.0×60.8a
大阪市立近代美術館建設準備室所蔵
←(右)佐伯 靴 屋(コルドヌリ)
  1925年
 キャンバス・油彩72.5×59.0a
 石橋美術館所蔵

←(左)山田
裸 婦 1929年
 キャンバス・油彩 80.5×100a
 東京都近代美術館所蔵
←(右)山田 湖上客船 1950年
キャンバス・油彩 162.0×130.2a
  都城市立美術館所蔵
山田宛書簡
 
1920年7月16日(部分)
  都城市立美術館所蔵
   「山本瑠寧子寄贈」

  南日本新聞の特集記事<抜粋>
山田新一は1899年台北市生まれ。父親の故郷・都城市の旧制都城中学で5年
間学ぶ。士族の家系ではじめ軍人を目指したが、美術教師の影響で画家を志し、
卒業後の1917年から川端画学校(東京)で学んだ。同年の秋、佐伯祐三と同
校で出会う。
佐伯は1898年、現在の大阪市北区中津にあった寺の次男として生まれ、旧制
北野中学(同市)時代から洋画を学んでいた。
1918年、2人は東京美術学校(現・東京芸大)に入学。藤島武二に師事し、
一緒にスケッチ旅行に行くなど友情を深めた。卒業後間もない23年9月、関東
大震災が襲う。渡仏の準備をしていた佐伯は支度品の多くを失うが、妻子を伴い
11月に出発。山田は旧制中学の美術教師になるため日本統治下の朝鮮・京城府
(現・ソウル)へ移住。日朝の画壇で活躍した。
佐伯は、フランスでフォービズム(野獣派)の作家ヴラマンクに会った際、アカ
デミックな絵を罵倒されて衝撃を受け、ユトリロにも感化されて作風を変化させ
た。パリの街頭を題材にした鋭い描線と大胆な色彩の作品は、フランスの代表的
な展覧会「サロン・ドートンヌ」に入選したほか、26年に帰国した際も日本で
高く評価された。
パリに魅せられた佐伯は27年夏、再びパリへ旅立つ。シベリア鉄道で向かい、
出発前に京城の山田の元を訪問している。
佐伯はパリで制作に没頭した。しかし、28年に結核が悪化、精神も不安定に。
「一日も早くパリに来い」と声をかけていた山田が留学のためパリに到着、最後
の面会を果たした後の同年8月、30歳で死去した。
山田はパリで学んだ後、戦後は京都に移住。日展参与や光風会名誉会員など中央
画壇で活躍した。著書「素顔の佐伯祐三」の中で、「佐伯の短く激烈な生涯」に
比べて、自身の画業は「手堅さ一方の写実の鈍行」と表現しているが、「その道
が単に没個性の道だと決めつけられるいわれはない」と自負心も見せている。
1991年9月、92歳で死去。

 2011年(平成23年)11月6日(日曜日)/宮崎日日新聞の特集

  

  素顔の佐伯祐三と山田新一展/新聞報道

2011/8/13 宮崎日日佐伯祐三と山田新一展
2011/8/23 南日本都城市立美術館開館30周年記念/
          素顔の佐伯祐三と山田新一展

2011/10/15 宮崎日日都城市立美術館きょう開幕
          佐伯祐三と山田新一展/作品や手紙約70点
2011/10/15 南日本絵への情熱や友情を紹介/佐伯・山田展きょうから
2011/10/18 朝日洋画家2人の親交を紹介/素顔の佐伯祐三と山田新一展
2011/10/18 南日本響き合う歓声と情熱/素顔の佐伯祐三と山田新一展
2011/11/5  読売佐伯祐三 平面の存在感/「素顔」探る展示 宮崎・都城
2011/11/6 宮崎日日名画生み出した絆/「素顔の佐伯祐三と山田新一」展
2011/11/14 宮崎日日<アートこらむ>
           佐伯祐三と山田新一展/時代の息吹が伝わる

2011/11/16 宮崎日日佐伯祐三と山田新一展
          「より高み目指した」研究者の熊田さん講演

2011/11/22 朝日親友が見た佐伯祐三の素顔/
              宮崎・都城市立美術館で企画展

2011/11/22 毎日2洋画家の代表作70点/開館30年記念展
2011/11/29 宮崎日日佐伯祐三と山田新一展/学芸員が作品解説
2011/11/30 宮崎日日「最高の作品」都城に/「佐伯祐三と山田新一」展
2011/12/ 1 南日本「素顔の佐伯祐三」展/親友山田の視点で構成
                    都城市立美術館
2011/12/ 3 南日本佐伯・山田展入場者4千人/都城市立美術館
2011/12/ 3 宮崎日日素顔の佐伯祐三と山田新一展/入場者4千人突破

 

  素 顔 の 佐 伯 祐 三 

  山田新一著「素顔の佐伯祐三」
 
昭和55年(1980年)6月20日初版/中央公論美術出版

    (著書の表紙) <230ページ> 
   

        新一伯父直筆のメッセージ
    



  上梓当時の山田新一
   
   都城市立美術館の敷地に立つ山田新一の筆塚
   

 

  山田新一Top  画業70年の軌跡/山田新一展

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