成田から直江津へ、そして直江津にて
近藤 芳一
●成田から直江津へ
10月6日。この時期にしては寒い上越とは対照的に、ここ東京は暑い。オーストラリアからの32名の元捕虜、および親族の方々を迎えるため、私は汗をふきふき一路成田に向かった。第二ターミナルでは今回の訪日団の団長、ジャック・ミューディーさんの娘で東京在住のリネットさんと無事会うことができた。リネットさんいわく、
「みんなと会うのがとても楽しみ。エキサイティングだわ」
オーストラリア各地から来られる32名の方々はいったいどんな人たちだろうか。私もおおいに楽しみである。
大使館員の計らいか、オーストラリアからの来客は予定より早く入国審査を終えて出てこられた。みなさん、手に手に大きな荷物を持ち、カートを引いている。車いすのかたはフランク・ホールさんか。あいさつをしたり、握手をしたりで、初対面は緊張のうちに終わった。
成田空港から宿舎の芝パークホテルまでは約2時間の行程である。今回の訪日がはじめてという方が多かったため、車中、リネットさんがあれこれ日本について話された。お金、治安、天候のこと、そして明日向かう直江津について。
ベイブリッジを渡り、東京タワーをぐるりと回るようにしてバスはホテルに到着。ホテルでは大使館員の方も参加して日本で初めてのミーティングをもたれた。
まず、ミューディーさんが一言。
「一地域の住民が素晴らしいものを準備して私たちを待っています。私たちはただ、これに参加するというのではなく、この一部になり、ともにこのイベントを完成させるのだ、という気持ちで明日直江津に向かいましょう。もしその気持ちになることができるなら、私たちは生涯に一度の素晴らしい体験をすることができるでしょう。」
88才という歳を感じさせない、実に力強いよく通る声で話された。
つぎに大使館の方から日本で行動する際の注意が述べられ、最後に神父様が聖書を引用してお話された。時計が午後10時を回った頃、めいめい、日本での第一夜を過ごす部屋へ入られた。
翌朝は少し雲はあるものの晴れ。上野駅に直行する予定を変更し、バスから眺めるだけではあるがリネットさんをガイドにしての東京見物を行った。オーストラリア大使館、増上寺、皇居、銀座通りを経て、予定には少し遅れたものの列車の出発には十分な時間を残して上野駅に到着した。ここで大使館からの通訳、クレアさんと落ち会う。
今回の旅で唯一の問題は上野駅で起こった。事前の打ち合わせでは、改札口で2、3人の駅員が私たちを待ってホームへの移動、荷物の運搬を手伝ってくれるはずであったがだれもいない。改札口の駅員と交渉するが、時間ばかりが過ぎ、らちがあかない。ようやくおっとり刀で駅員と赤帽がやってきて私たちをホームへと先導してくれた。私は発車の時間が気になり、思わず早足になったが、オーストラリアの方はゆったりとしたものである。イギリスのロックシンガーが、「紳士は歩いても、決して走ったりはしない」と歌っていたが、あれはオーストラリア人のことかもしれない。何はともあれ、冷や汗ものであったが全員無事乗車し一路直江津に向かった。
全員無事、列車に乗られれば私の仕事は終わったも同然である。隣りに座ったクレアさんとしばし談笑。そのうち、あちこちから声がかかった。
元捕虜のバーバーさんは、戦時中に働いた工場で親切だった田中さんに会いたい、と言われた。田中はよくある名字なので、これだけで人を捜すのは難しいな、と感じた。
戦時中、捕虜の方々は収容所近くの3つの工場で働いたが、元捕虜のヒルさんは、それらの工場を再訪したい、との希望を述べられた。
また、多くの方々が覚真寺への訪問を希望された。当時の住職、円理さんは、捕虜の遺骨を秘密裏に預かり、来られた捕虜をもてなされた方である。
私はこれらの希望を逐一上越へ伝えた。上越で待つスタッフも前向きに対応してくれたのである。そうこうしている内に、列車は直江津駅に到着した。
●直江津にて
直江津駅での歓迎式後、ホテルで荷を解いた訪日団は、休む間もなく覚真寺を参拝された。その後、夕闇の中ではあったが、バスの窓から戦時中働いた3つの工場を見学し、歓迎会に臨まれた。
翌8日には三つの式典があったが、最初は法務死者追悼碑除幕式であった。オーストラリア訪日団で唯一この式に出席されたミューディーさんは式後、ホテルに向かう車で私に痛ましい話をされた。
冬、戦友が亡くなると残った者はその遺体をそりに横たえ、火葬場まで引いて行かれたそうである。浜風が吹きすさび、雪が降りしきる中、ミューディーさんをはじめ他の人はどんな思いで戦友の遺体が乗るそりを押したのであろうか。それを思うと胸が締め付けられた。
当日2番目の式典、オーストラリア銘板碑除幕式に参加されたヒルさんは、平和記念公園で私を見つけるや歩み寄りこう話された。彼は前日の工場訪問だけでは満足できなかったようである。
「昨夜、パーティーが終わった後、工場へ歩いて行って来たんだ。そして警備員に頼んで工場の中へも入った。今のトイレは新しく清潔になったが、トイレの位置は50年前と変わっていないな。しかし、昨日は少し歩きすぎたかな」
にこやかにこう話してくれたヒルさんは、しかし、いくぶん足をさすりながら奥様とともに式の席へと向かわれた。
田中さんと再会したい、と言うバーバーさんの希望は、取材に来ていた新聞社により報道され、奇跡的に田中さんを探し当てることができた。偶然にも、田中さんはオーストラリア訪日団が宿舎としていた東京のホテル近くに住んでおられ、直江津からの帰途、そこで50年ぶりの感動の再会を果たされたそうである。
平和友好記念像除幕式終了後、ミューディーさんの希望により、旧火葬場への訪問が急遽実現された。現在、火葬場跡地には何もない。建物の基礎だろうか、2、3の大きな石がある以外はただ草が生い茂るだけの荒れ地である。それでも、わざわざバスから降り、その光景をカメラに収めているオーストラリアの方がおられた。火葬場は朽ち果てようとも、その場所にまつわる悲しい想いはいつまでも尽き果てることはないのであろうか。
私にはたいへん感動的で重い体験であった。

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